第66話 side 影山孝太郎③ ──聖女、そして勇者──
まるで、祭りの後だった。
だが、興奮は冷めやらない。むしろ、そこからが“本番”だったとでも言うように、生徒たちの間には浮ついた笑い声と、熱っぽい言葉が飛び交っていた。
「一条、マジでSランクだったの!? やべえ!」
「しかも“雷神の加護”かよ? ビリビリって感じ?」
「いやいや、俺の“超加速スキル”のほうが絶対強いって!」
「うわー、それチート枠じゃん! アニメだったらラスボス戦で覚醒するやつ!」
誰もが“強さ”という幻想に酔っていた。
異世界、魔法、スキル、そして……自分だけに与えられた“力”。
それは、誰もが一度は夢見たヒーローへの入り口であり、現実を置き去りにする甘美な誘惑だった。
中でも、目立って騒いでいたのは、ギャル三人組だった。
「やっば〜! ミオのスキル、めっちゃモテそうじゃない?」
「え〜? サチコのもめっちゃ使えそうじゃん? ほら、アレ、なんだっけ?」
「ウケるんだけど〜!」
高崎ミサキは、ふわふわした笑みを浮かべながら、自分のステータス画面をスクロールしていた。
赤とピンクのアイコンが散りばめられたウィンドウは、さながらゲームアプリのようだ。
「てかミサキのスキル名、ヤバすぎじゃない?」
「“傾世幻嬢”って、何それ! 絶対メインヒロイン枠じゃん!」
「え〜、やだ〜、ミサキちゃんヒロイン〜♡」
「やめて、やめて、ウケる〜!」
笑い声が、魔導院の高い天井に反響する。
その騒ぎに、石田ユウマが食い気味に割り込んできた。
「ていうか、ギャルズより俺らのほうが異世界慣れしてるからな!」
「おっしゃる通り!」
「我々“異世界研究会”は、いかなるスキルにも即応できますぞ!」
ポーズを決めるのは、オタク四天王──石田ユウマ、藤野マコト、久賀レンジ、西條ケイスケ。
彼らはそれぞれのウィンドウを開きながら、互いのスキルを見せ合っていた。
「やっぱ俺の“天啓眼”は、情報戦において最強だって!」
「でも俺の“召喚獣”の方がロマンあるから!」
「それより俺の“魔導設計”、これクラフト系スキルだぞ? 文明、起こせるぞ?」
「そ、それより俺は……えーと……“魔力増幅装置”? なんか……サポートっぽいけど?」
「いや、それ強いから! それ無限MP製造機みたいなもんだから!」
彼らのやり取りに、誰も止めには入らない。
むしろ、周囲の生徒たちは「なんか本当に強そうだな」「あいつら、異世界では有能なのかも」と感心する視線すら向けていた。
一方、そんな騒ぎから少し離れた場所では、乾流星と榊タケルの陽キャペアがスキル比較をしていた。
「俺、“火球乱舞”だったわ! やっぱ炎ってテンション上がる!」
「オレの“衝撃増幅”もヤバくね? 物理で殴るだけで衝撃波だぞ! バレーボールに使ったら全国狙える!」
「異世界でバレーする気かよ!」
「やるだろ!」
乾が豪快に笑い、榊がノリよく肩を叩く。
その無邪気さと快活さは、この異世界の異質な空気を一瞬だけ忘れさせるほどだった。
──だが、そんな浮かれた喧噪のなかで。
影山孝太郎は、一人だけ、笑っていなかった。
彼は壁際に背を預け、黙ってそれぞれの騒ぎを眺めていた。
(……まぁ、こうなるよな)
嬉々として自分のスキルを見せ合い、強さを競い、未来を夢想する。
それが普通だ。それが自然だ。
“力を与えられた”という体験は、それほどまでに人を高揚させる。
現実では得られなかった承認。
持たざる者であったはずの自分たちが、いまこの瞬間、“選ばれし者”になったという実感。
(それが……仕組まれた幻想だったとしたら)
影山は、まるで誰にも見られていないかのように、小さく笑った。
その笑みは、冷笑でも皮肉でもなく、ただ──
自分だけが立っている場所の冷たさに、気づいている者の笑みだった。
騒がしい空間のなかで、彼は静かに思考を巡らせていた。
(何が“鑑定”だ。何が“英雄候補”だ。……選ばれるって、そんなに軽いもんだったか?)
そのときだった。
フラム・クレイドルが壇上に立ち、ひときわ大きな声で呼びかける。
「それでは、次の方──天野唯さん、どうぞ!」
一瞬、空気が変わった。
全員が注目するなか、眼鏡をかけた凛とした少女が、緊張の面持ちで前へと進み出る。
──変わる。
この浮かれた空気を、誰かが引き締める。
そんな予感を、影山は確かに感じ取っていた。
(ようやく、“本物”が現れるのかもな)
彼は、静かに天野の背中を見つめていた。
やがて──“鑑定”という名の選別が、彼女にも訪れようとしていた。
◇◆◇
「それでは、次の方──天野唯さん、どうぞ」
フラム・クレイドルの澄んだ声が、魔導院の天蓋に響いた。
その名が呼ばれると同時に、空気がほんの少し緊張したのを、影山孝太郎は確かに感じ取った。
天野唯は、深く息を吸い込んでから歩き出した。
長い黒髪をひとつにまとめた姿は整然としていて、制服のリボンひとつ乱れていない。
どこか古風な雰囲気を纏っているが、彼女の瞳だけは──凛として、真っ直ぐだった。
(天野……)
影山は無意識のうちに、彼女の背中を目で追っていた。
彼女が霊脈晶核の前に立つと、周囲の空気がまた微かに変わった。
期待、緊張、畏れ。それらが溶け合って、誰も言葉を発せずに見守る。
「……いきます」
小さく呟き、天野は右手をそっと霊脈晶核に重ねた。
──瞬間、核の奥から光が溢れ出す。
まるで泉が湧き出るように、温かな光がふわりと天野を包み、続いて彼女の目の前に──青白く、宙に浮かぶ透明なウィンドウが現れた。
「っ……」
天野の目が、一瞬だけ大きく見開かれる。
唇がわずかに震えたが、それでも、彼女は読み上げた。
「……SSランク……スキル名、"至天聖女"」
ざわっ──。
一瞬の静寂のあと、周囲から驚きと興奮の声が洩れた。
「Sの上!?」「マジでSS!?」「ヤッバ!!」
だが、当の天野は一言も発さない。
もう一度、ウィンドウに目を落とし──読み上げる。
「……スキル効果。いかなる傷も病も癒す。対価として魔力を必要とする……身体能力、魔力上昇・中」
その瞬間だった。
「なっ……何ですって!?」
壇上にいたフラム・クレイドルが、音を立てて階段を駆け下り、天野のウィンドウを覗き込んだ。
「これは……! これは素晴らしいわ! 滅多に出ない……いえ、十年に一人いるかどうかのSSランクスキルよ!」
あまりの勢いに、近くの生徒が驚いて後ずさる。
けれど、フラムは気にも留めない。
「“至天聖女”……聖属性の最高階位スキルの一つ……あぁ、なんてこと!」
その狂喜にも似た高揚を、後方から静かに見下ろしていた者がいた。
──紅龍。
彼は、壁に凭れかかりながらも、明らかに視線を天野に向けていた。
瞼の奥からのぞく鋭い瞳が、まるで何かを確かめるように天野を射抜き──
「ほう……」
とだけ、呟いた。
口元には、わずかに意味深な笑みすら浮かべている。
だが、天野はそれら全てに気づいていないようだった。
彼女はただ、目の前のウィンドウを見つめたまま──
そっと目を伏せた。
まるで、何かを決意するかのように。
(……やっぱり)
その表情には、不安も戸惑いもなかった。
むしろ、どこか……覚悟の色があった。
それは、“力を得た喜び”ではない。“選ばれた驚き”でもない。
それは、“この力をどう使うか”を、すでに決めている人間の目だった。
静かに、天野は霊脈晶核から手を離した。
彼女が下がると同時に、空気が少しだけ冷えたように感じられた。
──そんな彼女の横顔を、影山孝太郎はじっと見ていた。
(……天野。)
彼は確かに感じていた。
あの瞳。あの沈黙。あの佇まい。
何かを隠している。誰にも言えない何かを、胸の奥に閉じ込めている。
それが何かは分からない。
けれど──
(あいつ、あの力に……何を願ったんだ……?)
影山の心の奥で、何かが微かにざわめいた。
まだ誰も知らない“未来”が、静かに動き始めていた。
◇◆◇
「──次は、佐川颯太くん。お願いします」
フラム・クレイドルの声が再び響いた。
天野の“SSランク”の衝撃が冷めやらぬ中、しかし次に名を呼ばれた佐川が、やれやれと言いたげな笑みを浮かべて前に進み出る。
「おぉ、俺の番か」
陽に焼けた肌。
自然と人の中心に立つような明るさと、少し軽いノリ。
背筋を伸ばして歩きながらも、どこか「注目され慣れている」男の姿がそこにあった。
壇上に登ると、彼は右手をポンと叩いてから、霊脈晶核に手を置いた。
──光が溢れ出す。
淡い金色の粒子が宙に舞い上がり、彼の前にステータスウィンドウが浮かび上がる。
佐川が目を細めて読み取る。
「……SSランク。"破邪勇者"?」
ざわっ、と再び空気が揺れた。
「うおおお!」「勇者キター!!」
「やはり佐川か〜!でも納得だわ!!」
後方で誰よりも盛り上がっているのは、オタク四人組──石田ユウマ、藤野マコト、久賀レンジ、西條ケイスケの面々だった。
全員が立ち上がらんばかりに興奮し、口々に叫びながら、スマホでもあればスクショしてたであろう勢いだ。
「え、ちょ、勇者って正式名称に入ってるの!?まじ勇者枠!?」
「これ主人公だろもう!」
「なになに……"派生スキル"って……これ、成長型主人公じゃん……!」
「でも佐川だしな、全然いけるよ!」
ワイワイと盛り上がる中、佐川本人はウィンドウの続きを読む。
「スキル効果……成長に応じて派生スキルが増加、魔物・魔族に対して特攻、身体能力・魔力アップ(大)……ふっふーん♪」
彼はひとつウィンクしてから、肩をすくめた。
「いや〜、参ったなこりゃ。俺がこの国、救ってやりますかね!」
わざとらしく腰に手を当てて、まるで漫才のボケみたいに言ってのける。
笑いが漏れ、拍手がわき起こる。
そんな中──フラムはステップを踏むように壇上へ駆け寄った。
「佐川くん……!」
彼女の瞳が、珍しく強く、まっすぐに佐川を見ていた。
「君こそが……選ばれし戦士のようね」
「……へ?」
一瞬、佐川が素の表情になる。
だがすぐに笑顔に戻ると、胸を張って右拳を掲げた。
「ま、期待には応えますって!」
再び拍手。周囲からの視線が、佐川一人に集中していく。
──だが、影山孝太郎はその場にただ立ち尽くしていた。
掌が汗ばんでいた。胸の奥に、押し込めきれないもどかしさが渦巻いていた。
(違う……! そうじゃないだろ、佐川)
頬を引きつらせずにいるのが、やっとだった。
(お前が力を得たこと……それと、こいつらに“力を貸さなきゃいけないこと”は、まったく別の話だ)
目の前で笑う級友の姿。
きっと、悪気なんてない。だが、だからこそ苦しい。
簡単に乗せられていく空気。
皆の歓声に包まれて──彼の“力”が、誰かの都合のために使われていく未来が、ありありと見える気がした。
(なあ佐川……お前、本当にそれでいいのかよ)
その想いが胸の中で燻っていた時──
ふと、強烈な“視線”を感じた。
ハッとして、影山はわずかに顔を上げる。
壇の右奥──壁にもたれかかっていた男が、じっとこちらを見ていた。
紅龍。
紅の瞳が細まり、獲物を見定めるような光を宿していた。
(見られてる……!?)
まるで心の奥を読まれているような鋭さに、影山は一瞬だけ息を飲んだ。
だが、紅龍は何も言わず、ただゆるく目を伏せるとまた無言に戻った。
(……やばい。今、下手に動くのはまずい)
影山は目を逸らし、黙ったままその場に立ち尽くした。
──そして、もう一つ。
視界の隅で気づく。
やや離れた位置で、制服の襟元を緩めながらポケットに手を突っ込んでいる男がいた。
鬼塚玲司。
彼は、壇上で満面の笑みを浮かべる佐川や、興奮気味に褒めちぎるフラムを、冷ややかな目で睨んでいた。
爛々と燃えるような怒りの色ではない。
どこか、諦めにも似た暗い感情を滲ませながら。
影山はその姿を見て、思わず拳を握った。
(──まずい。このままじゃ、あいつ……)
何かが軋む音がした気がした。
形のない感情の歪みが、静かに広がり始めていた。