第55話 帰る場所の在り処。そして魔王は笑う。
──夜風が、少しだけ涼しくなっていた。
展望塔の広場。高台から街を見下ろせば、ルセリアの街並みが、きらめく宝石のように広がっていた。
露店の灯りが小さく滲んで、行き交う人々の笑い声が、風に乗ってさざめいている。
アルドとブリジットは、その喧騒を遠くに感じながら、丘の上に並んで立っていた。
空には月が昇り、少し遅れて──
ドォン、と大きな音が夜空に響く。
続いて、ぱあっと色とりどりの火花が夜を裂き、開いた。
「……すごいね」
ぽつりと漏らしたアルドの声に、隣で浴衣を着たブリジットがこくりと頷いた。
赤い浴衣に白の帯、金の髪はアップにまとめられ、艶やかに光を受けていた。
「うん……こんなに綺麗な花火、久しぶりかも」
そう言って、ブリジットは顔を上げる。
花火に照らされたその横顔は、ふだんの彼女より少し大人びて見えた。
笑顔に見えて、どこか切なげにも見える。
アルドは、その横顔をちらりと見て──そして、思い出した。
(……そうだ)
「ちょっと、待ってて」
そう言って、アルドは懐に手を差し入れた。
革のポーチの奥にしまっていた、小さな包み。
細い紐で巻かれた紙袋をそっと取り出して、彼女の前に差し出す。
「……え?」
ブリジットが、きょとんとした顔でアルドを見つめる。
アルドは、少し照れたように視線を逸らしながら言った。
「えっと、これ……今日、露店で見つけて。ブリジットちゃんに、似合いそうだなって……」
手渡された袋を開くと、中には──
銀で繊細に細工された髪飾りがあった。主石は深紅のルビーに似た石で、花弁のように周囲に散った銀細工が、それを引き立てている。
「あ……すごい、綺麗……」
思わず、息を飲むような声が出た。
花火の光が、その赤い石に反射して、小さく煌めく。
ブリジットは、しばらく見惚れるようにそれを見つめ──そして、微笑んだ。
「……アルドくんが、つけてくれる?」
その一言に、アルドは一瞬フリーズした。
「え、えっ!? お、俺が!?」
「うん」
ブリジットは、にこりと笑った。
恥ずかしそうに目を伏せながらも、頬をほんのり赤く染めて。
アルドはごくりと唾を飲み込んで──「じゃ、じゃあ、失礼します……」と、慎重に手を伸ばす。
アップにまとめられた金髪に、触れる。
すべすべとしていて、思ったより柔らかい。
細かくまとめられた毛束をそっと避け、耳の後ろに髪飾りを差し込んでいく。
──それだけのことなのに、どうしてこんなに心臓がうるさいのか。
彼女の体温が、指先に伝わる。
香りが、花火の煙の向こうからふわりと届く。
(……なんだこれ、妙に緊張する……!)
「……うまく、つけられた?」
そう問いかけられて、アルドは手を離し、一歩下がって彼女を見た。
赤い浴衣と、紅の石が見事に調和していた。
「うん。……すごく、似合ってるよ」
その言葉に、ブリジットは頬を染めながら、ぱあっと笑顔を咲かせた。
まるで夜空の花火よりも、ずっと眩しくて、優しい光。
「ありがとう! ……すっごく、嬉しい!」
その瞬間──彼女の瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。
「──っ!? ど、どうしたの!? もしかして痛かった……!? 俺、手荒だった!?」
アルドは動揺して慌てふためいた。
しかし、ブリジットは首を横に振る。
泣き笑いのまま、彼をまっすぐ見上げていた。
「ち、違うの……痛くなんてない。……ただ、なんか……嬉しくて……」
その目には、懐かしさと安堵と、そして言葉にできない感情が溢れていた。
「……あたしね、ちょっと……王都に来るの、怖かったの」
唐突に、彼女はぽつりと呟いた。
「ここ……昔、家族とよく来てた場所だから。父様や母様、それに、兄様と……みんなで」
遠くを見つめるその横顔が、どこか遠い記憶を辿っているようだった。
「だから……今の自分が、それと比べられちゃう気がして。……“あの頃の私”と、“今の私”を比べたら、きっと……泣きたくなるって思ってたの」
彼女の手が、小さく震えていた。
けれど──
「でもね……アルドくんがいてくれて、フレキくんがいてくれて……」
「楽しくて、賑やかで、忙しくて……全然、悲しんでる暇なんてなかった!」
そう言って笑う彼女は──やっぱり、泣いていた。
「ありがとう……ほんとに、ありがとう」
アルドは、胸の奥がいっぱいになって、言葉が出せなかった。
ただ、黙って彼女の声を、表情を、全部受け止めていた。
──そうして、彼女はひと呼吸おいて、口を開いた。
「……あたし、アルドくんが“すごい人”だってこと……わかってるよ」
「きっと、本当なら……もっと立派な仕事を任されて、もっと大きな舞台で、たくさんの人に頼られてるような人なんだって、思ってる」
「なのに、こんなあたしの、わがままな開拓地に付き合わせちゃってる」
「報酬も、設備も、十分じゃないのに……」
彼女は、自嘲するように笑いかける。
「……でも、わがまま言ってもいいかな?」
アルドは、真っ直ぐ彼女の目を見る。
「──これからも、一緒にいてくれる?」
──その問いは、まっすぐで、切実だった。
今にも折れてしまいそうな細い声だったけど、芯は確かにそこにあった。
アルドは、ゆっくりと頷いた。
「もちろん。……だって、ブリジットちゃんが」
「──俺の“帰る場所”を作ってくれるんでしょ?」
その一言に──
ブリジットは、目を丸くして、そして、
泣き笑いのまま──でも、今夜一番の笑顔で、頷いた。
「──うん!」
ドン、と大きな音が夜空を揺らす。
色とりどりの花火が、ふたりの背中を照らすように咲き乱れた。
丘の上。
銀と紅のふたりが並ぶ姿は──まるで物語の一頁のように、夜の中に浮かんでいた。
──その少し後方。二人の姿を見つめる、もう一組の人影がいた。
◇◆◇
──ぱあん、と。
夜空に、金の菊花がひとつ、咲いた。
続いて、赤と白の尾を引く花火が尾を引きながら炸裂し、まるで夜空に浮かぶ大輪の花々が、ゆっくりと開いていくようだった。
展望塔広場の一角。
石畳の上に腰を下ろして、リュナは黙ってその光景を見ていた。
その視線の先──丘の縁では、アルドとブリジットが並んで花火を見上げている。
言葉は聞こえない。
でも、雰囲気だけでわかる。あの二人が並んでいることが、自然で、ぴったりで、あたたかくて。
「……お似合いだーね、あの二人」
ぽつりと漏らしたその声には、棘もない。嘘もない。
ただ、少しだけ、笑っていた。
──ほんの少し、寂しげに。
「おぉ、わかる。うん、あれはもう、王道も王道。ベタだけど最高」
隣で寝転がっていたヴァレンが、ニッと笑って、手のひらで夜空を指差す。
片膝を立てて、ロングコートの裾をひらひらさせながら、彼は月を仰いでいた。
「でもよ」
彼は、ちらとリュナの横顔を見た。
リュナは、ほんの一瞬だけ、その視線を避けるように目を細め──また花火に視線を戻した。
「……あの二人が一緒にいるのが、一番似合ってんだよ。」
ヴァレンはふむ、と鼻を鳴らし、懐からグリモワルを取り出した。
黒革装丁の古びた魔導書。その表紙には、奇妙なハートの紋様と、十数個のしおりが挟まっていた。
「まあな。確かに、あれは理想のツートップだ」
「──だがなリュナ」
彼は不意に真面目な声になって、半身を起こす。
リュナの方へと身を乗り出し、少しだけ目線を下げて、優しく、けれどはっきりと告げた。
「ブリジットさん一人に、全部背負わせんのは──それはそれで、酷ってもんだぜ?」
リュナの肩が、わずかに揺れた。
「アルドくんってのはよ、器でかすぎんのよ。マジで」
ヴァレンは口角を上げた。
指をパチンと鳴らす。
「だったら、俺は賛成だね。“両方”を、ちゃんと抱きしめてくれるなら──ハーレムエンドも、上等だ」
リュナが、はっとヴァレンを見た。
「な──なに言ってんだよ!? あーしは、別に……そんなんじゃ……!!」
「へいへい。言い訳は聞き飽きた。もういい?」
「ふざけ──っ」
その瞬間、グリモワルがふわりと宙に浮かび、金と銀のページがひとりでにめくれる。
ヴァレンの指が、そっと魔導書に触れた。
「"心花顕現"──」
風が、舞った。
魔力が、リュナを包む。
「……え?」
リュナは目を見開いた。
黒のボディスーツが、さらさらと布の質感を変えていく。
艶やかだった漆黒の繊維が、柔らかな黒紺地に変化し、花模様が浮かび上がる。
腰には黄色い帯がふんわりと結ばれ、鱗のように散っていたラメが、夜空の星屑のように煌めいた。
「え……な、なにこれ、なんで、浴衣……!?」
さらに──髪が、ふわりと浮かび、勝手にまとめられていく。
アップスタイルに整えられた金茶の髪は、花火に照らされてきらきらと光を反射した。
「似合ってるぞ、リュナ嬢」
ヴァレンは、満足そうに胸に手を当て一礼して、にやりと笑った。
そして、唐突に──リュナの背中を、ぽん、と押した。
「──行ってこい」
「ちょっ、ちょ待っ、待てって!!」
ふらついたリュナが、前につんのめる。
軽く転びかけたその身体を──しっかりと受け止めた腕があった。
「──リュナちゃん!?」
咄嗟にリュナを抱き止めたアルドの顔が、至近距離にあった。
ぶつかるようにして飛び込んでしまったリュナの顔が、黒マスクの奥でぱあっと赤く染まる。
「す、すんません!急に、背中押されて……っ!」
「いや、大丈夫だよ。無事でよかった」
アルドは、リュナの姿を見て──一瞬、言葉を失った。
「……い、いつの間に浴衣に!?」
「こ、これは、ちがっ、勝手に変えられて……!」
「でも──すごく、似合ってるよ!」
その一言に、リュナの耳まで真っ赤になる。
どこか嬉しそうに、でも恥ずかしそうに、目を伏せながら口を動かす。
「……ありがとっす」
アルドは、ふと何かを思い出したように指を鳴らすと、再びポーチから小さな包みを取り出した。
「そうだ、リュナちゃんにも……」
中から取り出したのは、黄色い小さな花飾りだった。
ブリジットへの贈り物と一緒に買っておいたもの。
「──これ、よかったら」
アルドは、そっとリュナの頭に手を伸ばした。
髪にそっと差し込まれた小さな花飾り。
月明かりと花火に照らされて、リュナの髪にひときわ可憐な彩りを添えた。
「……!」
リュナは、息を呑んだまま、動けなくなっていた。
それが、嬉しすぎて、言葉にできなかったから。
「一緒に、花火見よっか」
アルドが微笑む。
リュナは、一瞬戸惑って──でもすぐに、ぱっと花のような笑顔を浮かべて言った。
「──はいっす!」
その声は、夜空に届くくらいに弾けていた。
駆け寄ってきたブリジットも、「うんうん、あたしもリュナちゃん一緒がいい!」と笑って頷く。
三人が、並んで空を見上げる。
その背後で──
ヴァレン・グランツは、腕を組んで満足そうに立っていた。
「……な? 俺が言った通りだったろ。」
夜空には、大輪の花が咲いていた。
「“いつか、お前を優しく抱きしめてくれるヤツが現れる”ってな。」
ヴァレンは、ぽつりとそう呟いて──
風に揺れる金茶の髪の後ろ姿を、静かに見つめていた。
◇◆◇
──夜空が、ひらいた。
風もないはずなのに、空が鳴った。
光と音が、天頂を彩る。
無数の火花が、夜の帳に咲いては散り、その下には──三人の影があった。
丘の縁、展望塔の高み。
肩を並べて座るブリジット、アルド、そしてリュナ。
空を見上げ、同じ方向を向いて、まるで昔から、ずっとそうしてきたかのように。
その光景を、少しだけ離れた木陰から見つめる男がいた。
黒髪に赤のメッシュ。ツーブロックに整えた頭を夜風に揺らし、サングラスを額に上げたその男は──
“色欲の魔王”ヴァレン・グランツ。
彼は、何も言わずに、その光景を眺めていた。
目元は笑っていたけど、その奥の眼差しには、どこか深い哀しみと、誇らしさが滲んでいた。
──あぁ、いいな。
こんな夜があるなら、まだこの世界も捨てたもんじゃない。
他人の恋を見届けるだけの生き方に、意味はあったんだ。
「……幸せってのはさ。誰かに”見てもらってる”って感覚に、ちょっと似てるんだよな」
ひとりごとのように、誰にも聞かせるでもなく、呟く。
「誰かが見てくれてる」「この気持ちは本物だ」って、信じられるだけで、ひとはこんなにも強く、まっすぐになれる。
恋って、すげえや。
──まったく。
この展開は予想してたけど、実際に目にすると破壊力が違う。
孤独な竜少女と、祝福に見放された貴族令嬢。
どちらも“本気で”この少年を想ってる。
なのに、この真祖竜は、どちらの想いにも逃げず、鈍感も装わず、真正面から向き合っている。
(……ったく、なんなんだキミは)
ヴァレンはくつくつと喉を鳴らして笑った。
「両方なんて……普通なら“どっちつかず”って非難されるもんだけどよ」
「キミの場合、それがちゃんと“本気”に見えるのが……ズルいぜ」
彼の声に応えるように、ドン、と花火が打ち上がる。
色とりどりの光が、空と顔を染めていく。
ヴァレンは口元に指を当ててそれを目を伏せ──けれど、ふと空を仰いで、目を細めた。
──そこで、聞こえた。
「ヴァレンさん!」
ぱたぱたと駆け寄ってくる影がある。
男女のふたり。どこか見覚えのある顔。
「あれ……お前ら……確か、リオと……マリン?」
そう、かつて彼が旅先でグリュプスから救った、幼馴染の冒険者コンビだった。
今は手を繋いでいて、笑い合っていて、そして──目元に浮かぶ雰囲気が、まるで違う。
「こんな所で会えるなんて!」
「俺たち……結婚したんだ。」
ヴァレンの目が見開かれる。
マリンが嬉しそうにヴァレンに笑顔を向ける。
「グリュプスの件から三日後にスピード入籍!
あたし、マリン・ゼクシアになりました!」
「そりゃまた爆速だなお前ら!?」
思わずヴァレンがズコッと腰を抜かしかける。
リオとマリンは少し照れた様子で、互いの顔を見合わせる。
「──あの時、あんた言ったろ?」
「『今日一緒にいた相手が、明日も隣にいるとは限らない』……ってさ。」
リオが噛み締める様に言う。
「──その通りだと思ったんだ。俺たち"冒険者"は明日どうなるとも知れない身の上。後悔はしたくねぇな……って。」
「で、気付いたら、マリンにプロポーズしてた。いつどうなるかは分からねぇけど、こいつとずっと一緒にいたいって気持ちは誰にも負けないって、気づいちまったからな。」
マリンの手を握るリオの手に、ギュッと力が入った様だった。
ヴァレンはその様子を見て、サングラスの奥の目を細める。
「そっか……良かったな」
笑顔のまま、そう呟く。
それだけで、マリンは少し泣きそうな顔をして、リオも照れ臭そうに頭を掻いた。
「ありがとう。あんたに会えてよかったよ。」
「また、いつかどこかで!」
そう言ってふたりが夜の坂を駆け下りていく。
その背中を、ヴァレンは目を細めて見送った。
「……ん?」
その時、遠くの夜空。花火の奥の空に浮かぶ小さな影があった。
──鳥か? いや、違う。
あの、変異個体の大型グリュプス。
しかも、番で飛んでいる。
先日、彼が"運命交差"で運命をぶつけた雌グリュプスが──
見事に番となり、連れ立って夜空を飛んでいるのだ。
「……ククク……いいね。」
夜空に、二羽のグリュプスの影。
下では、花火と、三人の青春。
すべてが、ほんの少しずつ、“幸せ”に向かって動いている。
ヴァレンは、ロングコートの裾をひらりと揺らして──空を見上げた。
「……最高だ」
誰に言うでもなく、ぽつりと呟いて、そのまま、ふらりと草の上に寝転がる。
夜空を舞う花火の音が、心地よいBGMになって、彼の胸に染みていく。
"色欲の魔王"ヴァレン・グランツは、
その夜もまた、“恋”を見守っていた。
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