第287話 予選会の勝者は。
結果発表の時間──それは、戦いの熱がようやく冷めはじめた頃に訪れた。
巨大競技場は、再び人で埋め尽くされていた。
だが、先ほどまでの喧噪とは違う。歓声の質が変わっている。
数刻前まで、六百を超える挑戦者がダンジョンへ投げ込まれた。
そのうち、こうして“最後まで残って競技場へ戻ってきた者”は、八十名にも満たない。
あちこちに、傷、擦り切れたローブ、欠けた鎧。
それでも皆、目だけはギラついている。敗者の悔しさ、勝者の昂り、そして、結果発表の瞬間を待つ緊張。
競技場中央。
そびえ立つように設置された巨大な魔導光掲示板が、青白い光を放っていた。文字の枠だけが浮かび、まだ何も表示されていない。
まるで“運命の答え”が、直前まで伏せられているかのようだった。
その掲示板の前──最前列に近い位置で、アルド・ラクシズは呑気に肩の力を抜いていた。
隣には、ザキの姿。
アルドは横目にザキを見上げ、いつもの軽い調子で言った。
「いやー、ザキさんも五十階層に来てたなんてさ。俺、ぜんぜん気づかなかったよー。声かけてくれればよかったのに」
まるで、同じクラスの友人に言うみたいな口ぶりだった。
戦いのあととは思えない、呑気な口調。
ザキは、にこりと笑う。
その笑みは、柔らかい。親しみやすい。どこまでも自然で──だからこそ、よく出来ていた。
「ハハハ、せやね。でも四十九階層も五十階層も、どえらい広かったからなぁ。俺からはアルドくんのこと、見えへんかったよ」
嘘だ。
ザキは、あの場でアルドを見失ってなどいない。
だが、アルドはそんなこと露ほども疑わない。
彼は「そっかぁ」と、素直に頷いてしまう。
「確かにあのフロア、めちゃ広かったもんねぇ。……でも、これでお互い本戦出場は確実っぽいね!」
言いながら、アルドは掲示板を見上げる。
その目は、期待よりも安心に近い色をしていた。勝ち負けよりも、“みんなと一緒に次へ進める”ことが嬉しい──そんな顔。
ザキは肩をすくめるように、冗談めかして返す。
「だとええなぁ。あ、アルドくん。本戦で当たっても……あんまイジメんといてな?」
言い方は軽い。笑っている。
それでも、どこかに“針”が混じる──本人ですら気づかないほど微細なものが。
アルドはそれにも気づかず、へらりと笑った。
「いじめないいじめない。……たぶん」
「いや、たぶんて」
二人のやりとりは、和やかだった。
周囲の空気だけが、少しだけ浮く。
──この緊張の場で、その温度感は妙に目立つ。
その少し後方。
ザキ・チームの面々が固まっていた。
ディオニスが、腕を組んだまま顎をしゃくる。
「……うちの大将、”銀の新星“のダチだったのかよ」
酒の匂いは、今日は抑えめだ。
だが口調は相変わらず荒っぽい。面白がっているのか、探っているのか、半分ずつ。
隣で鬼塚玲司が、眉間に皺を寄せたまま呟く。
「まさかてめぇが、アルドさんの言ってた『ザキさん』のチームメンバーだとはな」
腕組みは崩さない。
でも視線は鋭い。ザキを見ているようで、実はアルドの無防備さを見ている。
「世間狭ぇな」
ディオニスが、口の端だけで笑う。
そのすぐ近く。
ブリジットが、フレキを胸に抱きしめたまま、嬉しそうに顔を輝かせていた。
フレキはミニチュアダックス形態で、ふわふわの毛並みが胸元に押しつぶされ、少しだけ迷惑そうな目をしている。
「ザキさんも、最終フロアまで到達したんですね!すごいすごい!」
弾む声。
戦いの疲れを感じさせない、純粋な称賛だった。
ザキは、すぐに笑顔を向ける。
その笑顔もまた、完璧に“優しい大人”のそれで。
「ありがとなぁ、ブリジットさん。めっちゃ頑張ってん、俺。褒めてくれてもええんやで」
冗談めかした言い方に、ブリジットがくすっと笑う。
フレキも「凄いですっ」と一声、機嫌よく鳴いた。
──その瞬間。
ザキの後方で、ロールがぷくっと頬を膨らませた。
視線はザキへ。
だが睨みつけるというより、“なんとなく面白くない”という幼さが残る表情だ。
言葉にはしない。
だがその嫉妬は、態度の端々に滲む。
少し離れたところでは、ギュスターヴが無言で腕を組んでいた。
筋肉の鎧みたいな体格のまま、仁王立ちに近い。視線だけが、時折ちらり、ちらりと動く。
向かう先は、ジュラ姉──ジュラシエル。
彼女は戦闘の時と同じく、堂々と立っている。腰に手を当て、片足に体重を乗せた立ち姿。まるで舞台の上に立つスターだ。
ギュスターヴの熱視線に気づいているのに、ジュラ姉はツーンとそっぽを向いていた。
“見てない”と言わんばかりに、顎を上げ、髪を指先でくるりといじる。拒絶というより、あからさまな無関心。
ギュスターヴは、何も言わない。
言わないが、その拳がほんの少しだけ握りしめられる。
──そんな、人間模様のざわめきの中。
空気が、すっと変わった。
人の流れが、自然と道を開ける。
王族が通る時の、それだ。
ラグナ・ゼタ・エルディナス。
その背後に、セドリック、リゼリア、ルシア。
ラグナチームの四人が、アルドとザキの近くへと歩いてきた。
ラグナは、いつものように背筋が伸びている。
だが、今日は──その表情に“刺”がない。以前の、鋭利な棘のような視線が薄い。
代わりにあるのは、余裕と……どこか穏やかな王子の微笑み。
「やあ」
声も軽い。気取った響きはあるが、不快ではない。
「楽しそうじゃないか。僕も混ぜてくれるかい?」
アルドは半目になり、乾いた笑いを漏らした。
「ハハハ……編入試験の時を思い出すな、この構図」
その言葉に、周囲の空気が一瞬だけ緩む。
“ああ、因縁の二人だ”と、皆が思い出すからだ。
だがラグナは、ふっと笑った。
「そんな昔のことは忘れたよ」
言い方はさらりとしている。
ザキは表情を崩さない。
ただ内心で、静かに警戒の糸を張る。
(ラグナ・ゼタ・エルディナス……コイツからアルドくんに接触してくるなんて……えらい変わり様やん)
ラグナは、そのまま視線をブリジットに移す。
ほんの一瞬だけ。
そして、にこっと笑って、軽く手を振った。
ブリジットの肩が、ピクリと跳ねる。
一瞬、身体が硬直する。記憶が、反射のように“警戒”を呼び戻す。
だが、すぐに。
ブリジットは一歩だけ前へ出て、ぺこっと頭を下げた。
礼儀正しく、真っ直ぐに。
“怖いけど、逃げない”という意志が、その小さな動作に宿っている。
ラグナはその挨拶を受け、満足そうに微笑むだけだった。
そして、その一連を見ていたセドリックが、目を丸くする。
(ラグナ殿下から……刺々しさが消えている……?)
心の中で、確かめるように繰り返す。
(まるで……以前の殿下のような、穏やかさだ……)
セドリックの視線が、アルドへ向く。
そしてブリジットへ。
(これも、アルド君……キミの影響という事か……)
口元が、ほんの少しだけ緩む。
(ブリジット……お前の、男を見る目は確かだったみたいだな)
その表情は柔らかかった。
戦いの場の中で、一瞬だけ見える“日常”の顔。
──結果発表前の、束の間。
巨大な魔導光掲示板の青白い光が、彼ら全員の輪郭を照らしていた。
◇◆◇
ラグナは、巨大な魔導光掲示板を一瞥してから、ゆっくりと視線を戻した。
その動作には、結果がどう転んでも揺るがないという確信が滲んでいる。
「間もなく、予選会の結果が発表される訳だが……」
穏やかで、よく通る声。
アルドとザキを交互に見渡しながら、ラグナは口角をわずかに上げた。
「僕ら三チームの本戦出場は、確実と言っていいだろう」
それは自慢でも誇示でもない。
事実を述べているだけの口調だった。
アルドは肩をすくめ、苦笑混じりに返す。
「まあ、流石にそれはね。これで落とされたら、さすがにキレるよ、俺も」
冗談っぽく言いながらも、内心では同意している。
五十階層踏破。あれだけやって落選など、もはや事件だ。
ラグナは短く息を漏らし、楽しげに笑った。
「フッ……違いないね」
そのまま、ふと視線をザキへ向ける。
先ほどまでの和やかさとは少し違う、観察するような目だった。
「しかし……」
一歩、距離を詰める。
「まさか、キミまで最終フロアに到達していたとは。正直、恐れ入ったよ。ザキ・クローバー」
名前を、はっきりと呼ぶ。
そこに含まれるのは、形式的な敬意だけではない。能力を認めた者に向ける、王子としての礼だった。
「キミのような優秀な人材が、エルディナ王国にいる事を……僕は誇らしく思う」
言葉と同時に、ラグナは右手を差し出す。
「本戦で、その力を見られる事を楽しみにしておこう」
──その瞬間だった。
ほんの刹那。
アルドの感覚が、鋭く反応する。
胸の奥が、ひやりと冷えた。
視界の端で、何かが揺れたような錯覚。
(……なんだ?)
アルドは、思わずザキを見る。
ザキの表情は、変わっていない。
いつもの穏やかな笑顔。人当たりのいい、大人の顔。
だが──
(今の……)
アルドは、確かに感じていた。
ザキの内側から、一瞬だけ噴き上がったもの。
怒り。
それも、表層的な不快感などではない。
深い。重い。
長い時間をかけて積み重なった、圧縮された感情。
(ほんの一瞬だけ……ザキさんから、激しい怒りの感情が……)
心臓が、どくりと強く打つ。
だが、次の瞬間。
ザキは、にこっと笑った。
まるで、何事もなかったかのように。
差し出されたラグナの手を、自然な動作で握り返す。
「いや〜、ラグナ殿下から、そう言うてもらえるなんて、恐縮ですわ〜」
声も、柔らかい。
関西訛りの軽さが、場の空気を和らげる。
「本戦では……お手柔らかに頼んます」
冗談めかして、少しだけ頭を下げる。
握手は、何の違和感もなく成立した。
周囲から見れば、実に爽やかな光景だ。
アルドだけが、その裏側を知らないまま──いや、知りかけているまま、立ち尽くしていた。
(……そう言えば)
胸の奥で、考えが巡る。
(ザキさん、ラグナの事……嫌いって言ってたよな)
編入試験の時、笑いながら。
冗談めかして、だが確かに。
(でも……今の感じは……)
“嫌い”という言葉で片付けられる感情ではなかった。
もっと根深い。
もっと、個人的で。
アルドは、もう一度ザキの横顔を見る。
そこには、穏やかな笑みしかない。
(……気のせい、かな)
そう思おうとして、思い切れない。
だが、ここで踏み込む理由もない。
アルドは、小さく息を吐いた。
(今は……結果発表だしな)
自分にそう言い聞かせ、意識を掲示板へ戻す。
だがその背後で、ザキの握った拳の内側には──
誰にも見せない、冷え切った怒りが、静かに沈んでいた。
◇◆◇
会場に、張り詰めた空気が満ちていた。
巨大な競技場を埋め尽くす観客のざわめきが、一瞬、ぴたりと止む。
次の瞬間──魔導拡声器を通した、よく通る声が響き渡った。
『皆様、大変お待たせいたしました!』
声が反響し、天井を震わせる。
『集計が終了しましたので、只今より──“統覇戦”予選会の結果発表を行います!!』
その瞬間。
「うおおおぉぉぉぉ!!」
観客席が爆発したような歓声に包まれ、競技場全体が揺れた。
アルドたちは反射的に顔を上げ、正面にそびえる巨大な魔導光掲示板を見据える。
掲示板に、鮮やかな光文字が浮かび上がった。
『本戦出場チームは、以下のチームとなります!!』
一拍置いて、続く。
『第8位!!』
数字が大きく輝く。
『ダンジョンポイント、1250ポイント! 到達階層21階層! 深度ポイント10500ポイント!』
一行ずつ、畳みかけるように表示され──
『総合獲得ポイント……11750ポイント!! サマリー・チーム!!』
少し離れた場所で、その名を呼ばれた挑戦者たちが、一瞬呆然と立ち尽くし──次の瞬間。
「よ……よっしゃアアアアアアアッ!!」
理性をかなぐり捨てたような歓喜の雄叫びが上がった。
仲間同士で抱き合い、飛び跳ね、涙ぐむ者すらいる。
アルドはその様子を見ながら、掲示板の数字を追っていた。
「……深度ポイントって、到達階層×500入るのか」
ぽつりと呟き、計算するように指を折る。
「じゃあ、50階層まで行った俺たち……もう本戦出場確定じゃない?」
ラグナとザキの顔を交互に見る。
ザキは肩の力を抜き、穏やかに笑った。
「せやね。まずは一安心やな」
ラグナは口元に、余裕の笑みを浮かべる。
「出場は当然さ」
そして、掲示板を見上げたまま、続ける。
「問題は……僕たちのどのチームが、一位通過なのか、という話さ」
その言葉に、ブリジットの胸がきゅっと締まった。
無意識のうちに、拳を握りしめる。
(アルドくんは……最終フロアまで、頑張ってくれた)
フレキを胸に抱き寄せながら、心の中で呟く。
(あとは……あたしたちが、どれだけポイントを稼げたか、だよね)
緊張で、喉がひくりと鳴った。
──第7位から第4位までの発表は、嵐のように過ぎていく。
名前が呼ばれるたび、歓声と落胆が交錯し、空気はどんどん熱を帯びていった。
そして。
『第3位!!』
声が一段と大きくなる。
『ダンジョンポイント、3280ポイント! 到達階層50階層! 深度ポイント25000ポイント!』
掲示板が眩しく輝き──
『総合獲得ポイント……28280ポイント!!』
『ザキ・チームッッ!!』
ザキは、ふっと息を吐いた。
「……ま、妥当なとこやね」
大きく喜ぶでも、悔しがるでもない。
淡々としたその声に、背後のディオニス、ギュスターヴ、ロールも、それぞれ小さく頷いた。
「ま、悪くねぇな」
「当然の結果だ」
「……うん」
納得の表情だった。
そして──。
会場が、静まり返る。
『そして……』
アナウンスの声が、わずかに震える。
『栄光ある第2位と、第1位は……』
『……おおっと!!』
ざわり、と空気が波打つ。
『これは……なんと言う事だッッ!!』
アルドたちも、ラグナたちも、思わず息を呑み、掲示板を凝視した。
『ダンジョンポイント、5670ポイント! 到達階層50階層! 深度ポイント25000ポイント!』
数字が並ぶ。
『総合獲得ポイント……30670ポイント!!』
そして、次の瞬間。
『まさかの──同点1位!!』
巨大な文字が、二つ並んで輝いた。
『ラグナ・チーム!!&ブリジット・チーム!!』
『同点優勝だぁぁぁーーーッッ!!』
刹那。競技場が、完全に爆発した。
「うおおおおおおお!!」
「マジかよ!?」
「同点だとぉ!?」
歓声、悲鳴、拍手が渦を巻く。
鬼塚は目を見開いたまま、呆然と呟く。
「……マジかよ」
その隣で、ジュラ姉は両手を広げ、目を輝かせた。
「マッ!! ファンタスティックな結末ねッ!!」
セドリックは、信じられないものを見るように掲示板を見つめる。
「まさか……同点とは……!」
アルドとラグナは、しばらく言葉を失い、掲示板を見上げていた。
だが、不意に──視線が交わる。
一瞬の沈黙。
そして、ラグナが先に口角を上げた。
「──やはり、僕たちの決着は」
静かに、だが確かな声で。
「本戦でつける運命にあるようだな。アルド・ラクシズ」
アルドは、肩の力を抜き、笑った。
「そうみたいだね。負ける気は無いけどね」
そのやり取りを、ブリジットは少し離れた場所から見つめ、そっと微笑んだ。
だが。
ラグナの後方に控えるリゼリアは、その光景を、冷ややかな目で見ていた。
(……同率1位で、満足げに微笑むラグナ様)
唇に、薄く笑みを浮かべる。
(──そんな姿……リゼリアが望むラグナ様の在り方じゃ、ないんですよねぇ〜……)
その微笑みは、どこまでも静かで、冷たかった。
歓声に包まれる競技場の片隅で、
次なる火種は、確かに──芽吹き始めていた。




