第286話 伝説ですら測れない存在
大学構内、来賓用に使われる小さな会議室。
外の喧騒が嘘のように遮断されたその部屋で、アルド・ラクシズは硬めの椅子に腰掛け、居心地悪そうに背筋を伸ばしていた。
長机を挟んで向かい合う形で、ヴァレン・グランツとグラディウスが座り、そして──アルドのすぐ隣には、マリーダ教授がいる。
「……あのー」
沈黙に耐えきれず、アルドがおずおずと口を開いた。
「俺、なんでここに呼ばれたんでしょうか……?」
視線が、無意識に左右へ泳ぐ。
ヴァレンはいつもの余裕ある笑みを浮かべているが、その奥に何か考え込む色が見え隠れしている。
グラディウスは腕を組み、眉間に深い皺を刻んだまま、ひとことも発さない。
アルドは首の後ろをかきながら続けた。
「結果発表まで、まだ時間ありますよね?だったら、ブリジットちゃんとか、リュナちゃんとか、鬼塚くんやジュラ姉たちと……ご飯でも行こうと思ってたんだけど……」
どこか申し訳なさそうで、それでいて本音丸出しの声音。
その瞬間だった。
「まあまあまあまあ!!」
唐突に、柔らかい感触がアルドの腕に絡みついた。
「そんな、つれないことを言わんでくだされ、アルド様っ!!」
ぴとっ、と。
マリーダ教授が、まるで恋人のようにアルドの腕へ腕を絡め、ぐいっと距離を詰めてくる。
「ワシはまだ……ワシはまだ、あなた様を救っていただいた礼も、何ひとつ返せておらぬのですよぉ?」
上目遣い。吐息混じり。
完全に“そういう距離感”だった。
「えっ!?」
アルドの声が裏返る。
「ちょ、ちょっと待ってくださいマリーダ先生!?近い近い近い!!」
慌てて腕を引こうとするが、意外なほど力が強い。
いや、力というより──執着だ。
(え……?この人、予選前めちゃくちゃ俺のこと嫌ってなかったっけ……?)
内心の困惑が、そのまま表情に出る。
「何ならこの二人も追い出してしまって……」
マリーダはちらりとヴァレンとグラディウスを睨み、
「ワシとアルド様だけで、甘〜いひとときを過ごすというのも……ふふふ」
「いや追い出さないで!?会議室ですからねここ!!」
アルドが必死にツッコむ。
その様子を見て、ヴァレンは一瞬、目を見開いた。
次いで、口元に手を当て、深く頷く。
(こ……これは……なるほど、そうなったか……!)
納得の表情。
アルドは助けを求めるようにヴァレンを見る。
「いや、ヴァレン……見てないで何とか言ってよ」
するとヴァレンは、にこやかに、実に爽やかな笑顔で言った。
「いやぁ、相棒が順当にハーレム系主人公として進化してるみたいで、俺としては喜ばしい限りだよ。」
「そう言えば、お前はそういうヤツだったね……」
アルドは一気に力が抜けたように、遠い目になる。
その時。
「よさんか、マリーダ」
低く、落ち着いた声が割って入った。
グラディウスだ。
「いい歳をして、そのようにはしたない真似を……アルド君が困っておるではないか。」
マリーダの腕に絡みつく手を、ちらりと見やり、
「そんなんだから、その歳まで独り身なのではないのか……?」
──沈黙。
一瞬、時間が止まったかのようだった。
次の瞬間。マリーダの目が、カッと見開かれる。
「じゃかましいわコラァ!!」
雷鳴のような怒声が会議室に響いた。
「グラディウス!!貴様にだけは!!貴様にだけは言われたく無いんじゃ!!ブチ殺すぞ!!」
机を叩き、椅子を蹴り、勢いよく立ち上がる。
「えっ……えぇ……?」
グラディウスは完全に理解が追いつかず、思わず一歩後ずさった。
「な、何故そこまで……?儂、何かおかしなことを……?」
その様子を見て、ヴァレンは静かに目を伏せた。
(……あー……)
すべてを察した顔である。
(なるほど……そういうことか……。俺が恨まれてたのも……それは……まあ……ゴメン)
心の中でだけ謝罪する。
一方、アルドはというと。
(マリーダ教授……グラディウスさんへの当たり、強っよ……)
内心ビビりながらも、腕に絡みつくマリーダの力がさらに強くなっていることに気づき、ますます困惑していた。
会議室の空気は、完全にカオスだった。
◇◆◇
騒然としていた会議室の空気が、ふっと変わった。
ヴァレン・グランツは、軽く咳払いをひとつすると、背もたれに預けていた身体を起こし、表情を引き締めた。
いつもの余裕ある笑みは消え、視線は真っ直ぐ、アルドへと向けられている。
「……お疲れのところ、すまないな、相棒」
その声は低く、真剣だった。
「だが、ちょっとばかり……ハッキリさせておかなきゃあならない事がある」
アルドは、腕に絡みついたマリーダの温もりを感じながらも、自然と表情を改めた。
先ほどまでの困惑や照れは影を潜め、静かな目でヴァレンを見返す。
「──まあ」
短く息を吐いて。
「何となく、見当はついてるけどさ」
その一言に、グラディウスとマリーダも、揃って頷いた。
マリーダは未だアルドの腕に絡みついたままだが、表情だけは先ほどの浮かれたものではなく、どこか緊張を孕んでいる。
ヴァレンは三人を見渡し、静かに告げた。
「──ああ。マリーダ教授の……あの変貌について、だ」
室内の空気が、ぴんと張り詰めた。
しばしの沈黙の後、マリーダは自分の身に起きた変化を話した。
「……そんな訳で、じゃ」
彼女はアルドの腕を離す気配もないまま、視線を落とす。
「あの時は……ワシの心が、まるで自分のモノでは無くなったかの様だったのじゃ」
言葉を選びながら、記憶を辿るように。
「考えておるのに、考えておらぬ。怒っておるのに、何に怒っているのかも分からぬ。ただ……」
喉を鳴らし、続ける。
「胸の奥に、黒く濁った感情だけが、どんどん溜まっていく感覚じゃった」
グラディウスとヴァレンは黙って耳を傾ける。
だが、アルドはというと。ちらりとマリーダの腕を見る。
(……いつまで腕にしがみついてんだろ、ロリババア2号先生……)
そんな失礼極まりない呼び名が頭をよぎりつつも、
(まぁ……認めてもらえたっぽいのは、いいんだけどさ……)
困惑と居心地の悪さを同時に抱えていた。
マリーダは真剣な表情のまま、さらに言葉を重ねる。
「あの時……ワシの中に、メリンダを……妹を、羨む気持ちが膨れ上がっていった」
その名を口にした瞬間、彼女の声がわずかに震えた。
「強い嫉妬の情念が……魂そのものを、掌握していく様な……そんな感覚じゃった」
ヴァレンの眉が、ぴくりと動く。
(──“嫉妬”の……?)
嫌な符号が、頭の中で結びつき始める。
その横で、グラディウスが首を傾げた。
「──羨む……?」
困惑した様子で、率直に問いかける。
「マリーダ、お主がメリンダの何を羨むというのだ?魔の才に愛されたのは、メリンダではなく、お主だろうに」
次の瞬間。
「死ねっ!!」
即答だった。
「……え?」
グラディウスの思考が、完全に停止する。
「え、えぇー……? さっきから、儂への当たり、強くない……?」
本気で心当たりがない顔だった。
ヴァレンは、思わず目を伏せる。
(グラディウス……今のは、お前が悪い)
内心で合掌した。
気を取り直すように、ヴァレンはアルドへと向き直る。
「なあ、相棒。現場にいたお前としちゃ……何か、気づく事でもなかったか?」
アルドは一瞬、「えぇー?」と気の抜けた声を出し、顎に手を当てる。
「そうだなぁ……」
少し考えてから、ぽん、と手を打った。
「あ、そうだ」
軽い調子で続ける。
「花嫁衣装みたいなのに変身したマリーダ先生を元に戻すためにさ。ブレスで、マリーダ先生の魂に干渉してみたんだよね」
会議室が、一瞬で静まり返った。
グラディウスのこめかみに、冷や汗が伝う。
(……魂に、干渉……? そんな事が……可能なのか……?)
だがアルドは、そんな周囲の反応など気にも留めず、続ける。
「その時さ、マリーダ先生の魂に、なんか白い蛇みたいなのが巻き付いててさ」
マリーダが、びくりと肩を震わせる。
「丸呑みにしようとしてた。寄生虫かもしれないけど、なんか……長いヤツ」
その言葉に、マリーダは身を強張らせた。
「……あの時の記憶は、ハッキリとは覚えておらぬのじゃが」
怯えたように、両腕で自分を抱く。
「確かに……何かが、ワシの魂に絡みつき、飲み込もうとしておった。それは……憶えておる」
そして、ふっと顔を上げ、うっとりとした目でアルドを見上げた。
「そして……それを救ってくださったのが、アルド様だということもな……!」
「さ、様付けはやめていただけると……!」
アルドは引き攣った笑顔で返す。
ヴァレンは、深く考え込んでいた。
(“嫉妬”の心……魂に干渉する、白い蛇……まさか……)
胸の奥に、嫌な予感が走る。
(何にしろ……俺は、俺で動く必要がありそうだな)
アルドは、場の重さを察したのか、ふと立ち上がった。
「もういい?」
軽く言ってから、続ける。
「休憩時間、そろそろ終わっちゃうしさ。俺、ダンジョン・サバイバルの後半ずっと一人行動で、正直寂しかったから」
肩をすくめ、照れたように笑う。
「早く皆に合流したいんだよね」
そう言って、そそくさと会議室を出ていく。
「あっ!」
マリーダが慌てて立ち上がる。
「アルド様が行くのなら、ワシも!!」
そのまま、アルドの後を追って出ていった。
扉が閉まり、残されたのはヴァレンとグラディウスだけ。
ヴァレンは、「ああ、お疲れ」と、ひらひらと手を振り、二人を見送った。
会議室には、再び静寂が戻る。
だがその沈黙は、先ほどまでとは違い、明らかに重く、危ういものだった。
物語は、確実に──
より深い場所へと踏み込み始めていた。
◇◆◇
会議室の扉が閉じる音が、やけに大きく響いた。
残されたのは、ヴァレン・グランツとグラディウスの二人だけ。
先ほどまでの騒がしさが嘘のように、室内は静まり返っている。
グラディウスは椅子に腰掛けたまま、しばらく黙っていた。
その沈黙は、言葉を探しているというより──覚悟を固めているように見えた。
やがて、重々しく口を開く。
「ヴァレン・グランツ……」
低く、静かな声だった。
「いい加減、話してもらうぞ」
ヴァレンは片肘をついたまま、気の抜けた調子で首を傾げる。
「ん? 何をだよ?」
その軽さが、かえってグラディウスの表情を硬くする。
「──アルド君だ」
即答だった。
「彼が何者なのか……儂は、いい加減、ハッキリと知っておく必要がある」
視線は逸らさない。
逃げ場を与えない問いかけだった。
「……」
ヴァレンは、笑みを消したまま黙って聞いている。
グラディウスは言葉を継ぐ。
「あのマリーダを、魂ごと支配する程の“何者か”が、この“統覇戦”に潜り込もうとしておる」
拳が、机の上でぎゅっと握られる。
「それ自体が、既に大事件と言っていい」
そして、ゆっくりと、噛み締めるように告げた。
「それを……“魂に干渉”などという離れ業で救ってみせた、アルド・ラクシズ……彼は、何者だ……?」
視線が、鋭くヴァレンを射抜く。
「答えろ、ヴァレン・グランツ……!」
会議室の空気が、張り詰めた。
ヴァレンは、何も言わず、ただグラディウスの顔を見つめ返していた。
その目には、いつもの飄々とした色はない。
数秒。
いや、十数秒だったかもしれない。
グラディウスは、ふぅ、と短く息を吐いた。
「──貴様にも、立場がある事は理解しておる」
声は少しだけ、柔らいだ。
「勝手に、彼の秘密を話す訳にもいかぬのだろう」
そう前置きしてから、静かに続ける。
「だがな……儂は既に、かの者が何者なのか……おおよその見当は、ついておる」
その言葉に、ヴァレンの眉がわずかに上がる。
「何だと?」
グラディウスは、椅子の背から身体を起こし、まっすぐ前を見る。
「彼は……」
一語一語、確信を込めて。
「世界に七つしか顕現しないと言われている、“勇者系スキル”を極限まで極めし者……」
そして、きっぱりと告げた。
「伝説の“至聖勇者”であろう。違うか!?」
その表情は、これ以上ないほど真剣だった。
しばしの沈黙。
ヴァレンは、その顔を見つめたまま──
「全然違うけど」
あっさりと言った。
グラディウスの思考が、一瞬止まる。
「あれっ!?」
思わず声が裏返り、身体が前のめりになる。
ヴァレンは、深くため息をついた。
「まぁ……お前にゃ、ちゃんと伝えておく必要はあるかもな。確かに」
視線を伏せ、言葉を選ぶように間を置いてから。
「相棒は……アルド・ラクシズの正体は……」
静かに、しかしはっきりと。
「“真祖竜”だ」
空気が、凍りついた。
「し……真祖竜、じゃと……!?」
グラディウスは目を見開き、椅子の肘掛けを掴む。
「この世の調律者であり、神域の存在……!」
声が震える。
「“全ての世界の竜の祖”とされる、伝説の存在ではないか……!」
ワナワナと肩を震わせながら、続ける。
「伝説にしか聞いた事は無いが……その力は、百歳未満の“幼竜”であっても……『大罪魔王に匹敵する程の力』を振るうと言われている……!」
そして、愕然とした顔でヴァレンを見る。
「それが……アルド君の正体だと言うのか……!?」
その瞬間。
ヴァレンの表情が、ほんのわずかに強張った。
(──そう。そこだ)
内心で、そう呟く。
(俺も、伝説に聞く真祖竜は……“幼竜であっても大罪魔王に匹敵する程の力を持つ存在”だと、聞き及んでいた)
視線の先に、呑気そうに笑うアルドの顔が浮かぶ。
(だからこそ……初めて相棒の存在を知った時……リュナから話を聞いた、あの時……ちょっかいをかけてみる気になった)
思い出すのは、軽い気持ちだった頃の自分。
(相棒は、明らかに真祖竜としては“幼竜”に類する年齢。多少モメる事になっても……本気になれば、逃げる事くらいは出来るだろうと……タカを括っていた)
だが。
(……現実は、違った)
ヴァレンの胸に、形容し難い感情が広がる。
(相棒の強さは……俺達“大罪魔王”ですら、比較にならないレベルだった。俺は、完全に……あいつの強さを読み違えていたんだ)
ふと、アルドの呑気な笑顔が脳裏をよぎる。
あの力で、あの性格。
ヴァレンは、真剣な眼差しで天井を仰いだ。
(つまり……相棒のあの強さには、"真祖竜だから"というだけでは片付けられない……"別の何か”がある)
拳を、ゆっくりと握り締める。
(相棒……お前は、一体……何者なんだ……?)
会議室の静寂は、答えを持たぬまま、深く沈み込んでいった。




