第30話 究極のカレー vs. 至高の剣
前回までのあらすじ。
黒ずくめのオジサンが、音もなくキッチンの中へ無断で入ってきたのだ。
──という訳で、急にニュッとキッチンまで入ってきちゃった、謎の黒ずくめオジサン。
前世の基準で考えるなら、間違いなく不審者にカテゴライズされる存在なので、本来なら即つまみ出すところなんだけど。
生憎、こっちの世界の常識が著しく欠如している俺は、一旦静観するしか無いのだ。
「──私は、鼻が効きましてね……」
オジサンは開口一番、そう言った。
口調は丁寧。でも、声の奥には“得体の知れない圧”が混ざってる。
(……ははあ、さてはこの人……)
俺の中で、ひとつの“確信”が走った。
(……めっちゃお腹空いてるんだな……?)
だってそうだろう。
あの激うまカレーの香りが、もう屋根を突き抜けて空に溶けてるんだ。
しかもこの辺には、ちゃんとした食堂なんて一軒もない。
つまり、この人は——
(空腹で荒野をさまよってるとき、俺特製カレーの香りに誘われて、この家に迷い込んじゃった……ってわけか!)
そう思ったら、なんか……可哀想になってきた。
「ここにあるはずなのです。究極の品が……」
そう言って、オジサンは俺の方をじっと見た。
その瞳の奥には、飢えたような渇望が宿っていた。
俺はというと、目の前の痩せた黒ずくめオジサンを見ながら、内心でふむふむと頷いていた。
(なるほどな……)
きっと彼は、こうだ。
飢えに耐え、荒野をさまよい、崖を登り、風を越え、──ようやく辿り着いたこのカクカクハウス。
そして、そこから漂ってきたのは、俺が今まさに仕込みを終えたばかりの“究極のカレー”。
その香りは、食欲を刺激するスパイスと、とろとろに煮込んだ骨付き肉の旨味。
そしてほんのり漂う、ブリジットちゃんのために調整した優しい甘口の気配。なんとなく、辛いの苦手そうだもんね!
(そりゃあ、この匂いに釣られて、勝手にドア開けて入って来ちゃうよな……)
誰だってそうなる。
俺だって、同じ立場なら入る。
空腹時にカレーの匂いは、もはや暴力だからね。
問題は、目の前のオジサンが思いのほか――
(……圧、強っよ)
視線が、ね。
目力がね。
お腹すいてる人にしてはやたらと迫力があるというか……。
いやいや、これはきっとアレだ。
空腹のあまり神経が研ぎ澄まされすぎてるタイプの冒険者。
おかゆを味わっただけで、塩が何粒入ってるかまで当てられそう。
(そういう人って、腹が減ってるときの方が強いっていうもんな……)
まさに今のこの人、そんな感じなんだよね。
あの鋭さ……目つき、身のこなし。
(旅の果てに、ようやく辿り着いた奇跡の異世界食堂──それがこのカクカクハウスってわけか)
……なんか、ちょっと感動してきた。
分かるよ。俺も前世では、繁忙期の外回り中、腹を空かせていつの間にやらココ◯番屋の香りに引き寄せられたものさ。
(分かるよ……その気持ち……!)
「はいっ!分かりました〜!」
俺は最高の笑顔で、彼の背後にあるテーブルを指差した。
「じゃあ、あっちの席に座ってお待ちくださいね〜!すぐお出ししますから!」
黒ローブのオジサンは、一瞬だけ固まったようだった。
けれど、何かを察したように、ゆっくりと無言で席に着いた。
……どこか、戸惑ったような顔で。
(ふふ……やっぱり空腹って、人格に影響するよね)
俺はそう思いながら、スプーンとフォークとナプキンを準備して、カレーの盛り付けに戻った。
そうそう、サラダも付けてあげないとね!カレーと一緒に食べるサラダって、何であんなうまいんだろうね。
ブリジットちゃんとリュナちゃん、本当は君達に一番に食べさせてあげたかったんだけど………ちょっとだけ、ごめんね。
このおじさん、きっと……人生でいちばん、腹を空かせてるんだと思うから。
(ふふふ……よし、温め直し完了)
(最高の状態で、俺のカレーを食べてもらうぞ――謎の空腹冒険者さん!)
——食いてぇヤツには食わせてやる。
俺はコックじゃないけど、それでいいじゃない!
◇◆◇
数分後。
カチャ、とお盆に乗せたカレー皿が、俺の手の中で軽く揺れる。
ふわぁっと立ちのぼる、複雑に絡み合ったスパイスの香り。
食欲と共に、魂すらも温めるような、究極の香り。
(はーぁ、一番に食べさせる相手は、ブリジットちゃんとリュナちゃんのつもりだったんだけど……まあ、いいか)
少しでも、このオジサンの“癒し”になれば。
俺はカウンターを回り、テーブルへと近づいた。
その男――黒ずくめのオジサンは、無言で、ずっと俺を見ていた。
笑顔で応える。
皿を、すっと差し出す。
「お待たせしました〜。特製、“究極のカレー”でございます」
俺の笑顔は、全開だった。
一方、彼は――
ピクリ、と眉を動かしたあと。
じっと、皿を見つめ――
「……“カレー”とは、一体何ですか?」
と、静かに尋ねてきた。
……えっ。何その海原◯山みたいな質問。
急に深そうな事言い出したぞ、この人。
腹を減らせた冒険者だと思ってたのに、
まさか、美食研究家の先生なのか!?
ぐ、っと拳を握る。
(とにかく……こうなったら、俺なりの、答えを出さねばならない……!)
だが、俺がどう言葉を探すかで悩んでいる、その刹那。
「──このような訳の分からぬ料理で、私を誤魔化そうというのですか……?」
「つまり、貴方は……私を、馬鹿にしているのですね?」
オジサンは、そう呟き。
テーブルの上で、ゆらりとオジサンの手が動く。
次の瞬間。
「秘宝はどこだ!!?」
ガシャアアンッ!!
カレー皿が――宙に浮いた。
(……は?)
そこまでだった。
俺の頭の中が、真っ白に染まる。
手が、勝手に動いた。
指先が── 引き金を引くように動いた。
──スキル“竜刻”発動。
世界が、静かに“止まる”。
いや、正確には“遅くなる”。
時の流れそのものが――沈んでいくような感覚。
“竜刻”。
それは、俺──真祖竜の血を引く者だけが持つ、
"固有スキル"のひとつ。
発動と同時に、周囲に俺の魔力が一気に放出される。
範囲内の魔力密度が限界近くまで上昇し、それによって――
時間そのものすら、遅滞する。
空間が軋み、すべてが極々スローモーションになる。
(ただし……)
このスキル、強すぎて危険すぎる。
魔力の少ない人間なんかが“竜刻”の中に長く晒されたら──
どうなるか分からない。
いや、分からなくていい。たぶん、ロクなことにはならない。
だから、俺は決めてる。
使用は、3〜5秒まで。
それ以上は、誰にも優しくない。
スローモーションの中で、カレーのルーが宙を泳ぐ。
ほかほかの白米が、花びらのように舞う。
ジャガイモも鶏肉も、スパイスの香りを残したまま、大気の中に踊っていた。
「……俺の……カレーが……」
俺は菜箸でそれらすべてを受け止め、
一切こぼすことなく、完璧に皿へと戻した。
そして、元の位置に皿を置いたあと、ゆっくりとテーブルを回り込み、静かに。
黒ずくめのオジサンの、目の前に立つ。
そして、"竜刻"を――解除。
──時間が、流れ出した。
彼が何かを言う前に、俺は、ただ一言。
最大限の"怒り"と"圧"を込めて。
「……アンタ、何してくれてんの?」
その言葉と同時に、オジサンの全身から、ブワァッと冷や汗が噴き出すのが見えた気がした――。