第78話 魔導帝国と強欲の魔王① ──初代魔導帝リヴィス・ハルトマン──
──空が裂けた。
灼熱の風が吹き荒ぶ砂の荒野。
雲ひとつない空に、突如として亀裂のような異物が走った。
稲妻にも似た閃光とともに、ひとつの影が空から滑り落ちる。
それは、人だった。
白銀の強化スーツに身を包み、複合素材のケースを背負った、どこか近未来的な装備を纏った男。
地面に叩きつけられる直前、微かに稼働したバーニアが砂塵を巻き起こし、衝撃をいなす。
彼──リヴィス・ハルトマンは、呻きながら体を起こした。
「……ここは……"地球"じゃ、ないな」
空気の成分比、気温、太陽のスペクトル。視界に映るのは、電子光学的にまったく知らぬ空と地。
頭の中で警告音が鳴っていた。スーツ内のナノAIが、次々と異常環境を解析する。
「くそ……転送事故か……。いや、そもそもこれは“事故”と呼べる次元か?」
手元のツールパッドは通信不能。
衛星はひとつとして認識されず、マイクロ波も跳ね返ってこない。
見知らぬ惑星。
理屈に合わない現象。
リヴィスは理解した。
──ここは、別の世界だ。
絶望が彼の喉元までせり上がったが、それを飲み込むのがリヴィス・ハルトマンという男だった。
「……ならば、“観測”から始めようか」
それが、後に魔導帝国ベルゼリアと呼ばれる国家の始まりだった。
◇◆◇
最初の一年、リヴィスは荒野をさまよいながら、徹底した環境調査と生態分析を行った。
そのなかで彼は“魔力”と呼ばれる因子に出会う。不可視のエネルギー。
量子理論で説明できぬ力場。ある日、彼の目の前で女が指先から火を灯した時──
「……エネルギー保存の法則に逆らっている。だが、これは……美しい」
それは科学者としての彼の、最大の驚愕であり、最大の誘惑だった。
◇◆◇
数年後──
文明レベルの低い集落で、彼は太陽光発電パネルと水蒸気再生装置を作り上げた。
病に苦しむ子どもに、抗生剤を投与し、細菌を魔力フィルターで焼却した。
小さな村はリヴィスの手で、たった十年で都市へと変貌した。
彼は「聖者」と呼ばれ、人々から讃えられた。
だが──
「感謝など、いらん。俺は……ただ、“帰りたい”だけだ」
誰も知らぬ夜、彼は星空に向かって、そう呟いた。
国家となったその地には、元々王族が存在していた。
だがリヴィスは彼らの“魔法至上主義”と決定的に衝突する。
「魔法は確かに尊い。だが、我々は“それだけ”では限界を迎える」
「この異邦人に、何が分かる!」
「ならば見せてやろう。“力”の意味をな」
その夜、彼は軌道兵器を模した“魔導加速砲”を展開し、王族の城を制圧した。
たった一夜で、王政は崩壊し──
リヴィスは“魔導帝”を名乗り、世界に新たな旗を掲げた。
──かつて彼がいた世界での、彼の母国の名前を冠した国家。
魔導帝国"ベルゼリア"が、ここに誕生した。
だが、玉座の奥に彼が抱えていたのは、ただひとつ。
「この世界の全てを解析し……必ず帰ってみせる。あの空の向こうに」
瞳の奥に、かつて見た青い地球が揺れていた。
◇◆◇
──研究とは、時に願いを歪める。
リヴィス・ハルトマンの手により築かれた帝国は、数十年の歳月を経て飛躍的な発展を遂げた。
科学と魔法の融合。
それは奇跡にも等しい新たな学問体系、《魔導工学》として結実し、ベルゼリアの名は周辺諸国にも響き渡った。
だが、リヴィスが目指すものは、なお彼方だった。
「……帰るには、“門”が必要だ。そのためには、最低でも太陽一個分に匹敵するエネルギーが要る……?」
呟きながら、彼は手元のホログラムに映る演算式を睨む。
“異世界間転移”──科学者としての彼が辿り着いた仮説は、絶望的なまでに過酷だった。
時空間の座標固定、干渉波の安定化、位相エネルギーの収束。
全てにおいて、人智の枠を越えたエネルギーが必要だった。
「今のこの世界では……不可能に近い」
その現実が、彼の心を静かに蝕んでいた。
──だが、その夜、ある報告が彼の絶望を破った。
◇◆◇
「“龍生水”だと……?」
リヴィスの声が、研究塔にこだました。
「はい。地殻深部より噴き出した水晶化魔素の塊……その一部が液状を保ち、“自己再構成性”を持つエネルギー体として観測されました」
それは、まるで星の血潮のようだった。
光を宿し、熱を帯び、触れれば意識すら揺らがせる。
いわばこの世界の“核”とも呼ぶべき奇跡の魔力資源だった。
「これが……この世界の根幹エネルギー……!」
リヴィスは熱に浮かされたように笑った。
「これがあれば、“門”が造れる……!」
◇◆◇
以後、彼の研究はさらに加速した。
帝国全土に“龍生水”の探索命令が下され、鉱脈は国家戦略資源として厳重に管理された。
だが、リヴィスの寿命は確実に削られていた。
異世界人として、この世界の環境には適応限界がある。
彼の身体はすでに満身創痍であり、幾度となく薬物で延命していた。
それでも、彼は止まらなかった。
「この命、あと十年保てば十分だ。後は……後継者に託せばいい」
◇◆◇
その“後継者”こそ、彼に憧れ、育てられた研究者たちだった。
リヴィスの教えを継ぐ若き魔導技師たちは、やがて“龍生水”を応用した初の《《召喚装置》》を完成させる。
時空座標を引き寄せ、別世界から“個体”を強制転移させる装置。
だが、それはリヴィスが望んだ“帰還”ではなく、むしろ“招き寄せる”力だった。
「先生、召喚……成功しました!」
報告を受けたリヴィスは、目を細め、ゆっくりと息を吐いた。
「……そうか。だが……気をつけろ。それは、“他者の世界を奪う”技術だ」
彼の言葉は、弟子たちの誰にも理解されなかった。
──そして、時は流れた。
リヴィス・ハルトマンは、自らが作り上げた研究塔の一室で静かに息を引き取った。
遺されたのは、彼の理想と、未完成の“帰還門”の設計図。
弟子たちは彼の名を称えながらも、その志を“現実的”に変質させていく。
「帰還門? そんなものより、“異世界の戦士”を招く方が国益になる」
「優秀な召喚兵士は即戦力だ。敵国の脅威にもなる」
帝国は、召喚によって戦力を増やし、“他の世界から強者を集める国”として名を馳せていく。
誰もがもう、初代魔導帝の志など覚えていなかった。
ただひとつ──
彼の遺言だけが、研究塔の片隅に残っていた。
『門は、帰るために造るものだ。他者を奪うためではない』
風が吹く度に、書きかけの設計図とその言葉が、ひらりと舞った。