第41話 恋する異世界、ラテの香り
《恋するカフェラテメモリー》
著:押舞ヒカル
【あらすじ】
ある日突然、異世界に転移したオレ、
雁上ヒナタは高校2年生!
魔法は使えない、戦えもしない!
でもオレには、じいちゃん仕込みのとびきりの
「笑顔」と「コーヒー」がある!
この味と真心で、この世界を変えていく事になるなんて!?
舞台は魔導喫茶『カフェ・ラテリア』。
そこで出会う様々な美少女達は、魔王の娘に、王女に、傭兵ギルドの紅一点まで!?
クセつよヒロインたちとのドタバタバイトラブコメ、ここに開幕!
俺の異世界生活、どうなっちゃうの!?
——To Be Continued.
─────────────────────
「……はっ」
ページをめくる手が止まった。
視界に広がっていたのは、柔らかくトーンで描かれたコマの数々ではなく、現実世界の、木の棚と紙の匂いの漂う本屋の空間だった。
俺は目をしばたかせ、まばたきを何度か繰り返した。
(……な、なんだ今の没入感。あぶなかった……現実世界に帰ってこれないところだった)
『恋するカフェラテメモリー』──この本、すごい。
設定や導入はベタと言っていい。
だけど、漫画としての完成度が圧倒的だ。
絵が上手いとか、ヒロインが可愛いとか、そういうレベルじゃない。
“魂”が、こもってる。
それが読者である俺に、ダイレクトに伝わってきた。
しかも、物語の導入で、現代日本っぽい世界から“異世界”に召喚されたって設定──
(押舞ヒカル……この作者、絶対ただ者じゃない)
そもそも、この異世界に漫画って文化が存在すること自体が驚きだが、
内容的にも「異世界転移モノ」で、キャラ名やノリもまんま“あっちの世界”のラブコメそのものだ。
(……この作者、現代日本人じゃないのか……?)
俺はそんな疑念を深めながら、またページをめくろうと――
「あっ」
ブリジットちゃんの存在を、ふと思い出した。
(やば……! 俺、10分以上立ち読みしてた!?)
急いで顔を上げると、さっきまでの棚の反対側に──
彼女はいた。
静かに立っていた。
ちょっと離れた場所から、こちらを見つめていたブリジットちゃんは──
にこにこと、柔らかく、あたたかく――笑っていた。
(……あ)
その笑顔を見た瞬間、何かが胸の奥でとろける音がした気がした。
「ご、ごめんね!? ちょっと夢中になっちゃって……!」
俺は慌てて本を戻そうとしたけど、ブリジットちゃんはふるふると首を横に振った。
「ぜーんぜん大丈夫だよっ!」
そう言って、ふわっと歩み寄ってくる。
「アルドくんが楽しそうにしてるの、あたし見てて嬉しかったんだ〜!」
「……えっ?」
「だって、いつもアルドくんって、あたしのこととか、リュナちゃんのこととか……いっつも気を遣ってくれてばっかりでしょ?」
「だから、こうやって“自分のため”に何か夢中になってる姿、初めて見たかもって思って!」
(……それ、そんなこと言われたら……)
「も、もしかして……見られてた?」
「えへへ、最初から全部!」
頬を赤らめながら、ブリジットちゃんはちょっとだけ照れたように笑った。
「アルドくん、ページめくる時の顔、すっごく真剣でね……でも次のページ見た瞬間、目がキラッって光ってたんだよ!」
「……なんか、すごい恥ずかしくなってきた」
「えー!?そんなことないよ! あたし、すっごく可愛いって思ったのに!」
「可愛いって……俺が!?」
「うん、うん! ほんとだよ〜!」
(……やっぱ天使か)
思わず視線を逸らすと、ブリジットちゃんはふふっと微笑んだ。
でも──本当に、楽しかった。いや、今も楽しい。
久しぶりに“物語を読む”って体験をした気がした。
ああもう……欲しい。普通に、この漫画、全巻欲しい。
でも──
(……あ、俺、一文無しだった……!)
うっかりしてた。そういえばこの世界の通貨持ってないし、金銭面ではブリジットちゃんにずっと世話になりっぱなしなんだよな……。
……でも、でも、でも!!!
この表紙の笑顔……この、カフェラテの香りが漂ってきそうな世界観……!
(欲しい……!……でも言えない……!)
俺はしばらく唸った後、勇気を出して訊ねてみた。
「あの……ブリジットちゃん……。非常に申し上げにくいんだけど……」
「?」
「俺、この本、めっちゃ欲しくてさ……。もし、良かったらでいいんだけど……その……お金貸してもらえたり……するかな?」
ブリジットちゃんは、ぽかんと一瞬だけ目を丸くしたあと、ふわっと花が咲いたように笑った。
「いいよ!」
そして、俺の言葉を待つ間もなく、棚の前に歩いていき──
「店員さーん!これ、全巻ください!」
「ファッ!?」
俺の叫びが店内に木霊する。
「ちょ、ちょっと待って!? 全巻って、これ24巻あるよ!? 大人買い!?」
「うんっ! アルドくんが何かを“欲しい”って言ったの、初めてだもん!あたしがプレゼントしたかったの!」
えっ、えっ、マジで天使なの!? さっきのは幻聴じゃなくて現実!?
すぐに店員さんがカゴを持ってきて、『恋するカフェラテメモリー』をどんどん入れていく。
「……」
俺はただ、レジカウンターでお会計をしているブリジットちゃんの後ろ姿を見つめていた。
その横顔は、とても優しくて、誇らしげだった。
あたかも、誰かに“恩返し”ができたような……そんな笑顔だった。
紙袋にずっしりと詰まった24冊分の漫画を両手で抱えながら、俺はなんともいえない幸福感に包まれていた。
(ありがとう、ブリジットちゃん……。俺、この漫画、一生大事にする……!)
その時、レジにいた耳の尖ったエルフの店員さんが、袋詰めしながらぽつりと呟いた。
「……お客さん、変わってるね」
「えっ、そ、そうですか?」
「それ、絵本コーナーの在庫なんだけど……“読み方が分からない”って苦情が多くて、あんまり売れてないんだよ」
「……まさか、これって……」
(漫画文化自体、この世界に定着してないのか!?)
「この漫画って、どこかの雑誌に連載されてたんですか?」
自然と口が動いていた。店員さんは、不思議そうに首をかしげる。
「雑誌? ……ああ、違うよ。これ、作者の“押舞ヒカル”って人が、全部自費出版で出してるんだって」
「……じ、自費出版で、これを……?」
自費出版ってあれでしょ?
同人誌とか出す時の。
「しかもね? これ、一年で24巻全部出したんだよ。ほぼ2週間に1冊ペース。マジで意味わかんない」
「岸部◯伴かな!?」
思わず声に出してしまい、ブリジットちゃんが「えへへ、アルドくん、なんかテンション上がってるね〜」と笑う。
でも、だって、だってさ。
これ、ちゃんと1冊180ページくらいあるよ?
つまり、前世で俺が読んでた漫画の単行本と、
ほぼ同じくらいのボリュームって訳だ。
確か、週刊誌に連載してる漫画のコミックス刊行ペースは3ヶ月に1冊だったはず。
……え?……って事は、押舞ヒカル先生は、週刊連載の約6倍のペースで漫画描いてるって事?
ほぼ毎日1話描いてる計算になるんだけど。
しかも、それを自費出版で出してる?
あんま売れてないのに?
あたおかじゃん。完全に。
いい意味で!いい意味でね!
(こんなの、絶対ただの一般人じゃない。漫画家だとしても異常な量産スピード。画力も構成力もヤバい。そして、日本文化の影響モロ出し)
(つまり……押舞ヒカルって人は……)
「……俺と同じ、“どこかの世界から来た人”の可能性が高いってことか……!」
カフェラテの香りがしそうな紙袋をぎゅっと抱きしめながら、俺は胸の中の好奇心が、また一つ爆発する音を聞いた。
もし、本当にこの作者が異世界からの来訪者なら、いずれ会ってみたいね。
あたおかではあるけど。
サインとか、もらいたいしね。
◇◆◇
こうして俺は、ブリジットちゃんから手渡された紙袋を、まるで“聖なる宝具”のごとく抱きかかえていた。
『恋するカフェラテメモリー』全24巻。
ラブコメ成分と甘酸っぱい青春が詰まった、異世界に咲いた奇跡の自費出版作品。
まさか転生先で、こんな出会いがあるなんて思わなかった。
……いやほんと、ブリジットちゃん、女神じゃない?
「アルドくん、荷物重くない?リュックに入れようか?」
「だ、大丈夫……!むしろこの紙袋はこのまま運びたい……!表紙が擦れるのが怖い……!」
「ふふっ、オタクの魂、ってやつだね〜!」
ブリジットちゃんが笑う。その笑顔がもう、天使というか、慈母というか、聖なる優しさというか……。
(あれ?俺、死んだっけ?天国かなここ?)
そんなふわふわした気分のまま、俺たちは街の北側へと足を向けた。
そして、現れたのが――
「……おおおおおおおおお!?な、なんだこの……建造物は!?」
「うふふっ、びっくりした?ここがルセリア行政複合塔、通称“螺旋モール”だよ!」
俺の視線の先にそびえ立つのは、高さ100メートル以上はあろうかという、巨大な螺旋構造の塔だった。
まるで、山の上に丸ごとでっかいデパートを建てて、そのままらせん状にぐるぐるとスロープで巻いたような、そんな建築物。
ファンタジーの皮を被った、完全に近代建造物じゃないかコレ!
「すご……。まさか、異世界で“都市型ダンジョン”みたいな建物に出会うとは……!」
「入口はこっちだよー!」
ブリジットちゃんに手を引かれて中に入ると、そこはもう別世界だった。
柔らかな光を放つ魔導照明が天井を照らし、壁面にはエルフが設計したかのような優美な文様が刻まれている。
螺旋の通路は想像以上に幅が広く、壁面側にはファンタジーと近代が融合したような店舗がびっしりと並んでいた。
武器屋、魔導道具専門店、占いの館、獣人の美容室、さらには『夜空カフェ・星見処』みたいなロマンティックネームの喫茶店まで。
(え?マジでここディズ○ーランドじゃない!?)
「中央の柱の中にはね、有料だけど“魔導リフト”っていうエレベーターが通ってるんだよー!」
と、指さす先にあったのは──
中央にそびえる水晶柱に包まれた“昇降装置”。
中には魔法陣が浮かび、スーッと人を吸い上げていくような、まさにSFと魔法の融合。
だが、入口に貼られた看板に目をやると、こう書いてあった。
『1回:金貨2枚』
「たっか!?」
「うん、だから歩いていくね!」
「即決!」
ということで、俺たちはらせんスロープを地道に歩いて上がっていくことにした。
これは……めちゃくちゃワクワクする作りではあるんだけど、構造的に現代日本では再現不可能だろうなぁ。
要するに建物内がずーっとなだらかな坂道になってるから、お年寄りにはきつい!と思う!
異世界の人達って、やっぱり足腰がしっかりしてるんだろうね。
螺旋状の広い通路を進みながら、店を覗いたり、道端の大道芸に足を止めたりと、観光気分は最高潮。
ブリジットちゃんも楽しそうにあちこちに反応していて、フレキくんは……というと。
「ボク、ペットフードコーナー発見しました!」
「ペットフードって……フレキくん、この前カレーをガツガツ食ってなかったっけ?今更ペットフードなんか食べて美味しいの?」
「大丈夫です!ペットフードにはペットフードの良さと言うものがあるんですよ!もちろん、アルドさんのカレーには遠く及びませんが!」
「えぇ……」
もはや犬かどうかも怪しい万能フェンリルにツッコミを入れつつ、俺は再び前を向いた。
道の途中で出会うのは、種族も文化も多様な人たち。
角のある少女が魔導式カメラで記念撮影してたり、魚人っぽい少年がジュース片手にくるくる踊ってたり、フレキくん(小型版)と同じくらい小さなドラゴンの子どもがぴょんぴょん跳ねてたり。
(……うわ、なんか、すげぇな)
異種族が、肩を並べて笑ってる。
ここでは、“違う”ことが当たり前で、みんな違ってみんないい。
それがちゃんと“街の風景”になってるって、すごく──
(……あったけぇな)
思わず、紙袋を抱きしめる手に力が入った。
俺がこの街に来て、たった数時間しか経ってないのに、もうこんなにも、気持ちが落ち着いている。
不思議な街だ、ルセリアって。
俺にとっての“はじまりの街”になるかもしれないな、って──ちょっと、思った。
◇◆◇
ルセリア行政複合塔、通称“螺旋モール”。
その上層階にある行政センターのフロアは、いわば“お役所”というより、“未来感満載の受付ラウンジ”だった。
壁は魔導式ガラスパネル。
受け付け窓口はクリスタルのような透明感で、カウンターの向こうには制服を着た係員たちが魔導端末をカタカタ操作している。
そんなキラキラ受付に、ブリジットちゃんが可愛くぺこりと頭を下げて、書類を差し出す。
俺とフレキくんは、そのあいだ待合スペースでお留守番だ。
さすがに「行政手続きも同行しようか?」なんて言うのは空気読めなさすぎるってもんである。
下手すりゃ手続きより質問攻めが始まりそうだし。
……しかしまあ、この待合スペース、見れば見るほどおかしい。
まず、入口に番号札の機械がある。で、皆が順番待ちの番号札を手にしてる。
その並び――
エルフ風の女性、ドワーフっぽい髭のおじさん、リザードマンのビジネスマン、獣人系女子(たぶん猫系)と来て、普通に“人種のサラダボウル”状態。
(うわ、すげぇ……)
なんか、民族大移動でも始まるの?ってくらいのバリエーション。
そして、壁にはポスターが。
『夏祝祭・大花火大会! 今宵、夜空に咲く魔導の華! 7/25』
……いや、完全に日本の夏祭りポスターのノリなんだけど。
しかも背景の構図、金魚すくいに浴衣のカップル。絶対参考資料に新宿の夏祭り使ったんじゃない?ってレベル。
「アルドさん……」
フレキくんがガジガジ噛んでる犬用ガムを咥えたまま、俺を見上げる。
「どうかしたんですか?驚いてるみたいでしたけど」
「……いや、何でもないよ。」
なんだろう、この“明らかに地球文化が混ざってる感”。
ま、考えても答えは出ないか。
それにしても、久々に座って落ち着けたのもあって、俺はつい、さっき買ってもらった漫画を1巻から読み返しはじめる。
ああ、コマ割りの流れが絶妙……ヒナタのツッコミが良いテンポで入る……ヒロインズが全員魅力的……
(……面白い。面白すぎる……!)
たぶん、フレキくんが隣でしっぽバシバシ床に当ててても気づかないくらい、没入してたと思う。
「アルドくん!」
ふと、ブリジットちゃんの声が聞こえてきた。
顔を上げると、書類をまとめたフォルダを抱えた彼女が、いつもの笑顔でこっちに向かってくるところだった。
「おつかれさま、手続きうまくいった?」
「うん、無事に提出できたよ〜!でも、今日はもう窓口の確認作業が終わっちゃってるみたいで、最終確認は明後日になるって!」
「あ……そっか、俺が寄り道しまくったせいで……ご、ごめんね!本屋とか見ちゃってて……!」
俺がしゅん、となりかけると、ブリジットちゃんはにっこり笑って言った。
「ううん!ぜーんぜん大丈夫っ!むしろ、アルドくんが“欲しいもの”を見つけてくれて、あたし、すっごく嬉しかったんだ〜!」
……もう、なにこの天使。
真祖竜も震える尊さ。俺の中の“感謝ゲージ”が限界突破しそうだよ!
「それでさ……」ブリジットちゃんがちょっとだけ照れくさそうに続ける。
「とりあえず2泊はこっちに泊まらなきゃ行けなくなっちゃったから───」
「ホテル、行こっか!」
「…………」
バァァ─────ン!!!
思わず膝から崩れ落ちる。
そんな俺の様子を見て、ブリジットちゃんとフレキくんの頭の上に『?』マークが浮かんでる。
その破壊力たるや、まさに“恋するカフェラテメモリー”を読んだ直後の俺に致命的な一撃。
他意が無いのは分かってる!分かってるんだよ!
俺も大人だからね!?
でも、この流れで“ホテル行こう”とか言われたら、それはもう、ねえ?
心の中のヒナタ(漫画主人公)が『それは誤解されるセリフーッ!!』って絶叫してるよ!!
……とはいえ、表情に出したら負けだ。俺は男だ。真祖竜だ。がんばれ俺!
「い、いきましょう……ホテル……!」
「よーし!じゃあ、歩いてすぐのとこに知ってる宿があるから、そこにしよっか!」
そう言って俺の腕を引くブリジットちゃん。
俺の脳内では、カフェラテ色の恋のBGMが流れ続けていた。
(落ち着け俺……これはラブコメじゃない……日常だ……!現実だ……!)
しかし、ほんの少しだけ。
本の紙袋を抱きしめながら、俺の心は踊っていた。