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第80話 魔導帝国と強欲の魔王③ ── マイネ・アグリッパ──

 魔都スレヴェルドの中央に聳え螺旋を描く摩天楼『アグリッパ・スパイラル』最上層。


 夜風にきらめくガラスの床の上に、その二人は対峙していた。



 空を覆う魔導艦隊。


 螺旋を囲う数百の魔道機兵。


 だがこの一角だけは、まるで戦場の喧騒から切り取られたかのように静まり返っていた。




 「……降伏せよ、マイネ・アグリッパ。貴様はすでに包囲されておるぞ」




 戦闘装束の装飾が月光を弾く。


 燃え盛るような紅の弁髪が波打ち、口元には笑みが浮かんでいた。



 ベルゼリア帝国、最強の将──“紅龍(コァンロン)”。



 その名は、三百の砦を焼き払い、十の国を従わせた生ける災厄。


 彼が目を据えるだけで、大地が沈黙し、敵が膝をつくとさえ言われている。



 だが。



 マイネ・アグリッパは、恐れてはいなかった。



 白肌に、ピンクのメッシュ入りの艶やかな紫髪。


 愛らしいメイクと、地雷系統のゴシック衣装。


 黒のレザーベルトを巻きつけたような異形のガーターハーネスから、財布型の魔神器(セブン・コード)、"我欲制縄(マイン・デマンド)"が淡く光を放っている。



 「……なかなか派手にやってくれたのう。

──《《この代償は高くつく》》ぞ?」



 細い指先を顎にあて、まるで挑発するような眼差しを紅龍に向ける。



 「《《スレヴェルドが受けた全損害》》に併せ、妾が受けた《《精神的苦痛に対する慰謝料》》。さらに、傷つけられた我が国の民の《《逸失利益》》。一体、総額はいくらになるのか、想像もつかんじゃろ?」




 「……貴様、何を言っている?」




 紅龍が一歩、床を踏みしめる。


 熱を帯びた魔力が足元から浮き上がり、周囲の魔力濃度を塗り替えていく。




 「弱き者は踏み潰し、《《奪う》》。それだけよ。」




 マイネは口元を隠して、ころころと笑った。




 「──"強さ"など、このマイネ・アグリッパの前では何の意味も持たぬ。それを、教えてやろう。」




 次の瞬間、彼女の足元に展開された円環魔法陣が、ぴたりと停止した。



 静止。そして起動。



 魔神器、"我欲制縄(マイン・デマンド)"が、起動する。




 「──"欲望の地雷源デザイア・オブ・マイン"。」




  マイネの手元の我欲制縄(マイン・デマンド)が開き、そこから帳簿のような請求書が果てしなく伸びる。


 それはまるで“神の経理”であり、“執行人の書状”だった。




 「ここに、“強制徴収”及び"差し押さえ"を宣告する」




 紅龍の眼前に現れた黄金の鎖が、四肢を締めつける。


 見えない何かがその膝を砕くように重圧をかけた。




 「──何っ!?」




 肉体ごと“資産”と見なされ、紅龍の魔力、膂力、肉体、それを取り巻く戦意のすべてに、“担保差押え”の金印が打たれる。




 「ぐ……あ……っ……!」




 炎が消えた。


 体内から溢れ出していた魔力が、呪詛のような薄金色の霧に変じ、消失していく。




 「な、にを……した……ッ!?」




 剛腕の将の膝が折れる。


 全身を鎖が締めつけるような錯覚に襲われ、彼は床に膝をついた。


 膂力強化の術式が停止し、筋肉が自重に耐えきれずに軋む。




 「妾は何もしておらぬ。ただ……“賠償”を、正当に徴収したまでじゃ」




 マイネは指を鳴らす。



 直後、上空の飛空艇群が、一斉に爆発するでもなく、静かにコントロールを失い、下降していく。


 魔道機兵の動作も止まり、目に宿っていた赤光が、ぽつりと消えた。


 戦場全体が、無言の“財政凍結”に沈む。




 「ベルゼリアが所有する、魔力も、兵器も、戦術も、命さえも──全て“価値”じゃ。妾の財産を傷つけた貴様らの全ては、妾にその所有権がある」


 「──貴様らが、妾への"負債"を全て払い切るまでは、な。」




 紅龍は、がくりと肩を落とした。


 全身の魔力回路が“差し押さえ”を受けている。


 スキルも、発動しようとしても反応が無い。


 手足の震えも止まらない。


 だが彼は、それでも顔を上げた。


 敗北を拒む意志の光が、その目には確かに残っていた。




 「儂の……力が……この程度で……ッ!」




 「ふふ……相性が悪かったのう。」


 「お主は確かに強い……妾よりも、な。

じゃが、貴様の“力”は……もはや妾の懐に入っておるのじゃよ。」




 マイネが紅龍に向かって、指先をくい、と差し出す。




 「さあ、耳を揃えて返してもらおうかの。文字通り、妾に逆らった“代償”じゃ」




 その瞬間、紅龍の背後に展開されていた魔導砲群が、一斉に彼へと向き直った。


 彼の軍の装備、魔力、立場までもが、“債務対象”としてマイネに認定されたのだ。


 そして塔の主は、薄く笑みを浮かべながら、静かに宣告する。




 「──なに、利息はマケてやるから、安心するとよいぞ。」




 ◇◆◇




 ──戦は、終わっていた。



 《アグリッパ・スパイラル》の上空を漂っていた飛空艇は全て魔力供給を断たれ、静かに地へ下り、沈黙していた。


 魔道機兵は沈黙し、地に伏す紅龍の部隊からも、もはや戦意の光は失われていた。



 それでも、“ベルゼリアの紅き応龍”は、立っていた。



 紅龍は、よろめく足取りでマイネの前に進み出る。


 戦場を焼いた男の目に、燃え立つ怒りはなく。


 あるのは、ただ一つの問いだった。




 「……なぜ……滅ぼさない」




 声は、掠れていた。


 だが、そのひとことは、戦士として、将軍としての魂の叫びだった。



 あれほどの力を誇示しておきながら、マイネは《アグリッパ・スパイラル》から一歩も動かず、ただ“価値の差し押さえ”だけでこの戦を終わらせた。



 ならば、なぜ。


 なぜ、とどめを刺さない?


 マイネ・アグリッパは、ふんわりとスカートを揺らして振り返った。




 「……ふふ。妾が欲するのは、“滅び”などではないぞ?」




 月明かりの中、彼女の輪郭はまるで古の宝石のように艶やかで、妖しく輝いて見えた。




 「妾が欲しいのは……“繁栄した世界”じゃ。価値が満ち、華やぎ、命が循環する……その輝きこそが、妾にとっての“宝”となる」




 紅龍の息が止まった。


 戦場で、簒奪こそが勝利であり、敵の滅亡こそが正義であると信じてきた彼には、到底理解できない理屈だった。




 「……収奪するために……生かす、というのか」




 マイネは笑った。だが、その笑みには悪意も侮蔑もなかった。


 あるのはただ、明確な“価値の指針”としての、確信だった。




 「繁栄した世こそ、最も美しき収集品。……壊してどうする。死して動かぬ金貨より、生きて流れを生む通貨の方がずっと麗しかろう?」




 紅龍は沈黙する。


 その背後では、すでにベルゼリアの魔導士団が動きを止め、無抵抗の姿勢で各塔の前に整列していた。


 降伏ではない。


 これは、経済による“譲渡”だ。軍も国も、静かに、"財"としての価値へと再定義されていた。




 「そなたの国、ベルゼリア──。よき資産になろうて。妾は干渉せぬ。だが……他の魔王どもが欲を出した時は……」




 マイネは、手首に揺れる金鎖を指先で軽く弄びながら、口角を上げた。




 「……妾の投資先を守るため、必要な“補填”はしてやろう」




 その宣言に、紅龍はようやく、わずかに目を見開いた。




 「……なぜ……そこまで……?」


 「ふふ……妾は、“損”を嫌うのじゃ」




 マイネは踵を返し、ゆっくりと螺旋階段の奥へと姿を消していく。




 「世界はの、儲けにも損にもなる。されど、“滅び”は妾に何の価値も生まぬ。妾は、ただの"強欲"な収集家……それだけのことじゃ」




 夜が深まっていく。



 こうしてスレヴェルドは、魔王の都としてではなく、魔王の“資産国家”として存続することを許された。


 ベルゼリア帝国は敗北を認めつつも、その後、マイネからの干渉を受けることはなかった。


 むしろ、他の魔王が勢力を拡大し始めた時──



 “マイネ・アグリッパが援軍を送った”という不可解な報せが、いくつも記録されていくことになる。




 それは支配ではなく、干渉でもなく──“投資”という名の保護だった。




 そして人々は、皮肉と畏怖とともに、彼女をこう呼ぶ。



 『経済の魔王』マイネ・アグリッパ。



 ──世界最大のコレクターにして、欲望を愛する支配者。

アルファポリス版では、アルド、ブリジット、リュナ、マイネのイラストが載っています。そちらも是非ご覧ください。

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