第293話 "特異点"──シンギュラリティ──
待って待って待って。
頭が、心が、思考が、全然追いついてない。
俺はどんぶりの前で固まったまま、無意識に箸を握りしめ、カチ、カチ、と乾いた音を鳴らしていた。
視界の端では、相変わらずルシア──いや、グルーシャが、何事もなかったかのようにラーメンを啜っている。
ズルル……。
その音が、やけに現実感を伴って耳に突き刺さった。
いや、おかしいでしょ。
真祖竜の王子?
俺が?
「……えっ?」
声が、裏返った。
「えっ!? いやいやいや!!」
俺は勢いよく立ち上がり、椅子をガタンと鳴らす。
「ちょっと待って!? それ、アレでしょ!? ドッキリだよね!?
『真祖竜が本気で考えた!ドッキリGP!』とか、そういうやつでしょ!?カメラどこ!?」
空を見上げ、地面を見回し、空島の縁まで駆け寄ってキョロキョロする。
当然、返事はない。
代わりに聞こえたのは、
ズルル……。
ルシアが、また一口、スープを啜る音だった。
「違う。」
箸を持ったまま、顔も上げずに、淡々と。
「だっておかしいじゃん!!」
俺は頭を抱えた。
「俺が真祖竜の王子様!?
カレーの王子様じゃなくて!?
そんな訳ないじゃん!!」
ぐるぐるとその場を回りながら、叫ぶ。
だってさ! 考えてみてよ!!
転生したら竜だった! ──うん、分かる!
転生したら王子だった! ──まあ、分かる!
でもさ!!
転生したら“竜の王子”だったのに!!
誰も教えてくれなくて!!
数十年気付かずに過ごす!!?
両手を広げ、天を仰ぐ。
「分からない!!そんな雑な展開、異世界転生ものでも見たことないから!!」
心臓がバクバクと音を立てている。
理解が追いつかない。
いや、理解したくない。
そんな俺を、ルシアはじっと見ていた。
ワチャワチャと動き回る俺を、まるで未知の生き物でも観察するかのように。
そして、また静かにスープを啜る。
ズズ……。
「……でも」
箸を置き、ぽつりと。
「マーテラクシア様、言ってた。アルドには、ちゃんと説明したから、知ってるはずだって」
「はぁ!?」
俺は両手をブンブンと振った。
「いやいやいや!!そもそもマーテラクシア様!?
俺のおかんドラゴンと会った事も、話した事も、無いよ!?俺!!」
全力否定。
記憶を総ざらいしても、そんな存在、心当たりがない。
ルシアは小さく首を傾げる。
「……でも、マーテラクシア様、言ってた。
『汝は、真祖竜の血を継ぎし者……古の契約により生まれし、運命の器である』って、きちんと説明したって」
「はぁ!?そんな話、聞いた事なんて一度も──」
言いかけて、止まった。
……。
…………。
あれ?その文言。どこかで……
胸の奥が、ざわりと波打つ。
どこかで。確かに。
聞いた事が──
ピキュリーン、と頭の奥でフレクサトーンの音弾けた。気がした。
「あ」
息が止まる。
それ……。
俺が、真祖竜に転生して。
卵の殻を破って。
この世界に産まれ落ちた、その瞬間。
目の前にいた、あの、空を覆うほど巨大で、ただそこに“在る”だけで、世界が静まり返るような──
──真祖竜が。
確かに、言ってた。
『汝は、真祖竜の血を継ぎし者……
古の契約により生まれし、運命の器である』
「……え?」
喉が、ひくりと鳴る。
えっ。
あれって。
「えっ!?あれって……そういう意味だったの!?」
背筋に冷たいものが走る。
「つーか!!あの時の巨大な真祖竜が!!
マーテラクシア様!?俺の……ママンドラゴンだったの!?」
頭を抱えて、その場にしゃがみ込む。
「いやいやいやいや!!ちょっと待って!?それで説明終わり!?産声上げたばっかの我が子に!?その一言だけで説明終了!!?」
空に向かって叫ぶ。
「もはやめんどくさがりっていう次元じゃなくない!?適当すぎない!?!?」
心臓が早鐘を打ち、呼吸が浅くなる。
理解した瞬間、逆に混乱が深まっていく。
そんな俺の横で。
ズルル……。
ルシアは最後まで変わらぬペースで、ラーメンを啜っていた。
……この温度差よ。
世界がひっくり返る音が、確かに聞こえた気がした。
◇◆◇
……はぁ。
俺は深く息を吐いて、肩の力を抜いた。
正直、ここまで来るともう分かった。
真祖竜に常識を求めるだけ無駄だ。
卵から生まれた瞬間に人生(竜生?)の重要事項を一文で済ませる種族に、丁寧なオリエンテーションとか期待する方が間違っている。
俺は気持ちを切り替え、向かいのルシア──グルーシャを見た。
「でもさ」
声の調子を、少しだけ真剣にする。
「そんな、いい加減極まりないマーテラクシア様がさ。わざわざ地上に“使い”を出してまで、やらなきゃいけない“何か”が……今の地上で起きてる、って事だよね?」
その瞬間、ルシアのレンゲが、ピタリと止まった。
スープを口に運ぶ途中で静止したまま、彼女はゆっくりと視線を上げ、俺を見る。
さっきまでの、どこか気の抜けた雰囲気が消えていた。
……やっぱり、核心に触れたか。
俺は一瞬、言葉を選ぶように視線を逸らし、それから意を決して続けた。
「──こんな事言うのもアレだけどさ」
膝の上で手を組み、少しだけ前屈みになる。
「俺には、話してくれた方がいいんじゃないかな。
力になれるかもしれないし」
一拍、間を置いて。
「さっき戦って……何となく分かったんだ」
言いづらくて、ついモジモジしてしまう。
「グルーシャと俺との間には……その……」
言葉を探していると、ルシアはフゥ、と小さく息を吐いた。
「……確かに」
レンゲをどんぶりに戻し、静かに言う。
「わたしとアルドの間には、とても大きな力の差がある」
視線が、まっすぐ俺を射抜いた。
「アルドの力は……“真祖竜”という括りの中でも、異常」
……っぽいよね。
俺は内心で、苦笑する。
グルーシャのスキルは、間違いなく強力だった。
地上世界の基準で見れば、彼女を正面から打倒できる存在なんて、ほとんどいない。
ほとんど、だ。
正直、ヴァレンやリュナちゃんがガチれば、
「割といい勝負になるんじゃないかな?」ってレベル。
でも、俺とは、勝負にならない。
それはもう、大人と子供どころの差じゃない。
(これが……一般的な真祖竜の幼竜の力、なのか?)
だったら。
(俺が真祖竜としても異常な力を持ってる理由って……やっぱり、“王族の血”が関係してるのか……?)
そんな事を考えていると、ルシアが俺の表情を見て、何かを察したように口を開いた。
「あ、でも」
ほんの少しだけ、声音が柔らぐ。
「アルドが異常に強いのは、血筋だけの問題じゃない」
「……え?」
「ただでさえ、何もしなくてもどんどん強大な力を得ていく、自己成長力の高い真祖竜の身で、禁止されてるにも関わらず、何十年も、魔法と肉体の鍛錬を積んじゃったせい」
……あ。
「あー……」
思い当たる節が、ありすぎた。
確かに、人間の魔法を覚えてからというもの、
真祖竜の無尽蔵な魔力量に物を言わせて、
24時間。何十年。肉体と魔力回路に負荷をかけ続けて、トレーニングし続けてた。
アブロトニックて腹筋鍛えるみたいなノリで。
ネタが古いか!!
だって。
せっかくの異世界転生なんだし、
強くなりたいって思うのが男の子じゃん?
……いや。
やっぱり、真祖竜は鍛えちゃダメだったのね
強さが、バグるから。
俺が一人で納得していると、ルシアは少し考え込むように視線を落とし──
「──もし」
静かに、しかしはっきりと言った。
「アルドが、そうだったら」
胸が、嫌な音を立てる。
「さっきの戦いで、私は殺されてたはず」
「えぇっ!?」
俺は勢いよく身を乗り出した。
「お、俺がグルーシャを!?そんな事しないよ!!」
慌てて首を振る。
「というか、誰であっても殺さないよ、俺!?」
本気で。
ルシアは、そんな俺を見て、フッと小さく笑った。
ほんの一瞬。
でも、確かに“幼馴染”の表情だった。
「うん」
静かに。
「アルド、そういうとこ、変わってなかった」
その目に、確信が宿る。
「だから、アルドは……違うと思う」
意味ありげな言い方。
俺は自然と、表情を引き締めた。
「……グルーシャ」
真剣な声になる。
「教えてくれよ」
真正面から、彼女を見る。
「キミは、どんな仕事を任されて、地上に来たんだ?」
しばらく、沈黙。
風が、空島の草を揺らす音だけが響く。
やがてルシアは、ゆっくりと口を開いた。
「私が……マーテラクシア様が、探してるのは……」
その言葉を、噛みしめるように。
「──“特異点”」
空気が、わずかに張り詰めた。
俺は、その単語を心の中で反芻する。
特異点。
俺は、胸の中でその言葉を反芻するのだった。
◇◆◇
「し……」
俺は、レンゲを持ったまま固まっていた。
「"特異点"……?」
思わず、喉が鳴る。
「な、何その……やたらカッコいい響きのワード……」
名前だけ聞くと、世界の謎の中枢とか、そんな感じの印象を受ける響き。オラ、ワクワクすっぞ。
胸の奥が、理由もなくドクンと高鳴る。
だが、そんな俺の内心など気にも留めず、ルシア──グルーシャは淡々と話を続けた。
「──真祖竜には、全部で10種類の固有スキルがある」
「う、うん」
俺は慌てて頷く。
「“悠座の講堂”の石碑に刻まれてる、竜シリーズのスキルの事だよね?」
"悠座の講堂"。
おじいちゃん真祖竜が、俺たちベビー真祖竜に“七大怠惰戒律”を教えてくれた、思い出深い場所。
ちなみに、あのおじいちゃん真祖竜は、その後数十年、一度も目覚める事なく眠り続けてました。
あれ、本当に生きてるのかな?
そこで、ふと首を傾げた。
「あれ?でもさ……"悠座の講堂"には、9つのスキルについてしか刻まれてなかったような……」
ルシアは即答した。
「そう」
まるで、それが当然だと言わんばかりに。
「私達が知る真祖竜スキルは9つ。しかも、普通の真祖竜は、その9つすら全て使える訳じゃない」
「え?」
「真祖竜の固有スキルは、そのどれもが、一つで大陸を滅ぼせる程の力を持つ」
……。
俺は、思わず息を呑んだ。
「幼竜なら、使えてせいぜい2、3種類。
成竜でも、6つ使えれば良い方」
淡々とした説明なのに、内容が重すぎる。
つーか……えっ……そうなの?
喉が、ゴクリと鳴る。
脳裏に浮かぶのは、悠天環での(一人っきりでの)修行の日々。
俺、あれ全部使えるようになるのが“真祖竜として一人前”なんだと思ってて……
練習して……“9つのスキル全部”使えるようになってるんだけど……
……。
でも、これ言うと、絶対ややこしくなるよね。
俺は静かにラーメンを啜り、何事もなかった顔を作った。
うん。黙っておこう。
一方のルシアは、俺の内心など知る由もなく、話を続ける。
「──10つ目のスキルは」
その声が、ほんのわずかに重くなる。
「マーテラクシア様にしか使えない」
レンゲを持つ手が、空中で止まる。
「運命を見通し、未来を知るスキル」
「へぇー……」
俺は思わず感心した声を出した。
(与田さんやグラディウスさんのスキルの
上位互換みたいな感じかな?)
未来予知系。
強い。というか、反則系のヤツだ。
ルシアは、静かに続けた。
「その、マーテラクシア様のスキルが……
500年ぶりに発動した」
空気が、ひんやりと冷える。
「そして、告げた」
彼女は、はっきりと言った。
「この世界に、"特異点"が現れた、と」
……。
背筋が、ぞわりと粟立つ。
さらに、追い打ちをかけるように。
「"特異点"は」
淡々と、しかし確実に。
「調律者の頂たるマーテラクシア様をもってしても、
推し量れない存在」
「……」
「理から外れたもの」
ルシアは、俺を真っ直ぐに見た。
「それを、人間世界で調査し、見つけ出す。それが、私に与えられた使命」
俺は、ラーメンスープを一口啜りながら考える。
なるほど……
真祖竜の中でも一番凄い、ママンドラゴンでも把握できない“何か”って事か。
で、グルーシャの任務は、それを調査すること。
真祖竜から人間界に放たれた、特派員みたいなものか。
……うん。
冷静に聞くと、結構ハードだな。
俺は呑気に頷きながら、気軽な調子で聞いた。
「へぇ〜……要するに、グルーシャの任務は、その"特異点"ってのを探す事なんだね」
ズズ、とスープを啜る。
「あ、でもさ」
レンゲを持ったまま首を傾げる。
「それって、もし見つからなかったら……何か不都合あるの?」
すると、ルシアは軽い感じで、スープを一口すすり。
「別に、大した事はない」
そう前置きしてから、事も無さげに言った。
「ちょっと、人間世界が滅ぶだけ」
「へぇー……人間世界が滅ぶだけかぁ……」
──一瞬、俺は相槌を打ち。
次の瞬間。
「ブゥゥゥーーッ!!」
盛大に、ラーメンスープを吹き出した。
「!?」
ルシアは、反射神経の塊みたいな動きで、
自分のラーメンどんぶりをサッと横にスライドさせる。
完全回避。セーフ。
またしても俺だけアウト。
「ゲホッ!ゲホッ!!」
俺は咳き込みながら、涙目で叫んだ。
「に、人間世界が……滅ぶ!?じょ、冗談でしょ!?」
ルシアは、至って真面目な顔で答えた。
「本当。」
ルシアは、世間話でもするかの様に、静かに続ける。
「マーテラクシア様の予言によると、その"特異点"が原因で、人間世界は終わりを迎える」
「それは1年後かもしれないし、10年後、100年後かもしれない」
「……でも、ひょっとしたら、明日かもしれない。らしい」
「いやいやいや!!」
俺は両手を振り回した。
「それ、めちゃくちゃ大した事じゃん!!
世界、滅びちゃうんでしょ!?」
だが、ルシアは少しも動じない。
「マーテラクシア様は、数万年の時を生きる、高次元の真祖竜」
淡々と。
「人の世界の滅びは、何度も何度も見てきてらっしゃるはず」
「だから、マーテラクシア様にとっては……
それは、大した問題じゃない」
……マジか。
俺は、額に汗を浮かべながら思う。
やっぱり……真祖竜って、人間とは別の価値観で生きてるんだな。
良くも悪くも。
俺は唾を飲み込み、疑問をぶつけた。
「そ、それならさ!」
「何で俺のオカン……マーテラクシア様は、その"特異点"ってのを探してるの!?」
「変な話だけどさ、人間世界の滅亡に興味ないなら、ほっとけばよくない!?」
ルシアは、ズズズッとスープを飲み干し。
どんぶりを、ドンとテーブルに置いた。
その音が、妙に重く響く。
「──マーテラクシア様のスキルをもってしても」
静かに、語り始める。
「"特異点"の全貌は、測れなかった」
「だけど……いくつか、分かった事がある」
俺は、息を殺す。
「"特異点"は……」
ルシアの瞳が、鋭く輝いた気がした。
「真祖竜、またはその力に関係がある者」
「──な……っ!?」
言葉を、失った。
さらに、ルシアは続ける。
「そして──」
視線が、俺を捉える。
「今回の"統覇戦"に──"特異点"が関係している」
……。
………。
俺は、その言葉を理解する前に、
ただ呆然と、ルシアを見つめる事しかできなかった。
嫌な予感が、確信に変わりつつあった。
インフルエンザ罹患中の為、更新がやや遅れるかもしれません!ご了承ください!




