第43話 別行動 DE 無一文。
──俺は、泣いていた。
どれぐらい泣いていたかって?
床に置いたティッシュ箱は空。隣の予備箱も空。
バスルームから持ってきたタオルも、いまや完全に涙で漬物石のごとくしっとりしていた。
泣き過ぎて目の中の老廃物とか全部出たと思う。
10時間熟睡して目覚めたみてェーなバッチの気分になっちゃったよ!
「うっ……うああああ……マジかよぉぉ……! ナツキ……お前……っ!」
部屋の隅っこ。木製ベッドにあぐらをかいて、俺はその本を胸に抱きしめたまま、ぐずぐずに鼻をすすっていた。
そう。俺が夜通し読んでいたのは──
『恋するカフェラテメモリー』。
昼間、ブリジットちゃんが全巻大人買いしてくれた漫画、全24巻。
ブリジットちゃんがプレゼントしてくれた、という点だけでも生涯の宝となる事間違いなしなのに、内容も神作品と来た日にゃあさ。
こんなもん今際の際には"真祖竜の秘宝"として"星降りの宝庫"に奉らなきゃいけないレベルだよ!
この身体、寿命あるのか分からないけど!
(てか、なんでこんなに泣いてんの俺……!?)
そりゃあ、前世でも漫画は読んでたさ。
異世界来る前は、けっこうなオタクだったし。
でも、この作品は別格だった。
ただのラブコメかと思ったら、いつの間にか、壮大な“転移SF群像劇”になってて、でも、芯はちゃんとラブコメで──
伏線の張り方がえげつなくて──
最終巻の展開、まさかの“そう来るか”で――
「“異世界転移”って現象に、あんな理屈が用意されてたなんて……! しかも、あのラスト……っ! “元の世界に帰る”とは一度も言ってない……!なんてこった……!」
あまりの衝撃に、ひとりで頭を抱える。
涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、ベッドに倒れ込み、枕に顔をうずめてバフンと絶叫。
「ナツキ……お前、最後まで……っ!」
あ、ちなみに“ナツキ”は主人公の名前ね。
高校生バリスタ男子。異世界転移者。
そして、恋……いやさ、愛に生きた男だった。
俺はマジで震えながら、全24巻の背表紙をベッドに並べて、そこに向かって正座した。
寝巻き姿で、髪はぼさぼさ。目は腫れ、鼻は赤く、口元は……もう何も言うまい。
「ごちそうさまでした……」
そう、俺は睡眠もとらず、一晩中読みふけったのだ。
もちろん、睡眠が必要ない真祖竜の肉体だからこそできる芸当。
普通の人間だったら間違いなく身体を壊してる。
でも、ただ眠らなかったわけじゃない。俺は、この物語に、魂を奪われていた。
──っていうかさ。
この“転移理論”、なんかリアルすぎない?
いや、マジで。転移の構造、魂の継承方法、世界と世界の接続条件……あまりに理屈が明確すぎて、逆に怖い。
しかも、あの“光の柱”の描写とか、“魂の記憶”の話とか……
実際に異世界転生した身の俺が言うのも変な話ではあるんだけどさ。
"異世界転移"や"異世界転生"とかいう、
ありがち、かつ荒唐無稽な現象を描いているのに、妙な"謎の説得力"があるんだよなぁ。
マジで天才だろ、押舞ヒカル先生。
あたおかとか思ってしまってごめんなさい。
「ふう……」
俺は、漫画の山をそっと崩し、テーブルの上に並べていく。まるで祭壇みたいに。
枕元にコーヒーの香りが残ってるのも、多分、作品のせいだろう。いや、実際は昨日の飲み残しのコーヒーだけど。
「……やっぱ、この世界って、いろんな意味でおかしいよな」
呟いて、窓を開けると、朝の光が差し込んできた。
東の空が、ほんのり橙色に染まっていて、街の屋根が優しく照らされていた。
「さて……そろそろ、朝食の時間かな」
鼻をかんで、顔を洗って、整えて。
俺は、異世界で出会った最高の“漫画体験”を胸に、ホテルの朝食バイキング会場へと向かうのだった。
……目が腫れてなければ、完璧だったんだけどね。
◇◆◇
朝——といっても、俺にとっては「読み終わった直後の感動の余韻」ってタイミングだったわけだが。
目は真っ赤、鼻もズルズル。
寝てないどころか泣きすぎて顔がむくんでる真祖竜が一匹、ふらふらと朝食会場に向かっていた。
(……いやぁ……まさか“《《あんなエンディング》》”だなんて……)
『恋するカフェラテメモリー』最終巻、ほんともう心臓抉られるようなラストだったんだよ……
え? 朝から何言ってるって? いや、俺も自分で思ってるよ?
でも泣くでしょ、あれは。
だってさ、まさかこの手の複数ヒロイン系ラブコメ漫画のエンディングで、《《あのパターン》》が来るなんて……!
そんな思いを抱きつつ、エレベーターもないホテルの階段を下り、朝食バイキング会場の扉を開けた瞬間。
「あっ!アルドくん、おはよう!」
「おはようございますーっ!」
ふたりの声が、朝日よりも眩しかった。
ブリジットちゃんとフレキくん、もう席について待っててくれていたらしい。
テーブルの上にはジュースと小さなパンの山。
あとソーセージ。あとクロワッサン。
あと……たぶん、ゼリー?何だあれ?
「ごめん、待たせた? 俺ちょっと、読書が白熱しすぎて……」
「ふふっ、大丈夫!ここの朝食、ほんっとに種類豊富なんだよ〜!」
「見てくださいアルドさん!この“ごはんパン”!見た目パンなのに、味はお米なんですっ!」
「え、それってもう“米で良くない?”ってならない?」
「なるなる〜!」
とブリジットちゃんが笑いながら同意して、フレキくんはもぐもぐと“ごはんパン”を美味しそうに食べていた。なるんだ。
俺もさっそく料理を取りに行く。
甘いパンに謎の黒いソースをかけた“スイートアタック”なる料理に挑戦したり、
スクランブルエッグに似て非なる“トロたまっぽい何か”を食べたりして、
まあ朝から胃袋が異世界トライアル。
楽しい。ほんと、楽しい。
……でも、そんな楽しい朝ごはんの途中で、ふいにブリジットちゃんが口を開いた。
「ね、アルドくん。ちょっと……お願い、してもいいかな?」
「うん? 何かあった?」
なんとなく、声がいつもよりちょっとだけ低めだったから、俺も自然と表情を引き締める。
「今日ね、あたし……ちょっとだけ、個人的な用事があって……」
「……用事?」
「うん。ほんと、ちょっとだけなんだけど……。アルドくんとフレキくん、2人で街を探検してもらえないかな?」
「夕方には絶対戻ってくるから、ホテルでまた合流ってことで……ダメ、かな?」
そう言ったブリジットちゃんは、どこか申し訳なさそうな顔で、でも視線はちゃんとこっちを見ていた。
(……家族関係、か?)
ふと、そんな考えがよぎる。
貴族の娘だってこと、俺は知ってる。
きっと、この街には親戚とか、縁の深い人もいるんだろう。
そんな人に会いに行くなら、俺がついていくのは違う。……気がする。
「……ううん、全然いいよ!それじゃ今日は夕方まで別行動ってことで!」
俺はにこっと笑って言った。
「ありがとう、アルドくん!」
ブリジットちゃんもほっとしたように笑って、言葉を返してくれる。
するとその隣で、フレキくんが前足を揃えてピシッと座り、
「分かりました!ブリジットさん、お気をつけてくださいっ!」
空気、読めるワンちゃん。おりこう過ぎるね。
「ふふっ、ありがとうね、ふたりとも!」
そう言って、ブリジットちゃんは椅子から立ち上がり、小さなバッグを手に持って、そっと会場を後にした。
その後ろ姿を見送りながら、俺はふと思う。
(……どんな用事なんだろうな。やっぱ、家族……いや、もしかして男関係!?いやいや、ブリジットちゃんに限って、そんなことあるわけ……)
脳内がループしかけたところで、フレキくんが朝のスープを飲み干して「ふぁ〜!あったまる〜!」と犬とは思えぬ満足げな声を漏らした。
よし、考えるのはやめよう。
今は街を探検するのが先だ。せっかくの異世界大都会、フレキくんとふたりで満喫しないとな。
◇◆◇
ブリジットちゃんを見送ってから数分。
俺とフレキくん、ふたり──いや、一人と一匹になった街角の朝。
「さてと……どうするかな」
爽やかな風が吹く。街は朝市や露店の準備で活気づき始めていて、どこからか香ばしい焼き菓子の匂いまで漂ってくる。
が──。
ここでとんでもない事実に気づいてしまった。
「…………金、ないわ俺」
空っぽのポケットを見つめながら、つぶやいた。
いや、正確にはマジックバッグの中に金貨の一枚も入っていない。そう、完全なる無一文。
昨日は全部ブリジットちゃんに頼りきりだったから、すっかり忘れてた。
「アルドさん?どうかしましたか?」
「いや……ちょっと……このままだと、ホテルに戻って漫画読んで1日が終わる未来が見えてきてさ……」
「えっ!?せっかくのお出かけなのに、もったいないです!」
ハッハッと息を弾ませながら、フレキくんがしっぽをぶんぶん振る。
そうだよな……せっかく大都会まで来て、ビジホで缶詰は、俺はともかくフレキくんがあまりにも可哀想すぎる。
俺はぐっと握りこぶしを作った。
「……よし、金、作ろう」
「えっ!?アルドさん、まさか……盗みに……!?」
「何でだよ!俺、そんなイメージある!?」
「ほんのジョークです!フェンリル・ジョーク!」
などとフレキくんとしょうもないやり取りをしつつ、実際問題どうすれば現ナマを手にする事が出来るのかを考える田舎者(真祖竜)とミニチュアダックスフンド(フェンリル王)の2人。
とはいえ、ここは異世界。
ファンタジーあるあるで、魔物の素材を買い取ってくれるギルド的な存在がどっかにあるんじゃないか?という希望を胸に、俺はホテルのフロントへと向かうことにした。
「素材の買い取り? あっ、それならこちらをどうぞにゃ〜!」
猫耳のフロントのお姉さんが、にゃーんと語尾を伸ばしながらチラシを一枚手渡してきた。
柔らかく丸まった爪が、さりげなく紙の端を押さえてるのが妙にリアルで目が離せなかった。
というか、語尾に”にゃ〜“って付ける種族文化、あるんだね、本当に。俺、嫌いじゃあないぜ?
受け取ったチラシには、こう書かれていた。
『────素材売るなら、GO!素材王!』
中古車販売店みたいなノリだね。
ファンタジー感のカケラも無いけど、この際そんな事は気にしてられない。
「えへへ〜、ここ、人気店ですにゃ。ちゃんと査定してくれるし、変なぼったくりもないって評判ですにゃ」
「そうなんですね……ありがとうございます。ちょっと行ってみます!」
◇◆◇
「というわけで、フレキくん。行こっか」
「はいっ!“そざいおう”さん、楽しみです!」
いや、多分楽しむところではない。素材を売って金を作るだけの作業イベントだよ?
でもまあ、フレキくんが期待に満ちた顔でぴょこぴょこ跳ねてるのを見ると、なんかこう……モチベが上がる。
「じゃあ……素材王、出発だ!」
「GO!素材王〜っ!」
なんかキャッチコピーみたいに復唱してくるフレキくん。犬にアテレコするタイプのCMみたいだ。
チラシの地図に従って、俺たちは市場通りを抜け、ちょっとした裏路地へ。
レンガ造りの建物が並ぶその一角、見つけたのは、やや古びた看板の店だった。
《素材王》
〜冒険者のあなたに、信頼の査定を〜
【魔物素材高価買取中!】
【番号札制です!】
【ポイントカード発行中!】
「……相変わらず、謎にシステムがしっかりしてるな。この街のお店……」
ドアの横には“毎週火曜は骨祭り”と書かれた謎のPOPもある。骨祭りって何よ。
「アルドさん!入ってみましょう!」
「お、おう……!」
中に入ると、ほんのりと革と乾いた金属の匂い。
天井には魔導照明が等間隔で設置され、奥にはいくつものカウンター、棚には獣骨・牙・爪・鱗……と、まさに素材まみれ。
ここら辺はちゃんとファンタジーっぽいね!
そして聞こえてくるのは――
『番号札23番のお客様。査定が終了しましたので、買い取りカウンターまでお越しください』
この番号札システム、完全に某中古書店のノリなのよ。
「素材屋さんって、こういう感じなんですね〜!」
テンションの上がるフレキと共に、俺はカウンターへと向かった。
バッグから取り出したのは、フォルティア荒野で狩って食材にしていた魔物の皮や牙、爪、角、ちょっと焦げた骨。
「すいません、これって……売れます?」
カウンターのエルフっぽい女性店員がそれらを見た瞬間、ギョッとした様に目を見開いた。
「し、少々お待ちください……!」
えっ、何? 何なの?
俺、また何かやっちゃいました?
(まさか、これ……)
(高く売れるやつ……!?)
いや違う、それどころか──俺の直感がざわついていた。
分かる……前世で異世界ものの漫画や小説をを数多く読んできた俺には、分かるぞ……!
これは……“あまりにも強力すぎる素材”で、盗品なんじゃないか?と疑われるパターンのやつや!
えっ、あの荒野に生息する牛さんやブタさんやニワトリさん風の魔物達、そんな強力な魔物だったの?
普通にカレーの具にして食ったりしてたんだけど。
やっべえ、これ……どっかで見た展開だよね。
そして、店の奥からゴツいドワーフのおじさんが出てくる。
ヒゲも髪の毛もモサモサで、逆さにすると別の人の顔になる絵みたいな感じ。
もちろん、表情はちょっとだけ怖いやつ。
俺は、心の準備を整えた――。