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第75話 魔王と、警告の瞳

 温もりのある木材の香りが、ほのかに空間を満たしていた。


 ログハウスのような風合いの壁と、角ばったマ◯クラ風の家具たちが並ぶリビング。


 その直線的な構造が、かえって奇妙な安心感をもたらしていた。


 だが、今この部屋を包む空気は——決して穏やかなものではなかった。



 六人の人物(と一匹)が、中央の長テーブルを囲んで座っている。



 ブリジット、リュナ、ヴァレン。


 足元には、尻尾を丸めて伏せているフレキ(ミニチュアダックスサイズ)。



 そして——



 テーブルの対面には、独特なオーラをまとった少女が脚を組んで座っていた。


 黒とピンクを基調にした地雷系ファッション。濃いメイクに、アクセとフリル。


 視線を向けるだけで精神を持っていかれそうな濃密な存在感。



 彼女こそが、七つの大罪に名を連ねる魔王の一柱——マイネ・アグリッパ。



 その傍らに控えるは、白手袋と黒の燕尾服を纏った青年、至高剣・ベルザリオン。



 その銀の瞳は微動だにせず、警戒でもなく従順でもなく、ただ“沈黙”を貫いていた。


 言葉がひとつも交わされていないのに、空間は張りつめていた。


 静かな緊張を破ったのは、やはりこの男だった。



「……まず、言っておくが」



 ヴァレン・グランツが口を開いた。


 右側を刈り上げたツーブロックに、緩くウェーブした前髪が左目を覆う。


 薄赤のレンズが光を拾い、彼の表情の一部を仄暗く彩っていた。


 彼の視線は、マイネではなかった。


 真正面に座るブリジットへと、まっすぐに向けられていた。



「……“魔神器(セブン・コード)”の能力を、持ち主の同意もなしにベラベラ話すのは、本来マナー違反だ。……でも、ブリジットさん」



 そこで言葉を切り、ヴァレンは深く息を吸った。


 声色がわずかに低く、硬くなる。



「これだけは言わせてもらう。——この女に関わるのは、やめておけ」



 一瞬、室内の空気が震えたように思えた。


 ブリジットの肩が、ぴくりと揺れる。


 彼女は両手をぎゅっと握りしめ、けれど、怯えや戸惑いではなく——静かな決意を込めた瞳で、ヴァレンをまっすぐ見返していた。



「……何か、理由があるんですね?」



 その問いかけは、あくまで穏やかだった。

 だが、軽くはなかった。まっすぐに相手を信じようとする、強さを宿した問いだった。


 ヴァレンは、少しだけ顔をしかめ、サングラスの位置を押し上げる。



「マイネ・アグリッパ。強欲の魔王。……確かに、戦闘力で言えば、大罪魔王の中では上位ってわけじゃない。おそらく、正面からなら、俺やリュナ相手じゃ勝負にもならないだろう」



 そこまで言って、ヴァレンは椅子に背を預けた。

 その動作には、わずかな苛立ちが混じっている。



「……でもな。問題はそこじゃない」



 言葉のトーンが落ちる。


 まるで自らの中にある過去をなぞるような口ぶりだった。




「この女の“魔神器”は、《《人間にとって》》、致命的にヤバい」




 部屋の空気が、もう一段階冷える。


 ブリジットの表情が、少しだけ曇る。


 リュナはヴァレンを一瞥し、その言外の意味を読み取るように目を細めた。



 ——その空気を、切り裂いたのは。



「ふん……」



 マイネが鼻を鳴らした。


 椅子の背にもたれ、脚を組み替える。マニキュアのきらめきが、毒のような存在感を放つ。



「妾の話を、勝手に始めてくれるとはな。……失礼な男よ。口の軽さは相変わらずじゃな、色欲の魔王・ヴァレン・グランツよ。」



 その声は、見た目に似合わず落ち着いた低音だった。


 だがそこには、確かな“魔王”の圧が宿っていた。張り付いたような笑顔の裏に、猛毒を含んだ刃がある。


 だがヴァレンは、その威圧を真正面から受けても、顔色ひとつ変えなかった。


 むしろ、心底うんざりしたように片手をひらひらと振った。



「はいはい。オレとお前が水と油なのは今さらだ。……でもな、関係ない人間を巻き込むなよ」



 その言葉には、珍しく“冷たさ”が滲んでいた。


 マイネの口元が、微かに引きつる。



(……このヴァレン・グランツめ。やはり妾とは相容れぬ……)


(ブリジットという小娘を取り込む、完璧な計画だったというのに……)



 内心で毒づきながらも、マイネは外には出さなかった。



 ——ただ一つ、想定外だったのは。



 目の前の少女——ブリジットが、なおも自分を、真っすぐに見ていたことだ。


 その視線には、怯えも、警戒も、怒りもなかった。


 ただ。


 ただ——「あなたを知ろう」とするまっすぐなまなざしだった。



(……むう。なんじゃこの娘……)



 心が、わずかに揺れる。


 "強欲の魔王"として、己が最もやりづらい人種。


 正面から見てくる者。飾り気も、打算もなく、「見極めたい」と願う眼差し。



(……妾の演技も、虚勢も……通じぬタイプか)



 マイネ・アグリッパ。地雷系少女の皮を被った"強欲の魔王"。


 その彼女が、心の底で小さく、ため息をついていた。


 この小娘——やはり“ただの人間”ではないのかもしれぬ、と。




 ◇◆◇




 重い沈黙が落ちたカクカクハウスのリビング。


 その空気を、控えていた一人の男が、静かに打ち破った。



「……ブリジット・ノエリア様」



 声を発したのは、マイネの隣に立つ執事服の黒髪の青年、ベルザリオン。


 整った顔立ちには一分の隙もなく、瞳には誠実さと覚悟の色が宿っていた。


 彼は、椅子に座るブリジットに向き直ると、深々と頭を下げた。



「かつて、私が道三郎殿と出会った時——」


「……あのお方は、貴女のことを“天使のような女性”と、そう称えておりました」



 ブリジットの目が、ぱちくりと瞬いた。



「……えっ……アルド、くんが……?」



 思わず口に出してしまったその言葉に、ヴァレンがギラリとサングラス越しに視線を向けるが、何も言わない。


 ただ静かに口角が上がったような気がした。


 ブリジットの頬は、見る見るうちに赤く染まっていく。



「て、天使って……そ、そんなの……う、嬉しいけど……っ」



 ふるふると頭を振って、自分に喝を入れるように両手を叩く。



「ち、違う違うっ。今はそんな話じゃなくてっ!」



 その一連の反応を横目に、マイネがちらりとベルザリオンを見る。



(ベル……ナイスアシストじゃ!)



 ベルザリオンは態度を崩さず続ける。



「私は、主であるマイネ様と共に、その“天使のような方”の元を頼ってまいりました」


「……どうか。お力添えをいただけないでしょうか。マイネ様を、この地で一時、匿っていただけませんか……」



 再び、深く頭を下げる。


 その姿に、リュナが「おおー、また土下座しそうな気迫」と呟くが、空気は冗談の入り込む余地を持たなかった。


 ブリジットは、複雑な表情を浮かべながら、マイネへと視線を移す。



「……強欲の魔王、マイネ・アグリッパさん」



 その瞳は、さっきまでの“照れ”をすっかり払った、領主としての眼差しだった。



(——しめた)



 マイネは、目を細めながらも内心では勝利を確信していた。



(この小娘、まだ妾に対して同情心を持っておる。甘いわ。これなら——)



 その瞬間、マイネの目には、わずかに涙が浮かんだ。


 意図的な演技である。


 猫撫で声と共に、身を寄せるようにしてブリジットに語りかける。




「ヴァレン・グランツの言うことは、すべて出鱈目なのじゃ……。妾は、ただ……ただ、国を追われ、帰る場所もなく……さすらっているだけ……」


「かわいそうな妾を、どうか、助けておくれ……?」




 声には哀しみと震えがあり、その小さな肩がかすかに震える。


 涙は頬を伝わり、パステルピンクのチークに溶け込んで、美しい悲劇の少女のように見えた。




 だが——




「…………」




 ブリジットの表情は、揺るがなかった。


 そのまっすぐな眼差しに、マイネはひと筋、冷や汗を流す。



(……なんじゃ、この目は……?)



 演技を通すマイネの内心に、不意に不安が走った。



(……この娘、空気が……変わった……?)



 そう、気づいたのだ。


 目の前にいるのは、ただの「優しさだけの少女」ではない。



(……ただの、お飾りの領主ではない、というのか?)



 ——その視線に、魔王たるマイネでさえも、心が揺らいでいた。




 ◇◆◇




 深く、静かな沈黙が再び訪れていた。


 ブリジットは椅子に座ったまま、そっとマイネを見つめていた。


 先ほどまでの表情には見られなかった、柔らかい光がその瞳に宿っている。


 けれど、それは決して甘さではなく、まっすぐに相手を見据える“意志”の色だった。



 そして——口を開いた。




「マイネさん」




 名前を呼ばれた瞬間、マイネのまつ毛がピクリと揺れた。



「あたしは、貴女のことを……何も知りません」



 その言葉は、否定でも攻撃でもなかった。ただ、まっすぐに事実を語る声。



「だから、ちゃんと……直接、貴女と向き合って、お話したいって思ってるんです」



 マイネは何も返さず、ただ黙って見つめていた。


 そして、次の一言に——場の空気が凍りつく。



「……一緒に、お風呂入りませんか?」



「………………は?」



 マイネの間抜けな声が、部屋に乾いた響きを残した。


 リュナは隣で、黒いマスクの下、ゆっくりとニヤリと笑った。



(それでこそ、姉さん)



 真っ直ぐで、それ故に人の芯を食う。


 ブリジット・ノエリアらしいやり方だ。


 ヴァレンは一瞬ポカンと口を開けていたが、すぐに鼻で小さく笑った。



「ククク……そうだな」



 革のグローブで眼鏡を押し上げながら、軽く肩をすくめる。



「ここのボスは、ブリジットさんだ。だからこそ……君がその目で確かめるのが筋だな」



 そして静かに告げる。



「その女——マイネ・アグリッパの“本質”を」



 その言葉に、ベルザリオンは深く息を吐いた。ようやく、事態が動き出したことに、心から安堵した様子だ。


 一方のマイネは、というと。


 最初こそポカンとしていたが、やがてふふっ……と唇をつり上げ、不敵に笑った。




「……ブリジット・ノエリア」




 言葉を紡ぎながら、艶やかに足を組み替える。



「そなた、妾との“裸の付き合い”を所望するというのか?」



 首を傾け、どこか挑発的な視線でブリジットを見つめながら、続ける。



「見た目によらず、随分と豪胆じゃのう? この“強欲の魔王”に、肌をさらさせるなどと——」



「はああぁん?」 



 突然、隣のソファがぎしりと音を立てた。


 リュナが立ち上がり、苛立ちを隠すことなく、ぎろりとマイネを睨みつける。



「テメー、助け求めて来たクセに、何偉そうに言ってんすか……? ああん?」



 語尾に殺気がにじみ、周囲の空気が一瞬だけヒリついた。


 だが——



「リュナちゃん、大丈夫」



 ブリジットが穏やかな声で手を差し出すと、リュナは「ちっ……」と舌打ちして、しぶしぶ腰を下ろした。


 ブリジットはゆっくりと立ち上がり、マイネの目を、まっすぐに——揺るぎない視線で捉えた。



「そうだよ」



 その言葉には、冗談も牽制もなかった。


 ただ、誠実な想いだけがこもっていた。



「ちゃんと、分かり合いたいんだ。あたし」



 マイネは言葉を返さなかった。

 ただ、ジッとブリジットの顔を見つめていた。


 だが、確かに見えた。


 ——その唇が、微かに引きつったこと。


 ——眉が、ほんの一瞬だけわずかに震えたこと。



(こ……こやつ……!)



 演技でも嘘泣きでもない。


 ブリジットの真剣な瞳が、マイネの“演技”を打ち砕いていた。


 そして——観念したように、小さく肩をすくめ、ため息をついた。




「……あいわかった。そなたの言う通りにしよう」




 すっくと立ち上がり、少し顎を上げてふふんと笑う。



「さ、妾を浴場へと案内するがいい」



 そんな“魔王らしい”尊大な言葉とは裏腹に、その足取りはどこか軽く、どこか観念したようでもあった。


 ブリジットは、ぱあっと明るく笑った。



「うん! リュナちゃんも一緒に行こ!」



「……あいよ、姉さん」



 リュナは不満げながらも、すっと立ち上がる。


 ——かくして、“強欲の魔王”と領主ブリジットの、風呂場での裸の外交が、今、幕を開ける。




 ◇◆◇




 扉が閉まる音が、控えめに響いた。


 ブリジット、リュナ、そしてマイネの三人が連れ立って、カクカクハウスの裏手にある露天風呂付きの大浴場へと向かっていったのを見届けて——部屋には、残された三人の静寂が訪れていた。


 石造りの暖炉に薪がくべられ、柔らかな炎が揺らめいている。


 夜の気配が深まりつつある中、木製の家具とマ◯クラ風の四角いランプが奇妙に温かみを灯していた。




「……さて」




 その沈黙を破ったのは、ヴァレン・グランツだった。


 普段の飄々とした笑みは消え、仄暗い紅の瞳が細められている。




「騒がしいキミの主人も居ない今のうちに、詳しく話を聞こうか」




 その声音は、普段の“見る専”の軽薄さなど微塵も感じさせない。


 “大罪魔王”と並び称された一柱としての、王としての威圧がにじみ出ていた。



 向かいの椅子に座るベルザリオンは、頭を静かに垂れた。




「……私でお答えできることであれば、何なりと。色欲の王よ」




 真摯な口調。そして、どこか申し訳なさそうにチラリと横を見る。



 そこには——



 ヴァレンの膝の上で、まるで当然かのようにフレキが丸まっていた。


 しかも、猫のように頭をすり寄せながら、心地よさそうに目を細めている。



(……フレキ殿。貴殿は……そのポジションで……よいのですか)



 軽く眩暈を覚えながらも、ベルザリオンはなんとか自制心を保った。


 ヴァレンは、そんな視線にも気づいてか気づかずか、フレキの背中を無言でなでなでしながら、視線を鋭く向ける。




「……マイネのヤツ、“魔神器(セブン・コード)“を失ってるよな?」




 その一言に、部屋の温度が一気に下がったような錯覚が走る。




「一体、何があった?」




 焚火のはぜる音だけが、沈黙を裂いて響いた。


 ベルザリオンは眉をひそめたまま、静かに言葉を紡ぎ始める。




「……お嬢様の”魔神器”は、簒奪されたのです」




 その語尾には、言い知れぬ悔しさと屈辱がにじんでいた。




「……“ベルゼリアの紅き応龍”に」


「……なにっ!?」




 椅子がぎしりと音を立てた。


 ヴァレンが立ち上がる。


 慌てて飛び退いたフレキが小さく「えっ?」と呟いたが、それすら気に留めぬほど、ヴァレンの表情は険しく、そして深く沈んでいた。


 その名を聞いた瞬間、記憶の底から、赤く灼けるような幻影が蘇る。



 ——魔導帝国ベルゼリア。


 その守護神と呼ばれる将軍、"紅龍(コァンロン)"。



 かつて相見えた強敵。


 文明を焼き尽くす炎の化身。


 その力は魔王級でありながら、ただの破壊衝動ではなかった。


 意志がある。野心がある。


 そして——冷徹な策略も、備えていた。



(……やはり、アイツが動き出したのか)



 ヴァレンの喉元がごくりと動いた。


 ベルゼリアの紅き応龍——それが本格的に動き出したのなら。


 マイネの敗北は、始まりにすぎない。


 世界のバランスが、今、音もなく崩れ始めているのかもしれない。

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