第67話 side 影山孝太郎④ ──誰も知らない男──
ざわつきが収まらぬ中で、重たい足音が静けさを切り裂いた。
──ギィィ……。
革靴が床を擦る音が、やけに耳に残る。
「……チッ、やってらんねぇな……」
唇の端で毒を吐きながら、“あの男”がゆっくりと壇上に上がる。
鬼塚玲司。
学ランの上着をはだけさせ、鋭い目つきで壇の中央へと向かっていく。
その歩き方には、どこか獣じみた威圧感があった。
「次は……鬼塚玲司くん」
フラムの声が、緊張を帯びていた。
明らかに周囲とは違う“気配”を放つ少年に、彼女もわずかに警戒を滲ませている。
鬼塚は無言で霊脈晶核の前に立つと、ぶっきらぼうに右手を突き出した。
──瞬間、空気が揺らぐ。
赤黒い光が彼の手元から溢れ出し、空間がピリピリと震えるような重圧を発した。
バチバチと小さな雷のような音とともに、ステータスウィンドウが浮かび上がる。
それを、鬼塚が睨みつけるように見つめる。
「……SSランク……?」
口の端がわずかに吊り上がる。
そのまま彼は、音を立てずに読み上げた。
「"魔装戦士"……スキル効果、自身の魔力を……兵装に変換……身体能力アップ、特大……状態異常耐性、大……闘争本能増大……」
「なっ……またSS……!?」
ざわめきが、会場を包む。
3人目のSSランク。しかも、今までで最も“戦闘的な”スキル内容だった。
壇下では、クラスメイトたちの表情が一斉に凍りつく。
これは、ただの“スキル鑑定”では終わらない──そんな予感を、誰もが無意識に感じていた。
「……ふふっ、鬼塚くんまでSSランク……!」
フラムが興奮気味に彼のステータスを覗き込もうと、足を踏み出す。
「3人もいれば……“大罪魔王”の命にすら届き得る……!! これは……!」
──次の瞬間だった。
「……分かるぜ」
鬼塚が、低く唸るように呟いた。
「“スキルの使い方”ってやつが……!」
その目がギラリと光を帯びる。
「……頭じゃねぇ。“魂”が理解したぜッ!!」
ドンッ!!
紫の魔力が爆ぜる。
彼の右手に、禍々しい光の粒が集まり、瞬時に“武器”が形を成す。
──紫に輝く、鋭利な爪を備えたメリケンサック状の魔力兵装。
フラムが驚愕の声をあげる間もなく、鬼塚の体が一閃する。
「ッ──!」
フラムの腕を掴み、ぐいと後ろ手に引き寄せた。
右手の“魔力の爪”を、彼女の白い首筋へ──ぴたりと当てがう。
場内が、凍りついた。
「動くな!!」
怒声が、響き渡る。
唖然とする生徒たちの中で、数名の魔導兵が即座に銃口を構える。
銀色の魔道銃が鬼塚に向けられる──が、
「この女がどうなってもいいのかァ!?」
怒鳴り声と同時に、魔力の爪がフラムの首にさらに近づく。
「ッ……!?」
フラムが小さく息を呑み、身体を固めた。
「……銃を、下ろしなさい」
かすれた声でフラムが命じる。
一瞬の逡巡の後、魔導兵たちは静かに銃を下げた。
刹那の間に支配された空間。
生徒たちは皆、目を見開き、言葉も発せずにただ立ち尽くしていた。
「鬼塚……!?」「なんで……?」「嘘でしょ……!」
誰かが呟く。
だが鬼塚は、鋭く笑ったままだった。
獣のように、喉奥で鳴るような声で。
──そして、影山孝太郎はその光景を呆然と見つめていた。
(……鬼塚! 今、このタイミングで、それかよ!!)
彼の心が、叫びを上げる。
鬼塚の怒り、鬱屈、焦り──全てが、今この場で爆発した。
その理由は、まだ誰にも分からない。
だが一つだけ、確かなことがあった。
“何か”が、もう元には戻らない地点を超えようとしていた。
空気が、音を立てて張りつめる。
◇◆◇
魔力の爪が、なおもフラムの白い喉元に当てがわれている。
微動だにできず、フラムの表情にはじっとりとした緊張の汗が滲んでいた。
その静寂を、怒声が破る。
「……《《俺達》》を、元の世界に戻せ」
鬼塚玲司の声が、静かに、だが揺るがぬ怒気を込めて放たれた。
重く、張りつめた空気が、さらに色を濃くする。
「鬼塚……!」
佐川颯太が前に一歩踏み出す。
その顔には焦りと戸惑いが混ざっていた。
「……落ち着けって……! そんなことして、どうすんだよ!」
続いて、天野唯が不安げに声を上げる。
「鬼塚くん! 無茶はやめて! 今は話し合えば……!」
しかし──
「うるせぇ!!」
鬼塚の怒声が、二人の声を切り裂いた。
「お前らこそ……正気かよ!?」
彼の目が、壇下の生徒たちを鋭くなぞる。
その瞳には、怒りよりもむしろ……苦しさが滲んでいた。
「こんな……訳わかんねぇ力与えられてよ。チヤホヤされて、おだてられて……。そんで“こっちの世界を救え”だぁ?」
言葉の端々に込められた、やり場のない憤り。
拳に込めた魔力の爪がかすかに唸り、フラムの首筋に触れる光が強まる。
(……鬼塚の言う通りだ……)
影山はその場でじっと唇を噛み締めた。
(……だけど、やり方が違う……! これじゃ……!)
鬼塚の思いは、決して“暴力”じゃない。
それは誰よりも、影山が知っている。
だが今、その思いは誤解と誤解の狭間に沈みかけていた。
そのときだった。
壇の片隅で、腕を組みながらそれを見ていた一人の男が、小さく笑った。
「……フッフッフ……」
紅の中華風の軍服に身を包み、全てを見透かすような細い瞳。
──紅龍将軍。
フラムは硬直したまま、震える声で彼の名を呼ぶ。
「……紅龍将軍……。笑ってないで、どうにかしてください……」
その訴えに、紅龍は冷たい笑みを浮かべたまま応じた。
「……蒸留酒一本で手を打とう。50年ものの、な」
「……分かりました」
短く、フラムは了承する。
鬼塚は、二人の落ち着き払ったやり取りに、苛立ちを爆発させた。
「てめぇら……! 何をごちゃごちゃ言ってやがる!!」
怒鳴りながら、フラムを押さえつける腕に力がこもる。
──だが、次の瞬間。
「おい、童よ」
紅龍の声が、冷ややかに空気を裂いた。
「貴様は、まだその力を扱うには未熟すぎる」
「はァ?」
鬼塚が眉をひそめる。
紅龍は一歩だけ前に出た。軍服の裾が音もなく揺れる。
「このままでは、貴様の“仲間”すらも……その力で傷つけてしまうやも知れんぞ?」
その声は、怒りでも非難でもない。
ただ、静かに“事実”を語るような調子だった。
「……うるせぇッ!!」
鬼塚が叫ぶ。
言葉を振り払うように、獣のように吠える。
──しかし。
「……ほう」
紅龍は、ニヤ、と口角を上げた。
その目が、鬼塚の背後──壇下にいる生徒たちへと向けられる。
「他の童たちを傷つけることも、厭わん……ということか」
その言葉に──
「ヒッ……!」
女子生徒の誰かが、小さく悲鳴を上げた。
その音を皮切りに、会場の空気が一変する。
誰もが、鬼塚を見る目を変える。
怯え──恐怖──警戒──。
(……やられた!)
影山の心に、鋭い焦りが突き刺さった。
(……これで“鬼塚は皆を傷付けるかも知れない”ってイメージが、皆の中に……!)
そのとき、頭の中に蘇る。
──“俺達を、元の世界に戻せ”──
(鬼塚は、皆の事を思って言ったんだ!)
(自分一人じゃない……あいつは、皆のことを“俺達”って言った……!)
だがその叫びは、誰にも届かない。
張りつめた空気の中で、鬼塚の“真意”は、今──
冷酷な掌の上で、ねじ曲げられようとしていた。
──空気が、裂けた。
「……だとすれば」
紅龍が、静かに口を開いた。
その声音はあくまで穏やか。それなのに、誰もが息を呑む、底知れぬ圧を孕んでいた。
「この場の“武”を預かる者として──」
紅龍は、ほんのわずかに目を細め、口元を吊り上げる。
「儂が、この童を止めねばならぬな」
──次の瞬間だった。
ドンッ──!!
紅龍の姿が、唐突に“消えた”。
「っ!?」
鬼塚の目が、大きく見開かれる。
“気づけば目の前にいた”。
それだけのことが、常識を裏切っていた。
距離にして十メートル以上。
瞬きほどの一瞬で、それが埋まっていた。
「……っの野郎ッ!!」
反射的に、鬼塚は魔導爪を紅龍に向けて殴りかかる。
紫色の魔力の刃が、鬼塚の拳から伸び、弧を描く──
だが。
「──甘いわ」
紅龍の声は静かだった。
バチィッ──!!
紅龍の右手が、鬼塚の腕を掴む。
瞬間、ズリッと体勢が崩れ、鬼塚の重心が奪われた。
「っが……!」
何が起きたか理解する前に。
紅龍の背が、ぐいと弓なりに反り──
「──破ッッ!!」
ゴォンッ!!!
まるで鉄塊の塊にぶつけられたかのような衝撃音。
紅龍の背中が、鋼鉄の突進のように鬼塚の胸を打ち据えた。
鬼塚の身体が、宙に放り出される。
(あれは……八極拳の"鉄山靠"!?)
影山が……誰もが、息を呑んだその瞬間──
ドカァアアッ!!!!
鬼塚は大広間の壁に激突した。
硬い石壁が軋み、ヒビが幾筋も走る。
そのまま、崩れ落ちるように鬼塚の身体が床に倒れ込んだ。
……動かない。
「鬼塚くん!!」
天野唯が叫び、駆け出す。
ピクリとも動かない鬼塚に、スキルでの治療を始める。
同時に、生徒たちの間に、緊張と畏怖とが混じった沈黙が走った。
紅龍は静かに一歩前へと出て、生徒たちを見渡した。
その目に、怒りも苛立ちも無かった。ただ──“支配”の色。
「……危ないところであったの。童ども」
声は穏やかで、笑っていた。
だが、その笑みは“底知れぬ牙”を隠していた。
「だが、安心せい」
彼は、堂々と言い切った。
「儂がいるうちは、貴様らに危険は及ばぬ。」
その言葉に──
「うおおおおおおお!!」
どこからともなく歓声があがる。
「紅龍将軍、カッケェー!!」
「マジでチートじゃんあの人!」
「やべー!!まさに俺たちの守護神って感じだろ!」
──オタク四人組だった。
感極まったように拳を握り、まるでヒーローを見たかのように騒ぎ立てる。
フラムは衣服を整えつつ、壇の上で生徒たちに向き直った。
「……紹介するわ」
その声は、既に気丈さを取り戻していた。
「彼は我が国、魔導帝国ベルゼリア最強の“守護神”──紅龍将軍」
その名を聞いた生徒たちの間に、再びどよめきが走る。
「これから皆さんの指導教官を務めてくれるわ。安心して、この世界の力を学びなさい」
……確かに、強かった。
誰も逆らえぬ“力”の象徴だった。
「……すご……」
「紅龍って名前、伊達じゃないんだな……」
「うん……守ってくれるって言ってたし、怖いけど……」
生徒たちは徐々にその存在を受け入れ始めていた。
──だが。
影山黎は、ただ静かに目を細めていた。
(……あいつの強さ……次元が違う)
壇の上で、フラムが紅龍に並び立つ姿を見て、理解した。
(……こっちが“チートスキル”を身に付けても、反乱の可能性を恐れてなかった理由──)
(……そうか。最初から、この男がいたから、って訳か)
自分たちは“選ばれし力”を与えられた存在だと思っていた。
だが、紅龍は違った。
力ではない。“絶対”だった。
影山は唇を噛み、遠く壁際に倒れる鬼塚の姿を見つめる。
(……だからこそ、あいつは……)
胸の奥で、どうしようもない感情が渦巻いた。
◇◆◇
──残るは、ただ一人。
影山孝太郎の足元に、ひときわ長く緊張した影が伸びていた。
(俺の番、か……)
ゆっくりと深く息を吸い、吐く。
胸の奥に溜まったもやのような不安を、吐き出すように。
(SS級スキルが三連続で出て、なんかもう伝説の一幕みたいな空気になってる中で、俺が普通だったらめっちゃキツいけど──)
(でも、この世界を生き抜くには、きっと“スキル”ってやつが、鍵になる……!)
静かに拳を握る。
決して目立つタイプではない。けれど、今だけは、前に出る必要があった。
(よし──覚悟を決めて、鑑定するか!)
決意とともに、影山は一歩、また一歩と“霊脈晶核”に向かって歩き出す。
──が。
「よし! 《《二十人全員》》、スキル鑑定は終わったな!」
突然、フラムの明るい声が響いた。
影山の足が、止まる。
(え?)
「では、別室に移動して、今後の君たちの処遇についての説明をさせてもらうわね」
にっこりと微笑んだフラムが、くるりと踵を返す。
魔導衛兵たちも、紅龍将軍も、それに従って動き出す。
そして──
「はーい、移動だってー!」
「やっと終わったー!」
「てか俺のスキル、微妙じゃね?」
「うっわ、マジでウチら、異世界チートって感じじゃん!」
生徒たちも、ぞろぞろと歩き出す。
誰一人として、後ろを振り返らない。
影山が、手を伸ばしかけていた“霊脈晶核”のすぐそばにいることすら──誰も、気づいていない。
(……えっ)
影山の表情が、固まる。
(……あれ? 俺、今……なんか……忘れられてない?)
「……ちょっ、ちょ待って、フラムさん?俺、まだ──」
呼びかけた声も届かない。
フラムはそのまま、誰かと談笑しながら扉の奥へ消えていった。
(…………新手のイジメか?)
ぽつねんと残された影山。
訓練場の広い空間に、彼だけが取り残された。
(……こうなったら自分でやるしかねぇ)
やや不貞腐れたような足取りで、彼はゆっくりと霊脈晶核へと近づく。
手を、伸ばす。
冷たい水晶のような球体に、指先が触れた──その瞬間。
《──スキル判定を開始します──》
どこからともなく、無機質な声が響く。
そして、影山の目の前のステータスウィンドウに淡く浮かび上がる、判定結果の文字。
『SSランク “絶対不可視”』
『スキル効果:何者にも自身を認知されなくなる。《《自身の存在そのものの認知》》すら消失される』
『常時発動型。身体能力アップ(小)』
「……は?」
影山の口から、しばし間の抜けた声が漏れた。
「いやいやいやいや、ちょっと待て待て待て……?」
慌てて目をこすり、再度表示を確認。
《何者にも自身を認知されなくなる》
「いや、ちょ、え!?それって──」
ぐるりと辺りを見回す。
無人。
彼を呼ぶ声など、どこにもない。
(……これって、もしかして──)
(スキルって、“別の世界から渡ってきた瞬間”に与えられるんだよな?)
(……じゃあ、俺、召喚された瞬間から──《《誰にも認識されてなかった》》……ってこと?)
「いやいやいやいやいや!!?」
頭を抱え、思わずその場にしゃがみ込む。
もともとクラスで影が薄い、とイジられる事もあったが、これは"影が薄い"とかそういう次元じゃない。
「ピンチ……ピンチか?──いや、でも逆に、隠密活動とかには超有利……?……チャンスか?」
「いやいやいやいや!! そもそも俺、普通にみんなと話してなかったか!?委員長とか普通に目合わせてたし!?……あれ、目は合わせてなかったのか?気のせい……?」
「あれ!?あの紅龍将軍ってやつ、さっき俺の事見てなかった!?え!?それも、気のせい?」
「ていうか、俺のセリフ……ツッコミ……全部……独り言だったの……!?」
カタカタと膝が震える。
「やっば、怖っ!!このスキル、マジで怖ぇよ!!こいつと一緒に異世界ライフは心折れるって!!」
そんな影山の嘆きも、やはり誰にも聞こえることはない。
彼の存在を、この空間に認識している者は──今、この瞬間すらも、誰一人としていなかった。
(……いや、落ち着け。まずは状況整理だ……)
影山は額に手を当て、冷静さを取り戻そうと深呼吸する。
(スキル“絶対不可視”──たぶん、これは“気づかれない”とかいうレベルじゃない。世界の認識そのものから外れるってことだ。透明人間とかじゃない、存在“そのもの”を認識できないって……!)
(つまり、完璧ステルスモード常時発動──みたいなもん!?)
「……いや、使い方によってはチート中のチートだろこれ……!」
「……いや、でも、これ、飯とかどうすんだ?誰にも認識してもらえてないんだろ?えっ、マジでどうしよう、これ……。」
──だが、その時の影山はまだ知らなかった。
このスキルこそが、これから彼に“真祖竜アルドラクス”との縁を結ぶキッカケになるということを──。