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第52話 side ヴァレン・グランツ② ──再会と、新たな物語の始まり──

 アルドとブリジット、それにフレキの3人が王都へ旅立ってから数時間後のこと。



 フォルティア荒野のただ中に、場違いなほど角ばった建物がぽつねんと建っている。


 屋根も壁も窓も、まるで方眼紙から切り出したような整然さ。


 機能美に満ちているはずなのに、どこか抜けていて──それがまた、愛嬌だった。


 この地で〈災厄の魔竜〉と恐れられていた少女が、今暮らしている家。


 アルドの魔法によって創られた、名もなき“我が家”。



 ──いや、名前はあった。


 カクカクハウス。


 つけたのは、他でもないアルド本人だ。


 そのリビングに、今、少しばかり緊張した空気が流れていた。


 木製のテーブルを挟んで、向かい合うふたり。




「……で、何しに来たんだよ、あんた」




 短く、棘のある声だった。


 マグカップから立ち上る湯気が、無言の圧をまとって天井へと昇っていく。


 リュナは、椅子の背にもたれず、背筋をぴんと張って座っていた。


 その手には、熱い紅茶。


 その眼差しは、目の前の“侵入者”を一ミリも信用していない。



 ──その姿が、なぜか妙に微笑ましくて。



「いやぁ、久しぶりだってのに、つれないねぇ」



 にやにやと笑いながら、男はカップの縁を指でなぞった。


 黒色に赤メッシュのツーブロック髪にサングラス


──だが今は、そのサングラスはテーブルの上に転がっている。


 その奥の目には、怠け者のようでいて、どこか底知れない深さがあった。



 “色欲の魔王”ヴァレン・グランツ。



 500年以上生きてなお、初対面の女の子のようにリュナに絡むその姿は、彼が魔王の中でも特異な存在であることを、これ以上なく物語っていた。



「フェンリル達、全員眠らせやがって。あいつら、目ぇ覚ましたら絶対怒るぞ。」



「違う違う。俺が見せたのは“理想的な恋愛の夢”だって。今頃は素晴らしい甘い物語を体験しているはずさ。」


「──うっさい。そもそも勝手に結界破って入って来んなバカ!」



 リュナがテーブルをこぶしで小突く。


 どん、と鈍い音。


 それに応じてテーブルがカタカタと震える。木目が少しだけ悲鳴を上げた。


 ヴァレンは一瞬、口角を引きつらせるようにしたが──その表情は、どこか優しく緩んでいた。


 叱責されているのに、不思議と心が和んでいた。



(あの頃と変わらねぇな、やっぱ)



 けれど、違う部分もあった。


 あの頃、リュナは“誰も信じない”って顔をしていた。


 世界から置いてけぼりを食らったみたいな、刺々しくて寂しい目をしていた。



 けれど今は──違う。



 ちゃんと、叱ってくれる相手がいる。


 ちゃんと、守ろうとしてくれる仲間がいる。


 ついさっきも──あのフェンリル族のひとり、あのパグ顔のフェンリル。


 ヴァレンが結界を越えて侵入した瞬間、耳を寝かせ、牙をむき出しにして叫んだ。



『リュナ様には指一本触れさせないぞ!ボクが守るッ!!』



 そして雷撃を纏って突っ込んできた。


 あれは、魔王たる自分を相手に本気で挑む、“本物の殺気”だった。



(……良い子分持ったじゃねぇか)



 そう思って、ついヴァレンは笑ってしまったのだ。



「……何、笑ってんだよ、気持ち悪い」


「いや、なんでもないよ。ほんと、立派になったなあって思ってね」


「……は?」


「お前、あの時と違って──すっげぇいい顔してるぜ」


「……」



 リュナの手が、そっとマグカップに添えられる。

 その指先が、少しだけ震えているように見えたのは──きっと、気のせいじゃない。


 けれど彼女は、すぐにいつもの調子を取り戻すように、ふいとそっぽを向いた。



「……うっさいな。あーしより500歳も年下のクセに。」


「いや、こうして出してもらってる時点で進歩だって。昔のお前が“客にお茶を出す”とか……考えられなかったもんな」


「う……それは……あの時は、色々あったし……!」


「うんうん、知ってる知ってる。だからこそ、嬉しいわけさ!俺は!」



 リュナは黙ってカップに口をつけた。


 ヴァレンも、同じように。


 静かな、だけどとても穏やかな沈黙が、ふたりの間を流れていた。


 “昔”という名の影を越えて、


 “今”という日常のなかで、ふたりが再び向かい合っている──



 それだけで、十分に特別な時間だった。




 紅茶の香りが、ゆるやかに部屋を満たしていた。


 木造のリビングに射し込む午後の光が、テーブルの上で優しく揺れる。


 窓の外では、フォルティア荒野の風が木々を揺らし、どこかのフェンリルが夢の中で寝言をもらしているような声が聞こえた。



 ──ここは、リュナの“日常”になった場所。



 かつて孤独と恐れに満ちていた〈災厄の魔竜〉が、今ではお茶を淹れ、ソファに腰を下ろしている。



「でさ。人間の姿になるの……何年ぶり?」



 ふと、ヴァレンが問いかけた。


 その声はいつになく、柔らかだった。



「え? あーしのこの姿?」



 リュナは目をぱちくりと瞬かせた。


 黒のボディスーツ姿のまま、彼女は背もたれに寄りかかり、マグカップを両手で包み込んでいた。


 肩から垂れる金茶の髪が、陽の光を受けてきらりと揺れる。



「うん。なんというか……“可愛げ”ってやつ? 昔のお前はもっとこう、グワーッて感じだったろ」


「……ふふん、そりゃあもう──“ご主人様”ができたからだよ」


「……ご主人様、ねぇ?」



 ヴァレンの眉が、くいとひとつ上がった。


 マグを唇に運ぶ手が、ぴたりと止まる。

 まるで、思ってもみなかった言葉に遭遇したように。


 それを見て、リュナは胸を張った。

 口元が自然と緩み、目がきらきらと輝いていた。



「もうあーし、“フォルティア荒野の主”は引退したんだ。これからは、家族の一員として、この姿で生きるって、決めたの!」


「……家族、ね」



 ぽつりとヴァレンが呟く。


 その声には、懐かしむような、遠くを見るような響きがあった。


 けれど──リュナは止まらなかった。


 今の彼女には、語りたいことが山ほどあった。



「まず一人目が、“姉さん”。──ブリジットちゃん」



 その名前を口にしたとき、リュナの表情はふっと和らいだ。


 いつもの勝ち気な笑みとは違う。


 もっと深く、静かに優しい感情が滲んでいた。


「人間なのに、あーしのことを……家族にしてくれた。最初から、怖がらずにそばにいてくれたんだよ。世界で一番、優しくて、素敵な女の子なんだ」


「……それはまた、すごい娘だな」


「そうだろ!」



 声のトーンが、すこし弾んだ。



「しかもね、真祖竜の血に適応して、あーしと同じくらい……あんたとだって戦えるくらいの力を持ってるかもしれないんだよ。将来性の化け物だぜ、姉さんは」


「おいおい、俺と比べるなよ。傷つくぞ?」



 ヴァレンが苦笑する。


 だが、リュナは気にした様子もなく、語りを続けた。



「で、二人目が──“兄さん”。あーしの、ご主人様──アルドラクス様!」



 今度の声には、どこか照れが混じっていた。

 無意識に頬が火照る。


 そして、それを隠すように、そっとカップを口に運ぶ。



「……兄さんは、すげえんだよ」


「ほう?」


「風呂付きの家、魔法でぱぱっと作っちゃって、毎日飯作ってくれるし、夜は“おやすみ”って言ってくれる。あーしが変なこと言っても、絶対怒らないで笑ってくれるし──」


「……うん。えらい家庭的な真祖竜だな」


「なっ、からかってんだろ!?」


「いやいや、本気で褒めてるって。そいつ、普通に結婚して家庭築けるぞ」


「……ふふ、だろ? だから、兄さんは世界一かっこいいんだ!」



 その言葉には、言葉以上の何かが宿っていた。


 心から尊敬していて、心から大切にしている人を語る時の、あたたかな熱。


 リュナの目元が、ふわりと緩む。


 その瞳には、過去に閉じ込めていた“孤独”という色が、もう、なかった。



「それと、フェンリル族」


「フェンリル族?」


「でかい犬ども。うるさいし無駄にデカいし犬臭いし、ご飯をねだって毎朝あーしの事を起こしに来るけど……まあ、悪くない。最近じゃ、毛の手入れとかしてやってるし」


「それ、完全に飼い主の顔だぞ……」


「うっさい! けどまあ……あいつらも家族なんだ。文句はあるけど……帰って来たら、やっぱり、安心する」



 そう言って、リュナはマグを両手で包むように抱えた。


 その仕草は、どこまでも穏やかだった。


 怒りも、憎しみも、孤独も──そこには、もうない。


 残っているのは、ただ温もり。



「……そっか」



 ヴァレンが、ぽつりと漏らすように言った。



「お前……ちゃんと“家族”を持てたんだな」



 その声には、安堵と、喜びと、少しの寂しさが滲んでいた。



「……な、何急にしんみりしてんのさ」


「いや。……ただ、ほんと、良かったなって思っただけさ」



 ヴァレンはそう言って、やわらかく笑った。



「……お前、今、すげぇいい顔してるよ、リュナ」


「なっ……!」



 リュナは、思わず頬を膨らませて目をそらした。



「ばっ……! ばからしーっ!」



 小さく叫び、真っ赤な顔をカップで隠す。


 ヴァレンはその姿に、声を出さずに笑った。


 ──そう。これでいい。


 この少女が、もうひとりぼっちじゃないこと。


 自分のことを呪うことなく、未来を語れるようになったこと。


 そのすべてが、魔王としての彼にとって、何よりの“報い”だった。




 ◇◆◇




「──でさ」




 不意に、ヴァレンが声を発した。


 ティーカップの縁を、指先でくるくると円を描くようになぞりながら。


 視線はどこか上のほうを泳ぎ、まるでなにげない世間話のような口調だった。



「その“兄さん”っての……お前にとって、ほんとにただの“ご主人様”なのかい?」



 その瞬間、カクカクハウスの空気が、ピキリと硬直した。


 対面に座っていたリュナの肩が、電撃でも走ったかのようにビクッと震える。


 彼女はカッと目を見開き、思い切りテーブルに両手をついた。



「……はあ!? な、なに言ってんだし!!」



 声が裏返り、右足が勢いよく跳ね上がる。真っ赤に染まっていく頬と耳。唇はあわてて動き出すが、言葉がうまく繋がらない。



「“兄さん”は……その、あーしにとって……その、特別な……! っていうか、ご主人様だし!! べ、別に、それ以外の意味なんてないしっ!!」



 目は泳ぎ、声はうわずり、手はマグカップの持ち手を意味もなくぐるぐると撫でていた。


 普段の快活さがまるで嘘のように崩れ落ち、代わりに出てきたのは、慣れていない少女の戸惑いと羞恥。


 その全てを、ヴァレンは余すところなく観察していた。


 唇の端をくいっと持ち上げながら、くつくつと笑みを漏らす。



(……はい、確定演出きました)



 “色欲の魔王”──恋愛の機微に命を燃やす観察者の目に、それはもう、火を見るより明らかだった。



(これはもう完全に、恋の始まりの兆候だよ)



 恋に気づかぬ本人。分かりやすく暴れる心拍。焦り、照れ、否定。全部乗せ。


 百戦錬磨(※他人の恋限定)のヴァレンからすれば、教科書の第一章レベルの挙動だった。


 彼はわざとらしく肩をすくめ、にやけた顔のままごく自然に問いを重ねる。



「ふーん? で、そのアルド君は……今、どこに?」



 この問いにも、即答は返ってこなかった。


 リュナは目を逸らし、ムスッとした表情で椅子に座り直し、マグを両手で包み込むように持つ。


そして──少し語気を強めて言った。



「……姉さんと“ふたりで”、街に出てるよ」



 “ふたりで”の部分に、ほんの少しだけ感情がこもった。


 強がりとも、嫉妬とも、置いていかれた寂しさとも取れる、微妙な語尾の揺れ。


 その一瞬を──ヴァレンの目は見逃さなかった。


 ピン。


 何かが、確かに彼の中で繋がった。



(……こいつ、自分の感情に気づいてない)


(“兄さん”のことを想ってるくせに、自分が災厄の魔竜だからって……ブリジット姉さんとやらに遠慮して、身を引こうとしてる。違うか?)



 胸の内で高鳴る鼓動が、ヴァレンの観察眼に火を灯す。


 このパターン──何百何千と見てきた。けれど、やっぱり一つひとつが特別だ。


 なにより、今目の前にいるこの少女は。


 あの孤独な咆哮竜だったリュナが。


 その目に、初めて誰かを想う色を宿している。


 ヴァレンは、スクッと立ち上がった。


 ガタン、と椅子が床を鳴らす。



「──よし、ちょっとアルド君を見に行くわ」



 飄々とした声だった。けれど、その眼差しは真剣で、どこか“使命感”すら帯びていた。



「……はあ?」



 リュナが目をぱちくりと瞬かせる。


 その表情の奥に、言葉にできない不安と警戒がじわりと滲み始めていた。


──だがもう、その時すでに、ヴァレン・グランツの中で“計画”は始まっていた。


──ラブコメの火種は、確かにここにある。


──ならば、自分がそれを「守護(まも)らなければならない」。


──そして、アルドという男の器を確かめねばならない。


 


“色欲の魔王”とは、すなわち──他人の恋を全力で応援する者なり。


 


そして今、またひとつ。


彼の“恋物語”が動き出したのだった。




 ◇◆◇




「ちょ、待て! どこ行くんだよ!? 変なこと考えてんじゃ──!」



 リュナが叫ぶや否や、ガタンと椅子を蹴って立ち上がる。


 声には焦りが滲み、指先はヴァレンの袖を掴まえようと伸びていた。


 だが、届かない。


 その寸前、ヴァレンは軽やかに身体を翻し、まるで風に乗るように踵を返した。



「ただの視察だよ、視察~」



 ひらりと手を振りながら、どこまでも軽い声が背中から飛んでくる。



「軽~く魂のオーラ見て、雰囲気だけ掴むだけ! ね? 無害、無害!」



 すでに玄関口へ向かいながら、ティーカップ片手に言い訳を繰り出すその姿に、リュナは眉間にしわを寄せた。



「だーかーら!! 《《お前が無害かどうか》》はどうでもいいんだよ!! 兄さんは、見た目に騙されちゃダメなやつなんだって!」



 叫ぶような声には、警告というより、切実な不安があった。



「真祖竜だぞ!? あんたの適当なノリで絡んで、万が一にマジギレさせたら、お前マジで死ぬからな!? 蒸発だぞ!? 魂ごと吹き飛ぶやつだぞ!!」



 リュナの声が上ずる。


 けれど、そんな必死の忠告も──



「大丈夫大丈夫。お前の“好きピ”には、最大限の敬意をもって接するからさ」



 ヴァレンのその一言で、リュナの動きがピタリと止まった。




「…………は?」




 しばしの沈黙。


 それは、嵐の前の静けさだった。



「──っっっ!! だっ、だから、そんなんじゃねぇってのっ!!」



 怒号がカクカクハウスの壁を震わせる。


 その瞬間。


 ゴゴゴ……ッ!!


 部屋の空気が震動した。


 テーブルが軋み、脚が床から離れる。


 バンッ!!


 次の瞬間、空気を裂いて、巨大な木製のテーブルが浮き上がった。



「このっ、バカ魔王ぉぉぉぉぉ!!」



 リュナの咆哮とともに、鋭い弾丸のようにテーブルがヴァレン目がけて突き進む。


 ──が。


 ヴァレンは、振り返りもせずに一歩踏み込むと、滑らかにその“投擲物”へと跳び乗った。




「じゃ、行ってきまーす♪」




 爽やかな笑顔。片手を腰に当て、もう一方の手でヒラヒラと軽やかに手を振る。



「はああああ!? 何その乗り方!? 物理法則おかしくね!?」



 リュナのツッコミが追いかける間もなく──


 ヴァレンは、スッと窓際まで滑ると、軽々と両足でテーブルの上に立ち、ピンと背筋を伸ばして振り返った。



「安心しな、リュナ!」



 そして──



「“負けヒロイン”の未来は、この俺が──断固、拒否してやるよ!!」



 バリンッ!!


 豪快な破砕音とともに、窓ガラスが砕け散る。


 破片が陽光にきらめきながら、ヴァレンとテーブルは一陣の風をまとって空へと飛び出していった。


 フォルティア荒野の空に、チャラ男の魔王が、木のテーブルに乗って消えていく光景。


 ……誰が想像できただろうか。




「………………マジで、イミフなんだけど。」




 あっけに取られて、しばらく窓の割れた枠を見つめる。


 風が吹き込み、カーテンがぱさりと揺れる。


 リュナはしばし無言のまま立ち尽くしていたが──



「……ほんっと、バカ……」



 小さく、苦笑いのようなため息が零れる。


 頬には、うっすらと赤みが差していた。


 その胸の内に残されたものは──


 怒りでも呆れでもない、ただひとつの感情だった。


 ──あたたかく、でもちょっとざわざわする“何か”。


 それは確かに、まだ名前のない“気持ち”だった。

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