第8話 真祖竜の加護
(ブリジット視点)
——重たい。
身体の芯が、鉛みたいに重たい。
それなのに、どこかふわふわと浮かんでいるような感覚があって、現実と夢の境界が溶けていく。
(……なんか……変な夢……)
目を開けようとする。でも、まぶたが持ち上がらない。
動かそうとした指は、まるで誰かの手で押さえつけられているかのように、微動だにしない。
そのくせ、頭の奥では確かに“何か”が疼いていた。
——ズオッ!と風が巻いて、
——視界を黒銀の影が覆って、
——そして、誰かがいた。
(……あれ……?)
あのとき——何かが目の前にいた。あの“人”を襲おうとしていた、巨大な魔獣。
見たこともないほど大きな、恐ろしい竜。
動けない身体。震える足。逃げろと叫ぶ本能。
(……でも、逃げたくなかった)
なんで、あたし……あんなこと、したんだっけ。
あんなの、普通なら無理だって、分かってたのに。
でも——
「だって、あたし……この地の、領主になるんだもん」
どこか遠く、自分の声が聞こえた。
不安げで、でも、ほんの少しだけ、誇らしげな声だった。
「この土地で生きる人は、あたしが……守らなきゃ、いけないから……っ」
気がついたら、身体が動いていた。
誰かの前に、立っていた。
剣を構えた腕は震えていて、足もガタガタだった。
でも、心の奥には確かにあった。
「逃げちゃだめだって……」
たった一人でも、この土地の人を守るって使命を受けて、ここに来た。
あたしにできることは少ないかもしれない。
でも、それでも——
(だって、あの男の子……笑ってた)
あの時、ブレスが撃たれる直前。
あの銀髪の男の子——彼は、確かに笑ってた。
のんびりと。優しげに。
でも、あたしは知ってる。
ああいう顔って、きっと……自分より他人のことを心配してる顔なんだ。
(だから、あたしが——)
守る。
そう、思った。
——そして。
(……その後……何が、あったっけ……)
記憶が、プツリと途切れる。
時間の感覚も、意識の輪郭も溶けていく。
深く、深く、沈んでいくような感覚。
でも——
そのときだった。
光が差し込んだ。
——銀色の光だった。
暗闇の中に、一筋の光。
それは、どこまでも澄んでいて、冷たいのに不思議とあたたかくて。
(……だれ?)
誰かが、呼んでいる気がした。
遠くから。深く沈んだ水底から見上げるように。
「……きこえてる?」
少年の声。
優しくて、でも切羽詰まってて、不器用だけど真っ直ぐで。
何か、強く祈るような気持ちが込められている気がした。
(……知らない声、なのに)
すごく、懐かしい声だった。
「……死なないでくれよ」
声が震えていた。
「まだ名前も聞いてないし……それに、俺、助けてもらったままなんて、ヤだし……」
言葉が、胸にしみてくる。
何故だか分からないけれど——
涙が、流れた。
(……この声、もっと聞いてたいな……)
まだ名前も、何も知らないのに。
でも、そう思った。
——だから。
「……ん、ぅ……」
かすかに、まぶたが震えた。
睫毛がふるえて、光を捉えようとする。
遠かった声が、すこしだけ、近づいた。
「……!」
息を呑む気配がした。
誰かが、自分を呼んだ気がする。
——この世界に戻らなきゃ。
あなたが無事でよかった、って伝えなきゃ。
あたしの名前を、伝えなきゃ。
お礼も、言わなきゃ。
もっと、ちゃんと——話したい。
あたし、ブリジット・ノエリアは、意識の底からゆっくりと浮かび上がっていった。
胸の奥に、小さな銀の光を灯しながら。
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(アルドラクス視点)
……小さく、かすかな呼吸の音が聞こえた。
俺は、固まったまま、それを何度も確かめる。
胸の上下。微かな吐息。温もり。
——生きてる。
「……っ、はぁ……よかったぁ……!」
思わず、尻からぺたんと地面に座り込んでしまった。
全身から力が抜けた。緊張で背中に汗をかいていたことに、ようやく気づく。
真祖竜であるこの俺が、たかが人間の女の子一人にこんなにも動揺するなんて、正直、自分でも驚いてる。
元人間だから、ってだけじゃない。
でも、そうなってしまったものは仕方ない。
だって——
「この子……ほんと、すごいな……」
だって、自分は庇われた側なんだ。
真祖竜として最強の防御性能を誇る俺を、“かばおう”として突っ込んできたこの少女は、あきらかに普通の人間で。
たぶん、彼女は自分が勝てるとも、助かるとも思ってなかった。
それでも、迷わず俺の前に出た。
(なにそれ、いい子すぎでしょ……)
金の髪に土がついてる。服もボロボロ。でも、顔はちゃんと整ってて——
こ、これは、まあ……普通に好みというか……なんというか……
「いやいやいや、落ち着け俺。まだ名前も知らんからな……」
わりと本気でドキドキしていた自分にツッコミを入れながら、手のひらで胸を押さえた。
そもそも、前世と合わせると100年近い人生&竜生を歩んできた俺である。
いくら完璧で究極のアイドルな美少女が相手だとしても、そんな簡単に好きになっちゃう訳など無いのだ。
そりゃこの子は、確かに可愛いよ?
眠る様に閉じたお目々のまつ毛もぱっちり、色白小顔で泥がつき汚れたとんでもないとこすら美しさを引き立てるアクセントになるような美少女ではあるけど、それだけで曲がりなりにも真祖竜であるこの俺が魅力されるなんて話あるわけウソでしたダメだやっぱかわいい。
「……それにしても、こんなにあっさり……生き返るもんか?」
ここで、ふと“本題”が浮かぶ。
——あの血。
俺が与えたのは、“真祖竜の血”だ。
強大な力を秘めた俺たち真祖竜の血は、生き物にとっては猛毒にも等しい。普通は、一滴でも致死量。
たとえ適合できたとしても、その適応に三日三晩、体が焼かれるような苦痛に耐えなきゃいけない。
このままじゃこの子は助からない。そう思ったから仕方なく選んだ、奇跡頼りの苦肉の策。
そのはずだったのに——
「……すやすや眠ってるだけ……?」
信じられない光景だった。
痛みも苦悶も無く、ただ静かに、穏やかに呼吸している。
顔色すら悪くない。
何が起こっているのか、さっぱり分からない。
「……いや、まさか……“完全適合”……?」
ごくり、と喉が鳴る。
真祖竜の血に“完全に”適合した存在など、"星降りの宝庫"で読んだ真祖竜の歴史書では一例もない。
あるとすれば、それは——
「……調べるか」
俺はそっと、彼女の額に手をかざした。
真祖竜に備わる能力のひとつ、"鑑定"。
目に映る存在の“情報”を直接読み取る能力。
異世界転生ものでお馴染みのこのスキルも、真祖竜なら標準搭載である。便利だね。
波紋のように広がる魔力が、彼女の体を包み、ステータス情報が視界に浮かび上がる。
——《スキル:毒無効》
「……っははっ! まじかぁ!!?」
俺は思わず笑ってしまった。
毒無効。なるほど。そりゃあ、“毒”として認識される真祖竜の血にも耐えられるわけだ!
えっ、ちょっと待って?これって……もしかして隠れレアスキルなのでは……?
でも、確か本で読んだ知識によると、人間社会では古くから『毒無効』は『毒が効かなくなるだけの、価値の低いスキル』という風に認識されていたはず。
「え〜……何、人間社会じゃ“ゴミスキル”扱いされてんの?このスキル。」
いやだって、真祖竜の血に完全に適応可能って、実は国宝級の才能じゃない……?
まあでも、そもそも"真祖竜の血を飲む"というシチュエーションなんか滅多に無いだろうから、仕方ないっちゃ仕方ないのか?
でも——
鑑定は、まだ終わらなかった。
「……ん?」
視界の端に、もうひとつ。新たなスキルが浮かび上がっていた。
——《スキル:真祖竜の加護》
「………………え?」
そのスキルの説明文を見た瞬間、俺は言葉を失った。
【真祖竜の加護】
・真祖竜の血に完全適合した者にのみ発現する
特異スキル。
・肉体・精神・魔力が飛躍的に強化される。
・寿命の概念が希薄化し、
老化の影響を受けなくなる(半不老不死)。
・竜種に近い存在として分類され、
他の下位竜種から“崇拝対象”と認識される。
・極めて稀な“真祖の伴侶適合者”に
近い状態と推定される。
「おおおおおおい……ッ!? 待って待って!?!?」
俺は一人でじたばたした。
え、なにこれ!?俺、そんなつもりじゃなかったんだけど!?
彼女のこと助けたかっただけだし!人生変えるつもりなんてなかったし!ていうか“伴侶適合者”ってなに!?誰が!?この子が!?俺の!?!
嬉しい!!いや、喜んでる場合じゃない!!
「責任……取らなきゃいけない感じかこれ……?」
誰に聞くでもなく、俺は空に向かって呟いた。
けれどその時、俺の目の前で——
彼女の睫毛が、わずかに震えた。
ゆっくりと、まぶたが開く。
目が合う。
淡い青の瞳。
まだ夢の中にいるような、ぼんやりとした視線が、やがて焦点を結ぶ。
そして——
「……よかった……無事だったぁ……」
弱々しく、けれど確かに届いたその声に。
俺の心臓は、また別の意味で爆発しかけた。
「あっ、……うん、あの、うん、俺は、うん。無事、です。はい」
なんで俺が慌ててるんだろう。
でも。
たった一言で、こんなに心が揺れるなんて。
たった一つの命が、こんなにも大きく感じられるなんて。
この旅の始まりに、俺が出会ったのは——
“ほんとうにすごい子"だったんだな、って思った。