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第58話 ファンとサインと宰相の影

 ──夜の王都ルセリアは、まるで舞台の幕が下りた後の劇場みたいだった。


 


 人波が引き、石畳を叩く足音もまばらになった中心街の奥。


 かすかに笛の音が流れる風に乗って、俺たちはルセリア中央公園の片隅に腰を下ろしていた。


 


 石造りの円形広場、噴水の奥には大劇場の白い外壁。


 その建物の明かりが池に映り込み、夜風に揺れてキラキラと揺らめいている。


 


 ベンチには、俺とヴァレン。


 芝生の上に座ってるのは、浴衣姿のブリジットちゃんとフレキ(ダックスモード)で、

 そのちょっと離れた木陰に、リュナちゃんが腕を組んで立ってる──顔を背けたまま。


 


 「いや〜、最高だったなあ、今日の飲み会!」


 


 ヴァレンが両腕をベンチの背もたれに伸ばして、夜空を見上げる。


 風に揺れる赤メッシュの入った黒髪の下、サングラスが夜でもキラリと光っていた。


 


 「咆哮も、涙も、青春も、熱血告白も、全部詰め込まれてた!

 俺的には、ラブコメ神回って感じだったぜ?」


 


 「……どこ目線なんだよ」


 俺は苦笑しながらも、確かに、と小さく頷く。


 


 (……ほんと、大学時代以来かもしれない。こんな、楽しかった夜って)


 


 地球で最後に行った飲み会。


 研究室の同期と、卒業祝いで騒いだ居酒屋。

 あの時は、未来のことばかり考えてた。


 


 まさか、“次の未来”が、こんな異世界にあるなんて思ってもいなかったけど──


 


 「アルドくん、今日の唐揚げもおいしかったけど、さっきのシチューも最高だったね!」


 


 芝生の上でブリジットちゃんがにっこり笑って、フレキくんを胸に抱きかかえる。


 ミニチュアダックスモードのフレキくんは「ボクもそう思います!」と元気に頷いた。


 


 リュナちゃんは、と言えば──


 木の根元に背中を預け、マスク越しに視線をそらしつつ腕を組んでいた。


 


 「……まあ、料理は美味しかったっすね……」


 


 マスクのせいで表情は読めないけど、耳が真っ赤なのが分かる。


 あれは、間違いなく照れてる。


 


 「おいリュナ。てかさ、それ──」


 


 ヴァレンがリュナちゃんを指差す。


 


 「“咆哮”のコントロール、もう出来てるんだろ?

 だったら、その黒マスク、外しても平気なんじゃねーの?」


 


 その問いに、リュナちゃんは少しだけ肩を震わせて、顔をそむける。


 


 「……うっさいな。……これ、デザインが気に入ってんだよ」


 


 照れ隠しと分かる語気の強さに、ヴァレンがにやにやと笑う。


 


 「ほーん? じゃあ、俺がプレゼントしたからとかじゃなく?」


 


 「ちげーし!!」


 


 マスク越しでも分かるくらい、リュナちゃんの声が1オクターブ上がった。


 ぎゅっと腕を組む力が強まってるのが見える。


 


 (ああ……これは……)


 


 ブリジットちゃんと、フレキくんと、俺。


 3人と1匹で、顔を見合わせる。


 


 ──そして、つい笑ってしまった。


 


 ブリジットちゃんはフレキくんの頭を優しくなでながら、ぽつりとつぶやく。


 


 「……リュナちゃん、優しいね」


 


 「……なんすか、みんな。気味わるいっすよ」


 


 リュナは拗ねたように言うけれど、ほんの少しだけ、目がやわらかくなったような気がした。


 


 風が、噴水の水面をなでるように吹き抜けていく。


 星空の下。今日の夜が、確かに特別なものだったって、誰もが感じていた。


 


 「よし!」


 


 パンッと、手を叩く音が響いた。


 


 「2件目、行くか! 今日の俺は気前がいいぜ!」


 


 ヴァレンが立ち上がり、背筋を伸ばして両手を広げる。


 


 「あーしとこのアホ(ヴァレン)は宿取ってないし、夜通しコースもアリっすね。今からフォルティア荒野まで飛んで帰るのもダルいし。」


 


 リュナが立ち上がりながら、肩をぐるりと回す。


 


 ブリジットとフレキも、ぴょこんと立ち上がって「おー!」と笑った。


 


 ──そして、楽しい夜はまだ、続く。


 


 ◇◆◇




──ルセリア中央公園。


夜のざわめきと、心地よい静けさが同居する広い石畳の広場。


 


 ──全員が、今という時間を、素直に楽しんでいた。


 けれど、俺だけは一歩引いて、ふと現実的な疑問が脳裏をかすめた。


 


「……でもさ、ヴァレン。大丈夫なの? 二次会って、また奢るつもりなんだろ?」


 


 俺は思い切って口にした。


 さっきの居酒屋でも、結構な額を払ってたはずだ。財布の中、ちゃんと残ってるのか……?


と言うか、そもそも"大罪魔王"なのに、なんでちゃんとお金持ってるの?


俺なんて、この街来た段階で無一文だったのに。


 


「ん?」


 


 ヴァレンは不敵に笑った。例の、サングラスの奥でニヤッと目を細めるあの笑みだ。


 


「大丈夫大丈夫!」


 


 グイッと親指を立てて、親しみ満点のスマイルをよこしてくる。


 その笑顔があまりに爽やかで、逆に不安になるのは何故だろう。


 基本的に胡散臭いルックスなのよね、こいつ。


 


「今日の俺はな──」


 


 風が吹いた。


 ひゅんっ、と音を立てて彼のコートがめくれあがり、胸元のシャツがひらりとはだける。


 半端に開いた胸元の素肌が、街灯に照らされてうっすら光っていた。


 


「……懐が、あったけぇんだよ!」


 


 ヒロミGOの様な仕草でバァーンと宣言するヴァレン。


 うわ、今のポーズだけでファンが付きそう。


 チャラいけど、ベースがイケメンだから成立してしまってる部分はある。ズルいね!


 


「……なんか、あったのか?」


 


 俺が怪訝な声で尋ねると、彼は誇らしげに胸を張った。


 


「実はさ、俺──趣味で“本”を書いててさ」


 


「……本?」


 


「そうそう。"漫画"ってやつなんだけど……まあ、分からないよな。それを、自費出版でな!」


 


 ……なん………だと………?




 "漫画"?──"漫画"って言った?今。


 まさか、とは思った。


 でも、その時点ではまだ、俺は信じていなかった。


 


「長いこと売れなくてさ。書店に置いてもらってもホコリかぶってるし、読者アンケートなんて送られてきたこと一度もないし、レビューもゼロ! そりゃもう地獄みたいだったわけよ!」


 


 けれど、そこでヴァレンの表情が一転した。


 


 目元がふわっとゆるみ、口元に少年のような笑みが宿る。


 


「でも、今日──全巻まとめて買ってくれた奴がいたんだってよ! しかも、なんと24巻ぜーんぶ!」


 


(…………あ)


 


「でな? 久々にその書店に寄ってみたら、売上がちょこんと残ってて! やっと手元に戻ってきたんだ、俺の“想い”が!」


 


 彼は両手を広げ、夜空に向かって叫ぶように笑った。


 


「金も嬉しい! けど、それ以上に──俺の価値観を理解してくれるヤツがこの世界のどこかにいるってわかったのが、一番嬉しかったんだよ!」


 


 語るその姿は、本当に心から嬉しそうで、誰よりも“報われた”顔をしていた。


 


 ──だからこそ、俺の心臓は変な跳ね方をした。


 


 だって、それ、たぶん俺だよ?


 昨日、店頭で全巻大人買いしたの。


 厳密に言うと、金出してくれたのブリジットちゃんではあるけど。


 


(……え、まさか……?)


 


 俺は、恐る恐る口を開いた。


 


「な、なぁヴァレン……」


 


「うん?」


 


「その"漫画"って……“恋するカフェラテメモリー”ってタイトルだったり、しない?」


 


 


 その一言で、空気が変わった。


 


 ヴァレンが、動きを止めた。


 


 風がピタリと止み、街灯の明かりだけが微かに揺れる。


 


 彼は、ゆっくりとこちらに顔を向け──


 サングラスの奥からじっと俺を見据えた。


 


「……どうして、その名前を……?」


 


 問いかけの声は低く、静かで、逆に怖かった。


 まるでホラー映画の“ドアを開けてはいけない”シーンの手前。


 


「あ、いや……昨日、たまたま書店でその本を見つけて……」


 


 俺が恐る恐る言いかけた瞬間。


 


「……まさか……」


 


 ヴァレンの口元が小刻みに震え始める。


 唇がかすかに開いたと思ったら、次の瞬間──


 


「“全巻買ってくれた初めてのお客様”ってのは……お前だったのか……!?」


 


 その目は、感情のジェットコースターに乗っていた。


 


 俺は無言で、ゆっくりと頷いた。


 


 ──その瞬間だった。


 


「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉおおおおおぉぉぉっっ!!!!」


 


 公園中に響く絶叫!


 


 何かが弾け飛んだような勢いで、ヴァレンが俺に飛びかかってくる!!


 


「相棒ぉぉぉぉぉぉぉっ!! お前が……お前が俺の運命の読者第一号だったとはァァァァァッ!!」


 


 ガシィィィッ!!


 


 肩を両手でがっつり掴まれ、俺の身体がゴンッと引き寄せられる。


 めちゃくちゃ顔が近い!!


 サングラスがうっすら曇ってる!!


 


「えっ、えっ!? じ、じゃあ……っ!! “押舞ヒカル先生”って──!?」


 


「そうだッッッ!! 俺だよぉぉぉぉぉおおおッッ!!」


 


 震える手で自分の胸を叩きながら、ヴァレンは顔をクシャクシャにして叫んだ。


 さっきまでの『何考えてるか分からない系キャラ』のオーラが全部“喜び”と“情熱”に変換されている。


 


「“色欲ラスト”だから“押舞おしまい”、そして“グランツ(輝き)”だから“ヒカル”!」


 


「駄洒落かよ!!」


 


「正体が“バレん(ヴァレン)”ように考えたんだよォォォ!!」


 


「いや、しょうもねぇな!!」


 


 ツッコミの応酬とともに、再び俺にハグが飛んでくる。


 軽くむせそうになる。


 


 息ができない。


 でも、こいつ、ほんとに嬉しそうだな!?


 と言うか、俺も嬉しい!嬉しすぎる!


 まさか……まさか、あの!!


 あたおか天才漫画家の、"押舞ヒカル"先生が!!


 こんな近くにいたなんて!!


 


「俺の作品を、俺の価値観を、俺の生き様を好きになってくれたのが……お前だったなんて……!!」


 


「せ、先生の作品──大好きですぅぅぅ!! 昨日からだけど!!」


 


「やめろおおおおぉぉ!! そんな可愛く応援されたら……俺、感動でどうにかなっちまうよ!?」


 


 もはや公園の一角だけで、新しいジャンルのBLドラマが始まっているレベルの熱量。



俺とヴァレンの"運命交叉デスティニー・コリジョン"が、明確に始まった瞬間だった。

 



────────────────────



 一方。


 少し離れた芝生の上では──


 


 ブリジットがフレキを抱きながら、ぽかんと目を丸くしていた。


 


「アルドくんとヴァレンさん……めちゃくちゃ仲良しさんだねぇ……!」


 


 あどけない笑顔でぽつりと呟くその声は、どこか神聖ですらあった。


 


 隣のリュナは、黒マスク装着のまま、右手を額に当てていた。


 


「……なにやってんすかね、あの2人……」


 


 その声は限界を超えた呆れだったが、マスクの下の口元には微かに笑みが浮かんでいた。


 


 そして、唯一流れに完全に取り残されていたフレキ。


 左右に首を傾げながら、ぐるぐる視線を二人の間に泳がせたのち──


 


「……ボク、まったく話の流れが分かりません」


 


 と、正直すぎるコメントをぽつり。


 


 ──ルセリア中央公園の夜は。


 月明かりの下、妙にテンションの高い“サイン会モード”に、突入していたのだった。




魔灯の淡い光が舗道のタイルに柔らかな影を落とし、時折、風に揺れる木々の枝の隙間から、星々の光が細く差し込んでいた。



遠く、噴水の音がかすかに聞こえる。夜の街にしては、どこか幻想的な静けさが漂っていた。



ベンチの脇、ヴァレンの興奮もようやく落ち着きを見せ始めたその瞬間。


 


「……やばっ!」


 


 突如、鋭く弾けるような声が上がった。


 全員が一瞬そちらを振り返る。


 


 声の主──アルドは、青ざめた顔でマジックバッグを開き、文字通り“突っ込む”ようにして中身を漁っていた。


 


「ない、ない、ない……っ、頼む……どっかに……!」


 


 カチャカチャと鳴る金属音。手のひらに触れるのは携帯食料、伝説の調味料、魔法式コンロ、折り畳み式鍋──


 アルドが"星降りの宝庫"から無断で拝借してきたお宝ばかり。


 だが、彼が今欲しいのはそんなものじゃない。


 


「なんで今に限って……っ、ペン……! サインもらうための、黒ペンがない!!」


 


 焦燥に染まった顔を上げるアルド。その頬には、うっすらと汗。


 しかしその目には、明らかな“熱”が宿っていた。


 


 ──そう、期せずして巡ってきたこのチャンス。


 漫画『恋するカフェラテメモリー』の作者、“色欲の魔王”ヴァレン・グランツ──


 ……いや、“押舞ヒカル先生”本人からサインをもらえるなんて、あり得ない奇跡だ。



 記念すべき“ファン第一号”である自分が、その証を残さずにどうする。


 


「ちょっと待ってて!すぐ戻るから!!」


 


 そう叫ぶや否や、彼はマジックバッグの口を閉じ、地面を蹴った。


 夜風を切るように走り出す。


 黒い上着の裾がふわりと翻り、魔灯の光にひらりと映える。


 月明かりが肩越しに差し、彼の背を淡く照らしていた。


 


「お、おい!? どこ行くんだ相棒!? 置いてかないでっ!」


 


 ヴァレンの間の抜けた声が背後から響くが、アルドは振り返らず、手だけを大きく振って応えた。


 


「すぐ戻るってば! サインもらうための準備!!」


 


 その声は、やけに明るかった。


 まるで、これから人生初のライブに向かう学生のように。


 あるいは、幼い頃に憧れたヒーローのサイン会に向かう少年のように。


 


──その後ろ姿を、残された三人と一匹が見送る。


 


リュナがマスクの奥でため息をひとつ。


だがその声には、怒気でも呆れでもなく、どこか小さな微笑が混じっていた。


 


「……兄さん、どんだけテンション上がってんすか。まったく」


 


 黒マスクを指でトントンと整えながら、彼女はふと空を見上げた。


 星がきれいだった。


 


その隣、膝にちょこんと座るフレキが、首をかしげてリュナに小声で尋ねる。


 


「アルドさんって……時々すごく“子どもっぽい”ですよね」


 


 その言葉に、リュナは一瞬だけ目を見開き──ふっと口元を緩めた。


 


「……そうかもね。マジすげー人なのに、あのギャップがまた………。」


 


 その後ろで、ブリジットが優しく笑っていた。


 彼女の腕に抱かれたフレキの背を撫でながら、まるで母親のような包容力を滲ませて。


 


「うん……ほんとに、見てるだけで元気になるよね。アルドくんって」


 


 三人と一匹の視線が、舗道の先に向けられる。


 夜の公園の出口。魔灯が細く続くその先には、まだ活気の残る王都の繁華街がある。


 そこへ、アルドの姿はどんどん小さくなって──それでも、どこか弾んだリズムで駆けていく。


 


 夜風に吹かれる上着。


 背筋を伸ばしたまま走るその姿は、まるで夢の続きを追う少年のようだった。


 


──そして、誰にも聞こえないような小さな声が、彼の唇からこぼれる。


 


「頼む……売店、開いててくれ……!」


 


 その声は願いと興奮が入り混じり、


 星降る夜のどこかへ、ふわりと溶けていった。





 ◇◆◇


 


 アルドがペンを探しに小走りで去ってから、しばらく。


 


 夜の静けさが、ふたたび一行の周囲に降りていた。


 


 舗道をなぞるように流れる魔灯の光、涼しい風。遠くの劇場からかすかに届く楽団のリハーサル音が、心地よく背景を彩っている。


 


「ふぅ……」


 


 ヴァレンはベンチにもたれ、Z◯MA風の酒の瓶をぐるぐると回していた。


 さきほどのテンションが少し落ち着いて、今はにやけた顔のまま天を仰いでいる。


 


 リュナは公園の柵に腰を預け、フレキはブリジットの腕に抱かれ、両者とも静かに夜気を味わっていた。


 


 ──そんな中。


 


 不意に、背後から響く低く落ち着いた声が、静寂を裂いた。


 


「……ここにいたか」


 


 その瞬間、空気が変わった。


 


 リュナの眉がピクリと動き、反射的に黒マスクの口元に指が伸びる。


 


 ヴァレンは瓶を止め、サングラス越しに声の方向へ視線を送った。


 


 ブリジットは、聞き覚えのない重厚な声に、ゆっくりと振り向く。


 


 ──そしてそこに立っていたのは、二つの威厳ある人影だった。


 


 一人は、深い緋色の詠唱服をまとった老紳士。


 雪のような白髪に整えられた髭、鋭いが澄んだ双眸。


 その立ち姿からは、ただの老齢ではない「重さ」があった。


 


 エルディナ王国宰相──グラディウス・ヴァン・ヴィエロ。


 


 その隣に立つのは、長い銀髪をぴしりと束ねた威厳ある妙齢の女性。


 青紫の官衣を完璧に着こなし、知性と冷静さを感じさせる顔立ち。


 


 魔術省長官──ミルダ・フォン。


 


「お楽しみのところ、すまないな。ブリジット・ノエリア嬢」


 


 グラディウスの声は、決して威圧的ではなかったが──


 それでも、自然と空気が張り詰めた。


 


「えっ……?」


 


 ブリジットが戸惑い、思わずフレキをぎゅっと抱きしめた。


 


 彼女には、目の前の人物たちが“ただ者ではない”ことが直感で伝わった。


 


「私たちが誰か、すぐに思い出す必要はない。だが、君がこの国に届けた最新の開拓報告書に、私たちは強い関心を持っている」


 


 グラディウスの声は静かに響きながらも、含みを持っていた。


 


 ミルダは黙したまま、ただその冷たい視線をブリジットたちの輪に流していた。


 


 リュナは無言でグラディウスとミルダを見返し、微かに唇を結ぶ。


 敵意ではないが──本能的な防御の構えが、彼女の佇まいににじんでいた。


 


「え、えっと……私、開拓のことで……? 書類ならもう提出してあって……」


 


 ブリジットが困惑のまま口にする。


 


 すると、ヴァレンがゆっくりとベンチから立ち上がった。


 気だるげな動きだが、どこか一瞬、雰囲気が変わった。


 


「へぇ……わざわざ、あんたらが来るとはねぇ。」


 


 サングラスの奥、目が細められる。


 その声に、ミルダがピクリと反応した。


 


 目が合った瞬間、空気がごくりと揺れた。


 それは、かつてどこかで交わされた“記憶”の残滓か。


 


 だが、ミルダは言葉を発しない。


 ただ、一歩前に出て、ブリジットに目を向けた。


 


「あなたの報告に記された“開拓の進行速度”、ならびに“荒野の環境変質”、そして“ザグリュナの魔力消失”……それらを総合すれば、王都として見過ごせる状況ではありません」


 


 彼女の声は冷静そのもので、剣のように鋭かった。


 


「あなたが何を意図しなくとも──あなたの背後にある“何か”を、私たちは見極める必要があります」


 


「っ……」


 


 ブリジットは、一瞬目を見開く。


 だが、怯みながらも──彼女の両腕は、しっかりとフレキを抱きしめたままだった。


 


「おいおい、ブリジットさんには、なーんのやましいとこもないぜ?」


 


 ヴァレンがゆるく笑いながら、肩をすくめる。


 


「そりゃあ、ちょっとばかし変わった奴らと一緒にいるけどさ──」


 


 そのとき。


 彼のサングラスの奥の目が、ほんの一瞬、真面目な光を帯びた。


 


「でもあんたらの“検分”ってのは、時に“祝福されなかった者たち”に冷たすぎるんじゃないのか?」


 


 ミルダが静かに目を細める。


 そして、すぐに目を逸らす。


 会話にはならなかったが──確かに、何かがそこにあった。


 


「……ブリジット嬢。我々がここに来たのは、あなたを責めるためではない」


 


 そう言ったのは、グラディウスだった。


 彼の声は柔らかく──だが、その眼差しは“真実”を見抜く者のそれだった。


 


「ただ──あなたの背後に、今この国が“知っておくべき存在”が潜んでいる可能性がある。そう信じて、こうして来たのだ」


 


 グラディウスの視線がふと、ブリジットの後ろへ流れる。


 彼の“運命視”が、誰かを探しているような気配。


 


 ──そして、そこにアルドの姿はまだなかった。


 


 公園の空気が、ひときわ静かに引き締まった。


 


 ブリジットは、胸の前でフレキをそっと抱きしめる。


 不安そうな目で、仲間たちを見た。


 


 ヴァレンは、どこか懐かしげな笑みを浮かべながら、グラディウスを見返していた。


 


 リュナは、黒マスクの奥で、じっと沈黙を保っている。


 


 ──やがて。


 


 魔導塔の重鎮と、咆哮竜と魔王。


 公園の片隅に、奇妙な緊張が生まれていた。


 


(……アルドくん、リュナちゃん……。)


 


 ブリジットの心の奥で、そんな想いがひとしずく、震えていた。



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