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第83話 マイネの困惑、ヴァレンの歓喜

 リュナの淡々とした一言。



 ──「あーしだから」



 その言葉の余韻が、部屋の空気をしんと凍らせる。


 マイネは、言葉を失ったまま棒立ちになり、まるで宙を見つめるような顔で何かを考え込んでいる。


 だが、その硬直が解けるまでには、しばらくの沈黙が必要だった。


 やがて──



 「……えっ?」



 ぽつりと呟いた声には、混乱と信じたくない気持ちと、ほんの少しの希望が混ざっていた。



 「お主が、“ザグリュナ”本人……というか、本竜なのけ?」



 額に汗を浮かべながら、恐る恐る訊ねるマイネ。



 「いや、ほら、あれじゃろ?ザグリュナの“眷属”だから“リュナ”って名乗ってる……そういうオシャレ設定的なやつ、なんじゃろ?」



 すがるような視線がリュナに注がれる。


 だが、その期待は──



 「ちげーし」



 バッサリと切り捨てられた。


 リュナは片膝を抱えてソファに座りながら、ジト目でマイネを見ている。



 「名前が“ザグリュナ”だからさ、この姿んときは“リュナ”って名乗ってんの。短くしてるだけ」



 あまりにも自然な言い方だった。誰に何を問われるでもなく、あくまで事実として淡々と。


 マイネの目がカタカタと揺れる。



 「え、いや、ま、待て、待てぇ……!」



 手を前に突き出し、マイネは顔を引きつらせながらリュナに詰め寄る。




 「お、お主、それでも道三郎──その、アルドとやらの眷属なのじゃろ!? たとえそやつがどれほど優れた人物であろうと、フォルティア荒野の主たる“咆哮竜ザグリュナ”が、誰かの眷属になるなんて──」



 「兄さん、格がちげーから」




 リュナは何でもないような口調で、さらりと言い放った。


 その言葉に込められた“事実”の重さは、音もなく部屋に落ちる。



 「……え?」



 マイネは、一瞬、自分の耳を疑ったように首を傾ける。


 だが、リュナの表情は変わらない。どこか眠たげな目つきで天井を見上げ、ぽつりと続けた。



 「あーしなんかと、比べ物になんねーよ。あの人は、別格なんだわ」



 その口調は、どこか寂しげで、それでいて誇らしげでもあった。


 自分自身を貶めるような響きは、ひとつもない。ただ事実を述べただけ──そう、リュナの口調はそう語っていた。




 「そ、そんな……咆哮竜ザグリュナが“比べ物にならん”存在……?」




 マイネは膝を崩し、そのまま床にぺたんと座り込んだ。


 咆哮竜ザグリュナ。大罪魔王とさえ同格とされる、永くに渡りフォルティア荒野の(あるじ)として君臨していた、災厄の竜


 その存在をして、別格と言わせしめる"アルド"という男。


 先ほどまであれほどの勢いで“真実”に迫っていた彼女が、今ではまるで神話を前にした信者のように、呆然と宙を見上げている。




 「……なんじゃそりゃぁ……」




 小さくそう呟いたマイネの頬に、玉のような汗がつぅ……と伝っていた。




 ◇◆◇




 リュナのさらりとした一言が、マイネの中の“常識”を根こそぎひっくり返した。



 ──あーしなんかと、比べ物になんねーよ。



 咆哮竜ザグリュナ。


 それは、かつてフォルティア荒野に君臨した災厄の象徴であり、帝国の遠征隊すら尻尾を巻いて逃げ出す魔竜中の魔竜。



 それが──



 (比べ物にならん……だと?)



 マイネの額には、もう数珠のように汗が滲んでいた。



 (あの咆哮竜ザグリュナが、誰かに従っているというのか? いや、それ以前に……そんな存在が……本当に、この世に──)



 ぐるぐると混乱した思考が渦を巻く。


 そんな中、意を決したようにマイネは顔を上げ、目の前のふたりへと問いかけた。



 「……のう」



 少し掠れた声だったが、それでも真剣な眼差しで。



 「道三郎とは……アルドとは、一体……何者なのじゃ……?」



 その問いに、リュナの瞳がぴくりと動いた。



 「あー、それは……っすね〜……」



 視線をそらすように横を向き、指で自分の髪をくるくると弄びながら、言葉を濁す。


 ちら、と横目で見る先には、もう一人の少女──ブリジット。



 (……これ、言っちゃマズイっすよね? 兄さん、まだブリジット姉さんに正体明かしてねーし……言っても問題無い気もすっけど……ここであーしが言うのも、なんかちげーよな……)



 そう迷っているのが、態度から滲み出ていた。


 マイネが「?」と眉をひそめかけた、まさにその時だった。



 「……アルドくんはね」



 不意に、ブリジットが朗らかな声で口を開いた。


 マイネとリュナ、ふたりの視線が彼女へと向く。



 「週に4日、テイミングスクールに通ってた、超すごいスーパーなテイマーなんだよ!」



 にぱっと、太陽のように明るい笑顔。



 「ね? リュナちゃん!」



 そう言って、隣にいたリュナの腕をとん、と軽く叩いた。


 リュナは一瞬ポカンとした顔をした後──ふっと目を細めて笑った。



 「……そっすね!」



 ふたりの息の合った“嘘”というにはやけに軽快なハーモニー。


 マイネはきょとんとしたまま、しばし口を開けて見つめていたが──やがて頭の上に疑問符が浮かぶような表情を浮かべた。



 「……よく分からんのじゃが……」


 

 ぽつりと呟いたその言葉の裏に、複雑な感情が混じっていた。



 (だが……)



 ──咆哮竜ザグリュナを眷属とし、色欲の魔王ヴァレン・グランツすら一目置く男。



 (……道三郎、いや、アルドか……)



 その名を心の中でゆっくりと繰り返す。



 (……只者ではないのは、確かじゃな)



 まるで霧の中に浮かぶ影のように、輪郭の見えぬまま深まっていく謎の存在。


 マイネは小さく息を吐き、椅子の背にもたれかかると、ようやく少しだけ肩の力を抜いた。


 目の前で笑い合うふたり──ブリジットとリュナの間に、なにか言葉にできない強い“信頼”のようなものを感じながら。




 ◇◆◇




 3人は、ヴァレンとフレキ、それにベルザリオンの待つリビングへと向かう。


 リビングの扉を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは──




 「やあやあベルちゃん、さっきのは最高に良かったよ。そう、愛は支配よりも委ねる方が尊いってやつだよね? 俺、そういうの大好き!」



 「……はあ。あの、光栄ですが、その、どうか少し距離を……」




 ヴァレン・グランツが、絹のように滑らかな微笑みをたたえつつ、困惑しきった執事・ベルザリオンの肩をがっちりと抱いていた。


 マイネの四天王 兼 専属執事“至高剣ベルザリオン”の肩が、まるで気安い友人のようにヴァレンの腕に包まれている。


 その光景に、ブリジットがぱっと目を輝かせて駆け寄った。



 「わあ! ヴァレンさんとベルザリオンさん、いつの間にか仲良しになったんだね!」



 笑顔で手を振るブリジットの横で、リュナの表情がふと引き締まった。



 (……ヴァレンが、あんなご機嫌ってことは……)



 リュナは目を細めながら、ベルザリオンとマイネの姿をじっと見比べる。



 (こりゃ、もしかして……そういう系統の、ラブコメ案件……っすかね)



 黒マスクの奥で、口元だけがじわりと綻びはじめる。


 対して、当のマイネは、部屋に入るや否や声を張り上げた。




 「ヴァレン・グランツ!! 何じゃ貴様!? 妾のベルに対して、いつの間にそんな馴れ馴れしい態度を取るようになったのじゃ!?」




 怒りに染まった瞳と、ぎゅっと握られた拳。


 けれど、その言葉を聞いたヴァレンの背筋が──ビクリと震えた。




 「……今、なんて言った?」




 目が、ビガァンと音を立てて光るようだった。


 『妾のベル』


 そのフレーズが、まるで蜜のようにヴァレンの脳内に沁み渡っていく。



 「くう〜……いいねぇ……最高だ……!」



 目を閉じて、まるでワインの香りを楽しむかのように深く息を吸い込むと、満面の笑みをマイネに向けた。



 「……そういうの、もっとちょうだい?」


 「っっ……!」



 言葉にならぬ悲鳴とともに、マイネの顔が真っ赤に染まった。


 図星だった。


 隠していたはずの感情──あるいは、認めたくなかった何か──を、あっさりと言い当てられたことへの衝撃。




 「だから嫌だったんじゃ!! 今の状況で、こやつに会うのは!!」




 叫び声とともに顔を覆うようにバスタオルをバサリと翻す。


 その様子を、ソファに横たわっていたフレキ(現在ミニチュアダックスフンド形態)が「どうしたんですか?」と首をかしげながら見上げる。


 隣で立ち尽くすブリジットも、目をパチクリさせながら小声で呟いた。



 「……なんの話してるんだろう?」



 フレキとブリジットの頭上に、揃って『?』が浮かんで見えるような空気。


 だが──リュナは違った。


 マスクの下、ニヤァァ……と口角を上げた彼女は、右手でこっそりマスクの下を押さえて笑いを堪えていた。




 (……これだよ。ラブコメってやつは、こうでなくちゃあな。)


 脳内で何かのチャートが作られていく音すら聞こえてきそうなほど、ご満悦なヴァレン。


 その横で、マイネは赤面のまま、ヴァレンを睨みつけるが──


 ヴァレンはまるで天使のような笑顔で、まるで空気のように彼女の感情を吸い取り、味わっていた。




 「『恋など気の迷いじゃ。幻想にすがるより、才を活かす方が、世界はよほど潤う(キリッ)』とか言ってたお前が……ねぇ? 一体、どういった心境の変化があったのかな? あ、全然バカにしてるとかじゃないぜ? そういう変化は、俺的には、むしろ、大歓迎!」



 「ヴァレン・グランツーーーー!! 貴様、黙れぇぇえぇぇ!!」




 その怒号がリビングに響いたとき──リュナは思った。



 (……兄さん、戻ってきたらどんな顔するんだろ、これ)

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