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第31話 至高剣・ベルザリオン

この世に生まれ落ちた瞬間から、彼の魂は歪んでいた。


 


ベルザリオン——その名は、父母から与えられた最後の贈り物だった。


 


生まれつき肌は浅黒く、骨の形はどこか人間離れしていた。


通常の赤子が年月をかけて育つものを、彼はたった五年で——十五歳程度の肉体へと変貌させた。


 


「……気味が悪い」


「これは、人の子じゃない……!」


 


母の震える声。


父の冷えた視線。


 


理解していた。五歳の時には、もう人の感情くらいは読めていた。


だが、それでも。


 


(なぜ……? なぜ、こんなにも冷たい?)


 


抱きしめてほしかった。


手を取って、ただ「大丈夫」と言ってほしかった。


けれど、望みは果たされることなく——彼は、捨てられた。


 


人跡未踏の魔王領との境界地。


誰も近づかない、忌み地の崖のふもと。


 


「ここなら……“いなくなっても”誰にも迷惑はかからない」


 


そう言い残し、父と母は背を向けた。


背中に投げられた冷たい言葉は、ベルザリオンの心に深く深く突き刺さった。


 


(……じゃあ、俺はここで、死ねと?)


 


少年の瞳に、初めて“色”が灯った。


それは、悲しみではない。


怒りでもない。


 


——生きたい。


それだけだった。


 


世界がどれだけ拒もうとも。


自分が呪われていようとも。


この命が、最初から“不良品”だとしても。


 


——生きて、生き抜いて、見返してやる。


それこそが、彼が最初に抱いた"強欲"だった。




 ◇◆◇




魔王領は、弱者にとって優しい土地ではなかった。


 


空を飛ぶ魔鳥は人の骨を啄み、


地を這う毒蛇は目に見えぬ速度で首筋を裂いた。


 


少年ベルザリオンは、何度も死にかけた。


だが、そのたびに己の肉体を酷使し、わずかな魔力を燃やし、


必死で“今日”を凌いだ。


 


食べられる草、毒のある実、獣の縄張り、魔物の狩りの時間。


すべてを身体に刻み込むように覚えた。


 


そして、ある日。


 


砂に埋もれた古代の石碑の奥で——


彼は、“それ”と出会った。


 


錆びた祭壇。


黒き鞘。


そして、どこまでも冷たく、それでいてどこか懐かしい“視線”。


 


鞘に収められたまま、剣は彼を見ていた。


 


まるで、最初から彼のことを知っていたかのように。


 


「……お前も、俺と同じか」


 


ベルザリオンは、誰に語るでもなく呟いた。


呪われたこの世界で、拒まれ、壊れ、捨てられた存在。


その姿が、自分と重なった。


 


伸ばした指先が、柄に触れた。


その瞬間、剣が——震えた。


黒い刃が、微かに光を放ち。


長き時を超え、契約は交わされた。


 


——魔剣アポクリフィス。


 


それは、呪われし者としか共鳴し得ない剣。


 


“主”を見つけた刃は、狂おしいほどの力を持って、


今、再びこの世界に目を開いた。


 


「俺に力をくれるか?」


 


問いかける。


返答など、ない。


だが、少年の手には確かな“重み”があった。


 


それだけで、十分だった。


 


(やっと、俺にも“相棒”ができたんだ)


 


——あの日から、ベルザリオンの戦いが始まった。




「アレが“至高の剣”だと……!?」


「違う……あれは、剣などではない……“死”そのものだ……!」


 


戦場に響く悲鳴と恐怖の声。


 


黒き刃が空を切るたび、兵の鎧は割れ、槍は砕けた。


その男は、一騎当千の強者でありながら、


軍団のように戦場を蹂躙した。


 


「名を名乗れ、黒剣の騎士よ!」


 


敵将が叫ぶ。


だが、その言葉が届く前に——その首は、宙を舞っていた。


 


「……ベルザリオン」


 


呟くように、男は名乗った。


その声を覚えた兵たちは、戦場の記録にこう刻んだ。


 


“至高剣”ベルザリオン。


“呪われし至高の剣”アポクリフィスと共に戦場を駆ける、魔王の四天王候補。


 


生まれは不明、性格も不明、だが“殺す”という一点においては、


誰よりも忠実な“剣”として知られていた。


 


彼は、仲間も名声も求めていなかった。


欲しかったのは——


 


ただ、“生”だった。


 


(このまま戦い続ければ……)


(この命の呪いも、いつか打ち破れるかもしれない)


 


魔剣アポクリフィスは、今日も彼の手で震えていた。


 


呪われた剣と、呪われた男。


彼らはただ、生きるために刃を振るっていた。


 


——その“生”の先に、“希望”があると信じて。




 ◇◆◇




 かつてはら戦場を疾駆する姿から“至高の剣”と謳われたその男の影は、今ややつれた老兵のごとき様相を呈していた。



 ベルザリオン。年齢は、まだ二十。



 だが、その顔に刻まれた皺、痩せこけた頬、鈍く乾いた髪――その外見は、どう見ても五十路を越えていた。


 


 鏡に映る自分を、彼は見ないようにしていた。


 見るたびに、“死”が近づいてくる気がしてならなかったからだ。


 


「……時間が……ない」


 


 呟いた声は、自分自身にも届かぬほどかすかだった。


 


 “魂の呪い”。


 それがベルザリオンを苛む病の名だった。


 この世界に時折現れる、《《異なる世界》》から流れ着いた“歪な魂”。


 その影響で、彼の肉体は常人の数倍の速度で老いていく。


 成長が早い分、衰えも早い。ベルザリオンは、生まれた時点で“余命付き”の存在だったのだ。


 


 魔王軍の四天王という地位。


 魔剣アポクリフィスとの絆。


 血のにおいと共に重ねてきた武功と栄誉。


 


 だがそれら全てが、今や“恐怖”の前では霞んで見えた。


 


 死が来る。確実に。


 近い将来、自分は朽ち果てる。


 誰にも看取られず、土にも還らず、呪いの中で孤独に消えていく。


 


「まだ……まだ、死ねるものか……」


 


 ベルザリオンは拳を握った。


 指の節が浮き上がり、骨の軋む音が耳に届いた。


 


 アポクリフィスの鞘に手をかけたが――剣は、静かに眠っていた。


 この相棒もまた、呪いの身。


 共に在り、共に朽ちていく。


 


 死が怖いわけではない。生きている時間が足りないのだ。


 この身に染みついた呪いを、いつか解き明かすために――


 それが、彼の“生きる理由”であり、唯一の希望だった。




 その情報が耳に入ったのは、いつものように報告を受けていた作戦室でのことだった。


 


 「ベルザリオン様。フォルティア荒野北西、フェンリルの地にて、“秘宝”の存在が確認されたとの報が入りました」


 


 使い魔が差し出した羊皮紙の中には、ただ一言。


 《フェンリル族の秘宝 使用者の力を何倍にも引き出す》


 


 その言葉に、ベルザリオンの心臓が跳ねた。


 


 何倍にも――引き出す。


 


 つまり、弱き人間がそれを手にすれば、常人を凌駕する力を得る。


 ならば、自分のような、既に高い魔力を持つ者がそれを使えば――


 呪いを打ち破るほどの可能性すら、あるのではないか?


 


「……生きられるかもしれない……!」


 


 小さく吐いたその声に、血の通った熱が混じっていた。


 


 その夜、ベルザリオンは魔王の前に立った。


 魔王は、彼の願いを静かに聞き――


 そして、答えた。


 


 「それがお前の"欲"だと言うのならば。

 行け。フェンリルの地へ」


 「わらわめいの元、

 あがいてみせよ。」


 


 命を、許された。


 希望を、認められた。


 


 ──ならば、躊躇はない。


 


 ベルザリオンは立ち上がった。


 かつてのように、剣を手にして。


 今度は、誰かの命を奪うためではない。


 自分の命を、取り戻すために。


 


 「アポクリフィス。行くぞ」


 


 腰の剣が、かすかに光を返したように見えた。


 


 呪われた剣士は、ふたたび歩き出す。


 “希望”という名の地へ。


 それがどれほど滑稽で、愚かな願いだったとしても。


 たとえ、また誰かを傷付けるとしても。


 


 生きたい。


 


 その一念だけが、彼を動かしていた――。




────────────────────


カクカクハウス。


それは、荒野の片隅にぽつんと建つ、不思議な四角い家。



だが、今この家の中にいる男——ベルザリオンにとっては、それがどんな構造をしていようとどうでもよかった。



重要なのは一つ。


ここに、確かに“秘宝”の魔力の残滓があった。


いや、つい先ほどまで、強烈な魔力がこの家から発されていたのだ。



「……ここですか」



痩せこけた顔に影を落とし、彼はそっと扉を開けた。


油断のない足取りで中に入り、無言のまま奥へと進む。


室内に漂うのは、どこか香ばしく、濃厚で、それでいて……心が落ち着くような香り。



「……これは……?」



戸惑いを押し殺しながら、彼は台所へと向かった。

その瞬間、目の前に少年の後ろ姿があった。


銀髪の少年が、木のヘラを片手に鍋をかき混ぜながら、振り返りもせずにこりと笑った。



「おかえり〜。早かったね!」



その柔らかな声音に、一瞬ベルザリオンの動きが止まる。



(……何者だ? この少年……。)



その魔力は――あまりにも穏やかすぎて、まるで草原の風のようだ。


だが、何か……どこか奥底に、圧倒的なものが眠っているような気配も……。




「私は、鼻が利きましてね」



「ここにあるはずなのです。究極の品が……」




口を開いたのは、魔力で相手を威圧するため。


いつもなら、それだけで相手は凍りつく。


だが――この少年は、笑っていた。



「じゃあ、あっちの席に座っててください〜!すぐお出ししますから!」



ベルザリオンの目が見開く。


(……な……に?)


(今、私の魔力を……受けているのに……)


まるで空気のように、何事もなかったかのように流された。


それが“恐怖による錯乱”なのか、あるいは単なる“天然”なのかは分からない。


だがこの時、彼の胸に浮かんだのは、微かな罪悪感だった。



(……可哀想に。私の魔力に当てられ、頭がおかしくなってしまったか……)



一瞬だけ目を伏せ、静かにテーブルへと向かう。



(だが……私には時間がない。迷っている余裕などない)



(呪いを断ち切るには、秘宝を――)



その決意だけが、彼を席に縛りつけていた。


やがて、カチャリという音が室内に響く。


ベルザリオンが顔を上げた瞬間、香りが鼻をついた。


スパイスの芳香、肉の旨味、野菜の甘み。

それらが一つに溶け合った、濃厚かつ優しい香り。



「お待たせしました〜。特製、"究極のカレー"でございます!」



笑顔の少年が、誇らしげに“皿”を差し出した。


そこには、茶褐色の液体に包まれた飯と、彩りの良い付け合わせが載っていた。



ベルザリオンは一瞬、目を細めた。



(……これは、何だ?)



どう見ても、フェンリル族の秘宝ではない。


というより、明らかにこれは"料理"だ。



テーブルに置かれた料理を前に困惑するベルザリオンを、笑顔で見守る少年。



だが、ベルザリオンの脳裏に走ったのは、冷たい理解。


(……まさか……)


(この料理が……“誤魔化し”なのか?)


彼は、震える拳を膝の上で握りしめた。


(私を欺くつもりか? ふざけるな……!)




「“カレー”とは、一体何ですか?」




その言葉に、少年は一瞬だけ真顔になり、やがて……目を泳がせた。


(……悩んでいる?)


(……やはり、“本当の目的”は別にあるのか……)


(この男、何かを隠している……!)




「……このような、訳の分からぬ料理で私を誤魔化そうというのですか?」



「つまり、貴方は……私を、馬鹿にしているのですね?」




語調が低く、怒りがこもった声で、ベルザリオンは立ち上がった。


(私は……死にたくないのだ……)


(この魂の呪いから逃れる術を……命を懸けて探してきたのだ……)


(それを、この少年は……!!)




「秘宝はどこだ!!?」




ガシャン!!




怒りのままに、皿を払う。


熱々のカレーが宙を舞い、白米が散り、スプーンが空中で跳ねた――そのはずだった。



だが。



その瞬間。




──何かが、変わった。




目に見えぬ圧。


耳鳴りのような“無音”。


皮膚に粘りつくような魔力の波。


一瞬で終わった“何か”が、空間を圧迫して――


ベルザリオンの目の前に、“元通りの皿”が、音もなく戻っていた。



「…………え?」



理解が、追いつかない。


料理は無傷。

湯気すらも立っている。

先ほどまで皿に乗っていたカレーと、全く同じ形状、同じ配置。


──そして。


気づけば目の前には、少年。


その銀色の瞳が、まっすぐにこちらを射抜いていた。



至近距離。

ほとんど呼吸が触れる距離。




「……アンタ、何してくれてんの?」




声は、静かだった。


静かすぎて、逆に怖いくらいに。


その瞬間、ベルザリオンの背筋を、冷たい汗が濡らした――。

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