第3話 禁じられた宝庫(※入っても特に罰則無し)
真祖竜が住まう浮島・悠天環。
俺ことアルドラクスは、今日も散歩という名の暇つぶしに出かけていた。
真祖竜というのは"完璧な存在"だと言うのもあながち嘘ではないようで、何もしなくても勝手に身体は強くなっていくし、食事もしなくても空気中から"マナ"というものを取り込んで半永久的に活動可能らしい。
神様がパラメーター調整ミスった種族みたいな感じだ。何なの、この生き物。
そんな事を思いつつ、悠天環をノシノシと歩き回る。
「いや、もう……どこまでいっても山と雲と岩しか無いのよね。」
広い。とにかく広い。見晴らしが良すぎて、景色がずっと同じに見える。
歩けども飛べども誰にも会わず、声をかけても誰も答えない。孤独と静寂の完璧な共演である。
これがオープンワールドゲームの初期マップなら、ユーザーから三日三晩ネットで叩かれるレベル。クソマップが過ぎる。
そんな中、ふと、足元に刻まれた古い石碑を見つけた。
『この先、禁足の地——《星降りの宝庫》。真祖の名において、立ち入ることを禁ず』
文字は古文調の竜語。念話で変換して読めるのは、転生して以来の地味なスキルのひとつ。
「……宝庫?」
石碑の向こうには、巨大な岩山がぽっかりと口を開けていた。入り口は暗く、苔と霧が絡み合っている。いかにも神秘的で、いかにも「入るなオーラ」が漂っていた。
(おお、なんか……すごくそれっぽい)
竜族の価値観では、“こういう場所に近づく”こと自体がアウトらしい。なにせ、“夢見てはならぬ”が戒律に入ってるくらいだから、探検や冒険なんてのは不純そのもの。
でも。
「……誰もいないし、扉も封印も何も無い。」
あたりを見回す。警備なし。結界もなし。監視の気配もゼロ。何もない。
「“禁足地”って、書いてあるだけで特に何のセキュリティも無いんじゃないの、これ。」
声に出してしまった。
やばいかな、と思ったけど、特に雷も落ちてこなかった。
(……まあ、ちょっと覗くだけなら。うん)
なんて思考を繰り返しながら、俺は足を一歩、暗い岩の中へ踏み出した。
◇◆◇
中は、想像以上に広かった。
生まれて早十年。測ったわけじゃないが、俺の身体も全長3〜4メートル程の幼竜へと成長していた。
いぜ、湖に映った自分の姿を見た事があるが、流線型で、白いフサフサの毛が生えたボディ。翼の先に付いた鉤爪は、この世に切り裂けぬ物などない!と言わんばかりに輝きを放っている。
ポケ◯ンで言うと、レ◯ラムみたいな感じ。正直、俺はゼク◯ム派なのだが、この際贅沢は言うまい。我ながら、なかなかかっこいい。"伝説"感はある。
そんな俺の身体が楽々と通り抜けられるような広い通路。まあ、大人の真祖竜達が作った宝庫だろうし、当然ではあるが、とにかくちょっと感動するくらい大きな地下通路だ。
久々にちょっとテンション上がる。
岩肌の通路を抜けると、地下とは思えないほど巨大な空間が広がっていた。
天井には無数の光る鉱石が埋め込まれ、星のように輝いている。おそらく、自然光ではない。魔力で反応しているのだろう。
そして——そこにあったのは、財宝だった。
金銀財宝。宝剣や王冠。巨大なクリスタルの山。
ゲームで言えば、最終ダンジョンの奥にある宝物庫みたいな、夢のような空間。
(これ、全部竜たちが持ってきたのか……?)
思わず唸った。
だが俺の足は、光る宝の山ではなく、もっと地味な場所へと向かっていた。
部屋の片隅——埃のかぶった棚に、何冊もの分厚い本が積まれているのを見つけたのだ。
タイトルは、どれも"人間語"。
《基礎魔導理論》
《星環暦の歴史》
《多属性魔法式の変遷とその分岐》
《人類の神話・伝承集》
「……おおお!十年ぶりの"本"!!」
鉤爪で傷つけないよう注意しながら、表紙をそっとなぞる。ざらついた革の感触と、微かに残るインクの匂い。
なんだろう。すごく懐かしい感じがした。
気づけば、俺は棚の前に座り込み、一冊の魔導書を開いていた。
(……読める)
前世の知識と、竜の身体に刻まれた魔力感知能力が合わさって、情報がすっと頭に入ってくる。
「魔力は意志と共鳴し、現象を生む」
「魔法陣とは、情報とエネルギーの結びつきである」
文章を追いながら、脳のどこかがビリビリと刺激される。
「……面白い。すごいな、これ」
どんどん読み進めていくうちに、俺は気づいた。
この知識、竜社会では完全に封じられてる。
というか、誰も見向きすらしていない。
人間の知恵と努力が詰まったこの書物の数々を、ここに押し込めたまま、放置しているのだ。
(もったいなさすぎる……)
強さだけを誇り、動かず、何も学ばず、ただ悠久を生きる竜たち。
その中で俺は、今、確かに「学ぶことの快感」に触れていた。
「これが……“知る”ってことか……」
小さく呟いた声が、宝物庫の静寂に吸い込まれていった。
そして——ページの端に、ふと気になる単語が目に入る。
《変身魔法:姿を変える術。自身の魔力を組み替えることで、異なる形態を取ることが可能》
ページの挿絵には、人間の姿に変化した魔族らしき影が描かれていた。
「……あれ?」
その瞬間、俺の中に、ふとした妄想が芽生えた。
──もし、これが使えたら。
──人間の姿になって、人間の世界に行けたら?
この静かで退屈な“箱庭”を抜けて。
“誰も動かない世界”から、“動き続ける世界”へ。
(……行ってみたい。ここじゃない、どこかへ。)
初めて心の底から、そう思った。
◇◆◇
時間の感覚が、どこかへ消えていた。
俺は魔導書の山に埋もれながら、夢中でページを繰っていた。
何冊目かは、もう分からない。たぶん十冊以上は読んだ。
気づけば夜。いや、空は見えないが、魔力光の揺らぎ方でそれが分かる。
「……凄いな、この世界の人間。こんなの、ぜんぶ……」
魔術の体系。魔力と精神の相関関係。術式の分解と再構築。
数式すら美しいと感じるほどの情報の海に、俺の意識は溺れていた。
前世、机に向かっても10分と集中できなかったあの俺が。だ。
でも今は、違った。
目に映るすべてが、脳に直接語りかけてくるような感覚。
心が叫んでる。もっと知りたい、もっと学びたいって。
「……学ぶって、面白いんだな……」
真祖竜の身体は、脳の作りも人間のそれとは違うのだろう。いくら知識を詰め込んでも、脳が疲労しないから、学ぶ事が楽しくて仕方ないのかもしれない。
竜社会では知識なんて“無意味なもの”とされている。
何故なら“最初から完成されている”から。
でも、俺は思う。
完成されていることが、そんなに偉いのか?
努力して。試行錯誤して。失敗して。
それでも前へ進もうとして——そうして積み上げてきたのが、この“知識”じゃないか。
「……何もしないで偉そうにしてるより、ずっと……」
手元の一冊を閉じる。古びた革の装丁が、やけに重く感じた。
そのときだった。
棚の奥。誰も触れなかったのか、埃をかぶった一冊が、目に留まった。
《変身魔術・応用編——“相貌変化と質量制御”》
「…………」
そっと手に取り、ページを開く。
術式の図解。発動条件。魔力の流れ。構造式の複雑さ。
……だが、不思議と読めた。
「これ……いけるかもしれないな」
人間に“変わる”ための術。それは決して、“弱くなる”ためではない。
世界を知るための鍵。
もしこの術が使えるなら——
俺はこの島を出て、“外の世界”へ足を踏み出すことができる。
静寂に包まれた宝物庫で、俺の心だけが、ざわついていた。
◇◆◇
翌朝。
宝物庫の出口で、俺は伸びをした。
久々に夜を徹して“何かをしていた”気がする。
肩こりがない身体って素晴らしいな、としみじみ思う。これ人間時代なら完全に首イってたやつだ。
「さて、と。……バレてないよな、たぶん」
昨日と同じように、洞窟を抜け、石碑の前を通り過ぎる。
他の竜たちは、例によって誰もいない。
みんな寝てるか、雲を見てるか、ボーッとしてるか、呼吸してるかだ。いつも通りの竜時間。
……ただ、一体だけ、いつもと違う姿があった。
「……グルーシャ?」
例のツヤ鱗の同級生が、岩の陰に半身をもたせかけ、うつ伏せの姿勢でぼーっと空を見上げていた。
気づいてないのかな、と思って通り過ぎようとしたその瞬間——
《……昨日、どこ行ってたの》
その声が、念話で脳に響いた。
俺は足を止めた。
彼女はまだ、視線を空に向けたまま。こちらを見てもいない。
「……散歩してただけだよ」
《ふーん……ずいぶん長い散歩だったね》
「たまたま……寄り道しただけ」
しれっと返す。たぶんバレバレだ。
でも、咎める気配はない。
《星降りの宝庫……でしょ》
……ああ、これは完全に見られてるやつだ。
でも、不思議と焦りはなかった。
「なんで止めなかった?」
少しの沈黙の後——
《……めんどくさいし?》
その返答に、思わず吹き出しそうになった。
「……それが理由かよ」
《うん。あと……興味あったら、見に行くのもいいんじゃないかなって、思った》
グルーシャが、ようやくこちらを見た。
いつもの眠たげな瞳。でも、そこに一瞬だけ“芯”のようなものが宿っていた気がした。
《……ねぇ、アルドラクス。何かやるの?》
その問いは、驚くほど率直だった。
俺は少し考えてから、ゆっくりとうなずいた。
「……ああ。俺、たぶん——」
「世界に出ると思う」
誰に言うでもない決意だった。
でも、グルーシャはその言葉を受け止めて、まばたきもせずに言った。
《そっか。がんばってね》
何の感情もこもってないように聞こえる彼女のその声が、
なぜだか、やけにあたたかかった。
空が、どこまでも広がっていた。
ただ“見るため”にあるんじゃない。
“飛び出していくため”にあるんだって、初めて思えた。
宝物庫で手に入れた知識。
変身魔法。
そして、外の世界への扉。
すべてが——今、つながった。