第46話 アルド vs. ヴァレン、開幕 ──祝祭の影、踊る魔王──
──いい目を、している。
緋色の瞳の奥で、ヴァレン・グランツは静かに思考を巡らせていた。
目の前に立つのは、真っ直ぐな意志を宿した少年
──いや、まだ己の“魂”を自覚していない、《《未完の存在》》。
(なるほど……こいつは、とんでもないな)
わずかに息を吐く。
自分の正体を聞いても尚、一歩も引かない姿勢。
その小さな体躯に秘められた、想像を絶する程の圧倒的な力。
戸惑も、混乱も、無いとは言わないが──それよりも強く、確かに、彼の中には「護ろうとする意志」があった。
(けどなァ……)
ちら、とヴァレンは目線だけを西の空に滑らせる。
地平線へと沈みかける太陽が、空を橙から紫に染め上げていく時間帯。
祭囃子と喧騒が、騒がしさの中にどこか郷愁を混ぜ込むような──夏の、終わりの匂いがした。
(……あと半刻ってとこか)
空の色を見ただけで、あとどのくらいで“それ”が始まるか、彼にはわかる。
(ちと、想定外の事態にはなっちまったが……)
気づけば唇の端が緩んでいた。まるで困った教師が、生徒の予想外の回答に出くわした時のように。
《《あの少女》》の“覚悟”は想像以上で、思っていたよりも「いい顔」をしていた。
そして今、目の前の少年──アルドもまた、想定以上に「まっすぐ」だった。しかし──
(……なのに、お前ときたら──)
ヴァレンは、誰にも届かぬような小さな声で、ぼそりと呟いた。
「……だが、まだ“魂の解放”が足りねぇな」
それは呪詛ではなく、嘆息だった。
“《《大切な仲間》》”だとか、“《《助けたい》》”だとか──
言っていることに嘘はない。心からそう思ってるのも分かる。
でも、なあアルドくん?
あの娘のために飛び出してきて、今にも命張ろうとしてるくせに、
どうして、もっと素直に「魂の叫び」を口に出せねぇかなぁ……?
ヴァレンの表情はただ、薄く笑みを浮かべるだけだった。
祭りの喧騒、子どもたちの笑い声、どこかの屋台から香る甘い蜜の匂い。
浮かれた世界の真ん中で、ヴァレンはひとり、異物として立っていた。
(──さて)
"グリモワル"のページが風に揺れる。
太陽が地平線に溶けるまで、あとわずか。
「……《《どのくらい保つ》》か、試してみるかね」
誰にともなく、言葉を落とす。
それは挑発のようでいて、どこか儚く、寂しげでもあった。
──この世界に、“恋”はどこまで届くのか。
ヴァレン・グランツという“色欲の魔王”は、その目に微かに光る期待を宿して、少年の構えを見つめ返していた。
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(アルド視点)
俺の身体が、一直線に"色欲の魔王"ヴァレン・グランツへと突っ込む。
踏み込みと同時に魔力を抑えた重心移動。
わずかな“風圧”だけで、前の屋台の布がばさっと揺れる。
(今なら──ッ!!)
だがその瞬間――
「にゃー!!」
「わっ!?」
通行人の列から、猫耳の子ども――いや、獣人の女の子が、ぴょんっと目の前に飛び出してきた!
浴衣の帯がひらひらしてる!
(おいおいおいおいッ! なんでこんなタイミングで!!)
慌てて体勢を逸らしてよけたはいいけど、
バランスが崩れて──スピードも激減。
「くっ……!」
──ダメだ!人が多すぎる!
危なくて、トップスピードは出せない!
でも、ここで止まるわけにはいかない!
そのまま地面に手をつき、
体を低く滑らせながら──
「……っらああああああッ!!」
ヴァレンの足元に、渾身の低空タックル!
しかし──
「おっと。」
ヴァレンは、ふわっと空を舞った。
そう、“跳んだ”んじゃない。“浮いた”。
重力すら嘲笑うように、軽やかに、なめらかに。
そのまま空中で、ヴァレンの左手の"黒革の本"がパラパラとページをめくり始める。
左手にそれを構え、右手の中指と人差し指が赤く光を放った。
(また、あの“わけわからん技”か!?)
(……ダメだ、何が来るか分からない以上、受けちゃマズい!)
反射的に、俺は地面を蹴り――
「っはああああああッ!!」
身体を回転させながら、空中のヴァレンに向かって蹴り上げた!
右足の甲が空を裂く。
《《威力は抑えて》》ある。でも、当たり所が悪けりゃそれなりに効くはず──!
「それはちょいと痛そうだな?」
空中のヴァレンが、ふわっと笑った。
そのまま、身体をひねって、俺の蹴りに合わせるように──
逆足でカウンターの蹴りを放ってくる!
「ッ……!」
ガキィィィィンッ!!
俺とヴァレンの蹴りが交錯した瞬間、銀色と赤色の2色の火花が、空間を裂くように炸裂する。
空気が圧縮されて、バチバチと雷鳴のような音が弾ける。
ほんの一瞬の空中戦。
でも、その衝撃は、地面の砂埃を舞い上げるには十分だった。
「……ちっ」
足ごと押し上げた俺の力に負け、ヴァレンの体が空中に吹き上がる。
でも、落ちない。
むしろ──
「……やっぱ、やるねぇ。アルドくん」
空中で軽やかに、身体を軸にしての回転。
ロングコートを翻しながら、フィギュアスケーターの様なスピン。
そのまま、街道脇の魔導街灯のてっぺんに、スタッと着地した。
“軽い”。
全ての動作が、あまりに軽やかすぎて……逆に怖い。
この男、確実にただ者じゃない。
魔力を込めてないとは言え、俺の蹴りを
──真祖竜の脚力を受け止めた。
(やっぱり、“魔王”って肩書き、伊達じゃないな……)
ギシ……と、俺は拳を握り直す。
「何あれ!?戦ってる!?」
「冒険者同士のケンカか!?」
「これ、演出?それか、魔法ショー?」
周囲の通行人たちがざわめき始めてる。
──まずいな。目立ち過ぎてるか……!?
でも、そんな中で、街灯の上のチャラ魔王は──
「── Ladies & Gentlemen, Boys & Girls!」
──え、今なんて?
「あと1時間ほどで、王都ルセリア主催・夏祝祭名物“大花火大会”が開幕いたします!」
「《《大切な人》》との夢のひと時を、ぜひお楽しみください!」
街灯の上から、よく通るイケボで、芝居がかったセリフを放ちつつ、優雅に一礼。
すると、観客たちは――
「うぉぉ!花火の演出か!」
「なにあれカッコイイー!」
「さすが王都!」
なんか……拍手してるし!!
え!?俺、今、演出要員扱い!?
逆にこの場を盛り上げちゃった!あの魔王!
……けど。
同時に、分かったこともある。
(あのチャラ魔王、街の人たちに害意は──少なくとも“今のところ”は無さそうだな)
(だからこそ……妙に“余裕”がある)
けど、だからって。
何かを仕掛けてこないって保証には、ならない。
それに、ブリジットちゃんのことを……
まだ、何も教えてもらっていない。
(だったら……引く理由はない)
ヴァレン・グランツ──“色欲の魔王”。
お前が何を隠しているにせよ。
俺は、それを聞き出すまでは止まれない。
──まだ戦いは、始まったばかりだ。
◇◆◇
目の前の街灯の上、ロングコートを翻して立つ男
──色欲の魔王、ヴァレン・グランツ。
彼は黒革表紙の本のページを片手で押さえながら、サングラス越しにこちらを見下ろしている。
その姿は、どこか道化じみている。
だが──背筋にまとわりつくような、得体の知れない圧も確かにあった。
「どうだい、アルド君」
ヴァレンが、軽やかに問いかける。
どこまでも軽快で、舞台役者のような声音。それでいて、決して“浅く”はない。
「"魔王"である俺と、"《《SSR》》"であるキミがここでドンパチやるのは、ちと目立ちすぎると思わないかい?」
「……SSR?」
一瞬、思考が止まる。ソシャゲ?ガチャ?
けれど、直後に脳裏にフラッシュバックするように浮かんだ。
(──待てよ。SSR……Sin So Ryu……
真・祖・竜……!?)
こいつ……俺の正体、知ってる…?
何故?どうやって? 誰から?
言い知れない寒気が、背筋を駆け上がる。
だが、動揺は飲み込む。
バレたところで、今さら変わらない。
俺は、もう逃げ隠れする気なんてない。
「……俺としても、別にケンカするつもりはないよ」
そう言いながら、一歩だけ前に出る。
視線は逸らさない。むしろ、真っ直ぐに、敵意を込めてぶつける。
「だからさ、ブリジットちゃんが今どこで何してるか、さっさと教えてくれない?」
真剣な問い。
だが、ヴァレンは──
「それは、《《キミにだけは》》教えられないな。」
肩をすくめ、軽く笑った。
その笑みは、柔らかいようで、どこか挑発的な棘を秘めていた。
……ムカつく。
でもそれ以上に。
分からない。
なぜ、“教えられない”んだ。
ブリジットちゃんに何をした?
あの子は今、どうしてるんだ?
「だったら──」
指をポキポキと鳴らす。
これは、俺なりの“警告”。
「当初の予定通り、とっ捕まえて吐かせるしかないな」
ヴァレンは、ニッと笑った。
右手を突き出し、指で銃の形を作る。
「──Catch me, if you can. (捕まえられるもんなら、捕まえてみな)」
その芝居掛かった仕草、その言葉、その笑顔。
すべてが──俺への挑発。
──怒りを抑えろ。
お祭りを楽しみに来ている皆さんを、怖がらせる訳にはいかない。
こめかみがピクピクしてるのが自分でも分かる。
俺は、憤りを隠す様に、低く呟く。
「──すぐ捕まえて……そのツーブロ頭、
バリカンでオシャレ坊主にしてやるよ。」