第42話 星空と焼きたてバーベキュー
「うおおおお……なんだこの建物……!」
街の一角、運河沿いにそびえ立つその建築物を前に、思わず声が漏れた。
荘厳な石造りに、ステンドグラスのような魔導ガラスが埋め込まれ、尖塔には風見鶏ならぬ“魔導風計”がくるくる回っている。
外見はまるで、ヨーロッパの古城か高級修道院……と見せかけて、玄関の脇には「一泊朝食付き金貨5枚!」みたいな看板が出てる。
うん、やっぱり──見た目は中世風、でも中身はビジネスホテル。
この融合感、嫌いじゃない。いやむしろ大好き。
「どうしたの、アルドくん?」
「いや……うん、すごいなって。外観が魔法使いの館なのに、中身が“快活ルーム”にいるかのような安定感……!」
「かいかつ……?」
「いや、なんでもない……こっちの話」
ブリジットちゃんは首をかしげつつも、楽しそうにくすくす笑ってる。
俺はそんな彼女を見ながら、この街の文化に、ある種の“違和感”も覚えていた。
ここ、ルセリアって街は、すごく発展してる。
建築、設備、商業……どれも洗練されてて、イメージしてた異世界とは思えないほど合理的だ。
だけど――なぜか、どこか“継ぎ接ぎ”っぽい。
"どんな歴史を歩んできたらこういう文化が育つのか"というイメージが全く湧かないんだよね。
まるで、どこか別の文明から部分的にパク……いや、輸入したような感じというか……
(……やっぱり、この世界って“混ざってる”んだよな)
そんな考えが頭をよぎるけど、深く掘るのはまた後にしよう。
今はホテルだ、宿だ、風呂とベッドと寝落ちの夢空間だ!
玄関をくぐると、そこは──
やたらツルピカな床に、すべすべ光る受付カウンター。
横には軽食コーナーと“夜鳴きリャーメン無料”みたいな張り紙もある。マジでどこかのチェーンホテルじゃん……!好きだけど!
「いらっしゃいませー。チェックインですね?」
受付に立つのは、耳が三角のウサミミ種のお姉さん。制服がやたらシャープで、謎の“企業感”を放っている。
「はい、ノエリアのブリジットと申します。予約はしていないのですが、今晩と明日、二泊でお願いします!」
「かしこまりました。……こちらにご記入をお願いします」
ブリジットちゃんがすらすらと魔導端末に指を走らせる姿、なんか普通に“できる女感”あるよね。流石、貴族のお嬢様って事か。
「えっと、お部屋は二つ。シングルで、できれば隣り合ってる部屋があると嬉しいんですけど……」
「はい、ただいま確認いたしますね〜……あ、ちょうど最上階に角部屋が二部屋、空いております」
「おぉっ、助かります!」
「では、こちらのルームキーをお持ちください。階段しかありませんが、大丈夫ですか?」
「問題ありませんっ!」
うん、俺も大丈夫。今の俺の脚力なら、6階くらい息も切れない。
前世の俺だったら、2階で死んでたかもしれないけどな……(運動不足×メガネ×肩こり=不健康三冠王)。
「よし、それじゃあアルドくんはこっちの部屋ね!隣があたしとフレキくんの部屋だから!」
「了解です。というか、俺一人で一部屋って、逆に恐縮なんだけど……」
「いいのいいの!たまには一人でのんびり過ごしてもらおうと思って!」
「……お、おお……じゃあ、ありがたく……!」
俺の荷物は全部マジックバッグに入れてあるし、部屋に何か置く物も無いんだけど、とりあえずルームキーだけ握りしめる。
ブリジットちゃんは、当然のように“片手にフレキ”状態で歩いている。少年ア◯ベみたいな感じ。
そういえばあのもふもふ、移動中は完全に抱っこスタイルだ。愛されフェンリルか。
受付から階段へ向かう道中、俺はふと空を見上げた。
ガラス窓の向こうには、街の明かりに霞んだ、星空が浮かんでいた。
(……この街の夜、なんか、いいな)
ちょっとだけ鼻先をくすぐるような魔導花の香りと、どこかから聞こえる街頭演奏の音色が、心地よく耳に残る。
「さーて、階段上るぞーっ!」
「おー……!」
6階までの階段チャレンジ。
いよいよ、冒険者アルドの本領発揮である。
……まあ、階段は地味だったけどな。
でも、なんだろう。こういう“ちょっとした現代要素”が混ざってる異世界って、やっぱ面白い。
というわけで、俺は鍵をカチャリと差し込み、部屋のドアを開けた。
「うわ、マジでビジネスホテルやん……」
シンプルな木製のベッドに、机と椅子、壁掛けの小さな魔導ランプ。
大きな違いと言えば、テレビが無いくらいかな。
窓の外には、夜の運河ときらめく魔導街灯。
この世界にしてはコンパクトで機能的、だけどどこか温かい……うん、いい部屋だ。
◇◆◇
ホテルの扉を開けると、夜の風がふわりと頬を撫でた。
すっかり日が落ちたルセリアの街は、昼間とはまるで別の顔をしていた。
石畳の道には魔導ランタンの灯がぽつぽつと並び、柔らかな琥珀色の光が路面を照らしている。
建物の壁には蔦が絡み、ランタンの明かりが窓枠の影を細く落としていた。
空を見上げると、まんまるの月が雲間から覗いている。でかい。でかすぐる。落ちてきそう。
地球の満月の二回りはあるように見える。
けど、不思議と怖さはなくて、むしろどこか幻想的で心が落ち着く。
この世界の夜って、やたらロマンチックなんだよな。
「この先の川沿いにあるレストラン、すごくおすすめなんだ〜!」
先を歩くブリジットちゃんが、嬉しそうにくるりと振り返った。
月明かりが彼女の金の髪をきらきらと照らして、思わず見とれそうになる。
その横で、フレキくんが足取り軽く、舌を出してハッハッと息を弾ませていた。
しっぽは右へ左へと全力でスイング中。完全にお散歩テンションのワンちゃん状態である。
「すごい!すごいです!ボク、こんな街中を夜にお出かけなんて初めてでっ!」
「ふふ、フレキくん、楽しそうだね~」
そんな会話を聞きながら、俺も周囲を見回す。視界に映る街並みは、どこかヨーロッパの古都を思わせるような石造りの建物が並び、赤茶の瓦屋根が月明かりの下で静かに輝いていた。
かと思えば、遠くの繁華街にはネオンっぽい光が見えたりもする。
……まあ、前世では実際にヨーロッパ行ったことはないんだけどね。
映画とか写真で見た“それっぽさ”を脳内で再構成してるだけ。でも、雰囲気は間違いなく“それ”だった。
ブリジットちゃんの足取りに従い、川の方へと歩いていくと、視界がぱっと開けた。
「……おお……」
思わず、声が漏れる。
そこには、広々とした川沿いのテラスが広がっていた。
ゆるやかなアーチ橋が対岸へと続き、橋の欄干には小さな光の球が等間隔に灯っている。
川面には建物の灯りと月光が揺れ、風に乗って運ばれてくるのは、花と炭火と香辛料が入り混じった、どこか懐かしい香り。
テラスには木製のテーブルとチェアがずらりと並び、それぞれの席には温かな炎を灯す小さな松明が立っていた。
足元にはペット用の水皿があり、ドッグスタンドの魔法陣まで完備されている徹底ぶり。
その光景を見た瞬間、俺の口からぽろりと出たのは──
「うわ……なんだここ……ファンタジーテーマパークレストランかな?」
ブリジットちゃんが、ふふっと笑った。
「へへっ、すごいでしょ? ルセリアでも人気のレストランなんだよ〜! 使い魔や従魔と一緒にごはん食べられるから、冒険者にも大人気なんだって!」
「すげぇ……」
感嘆の声が自然と漏れる。
ここが異世界ってこと、いまだけは完全に忘れそうだ。
予約してあったのか、案内されたのは川に面した特等席。
テーブルの上には布ナプキンと木製のメニューが整然と並べられ、近くの松明が小さくパチパチと音を立てていた。
椅子に腰を下ろした瞬間、ふと胸の奥がくすぐったくなった。
……すげえ。デートスポットじゃんここ。
前世では、こんなインスタ映えしそうな店とは縁遠かったからなぁ。そもそも長い事女性とのお付き合いも無かったし。
……ごめん、うそ。
女の子と付き合った事、無いです。
真祖竜、見栄張っちゃった。
でも、今隣にいるのは、天使の笑顔で「はい、これメニュー!」って渡してくれるブリジットちゃんで。
「……ほんと、いい旅だな」って、心から思えた。
しばらくすると、香ばしい匂いとともに、俺たちの注文した料理が運ばれてきた。
炭火の上でじっくり焼かれた串肉が、ジュウッと音を立てながら皿に置かれる。
野菜には甘辛い香草ソースがたっぷりと絡み、チーズをとろけさせた穀物パンは湯気を立てている。
色鮮やかで、見た目にも食欲をそそる盛り付けだ。
そんなテーブルの下で、ひときわテンション高く小刻みに跳ねてるのが、我らがフェンリル族の元王様、フレキくんだった。
「やったぁ! ボクもみんなと同じごはんだ〜っ!」
尻尾を高速で振りながら、金縁の魔導製ドッグボウルを前に、期待に満ちた目でじっと料理を見つめている。
自分も俺達と同じメニューなのが嬉しいのか、舌をちょろりと出して、鼻先をくいっとテーブルのほうに傾けていた。
耳がぴん、と立っていて……うん、めちゃくちゃわかりやすい「ワクワク」モードだ。
俺は、そんなフレキの様子を見ながら、まずは串肉に手を伸ばした。
香りがすごい。スパイスの香ばしさと、どこか柑橘に似た爽やかな香り。
それに、炭火の焦げ目の匂いが混ざって、嗅覚が一気に刺激される。
「おお……この香り……」
かじりついた瞬間、じゅわっと肉汁があふれた。
スパイスがしっかり染み込んでいて、それでいてハーブの香りがふわっと鼻を抜ける。
辛すぎないけど、刺激的で奥行きのある味。
「……タイ料理寄りか?でも、ハーブの種類が……いや、なんか未知の植物入ってるなこれ……」
ひとくちごとに、異世界の味覚を噛みしめる。
しっかりとした個性があって、なのに馴染みのある“うまさ”がある。
それがなんだか、ちょっと嬉しかった。
「うんうん、やっぱりここのお肉は美味しい〜!」
向かい側で、ブリジットちゃんが串を片手に目を輝かせている。
口の端にソースを少しだけつけたまま、頬をふくらませてモグモグ。無邪気に、嬉しそうに、もぐもぐ。
「……あたし、小さい頃ここに来てさ、すごく感動したんだ〜」
その言葉に、箸――じゃなくてフォークを持つ手が、ふと止まる。
(……小さい頃。ってことは、ご両親と……かな)
聞きたい気持ちが、喉元までせり上がってきたけど、結局言葉にはしなかった。
ブリジットちゃんの横顔が、あまりにも楽しそうだったから。
だから、その笑顔をただ静かに、目に焼き付けた。
……それで、十分だった。
「うん! やっぱり美味しい! ……でもね、アルドくんの料理には、ちょっと勝てないかも〜!」
「……えっ?」
不意打ちの言葉に顔を上げると、ブリジットちゃんが俺のほうを見て、いたずらっぽく目を細めていた。
「この前食べたスープとか、オムレツとか……あたし、ほんとに好きなんだよ? フェンリル族の皆も、みーんな“また食べたい!”って言ってたし!」
「……ブリジットちゃん……」
たぶん、それは何気ない会話だったんだと思う。
本当に、ただの褒め言葉。お礼の気持ち。
でも、その声の奥に、ほんのひと雫だけ――寂しさのような、哀しさのような、うっすらした何かが混じっている気がした。
ブリジットちゃんの笑顔は優しかったけれど、その奥にある過去の記憶までは、完全には隠しきれていないようで。
俺はゆっくりと、手の中のフォークを置いて、彼女を見つめ返した。
「……じゃあ、帰ったらもっと美味しい料理を作るよ」
そっと笑って、言葉を続ける。
「ここの味も、“超えた”って言わせてみせるからさ」
一瞬、ブリジットちゃんの瞳が丸くなって――
次の瞬間、ふわりと花が咲くように笑った。
「えへへっ、楽しみにしてるっ!」
俺も、つられるように笑った。
夜風が、ほんの少しだけあたたかくなったような気がした。
松明の炎が、川面にきらきらと反射している。
気づけば、フレキくんも夢中で食べていて、「ふんぐ、うまっ、うまっ」って犬とは思えない声で感想を漏らしていた。
異世界の夜、異世界の味、そして――この仲間たちと囲む食卓。
俺は、スプーンを握り直して、次の一口を口に運んだ。
それはきっと、今の俺の中で、最高の味だった。
◇◆◇
……そのとき、不意に胸をよぎったのは、家に残してきた黒ギャルなあの子のことだった。
(……リュナちゃんにも、見せてあげたかったな。この景色)
テーブルの上でゆらめく松明の炎。川面に揺れる光の筋。街の喧騒も届かない、静かで穏やかな空間。
(この料理も、一緒に食べさせてあげたかった)
口に広がる異国の味。香ばしさと甘味、ハーブの香りに満ちたひと皿ひと皿。
きっと、あの子なら目を輝かせて「凄いっすね!ここ!」って声を上げただろうな、と。
そんなことを考えていると、隣にいたブリジットちゃんが、ぱちんと軽く手を合わせながら言った。
「……ね! 今度来るときは、リュナちゃんも一緒に来ようね!」
目が合った瞬間、彼女の瞳が、月明かりに照らされてきらりと光った。
「皆で来たら、きっともっと楽しいよっ!」
その言葉に、思わず力強くうなずいていた。
「……うん! 俺も、ちょうど同じこと考えてたよ」
自然と、笑みがこぼれる。
……そうだ。俺たちはもう一人じゃないんだ。
この異世界で出会った仲間たちと、こうしてまた思い出を重ねていける。
「グェルくんやマナガルムさんも来れたら、フレキくんも喜ぶよねっ!」
「ボク、めっちゃ喜びますっ!」
テーブルの下から、フレキくんがぴょこんと顔を出して、ぶんぶんと尻尾を振る。
もう、何だろう……あざといレベルで可愛い。
小さいだけでこんな可愛くなるもんかね!
けど、そんな微笑ましいやり取りに、ふと現実的な疑問がよぎる。
「でもさ……5メートル級の犬……いや、フェンリルがこの店に来たら、さすがに周囲の客もビビらない? マナガルムさんに至っては、もっとデカいでしょ。」
「そういえば……グェル、ボクの“縮小”スキルを羨ましがってたんです!」
「えっ、縮小スキルって……グェルくんが?」
「はいっ! なんか、リュナさんの膝に乗せてもらいたいとか、抱いて寝てもらいたいとか……そういう夢があるらしくて!」
「…………おいおいおい……」
言葉に詰まって、俺は思わず頭を抱えた。
グェルくん、まさかそんな邪な理由でスキル修行してたのかよ。
いや、気持ちは分からなくも無くも無くも無いけどさ。(※分かる)
というか、たぶん縮んでもリュナちゃんは抱いて寝てくれないと思うぞ。踏まれるだけだよ、恐らく。
それはそれで喜びそうだけど。
心の中でそっとツッコミを入れながら、俺はふと、空を仰いだ。
夜空は、静かに、優しく広がっていた。
月が大きく、白く輝いている。星々は瞬きながら、異世界という舞台をそっと照らしていた。
その光景を見ていると、胸の奥がじんわりとあたたかくなっていく。
(……カクカクハウスの皆、元気にしてるかな)
リュナちゃん、グェルくん、マナガルムさん、それに他のフェンリル族の皆も含めて。
あの場所は、もう俺の“家”なんだなって、自然と思える。
(帰るのは明後日になりそうだけど……お土産、いっぱい買って帰るからね)
心の中で、そっと約束する。
ほんのひと時の旅の間にも。
この異世界での出来事は、確かに――
俺の中に、“大切な思い出”として、深く深く、刻まれていく。