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第93話 第二王子グェル② ──漢になるんだ。今、ここで。──

 それは、谷間の里に激震が走った日だった。


 空を引き裂くような咆哮が響き渡ると、警鐘の遠吠えが幾重にも重なり、フェンリルたちの里全体が戦闘態勢に入った。



 「来たか……“裏切り者”が」



 グェルは小さく呟いた。


 兄・フレキ。


 フェンリルの王家に生まれ、己の強大な魔力を嫌い、人間に加担して姿を消した(オス)



 ──そして今、よりにもよって“人間の女”を2人連れて戻ってきた。



 「みんな、聞けッ!! これは我らが誇りの問題だ!」



 “百の牙”の面々が、グェルの号令に雄叫びで応えた。


 そしてグェル率いる"百の牙"は、フェンリルの里の地下"試練の闘技場"で、一人の少女と戦う事となる。




 黒マスクを付けた褐色の少女、リュナ。



 ──咆哮竜ザグリュナ。



 その力の一端を初めて目の前で見た時、グェルは理解した。



 「勝てるわけがない」と。



 地を割るような一歩一歩。


 背中から伸びる黒銀の“竜の腕”が、一振りするだけで地面ごと味方を薙ぎ倒し、"百の牙"の仲間たちは次々と気絶していった。


 


「くっ……まだだ、まだやれる……!」


 


 震える声で叫びながら、グェルは喉奥に魔力を込めた。



「合体魔法——"獣雷断界(ケルヴォルク)"、展開ッ!!」


 


 獣雷の魔力陣が地に走り、数十頭の仲間と意識を繋げる。


 それは、フェンリル族最強の連携術の一つ。


 自分たちの誇りを結晶にした一撃……の、はずだった。


 


 だが。


 


「——ふーん。」


 


リュナが小さく鼻を鳴らし、口を開いた。


 


「『動くな』。」


 


 竜の咆哮が、言葉に乗せて響き渡る。


 静かに呟かれたその言葉と共に、グェルたちの魔法陣が、粉々に砕け散った。


 魔力の波動が、煙のようにかき消えていく。


 


「そ、そんな……っ!?」


 


 グェルの膝が、力を失ったように崩れる。


 


(うそだ……ボクたちの合体魔法が、“咆哮”ひとつで……?)


 


 信じた力が、無様に砕け散った。


 味方は皆、焦点の合わない目で動きを止めている。


 辛うじて意識を保てているのは、もう自分だけ。


 けれど、自分も……もう、立ってなどいられない。


 


 リュナが、静かに歩み寄ってくる。


 その一歩一歩が、地響きのように思える。


 


 目の前に迫る、圧倒的な“強さ”。


 


(ああ……やっぱり、ボクは……)


(王族のくせに、魔力は兄様より低くて……)


(統率で這い上がっただけの、ダメなヤツなんだ……)


 


 全身が震えた。


 震える足では立つのもやっと、震える脚で情けなく踏ん張るしかなかった。


 


 そして。



 「『おすわり』っ!!」



 死を覚悟した時、響いたリュナの声。


 それは、命ではなく、戦意のみを奪う咆哮だった。


 ぺたんと尻餅のように座り込む。



 ——じわりと、足元が温かく濡れた。


 


「あ……」


 


 膀胱の感覚が消えていたことに、ようやく気づいた。


 誇りも、威厳も、何もかもが流れ出ていくようだった。




「クッサ……まずは"トイレトレーニング"から始めなきゃっすね。」




 冷たく吐き捨てる様にリュナが言う。


 己の不甲斐無さが、グェルの心を抉る。

 



 ——ぐすっ。


 ——ぽろ……ぽろ。


 


 涙が溢れた。


 声にならない嗚咽が、喉の奥で震える。


 顔を上げる勇気もなく、ただ地面を見つめながら、グェルはぽつりと呟いた。


 


「ボク……なんで、こんなにも……弱いんだろう……」


 


 優しい兄を馬鹿にして。


 強くなろうとあがいて。


 必死に、誇りを保とうとしたのに。


 


 全部、無意味だった。


 


 強さの本質を前に、自分の全てが、粉々に砕かれていく——。




 ◇◆◇




 ——グェルの目に、涙がにじんでいた。



 震える肩、力なく垂れた尻尾。


 あれだけ誇り高かったはずのフェンリル部隊"百の牙"の隊長が、今や地に崩れ、己の不甲斐なさに嗚咽している。


 


 その様子を、リュナは黙って見ていた。


 口元からずり落ちていた黒マスクを、ひとつ小さく息を吐いて引き上げ、ふたたび口を覆う。


 


 ——そして、ズカズカとグェルに歩み寄るや否や。


 


 バシンッ!!


 


「いてっ!?」


 


 音も鮮やかに、グェルの頭にリュナの平手が飛んだ。


 


「泣いてんじゃねーっすよ。」


 


 声に、微かに怒気が混じっていた。


 


「アンタ、(オス)だろ? フェンリルの王族だろ? なにその情けない顔は?」


 


「で、でも……ボクは……兄様みたいな魔力も、才能も……何もないから……っ」


 


 グェルは涙ぐみながら、ぽつぽつと呟く。




「兄様は……なんでも持ってる。古き慣習を捨てて、新しい世界に踏み出す勇気も……」


「でも……ボクは……弱いから……皆を守れる自信なんて……ッ」


 


 言葉の最後は、ほとんどかすれた。


 伏せた視線の奥で、黒曜石のような瞳が、揺れていた。


 


 リュナは、その顔をしばらく黙って見下ろしていた。


 そして——。


 


「うらっ!!!」


 


 ドガッ!!


 


「ぐへっ!?」


 


 乾いた衝撃音がグェルの頭蓋を打ち抜いた。


 リュナの右脚がきれいに伸び、鋭角の踵落としが、フェンリル王子の頭頂部を襲ったのだった。


 


 ゴスンッと音を立てて地面に突っ伏したグェルが、よろよろと顔を上げる。




「な、なにするんですかぁ……」


 


 泣き言混じりの声を聞きながら、リュナは鼻を鳴らす。


 


「いいかブタ犬、よう聞けっすよ?」


 


 マスクの下で、にやりと口角が上がる。


 


「あーしは、元・フォルティア荒野の主、咆哮竜ザグリュナだ。」


「そんなあーしの蹴り受けて、まだ喋ってるアンタが、弱いわけねーだろーが!!」


 


「……へ?」


 


「しかもなぁ? さっきの部下たちもそうっすよ。」


「手加減してっけどよ、あーしの竜腕や蹴りで即死しねぇ連中なんざ、そうそういねぇっての。」


 


 グェルの耳が、ぴくりと動く。


 


「なーにが“兄様みたいな才能がない”だ。ヘタレてんじゃねーっすよ。」


 


 リュナは腕を組んで、ふんと鼻で笑った。


 


「才能がないなら、鍛えりゃいーじゃん。」


「強くなりたいなら、強くなる努力すりゃいーじゃん。」


「王族が聞いて呆れるっつの。泣いてうずくまって、“ボク弱いんで”とか。ガキっすか、テメーは。」


 


 言葉は乱暴だったが、その芯は温かかった。


 


「……でも、ボク、本当に強くなれるのかな……?」


 


 その呟きに、リュナは鼻を鳴らした。


 


「なれるっしょ。」


 


 間髪入れず、強く、確信を込めて言った。




「ヘタレそうになったら、あーしが蹴り入れてでも気合い入れてやんよ。」


「だから、あーしに蹴り入れられたら『気合い入れて貰ってる!』と思って、どんなに痛くても『お礼』を言うよーに!分かったっすか?』


 


 そして——マスクの下で、にやりと笑った。


 それはまるで、母親が我が子の背中をぐいっと押すような、厳しくも優しい微笑だった。


 


 グェルの胸が、じんわりと熱くなる。


 


(あれ……なんだろう、この気持ち……)


(叱られたの、初めてなのに……)


 


 どこか、懐かしいような——温かいような。


 幼い頃、母に抱かれた記憶はない。


 母のぬくもりを知らないグェルにとって、このリュナの叱責と励ましは、“愛情”という名の雷鳴のような衝撃だった。


 


(ボク……もう少し、頑張ってみたい……)


 


 ただ、頷くのが精一杯だった。


 だがその瞳には、ほんの僅かに、決意の光が宿っていた。




 ◇◆◇




 フォルティア荒野の夜は、かつてよりもずっと穏やかになった。


 それは、咆哮竜ザグリュナが静かにトップを降り、跡を継いだ者たちが争いではなく、未来を選んだからだ。



 そして——。



 月明かりに照らされた崖の上、小さなフェンリルの影が、一人黙々と魔力の操作を繰り返していた。


 


 グェル・フェンリル。かつて「百の牙」を率いた隊長は、今やただの一匹の修行者に戻っていた。


 


 「ふんっ……!」


 


 大きな身体に魔力が集中していき、毛皮に覆われた肉体の表面が、震える様に波打っている。



 その瞳には迷いがない。ただ、ひたすらに。


 


 ——リュナ様を守れるくらいの、強い(オス)になりたい。


 


 それが、今のグェルのすべてだった。


 


 自分は兄様のように優しくも、器もない。


 アルド坊ちゃんの様な圧倒的な強さもない。


 けれど、だからこそ思った。


 あのマスクの少女が、笑っていられる未来を。あの蹴りを、これからも、もらえる未来を。


 


 「……に、しても……」


 


 跳躍を止めたグェルが、こそっと尻尾で汗を拭いながら呟く。


 


 「……やっぱり、“抱っこされたい”って理由、変だったかなぁ……」


 


 ふと脳裏に浮かんだのは、兄フレキとのある会話。


 


 ——『なんで、“縮小”スキルを覚えたいの?』


 ——『り、リュナ様に抱っこされたいからッ!!(照)』


 


 言ったあと、全力で後悔した。だが兄は、柔らかく笑って「そっか」と一言だけ返してくれた。


 


 (……兄様の“縮小”スキルは、身体の質量ごと圧縮して、パワーは衰えないまま、サイズだけを縮める技……)


 (魔力総量の少ないボクにこそ、うってつけのスキル。だけど──)


 (ボクにあの真似は難しい……でも……)


 


 「……ボクにしかできない“圧縮”が、きっとあるはずなんだ」


 


 魔力が少ない自分には、精密な魔力制御こそが最大の武器。


 自分の全魔力の流れを細部に渡ってコントロールし、戦闘に適した形へと昇華させる。


 そして、フレキとは違う形での“変化”を手に入れる。それが今の目標だった。


 


 そのために頼ったのが——最近、新たに開拓団に加わった、とあるチャラい魔王だった。


 


 


 ◆◇◆


 


「ちょいちょい! グェルくん?また魔力が拡散してるぞ〜。集中〜集中〜!」


 


 フォルティアの南端、溶岩の窪地跡。


 そこに、サングラスをかけたツーブロックの男——ヴァレン・グランツが立っていた。


 


 その傍らで、グェルが小さく唸る。


 


 「は、はい、ヴァレン様ッ! でも、圧縮したつもりでも……すぐ暴走するんです……!」


 


 「うーん。ま、派手さがないヤツほど地道に努力するしかないからね。地道は美徳だぜ?」


 


 口調は軽いが、ヴァレンの指導は意外なほど的確だった。


 


「なにしろ、魔力ってのは"感情"と密に繋がってるからな。リュナのこと想ってる時の方が、魔力の波長、綺麗だったぜ?」


 


「なっ!? ヴァ、ヴァレン様、ち、ちがいますッ……!」


 


 真っ赤になるグェルの額に、ヴァレンはぴとりと手を当てた。


 


「嘘つけ〜。 ピュアピュアなのはすぐバレるって。……いいじゃねぇか。誰かを想って強くなれるって、マジで尊いぜ?」


 


 


 その言葉に、グェルはぎゅっと前足を握った。


 


 自分の魔力量は、他の王族と比べれば少ない。


 けれど——自分にしかない武器がある。


 自分は、まだ”完成していない技”を、つかもうとしている。


 


(兄様の“縮小”とは違う……)


(ボクは、“圧縮した魔力で身体の形状そのものを戦闘に適した形に変化させる”……)


 


 まだ名前はない。形も未完成。


 けれど、それが完成した時——


 グェルは、かつての自分とはまるで違う存在になるだろう。


 


 


 「ふんっ!!」


 


 グェルの大きな身体が、全身隅々まで魔力を行き渡らせ、身体全体が薄く光る。


 


 その肉体が、僅かに圧縮され、形状を変えた。


 


「おっ、今のはいいじゃん? それそれ。集中すればできるじゃないか、グェルくん!」


 


「ボクは、ボクの戦い方で……!」


 


 息を切らしながらも、グェルの目には確かな光が宿っていた。


 その小さな背中に、微かに影が差す。


 


 未完成のスキルは、今まさに——覚醒の寸前だった。


 


 その名もまだ知られぬ技は、やがて来る戦いの中で、新たな閃光となって咲く。


 


 そしてそれは、かつて涙に濡れていた子犬が、自分の手で掴み取った最初の“誇り”になるのだった。



 色欲の魔王、ヴァレン・グランツは、その姿を見ながらサングラスの奥で目を細める。




 「──頑張れよ、グェルくん。キミみたいなキャラが、好きなコの為に頑張る展開が……一番アツいんだ。」


 


────────────────




 フォルティア荒野の地下トンネル。


 壁面を走る光るラインが照らす薄明かりの中。


 そのただ中に、黒と白の異形が、静かに立っていた。


 顔は、完全にハト。


 全身は、漆黒の燕尾服タキシードに身を包み、紳士的なポーズで片手を胸元に当てているが、その所作はどこか粘着質で不気味だった。



「ホロッホー……」



 首を斜めにかしげて、ピッジョーネは、カツカツと靴底を砂地に突いて笑った。


 ——見た目こそ滑稽だが、立ち上がる魔力の気配は、明らかに“魔王四天王”。


 場違いなほどの威圧感が、空気を重く染めていた。


 対するは、小さな黒パグ……の姿をしたフェンリル王族、グェル。


 その横には、体毛を逆立てたポメラニアン型のフェンリル、ポルメレフが控えている。


 グェルは小さな鼻をくんくんと鳴らし、周囲の魔力の流れを慎重に見極めていた。


 背中には汗が滲んでいる。鼻の頭にまで緊張の光が浮かぶ。


 けれど、目だけは——まっすぐに、相手を見据えていた。



 (この感覚……覚えてる。以前、フェンリルの里にやってきた"魔王四天王"至高剣・ベルザリオンと同じプレッシャー……ッ!!)


 (本来なら、ボクなんかが太刀打ちできる相手じゃあない……!)


 (でも、逃げたくない。ボクはもう……)




「行くぞッ、ポルメレフ!」




 グェルは叫んだ。

 声は裏返りそうになったが、それでも、全身にこもる決意が言葉を震わせていた。



「ボクは……ここで、強い(オス)になるッ!!」



 叫びとともに、グェルの瞳がキリッと引き締まる。


 けっして美形ではない。むしろ、愛嬌たっぷりのパグ顔のままだ。


 だが——


 その表情には、紛れもない“王族の矜持”が宿っていた。



「はいな!隊長〜!」



 ポルメレフが嬉しそうに唸る。


 もこもこした体毛を震わせ、牙をむき出しにして吠えた。



「隊長がそこまで覚悟決めたなら、ウチだって頑張っちゃいますよ〜!」



 グェルは小さく頷いた。


 風が止む。


 静けさが広がる地下トンネルの中——


 二頭のフェンリルと、一羽の異形の魔人が、ついに対峙した。



 そして、物語は動き出す。



 王族の名を背負う、パグ型フェンリル・グェルの、“漢”としての戦いが、今、始まる。

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