第284話 嫉妬の檻を壊す銀光
銀色の光が、空間を切り裂いた。
アルドの口元から放たれたブレスは、ただの破壊光線ではなかった。
それは、音もなく、だが確実に“何か”を削ぎ落とす光──概念に触れるような、静謐で残酷な輝きだった。
空中でマリーダを覆っていた黒い魔力が、じゅわり、と焼け焦げるように軋む。
いや、焼かれているのは魔力そのものではない。
彼女に絡みつき、重ねられていた“役割”や“呪い”、そして歪められた在り方が、光に触れた瞬間から、剥がれ落ちていく。
黒いウェディングドレスが、裂ける。
布が裂けるのではない。
“花嫁”という虚構が、意味を失って崩れ落ちていく。
裾が灰となり、ベールが風に散り、黒い薔薇の装飾が音もなく砕けていく。
その下から現れたのは、狂気に彩られた花嫁ではなかった。
肌の色は、くすんだ浅黒さを失い、元の血の通った色を取り戻していく。
赤く濁っていた瞳は、揺れながら、ゆっくりと本来の色へと戻っていく。
表情から、張り付いたような歪んだ笑みが消え、代わりに戸惑いと混乱が浮かび始める。
空中に漂うその姿は、もはや“妹の影”ではない。
そこにいたのは、マリーダ・フォンという一人の魔法教授だった。
「……っ」
その光景を、少し離れた空中から見下ろしていたラグナは、思わず息を呑んだ。
風を操り宙に留まりながらも、その身体は一瞬、完全に硬直していた。
(これが……)
胸の奥で、言葉にならない感情が渦を巻く。
(アルド・ラクシズの……隠し持っていた力……)
銀の光線は、ただ敵を倒すための力ではない。
ラグナは、本能的にそれを理解していた。
(相手にかけられたバフ、デバフ……呪い、強化、精神干渉……それらを、まとめて“剥がす”……!?)
魔法理論的に考えれば、あり得ない。
個別に解析し、解除し、相殺しなければならないはずの要素を、あの光は一括で否定している。
(いや……それだけじゃない……)
ラグナの視線は、銀の光の奥――その発生源へと向かう。
(あれは……“状態”を剥がしているんじゃない……"在り方”そのものに干渉している……!)
思わず、こめかみに一筋の汗が伝った。
だが、恐怖や焦燥ではない。
ラグナは、ふっと口元を緩める。
(流石は……)
心の中で、彼はそう呼ぶ。
(主人公の“宿敵”キャラ……という訳か……!)
自分の物語に、真正面から並び立つ存在。
追い越すべき壁であり、同時に──越えられることを期待してしまう相手。
その光景を見て、ラグナは思わず、ニッと口の端を吊り上げていた。
一方、地上。
巨大な参列者席の椅子の陰。
瓦礫と影に身を潜めていたザキは、居合の構えを解いたまま、ただ呆然と空を見上げていた。
銀色の光が、視界を満たす。
その中心に立つ青年の姿が、はっきりと映る。
(アルドくん……)
喉が、無意識に鳴った。
(君ぃは……一体……何者やねん……!?)
剣士として、数え切れない修羅場を潜ってきた。
異常も、怪物も、規格外も見てきたつもりだった。
だが──
(あんな“力の使い方”……見たことあらへん……)
ただ強いのではない。
ただ派手でも、ただ恐ろしいのでもない。
“救うために壊す”という、矛盾した力。
ザキは、知らず知らずのうちに目を見開いていた。
そして、ほんの少しだけ、背筋に寒気を覚えながらも──
(……せやけど)
口元が、わずかに緩む。
(悪いけどなぁ、アルドくん……その力、利用させてもらうで。俺の"復讐"の為に……)
銀の光が薄れ、空気が静まり始める。
崩れ落ちた虚構の向こうで、物語は確かに、次の局面へと進み始めていた。
◇◆◇
──その瞬間だった。
マリーダの胸元に浮かんでいた、淡い白の蛇の紋様が、不気味に脈打った。
平面だったはずのそれが、影を持ち、厚みを帯び、まるで皮膚の下から“這い出してくる”かのように立体化していく。
「……?」
意識を取り戻しかけたマリーダは、ゆっくりと瞬きをし、周囲を見回した。
「わ……ワシは……一体、何を……?」
崩れた結婚式場、焦げた魔力の残滓、遠くに見える人影。
断片的な光景を認識しかけた、その瞬間。
ぎゅるり、と。
「……ッ!?」
白蛇が、完全に実体を持った。
それは紋様のままでは終わらず、マリーダの胸元から這い出し、首、肩、腕へと絡みつき、瞬く間に彼女の身体を締め上げていく。
「ヒッ……!?」
喉から零れた悲鳴は、あまりに小さかった。
白蛇型の魔力は、アルドの銀のブレスに焼かれた痕を残しながら、なおも生き延び、のたうつように蠢いている。
白い鱗はところどころ黒く焦げ、苦しげに震えているにもかかわらず、その力は衰えない。
いや──締め付けているのは、肉体ではない。
魂だ。
(な、何じゃ……これは……!?)
胸の奥、もっと深いところ。
自我の根に直接、冷たいものが絡みついてくる感覚。
(怖い……! ワシが……ワシが……何かに……飲まれていく……ッ!!)
視界が、白に染まった。
音が消える。重力も、時間も、現実の感覚も、すべてが遠ざかっていく。
──マリーダの精神時間が、引き延ばされる。
ほんの一瞬の出来事のはずなのに、それは永遠にも思えるほど、長く、重く、残酷だった。
気づけば、彼女は立っていた。
何もない、真っ白な空間に。
上下も、奥行きも曖昧な世界。
そこには、彼女と──白蛇だけがいた。
白蛇は、先ほどよりもはるかに大きく、はっきりとした輪郭を持っていた。
冷たい瞳が、マリーダを見下ろす。
《──聞け、哀れなる人の子よ》
声は、直接、頭の内側に響いた。
古めかしく、どこか文語的で、感情の抑揚が薄い。
《お前は“嫉妬”の心に飲まれた》
マリーダの胸が、びくりと跳ねる。
《今は亡き妹を羨み、妬んだ》
「……っ」
否定の言葉は、喉に詰まって出てこない。
《我は貴様の願いを叶え、望む姿を与えた》
黒い花嫁姿。
妹の面影を纏った自分。
記憶が、痛みとなって胸を刺す。
《しかし、お前は今、我と共に敗北し、“嫉妬”の想いは消え去ろうとしている》
白蛇の身体が、ゆっくりと、しかし確実にマリーダへと巻きついていく。
精神体であるはずの身体に、圧迫感が走る。
《“嫉妬”とは、二者の間にのみ存在し得る想い》
《それが消え去る時──》
蛇の瞳が、冷たく細められた。
《お前自身と、他者との繋がりそのものが消える時よ》
ぞっとするほど、静かな宣告だった。
《貴様は我と共に、この世界の輪廻から消えるのだ》
《──“あの方”への、供物としてな》
「……ガ……ッ……!?」
マリーダの喉から、掠れた呻き声が漏れる。
白蛇は、もはや逃げ場を与えない。
魂そのものを、締め上げられている。
涙が、視界を滲ませた。
「だ……誰か……」
声は震え、掠れていた。
「助け……て……ッ……!」
《無駄だ》
白蛇は、冷笑する。
《我らが今感じているこの時は、“嫉妬の魔王”様の作られた、我らのみの空間。》
《何人たりとも、我らの滅びを止めることは出来ぬ……!》
白蛇の口元が、歪む。
《さぁ……“嫉妬”の輪から外れ……》
《輪廻の外へと、旅立とうぞ……!》
(ああ……)
マリーダは、ゆっくりと理解した。
(これは……ワシへの、罰なのじゃな……)
妹の笑顔。
幸せそうな姿。
祝福される未来。
(妹へ……醜い嫉妬の情を抱いてしまった……愚かな……ワシへの……)
分かっていた。
逆恨みだと。
八つ当たりだと。
(それでも……)
胸が、張り裂けそうになる。
(それでも、ワシは……それでも……それでも……)
(あの子の幸せを……どこかで……憎んでしまった……)
涙が、止まらなかった。
《“嫉妬の魔王”様の……》
白蛇が、口を大きく開く。
《贄となれぃッ!!》
闇が、迫る。
マリーダは、ぎゅっと目を瞑った。
観念し、祈ることすら諦めて。
──その瞬間。
「いや、だから助けるってば。」
あまりにも場違いで、あまりにも呑気な声が、響いた。
《……え?》
白蛇が、間の抜けた声を上げた、その刹那。
ガシッ、と。
白蛇の首元を、何かが掴んだ。
《グェっ!?》
完全に予想外だったのだろう。
白蛇の身体が、びくりと跳ねる。
マリーダが恐る恐る目を開けると──
そこにいたのは、見慣れた銀髪の青年だった。
「……き、貴様は……?」
アルド・ラクシズは、白蛇の首を片手で掴んだまま、困ったように肩をすくめていた。
「いやぁ、間に合ってよかった」
白蛇は、完全に混乱していた。
《えっ?》
◇◆◇
マリーダは、呆然と目を見開いていた。
白い虚無の空間の中で、銀色の髪を揺らしながら立つ青年──あまりにも場違いで、あまりにも呑気な存在。
「あ……アルド・ラクシズ……?」
掠れた声でそう呟いた瞬間、白蛇がびくりと大きく身を震わせた。
《な、何だ貴様は!?ここは、我の主様が作られた精神世界だぞ!?外部から他者が入り込めるはずが……!?》
先ほどまでの尊大さは影を潜め、声には明らかな動揺が混じっていた。
だが、当の本人はというと。
アルドは白蛇の首を掴んだまま、首を傾げ、どこか間の抜けた調子で答える。
「あ、そうなの? でも、普通に入れたけど。」
さらりと。
「“この俺”もさ、ブレスに込めた俺の精神体だしね。」
その言葉が落ちた瞬間、白蛇の動きが完全に止まった。
《ば……バカな……!?そ、そんな事が……出来るはずが……!?》
恐怖が、はっきりと声に滲む。
アルドは小さく肩をすくめた。
「出来ちゃったから、ここに居るんだけどね」
そう言ってから、ちらりとマリーダに視線を向ける。
抱え上げた彼女の身体が、まだ小さく震えているのを感じ取って、ほんの一瞬、表情が柔らいだ。
そして再び、白蛇を見据える。
「あのさぁ」
声色は変わらない。軽い。
だが、その奥に、確かな芯があった。
「今さ、“統覇戦”の予選会で、学生のみんなが必死に頑張ってるのよ」
白蛇の身体が、じり、と後ずさる。
「ブリジットちゃんもね」
その名を出した瞬間、アルドの声に微かな熱が宿る。
「それをさぁ……」
ぎし、と指に力が籠もる。
「お前みたいな、訳の分からん蛇の化け物に邪魔されて、オジャンにする訳には──」
ブチッ。
「いかないんだよっ!」
ブチブチブチ、と嫌な音が響いた。
白蛇が、悲鳴を上げる暇もなく、マリーダの魂に絡みついていた魔力が、一本一本、無理矢理引き剥がされていく。
《アアアアァァアアアア!? バカな……バカな……!?》
白蛇は必死にもがき、尾を打ちつけるが、アルドの手は微動だにしない。
「はい、分離完了」
あっさりと言い放つと、アルドは白蛇を片手でぶら下げるように持ち上げ、そのまま──
ブォンッ!!
真上へと、力任せに放り投げた。
白い虚無の中を、白蛇の魔力が弧を描いて舞い上がる。
その間も、アルドはマリーダをしっかりとお姫様抱っこしたままだ。
「ちょっと、耳塞いでて」
そう言って、彼女の頭を自分の胸元へ軽く引き寄せる。
マリーダは何も言えず、ただその腕の中に身を委ねた。
アルドの口元に、キィィーン……と高い音を立てて、銀色の魔力が集束していく。
その光は、精神世界そのものを照らすほどに眩しかった。
「よく分からんけどさ。お前……」
アルドは空を見上げ、落ちてくる白蛇を見据える。
「異世界の寄生虫みたいなヤツなのかな?
アストラル・サナダムシ的な。」
口の端を、少しだけ吊り上げて。
「とりあえず──駆除しとこ。キモいし」
次の瞬間。
ビィィィィ――――ン!!
銀色のブレスが、一直線に放たれた。
《き、寄生虫だと……!?ふざけるな……!? 我は、あのお方の……》
叫びは、最後まで届かなかった。
《──ァァアアアア!!》
白蛇の魔力は、光の中で霧散し、跡形もなく消え去る。
同時に。
パァァンッ!!
ガラスが砕けるような音と共に、白い精神世界が粉々に割れた。
──現実世界。
アルドは、マリーダ教授をお姫様抱っこしたまま、地上にスタッと着地する。
揺れる黒い魔力は消え、結婚式場の異様な気配も、急速に霧散していった。
アルドは、腕の中のマリーダを見下ろし、にこりと笑う。
「もう大丈夫だよ、マリーダ先生」
その笑顔を見た瞬間。
マリーダの目が、きらりと輝き――ハートの形になる。
「は……はひ……!」
顔を真っ赤にしながら、震える声で呟く。
「推し、二人目……決定なのじゃ……」
「えっ?」
アルドが素で聞き返した、その瞬間。
『ダンジョン・サバイバル、完全攻略!!
Congratulations!!』
明るいアナウンスが、50階層全体に響き渡った。
直後、夜空に──いや、ダンジョンの天井いっぱいに、色とりどりの花火が打ち上がる。
爆音と歓声の代わりに、勝利の光だけが降り注ぎ。
戦いは、静かに──だが確かに、終わりを告げていた。




