第285話 ダンジョン・サバイバル、終了!!
ダンジョンの奥深く──
血の匂いと魔力の残滓が渦巻く全フロアに、等しく、よく通る声が降り注いだ。
『──ダンジョン・サバイバル、完全攻略者が現れました』
その瞬間、剣戟も、咆哮も、爆ぜる魔力も、すべてが不自然なほどぴたりと止まる。
『只今をもちまして、“統覇戦”予選会を終了とさせていただきます。挑戦者の皆様、お疲れ様でした』
地下深層。
闘技場めいた広間で、汗と闘争心を撒き散らしていた二つの影が、同時に動きを止めた。
拳と金棒が交錯する寸前だった。
ジュラ姉は、腰を深く落とした格闘の構えのまま、視線だけを上げる。
対するギュスターヴも、振り抜こうとしていた金棒を半ばで止め、鼻先で荒く息を吐いた。
二人とも言葉はない。
ただ、その瞳に浮かんだのは──「終わったのか」という、確かな実感だった。
別のフロア。
至近距離で殴り合っていた鬼塚とディオニスは、同時に拳を引いた。
互いの攻撃は、互いに完璧なガードに阻まれ、致命打には至っていない。
だが、ぶつかり合っていた気迫が、ゆっくりと霧散していく。
鬼塚は肩で息をしながら、視線を巡らせる。
ディオニスは口元を歪め、楽しげとも悔しげともつかない表情で天井を仰いだ。
戦いは終わった。
勝敗は、ここでは決まらない。
探索区画。
瓦礫の間を慎重に進んでいたブリジットは、足を止めた。
肩に乗ったフレキが、小さく鳴き、彼女の耳元で尻尾を揺らす。
ブリジットは一度だけ目を瞬かせ、それから胸の奥で、何かがすとんと落ちたような感覚を覚えた。
さらに別の通路。
セドリック、リゼリア、ルシアの三人組も、それぞれの足を止めていた。
セドリックは地図を仕舞い、深く息を吐く。
ルシアは無言で周囲を見渡し、状況を即座に把握したように目を細める。
リゼリアは、ほんの一瞬だけ微笑み──そして、その笑みを誰にも見せぬよう、すぐに伏せた。
次の瞬間、ダンジョン内に残っていた全ての挑戦者の身体が、ふわりと宙に浮いた。
重力が消える。
足元の感覚が失われ、空間そのものが捩れる。
視界が歪み、引き伸ばされ──
まるで巨大な何かに吸い上げられるように、身体が上方へと引っ張られていく。
競技場。
地面に無数に開いていた転移用の扉から、ポポポポン!と、小気味よい音を立てて、挑戦者たちが次々と吐き出されていった。
土煙と歓声が同時に巻き起こる。
観客席は、一拍遅れて爆発した。
「うおおおおおお!!」
「帰ってきたぞ!!」
「全員無事だ!!」
その喧騒の中、ひときわ落ち着いた様子で、ヴァレン・グランツは頬杖をついていた。
水晶球を見下ろし、口元に愉快そうな笑みを浮かべる。
「ククク……やってくれたな、相棒」
隣で腕を組んでいたリュナが、得意げに鼻を鳴らす。
「だーから言ったっしょ?兄さんなら何とかする、って」
ヴァレンは肩をすくめ、再び競技場へ視線を戻した。
そして、アナウンスが再び響く。
『──ダンジョン・サバイバル史上初の、完全攻略者……その名は……』
観客席が、息を呑む。
『ブリジット・チーム、アルド・ラクシズ!!』
割れんばかりの歓声。
『そして、ラグナ・チーム、ラグナ・ゼタ・エルディナス!!』
さらに歓声が重なり、悲鳴に近い声が上がる。
『……他、一名!!』
「他一名って何やねん!?」
煌びやかな光のアーチが競技場中央に出現し、
その中から、四つの影が弾き出されるように飛び出した。
空中で、ザキが思わず叫ぶ。
「確かに最終フロアでは俺ほとんど何もしてへんけども!!」
「うぇっ!?」
隣で、アルドが目を見開く。
「ザキさん、いたの!?」
「は……ハハ……やぁ、アルドくん。久しぶりやね。」
ラグナは空中でふわりと姿勢を整え、顎に手を当ててザキを見る。
「いつの間に50階層に……? 編入試験二位は、伊達ではなかったという事だね」
四人は、ほぼ同時に──
スタッ、と音を立てて壇上に着地した。
マリーダ教授は、一歩前に出る。
観客席を見渡し、胸を張り、晴れやかな笑顔で叫んだ。
「皆の者!!此度のダンジョン・サバイバル……ワシの完敗じゃ!!」
ざわり、と空気が震える。
「栄えある完全攻略者は……この者達じゃ!!」
両腕を大きく広げ、アルドとラグナを指し示す。
競技場が、ドッと沸き立った。
「ラグナ殿下ーー!!素敵ーー!!」
「“銀の新星”も凄かったぞおおお!!」
ラグナは慣れた様子で、王子然とした微笑みを浮かべ、観客席に手を振り返す。
一方、アルドは。
「こ……こんな注目浴びるの、初めてかも……」
肩をすくめ、緊張した面持ちのまま、ぎこちなく手を振った。
だがその表情には、確かに──
戦いを越えた者だけが持つ、確かな達成感が宿っていた。
◇◆◇
競技場の一角。
歓声と拍手が渦を巻く中、ひときわ“異質な静けさ”をまとって立つ影があった。
ジュラ姉──
腰に手を当て、片足に体重を預けたその立ち姿は、戦士でありながら舞台女優のように洗練されている。
鋭く、艶やかな視線の先には、壇上で戸惑いながらも観客に手を振る青年の姿。
アルド・ラクシズ。
ジュラ姉は、ふっと唇を緩め、満足そうに目を細めた。
「──流石は、アルドきゅんね」
声音は甘く、しかし芯がある。
ウィンク一つ、艶やかな笑みを添えて、はっきりと言い切る。
「それでこそ、ギャタシが惚れ込んだ男子よッ♡」
その隣。
金棒を肩に担いだまま、体を揺らしていたギュスターヴが、ぴくりと反応した。
「──何だトッ!?」
低く、獣じみた声。
ぎり、と歯噛みする音が聞こえるほどに顎を強く噛み締め、憎々しげに壇上を睨みつける。
「アイツが……お前の惚れた雄なのカ……ッ!?」
視線に宿るのは、明確な敵意と、認めがたい現実への苛立ち。
ジュラ姉は、その様子を横目で一瞥すると、肩をすくめるように息を吐いた。
「──忠告しておいてあげるけど」
半目。
だが、ふざけた色は一切ない。
「カレにケンカ売ろうなんて考えちゃ、ダメよッ」
ギュスターヴは、鼻で笑い返す。
「ハッ……!惚れた雄の心配カ……?」
金棒を軽く持ち直し、低く唸る。
「安心しロ。不意打ちの様な汚い真似はしなイ……」
──そこまで言いかけた瞬間。
ジュラ姉の声が、すっと温度を失った。
「そうじゃなくて」
そして、あまりにも静かで、あまりにも“実感のこもった”声。
「カレは優しいから大丈夫だとは思うけど……」
視線は、アルドを捉えたまま。
「万が一、アルドきゅんを怒らせでもしたら……」
そこで、ようやくギュスターヴを見る。
「アナタ……死ぬわよ。確実に」
一切の誇張がない。
脅しでも、冗談でもない。
“事実”を述べているだけの声だった。
ギュスターヴの背筋に、ぞくり、と冷たいものが走る。
「……ッ」
思わず息を呑み、再び壇上を見る。
(アルド・ラクシズ……)
胸の奥で、名前を反芻する。
(“凶竜”のジュラシエルをしテ……ここまで言わしめる程の強者……)
理解してしまったが故に、口元が歪む。
(──つまり、逆に言うなラ……)
視線に、歪んだ闘志が灯る。
(ヤツを倒せバ……ジュラシエルも、俺を認めざるを得なイ……)
冷や汗を流しながらも、ギュスターヴは、にぃ、と獰猛に笑った。
少し離れた場所。
全身に打撲と擦過傷を負いながらも、まだ立っている二人の男がいた。
鬼塚玲司と、ディオニス。
二人は並んで腕を組み、壇上を見上げている。
鬼塚は、歯を見せて笑った。
「流石はアルドさんだぜ……!」
声には、隠しようのない敬意。
「マジ、パネェな……!」
隣で、ディオニスが「おーおー」と軽く相槌を打つ。
「うちの大将もいるじゃねぇか」
そう言いながら、マジックバッグに手を突っ込み、酒瓶を取り出す。
「50階層まで行けたんだな。こりゃ、予選突破は確実じゃねーの」
ボンッ。
親指で瓶の口をへし折り、そのまま豪快に喉へ流し込む。
ゴッ、ゴッ、ゴッ……
数秒後、プハッと息を吐き、鬼塚を横目で見る。
「──なぁ」
軽い調子だ。
「なんで、“神器”使わなかった。使ってたら、もっと楽々俺に勝ててたんじゃねーの?」
鬼塚は、眉を吊り上げる。
「あ?」
鋭い視線。
「そんなもん、てめぇも同じだろ。力隠してやがった癖によ」
ディオニスは、ニッと口の端を上げる。
「バレてたか」
肩をすくめて、楽しげに言う。
「ま、本戦前に手の内全部見せるほど、お互いバカじゃねぇって事か」
鬼塚は鼻で笑った。
「試験中にガブガブ酒飲んでるヤツぁ、バカそのものだろ」
「これは俺の燃料なんだよ、燃料」
ディオニスは瓶を振ってみせる。
「お子ちゃまには分からねぇだろうがな」
「あぁ!?誰がお子ちゃまだコラ!?」
二人は、同時に睨み合い──そして。
「決着は、本戦でつけてやるよ」
口を揃えて言い切り、
同時に、ニッと口の端を上げた。
観客席の上段。
佐川颯太と天野唯は、並んで壇上を見下ろしていた。
鬼塚が無事に戻ってきた姿に、二人とも胸を撫で下ろす。
佐川は、ほっとしたように肩の力を抜いた。
そして、その視線は自然と、アルドとラグナへと向かう。
何やら話し込んでいる二人。
予選会開始前に漂っていた、張り詰めた空気は、もうない。
ラグナは、柔らかい表情でアルドと向き合っていた。
その様子を見て、佐川は小さく微笑む。
「ラグナ……」
独り言のように、呟く。
「アルドさんと……打ち解けられたのかな」
その笑顔は、戦いを越えた“変化”を、静かに喜ぶものだった。
そしてその変化は、確かに──
次なる舞台、“本戦”へと繋がっていく予兆でもあった。
◇◆◇
ブリジットは、歓声の渦をかき分けるように走っていた。
淡い金髪を揺らし、弾む足取りで、まっすぐに──ただ一人の青年を目指して。
「やったね!アルドくん!!」
声は弾み、喜びがそのまま形になったようだった。
その足元では、ミニチュアダックス姿のフレキが、短い脚を必死に動かして追いかけている。
「流石はアルドさんっ!凄いですっ!」
アルドは、その声に気づいて振り返り、ぱっと表情を明るくした。
「あっ!ブリジットちゃん!フレキくん!」
少し照れたように、だが嬉しそうに手を振る。
「なんとか最終フロアまで行けたよ〜」
その瞬間。
ブリジットは勢いそのままにアルドの前まで来ると、思わず彼の手をぎゅっと掴んだ。
「ほんとにすごいよ!アルドくん!あたし、信じてたけど……やっぱり、びっくりしちゃったよ!」
その無邪気な笑顔に、アルドは一瞬言葉を失い──
そして、はっとしたように視線を横へ走らせた。
ラグナ・ゼタ・エルディナス。
少し離れた場所で、静かに二人を見ていた青年は、ブリジットがアルドの手を握っている光景を目にした瞬間、ほんのわずかに眉をひそめた。
苦々しさが、確かにその表情をよぎる。
だが、それは長く続かなかった。
ラグナは小さく息を吐く。
フゥ……と、胸の奥に溜まっていた何かを吐き出すように。
そして、ブリジットを見た。
その視線に気づいたブリジットは、ぴくりと肩を跳ねさせ──
条件反射のように、サササッとアルドの影へ隠れる。
「……っ!ら、ラグナ殿下……」
アルドの背中に半分隠れながら、ちらりと様子を窺う。
だが、ラグナの声は、予想していたものとは違った。
「ブリジット……」
低く、落ち着いた声。
棘はなく、怒気もない。
「キミが、その男……アルド・ラクシズに肩入れする気持ち……」
一拍置き、ラグナは自嘲気味に微笑んだ。
「今の僕なら、少しは分かる気がするよ」
ブリジットは、思わず目を瞬かせた。
(……あれ?)
以前のラグナにはなかった、柔らかさ。
張り詰めた執着の色が、確かに薄れている。
理由は分からない。
だが、肌で感じる──“違う”と。
ブリジットは、そっとアルドの影から出て、ラグナに向き直った。
ラグナは、その様子を見て、ふっと笑う。
「──だが!」
声に力が宿る。
「ブリジット!!本戦でアルド・ラクシズを打ち倒し、キミを僕に振り向かせてみせる!」
宣言は、堂々としていて、真っ直ぐだった。
そしてどこか、清々しい。
ラグナは肩をすくめ、口の端を上げる。
「それまで、ブリジットは預けておこう」
視線をアルドに向ける。
「アルド・ラクシズ」
その言葉に、アルドとブリジットは思わず顔を見合わせた。
そして──
二人は、少しだけ笑った。
アルドは頭をかきながら、軽い調子で言う。
「──まだ、本戦出場決まってないけどね」
冗談めかした声。
ラグナは、鼻で小さく笑った。
「僕らが本戦に出ないで、誰が出るって言うんだ?」
その自信に満ちた言葉に、アルドも思わず苦笑する。
いつの間にか、アルドとブリジットの背後には、鬼塚とジュラ姉が並び立っていた。
鬼塚は腕を組み、静かに様子を見守っている。
ジュラ姉は、どこか愉しげに目を細めていた。
一方、ラグナの背後には、セドリック、リゼリア、ルシアが自然と並んでいる。
その中で、フレキはルシアを見るなり、びくりと身体を震わせ──
「あわわわ……!」
サササッとアルドの足元の後ろに隠れた。
さらに少し離れた場所では。
ザキの元に、ディオニス、ギュスターヴ、ロールが集まり、誰も言葉を発さぬまま、アルドとラグナ──二人の中心を静かに見つめていた。
その中心。
アルドとラグナの“間”に立つ形になったマリーダ教授は、しばし二人を交互に見上げ──
次の瞬間、目をハートにする。
「右にラグナ殿下、左にアルド様……」
頬に手を当て、恍惚とした溜め息。
「ハァー……眼福じゃ……」
だが、次の瞬間。
ハッとしたように背筋を伸ばし、真顔になる。
「皆の者!!」
拡声魔法で、声が競技場全体に響き渡る。
「今からスコアの集計を行う!!」
ざわめきが広がる。
「本戦出場者の発表は、3時間後じゃ!!それまで、解散!!」
その宣言と同時に、張り詰めていた空気が、ふっと緩んだ。
アルドたち四人。
ラグナたち四人。
ザキたち四人。
それぞれが、別々の方向へと踵を返し、歩き出す。
その背中を見送りながら──
ラグナ・チームのリゼリアは、前を歩くラグナの背を見つめていた。
憑き物が落ちたような、清々しい表情。
まるで長い悪夢から覚めたかのような背中。
(ラグナ殿下……)
内心で、そっと呟く。
(アルドさんと、和解されたのですねぇ〜……)
(ブリジットさんへの執着も、薄くなられたみたいですぅ〜……)
一瞬、微笑みかけ──
だが、その表情は、ふと別の方向へ転ぶ。
(でも……)
リゼリアの瞳から、温度が消える。
(それって、ちょっと……)
唇の端が、わずかに歪んだ。
(……解釈違いなんですよねぇ〜……)
その視線は、ほんの一瞬だけ。
凍りつくほどに冷たく。
やがて、何事もなかったかのように、彼女は再び歩き出した。
物語は、静かに──
だが確実に、次の段階へと進み始めていた。




