第40話 現れる異世界都市
フォルティア荒野の最果て、風にさらされた岩肌の丘の上。
俺たちはしばし立ち止まっていた。
……といっても、たぶん俺だけが“名残惜しさ”みたいな感情を引きずってた。
隣にいるブリジットちゃんはすでに次の一歩を踏み出していたし、フレキくんに至っては足元でしっぽをぶんぶん振っている。
だって、悠天環を降りてから、ずっとフォルティア荒野から出なかったから!
あそこが第二の故郷みたいな感覚になってるんだもの!俺にとっては!
耳が風になびくその小さな姿を見下ろしながら、俺はふとブリジットちゃんに尋ねた。
「このまま徒歩で進むの? 王国の街道まで、まだ結構距離あるんじゃない?」
すると、足元のフレキくんが誇らしげに胸を張った。
ミニチュアダックスフンドって構造上、胸張ってもあんまり変わんないんだけどね。
「安心してください!アルドさん、ブリジットさん!ここから先はボクにお任せを!」
「え? 任せるって、何を――」
次の瞬間、風がうなった。
小さなフレキくんの体が、みるみるうちに大きく膨れ上がっていく。
耳も足も胴体もそのままのバランスで、ただただスケールアップするように。
──そう、5メートル級の巨大ダックスフンドの完成である。
「お、おお……久々に見ると、やっぱデカいね。
フレキくんのノーマルフォーム……」
最近はずっと"縮小"スキルでミニチュアダックスフンドと化していただけに、久々に見るとなかなかパンチが効いている。
「ふふっ……大っきいフレキくんも、あたし好きだよ!」
ブリジットちゃんはあまり驚いた様子もなく、口元に柔らかな笑みを浮かべていた。
流石はノエリア領が誇る美少女領主。ヒロインとして百点満点の答えだね。可愛い。
「さあ、どうぞ! 背中に乗ってくださいっ! 今のボクは、“フェンリルの秘宝”でパワーが上がってるのが自分でも分かるんです!」
「以前みたいに、へばったりなんかしませんよ!」
自信満々に宣言するフレキくん。
「すごいよ、フレキくん!それじゃ、お願いしちゃおうかな!」
そう言って笑うブリジットちゃんに手を引かれながら、俺はフレキくんの背中にまたがる。
ふかふかの毛並みと、やたら安定感のある胴体。
なんだこの乗り心地。犬の背中ってレベルじゃないよ。
フォルムは相変わらず遊園地にある100円で動く動物の乗り物みたいな感じなのに、乗り心地は高級毛皮絨毯みたい!
「しゅっぱーつ!!」
「え、ちょ、まっ――」
フレキくんが足を蹴った。
次の瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。
世界が後ろへ流れ去る。
いや、流れるというより、一瞬で遠ざかっていく。
景色が背景化し、風が耳を切り裂く。
文字通りの“爆速”で俺たちは荒野を駆け抜けていた。
「これ、もはや走ってるんじゃなくて飛んでない!? フレキくん!?あ、安全運転でいこう!?」
「アルドくん、後ろに倒れないように気をつけて!」
ブリジットちゃんの声が風に乗って届く。
だけど、体を傾けようにも、すでに空気抵抗で張り付いてる。
気分はオープンカー形式の新幹線!これは怖い!
「……まさか、ミニチュアダックスフンドが最速移動手段になるとはね……」
そんな俺のぼやきも数分のうちに消えた。
いや、マジで。
ほんの数分で──視界の先に、舗装された街道と立て看板が見えてきた。
そこには、こう書かれていた。
──『ようこそ、エルディナ王国領へ』
◇◆◇
「……いや、すごかった……。俺の生え際、ちゃんと残ってる……?」
「大丈夫ですよ!アルドさん!」
フレキがくるりと一回転して再びミニチュアサイズに戻ると、俺たちは舗装された街道へと足を踏み入れた。
そして、俺は思った。
(……なんか、思ってた異世界と違うぞ?)
石畳の街道は、実に整っていた。たとえるなら、観光地のヨーロッパの田舎道。
いや、むしろ「ここ、本当に異世界?」ってレベルで、不自然なほど整備されすぎている。
しかも。
「あれ……なんだ?」
道端にぽつんと立つ、金属の柱。
いや、金属……にしては不思議な質感だな。
光沢があるけど魔力の粒子がふわふわしてて、ちょっと近未来的。
「あれは"転送魔導柱"だよ!」
「が…"転送魔導柱"……!?」
ブリジットちゃんの口から溢れる耳慣れない単語に、つい聞き返してしまう。
その柱が、突然、音を発した。
『警告:魔物反応、距離300メートル。討伐部隊転送開始準備』
「ええぇぇぇ!? 今のって、まさか“音声案内”!? しかも“転送”って……」
俺が口をあんぐりさせていると、数十メートル先の街道の地面に、円形の魔法陣が出現した。
その中心から、光の粒子に包まれた五人組の冒険者たちが出現。
「魔物発見。迎撃開始します!」
「危険なので、一般の方は街道から出ないようにお願いしまーす!」
冒険者っぽい格好をしたその一団が、滑らかに武器を構え、草むらへ突入していく。
その動き、無駄がなさすぎる。
何というか、仕事に慣れている感じ!
というか、もはや“警察官”とか“SWAT”みたいな雰囲気すらある。
(な、なんだこれ……。この世界って、もっと村人が“大変だー!”とか“ひいぃっ魔物だぁっ!”みたいな世界観なのかと思ってた……)
俺の異世界へのイメージが、どんどん崩れていく。
「あれは《《国家冒険者》》の人達だね!いつもご苦労様です!」
隣でブリジットちゃんがぺこりと頭を下げている。
「……国家、冒険者?」
「うん!国が直接雇い上げた冒険者の人達の事だよ!アルドくんの地元にはいなかったかな?」
「うーん……た、多分、いなかったんじゃないかなあ……」
そもそも、人間自体いなかったからね!
悠天環には!
「街道の整備も大分進んできたけど、まだまだ魔物の襲撃による事故も起きてるからね!そんな時は、国家冒険者の皆さんが魔物を追い払ってくれたりするんだよー!」
「へぇ〜……そんなシステムになってるのね!」
現代日本でいう公務員みたいな役割を、国が雇った冒険者に任せてるって感じなのかな。おもしろ!
思ってた異世界とは違う。けど──
(だからこそ、めっちゃワクワクする!)
そう思いながら、俺はふたたび街道の先へと視線を向けた。
この先に、まだまだ未知の“ズレた異世界”が待っている気がして、たまらなく胸が高鳴るのだった。
◇◆◇
街道を歩き始めて、どれくらい経っただろう。
空の色はまだ昼下がりで、風は頬を撫でるように優しく、空に浮かぶ雲はどこまでものんびりしていた。
鳥の声と、遠くで川を流れる水音。
まるで音の粒が丁寧に並べられたような、静かで平和な時間だった。
俺たちは並んで歩いていた。
舗装された街道の上を、俺とブリジットちゃん、そして足元をちょこちょこと歩くミニチュアサイズのフレキくん。
ふと、俺は横目にブリジットちゃんを見た。
彼女はほんのり頬を赤らめて、景色を眺めていた。
風に揺れる栗色の髪、柔らかく微笑むその顔は、なんだか“懐かしいもの”を見つけたみたいな表情だった。
だからこそ、俺は聞いてみたくなった。
「ねえ、ブリジットちゃん。……そういえば、実家って、この国なんだよね?」
「ん? うん、そうだよ!」
いつもの調子で明るく答えてくれる。でも、どこか──ほんの少しだけ、笑顔に力が入っているように見えた。
「王都に近いの? それとも……もうちょっと離れてるのかな?」
「あー……ううん、けっこう遠いかな。ノエリア家の本邸って、王都ルセリアから見ると南東の方にあってね。歩いたら何日もかかっちゃうよ〜」
「へぇ……そんなに遠いんだ」
俺がそう返すと、ブリジットちゃんはふっと表情を緩めた。
「うん。だから、今回は寄らなくていいかなって思ってるの。……あたしも急に帰ったら、びっくりさせちゃうだろうし」
その笑顔は、明るくて、優しくて──だけど、ほんの少しだけ“寂しさ”のにおいがした。
そうだ。彼女は、スキルが“毒無効”だったって理由で、家から開拓地に送り出されたんだった。まるで厄介払いみたいに。
どれだけ明るく振る舞っていても、その記憶は、心のどこかで痛みとして残っているに違いない。
「……そう、なんだ。ごめん、なんか……余計なこと聞いちゃったかも」
「えへへ、大丈夫だよ?アルドくんが聞いてくれて、なんか嬉しかったから!」
ブリジットちゃんはそう言って、にこっと笑った。
それがあまりに自然で、あまりに優しいから、俺は少しだけ救われたような気がした。
「──でもさ、ブリジットちゃん」
「ん?」
「ちゃんと“帰れる場所”があるって、それだけでちょっと羨ましいな」
思わず本音がこぼれていた。
だって、俺は……この世界のどこにも、“帰る家”なんてないから。
悠天環は生まれた場所ではあるけど、そこにいる真祖竜達は『家族』って感じじゃないからね。
懐かしさを感じる相手がいるとすれば、まあ、グルーシャくらいかな?
「……っ」
一瞬、ブリジットちゃんの目が見開かれた。でもすぐに、彼女は小さく、ぎゅっと俺の手を握った。
「じゃあさ、アルドくんの“居場所”、これからはあたしが一緒に作っていこっか!」
その言葉に、俺は一瞬返す言葉を失って、でもすぐに笑ってうなずいた。
「うん。頼りにしてるよ、ブリジットちゃん」
◇◆◇
陽が少し傾き始めた頃、遠くの地平線の先に、“それ”が見えてきた。
「おっ……見えてきたね、ルセリア!」
「うんっ!あれがエルディナ王国の中心――王都ルセリアだよ!」
ブリジットちゃんが指さした先には、巨大な街並みが広がっていた。
だが、それは俺の思い描いていた“異世界の王都”とは、まるで違っていた。
俺としては"円形の巨大な壁に囲まれた城塞都市"みたいなのを予想してたのよ。
異世界アニメのOPにバァ──ンと出てくるようなやつ。
しかし、そこにあったのは、まるで現代都市のように、田舎道からそのまま街へと“シームレスに繋がった”大都市だった。
境界は曖昧で、しかし整然としていて、美しかった。
石畳の街道が、そのまま真っすぐに街の中心部まで続いている。
両脇には、清潔感のある住宅街が広がり、花壇や噴水、魔導式の照明灯が並んでいた。
一つ一つの建物は、大きさこそカクカクハウスに比べて小ぶりではあるけど、『ファンタジー』と『近代建築』が入り混じったような、見た事の無いデザインだった。
「お、おお……なんだこの街、綺麗すぎない!? なにこの“エルフがデザインした新興住宅街”みたいな雰囲気……!」
「えへへ〜、ルセリアはね、最新の建築技術と魔法のハイブリッド都市なの!整備も景観もぜーんぶ、王立都市工房の人たちががんばってくれてるんだよ!」
確かに、それだけの手間とセンスが感じられる街並みだった。
さらに奥に目を向けると、街の北端に巨大な螺旋状の建物がそびえているのが見えた。
「……あれって、もしかして塔?」
「うん!正式名称は"ルセリア行政複合塔"!でも地元の人は“螺旋モール”って呼んでるよ!」
「モール……?」
ファンタジー世界のイ◯ンみたいな感じかな?
「中には役所も治療院もあるし、冒険者ギルドやカフェ、それに魔導道具の専門店も入ってるんだよ〜!あたし、子供の頃はよく最上階のレストランに行ってたなぁ……」
何それ、聞くだけでも凄いんだけど。
ブリジットちゃんが少し懐かしそうに目を細める。
そして、その視線の先── 街の中央に見える、小高く盛り上がった丘。そのてっぺんには、優美な尖塔の展望台が立っていた。
そこからなら、街を一望できるに違いない。
「やばい、俺、この街、超ワクワクする……!」
「でしょ!? アルドくんにも気に入ってもらえると思ってたんだ〜!」
そして、俺たちは街の入り口に足を踏み入れる。
王都ルセリア。異世界の中心地──だけど、どこか懐かしくて、どこよりも新しい場所。
俺の“冒険”は、まだまだこれからだ。
◇◆◇
ルセリアの街に入った途端、空気が一変した。
道端には色とりどりの布で飾られた屋台がずらりと並び、甘く香ばしい匂いが風に乗って漂ってくる。
木の笛や太鼓の音色が遠くから聞こえ、人々の笑い声と子どもたちのはしゃぎ声があちこちに響いていた。
まるで街全体が、色と音と匂いでできた万華鏡の中にいるみたいだ。
「わ、わ……なんかすごいぞこれ!? 本格的にお祭りしてるじゃん!」
「うん、うん、うん!ちょうど今、“夏祝祭”の時期なんだよ!街中が浮かれてて、こういう雰囲気大好き〜!」
ブリジットちゃんがぱぁっと笑う。
さっきまでの柔らかな微笑みとは違って、子どもみたいに瞳を輝かせている。
そんな姿に、思わずこっちも顔がほころんだ。
フレキくんも、ミニチュア姿のまま屋台を見上げては、しっぽをぶんぶん振っている。
「この香り……お団子ですか!?焼きトウモロコシ!?なんですかこれは!パラダイスじゃないですか!!」
「ちょ、フレキくん、落ち着いて!」
俺が慌てて制止するも、フレキくんはすでに視線をきょろきょろさせながら尻尾で地面をパシパシ打っていた。
ダックスフンド型フェンリルの食欲、恐るべし。
そんな賑やかさの中、ふと、ブリジットちゃんの足が止まった。
「……あ。そっか、もう、"夏祝祭"の時期なんだ……」
ぽつりと、ぽつりとこぼれた言葉。
視線はまっすぐ、少し先の屋台街へ向けられていた。
「この時期になるとね……いつも家族で、街に出て、お祭りを見に来てたの。お父様とお母様と、それから……」
言葉の続きを飲み込むようにして、彼女は笑った。けれど、その笑顔には、ほんの少しだけ色がなかった。
「久しぶりに見るなぁ、この光景。あたし、やっぱりルセリアのこの空気、好きなんだよね。明るくて、元気で、人がたくさんいて……全部、ちゃんと“生きてる”って感じがする」
「……うん。なんかわかるよ」
俺は静かにうなずいた。ブリジットちゃんのその言葉が、ただの“懐かしさ”だけじゃなくて、“置いてきてしまった過去”に触れるような、そんな音色だったから。
「……ちょっとだけ、歩いてもいいかな?」
「もちろん。一緒に行こう」
俺が言うと、ブリジットちゃんは「ありがとう!」と笑って、俺の腕を軽く引いた。
屋台の光が、彼女の横顔を照らす。
その笑顔は、どこか寂しげで、だけど──すごく、優しかった。
にぎやかな通りを抜けていくうちに、少しだけ静かな通りに出た。
人通りは減ったけど、そこにも数軒の店がぽつぽつと並んでいて、その中の一つ──年季の入った木造の小さな本屋が目に留まった。
「……うわ、レトロな本屋さんだ。」
入り口には風鈴が吊るされていて、風が吹くたびにちりんと音を立てている。扉のガラスには“営業中”と手描きの札がぶら下がっていた。
神保町にある古本屋さんを、ファンタジー風味を加えてリフォームした感じ。
「ねえ、ちょっと寄っていいかな?」
「もちろん!アルドくん、こういうお店好きそうだよね〜!」
俺は手をあげて返事し、ゆっくりと扉を開けた。
カラン、と小さな鈴の音が鳴る。
店の中は、木の香りと紙の匂いが混ざった、どこか懐かしい空間だった。
棚にはぎっしりと本が並び、分厚い魔法書や歴史書、地図集や冒険譚が整然と収まっている。
(……うわ、これ、テンション上がるやつだ)
ぐるりと見渡してから、俺は自然と“端っこの棚”に向かっていた。
どこの世界でも、隅っこってのは“ちょっと変わった本”が置いてある。
案の定、そこには売れ残りっぽい本や、背表紙が日焼けした雑誌、それに──
「……え?」
俺の手が、ふと止まった。
そこにあったのは、一冊の本。
カバーには──ファンタジー風の服装の、何人かの可愛らしい女の子達が笑顔でこちらを見ているイラスト。
背景にはハートマーク、そしてタイトルには……どう見ても日本語っぽい、ラブコメ漫画風のフォント。
しかも、下にはこう書いてあった。
『恋するカフェラテメモリー(第1巻)』
著:押舞ヒカル
「お、おしまい……ヒカル……?」
何だこの名前……。日本人……?
ていうか、この表紙……この画風……日本の漫画じゃないか、どう見ても!
「な、なんでこの世界に……漫画が……?」
俺の手の中で、ページの角がかさりと揺れた。
その瞬間、胸の奥がぐっと締め付けられたような感覚に襲われた。
思い出した。前世で、放課後の本屋で手に取ったラブコメ漫画のこと。
部室で友達と回し読みして、くだらない恋バナで盛り上がったこと──そういう、全部、もう取り戻せない日々。
けれど今、目の前に――確かに、ある。
「アルドくん? 見つけたの?」
後ろから声がした。振り返ると、ブリジットちゃんが小首をかしげて、棚の陰から俺を見つめていた。
「あっ……うん。ちょっと、面白い本を見つけてさ」
「えへへ、アルドくんが興味持つってことは……すっごく変な本なんだろうな〜?」
「……そ、それは、否定できないかも」
俺は照れ隠しに笑って、もう一度本の表紙を見つめた。
“押舞ヒカル”──
どこかで聞いたことのあるような、でも聞き慣れない名前。
───やっぱり、《《いるのか》》?
俺以外にも、《《あっちの世界》》から、この世界に来てしまった人間が。