第282話 黒き花嫁は、誰の記憶を纏う
競技場の観客席は、まるで祭りの最高潮のような熱気に包まれていた。
水晶球に映し出されているのは、地下50階層。
背中合わせに立ち、狂気に染まったマリーダ・フォンへと相対する二つの光──
“金の超星“ラグナ・ゼタ・エルディナスと、”銀の新星“アルド・ラクシズ。
「うおおおおおッ!!」
「見ろよ!あの二人がタッグだぞ!?」
「二人とも素敵ーっ!!」
「これは……ダンジョン・サバイバル史上初の……完全クリアも見えてきたんじゃないか!?」
歓声、拍手、口笛。
観客たちは興奮を抑えきれず、立ち上がり、水晶球に釘付けになっていた。
──だが。
同じ観客席の一角。
そこだけは、まるで音が吸い取られたかのように、静まり返っていた。
リュナ、ヴァレン、蒼龍、グェル。
そして、召喚された高校生たち。
誰一人として、歓声を上げていない。
蒼龍は、水晶球に映るマリーダの姿を見つめたまま、喉を引きつらせた。
「……な、なんなのぉ……あれ……」
その声は、ほとんど独り言に近かった。
薄黒く染まった肌。赤く濁った瞳。
そして、純白だったはずの衣装が、禍々しい黒のウェディングドレスへと変じた異様な姿。
乾流星が、無意識に冷や汗を垂らしながら呟く。
「あれ……イベントの演出……って感じじゃ、なくね……?」
「……だよな……」
榊タケルが、短く同意する。
「ど、同感……」
イガマサも、視線を逸らしながら小さく頷いた。
その異様さは、“強い”とか“派手”といった次元を越えていた。
何かが、根本からおかしい。
リュナは、手にしていたポップコーンを摘まむ指を止めた。
軽口を叩く彼女にしては珍しく、表情は真剣だった。
「──いや、サスガにこれはフツーじゃなくね?」
「明らかにレベチな異常事態っしょ。な、ヴァレン」
そう言って、隣を見る。
しかし、ヴァレン・グランツは、その言葉が耳に入っていないかのように、水晶球を凝視していた。
普段の余裕ある笑みは消え失せ、目を見開いたまま、唇がわずかに震えている。
「──ウソだろ……!?」
絞り出すような声。
「あの姿……あのドレスは……!?」
リュナは、思わず眉をひそめた。
「……ヴァレン?」
その時だった。
観客席の後方から、人混みをかき分けるようにして、切迫した声が響いた。
「ヴァレン・グランツ……!!」
「ヴァレン・グランツは、おるか……ッ!?」
老人の声。
だが、その声には、ただならぬ焦燥と怒りが滲んでいた。
ヴァレンがハッと顔を上げる。
人々を押し分け、こちらへ向かってくる一人の老人。
威厳ある佇まい、深い皺に刻まれた歳月。
グラディウス・ヴァン・ヴィエロ宰相だった。
「……グラディウス……!」
ヴァレンが、思わずその名を呼ぶ。
一方、リュナは相手をまじまじと見て、首を傾げた。
「あれ?前に公園で会ったじいさんじゃね?」
その瞬間。
グラディウスは、ヴァレンの前まで来るなり、その胸倉を掴み上げた。
「貴様ァ……!!どういうつもりだッッ!?」
凄まじい剣幕だった。
周囲の観客が、ざわりと視線を向ける。
ヴァレンは一瞬驚いたものの、すぐに両手を上げて否定する。
「違う違う!俺じゃねぇよっ!!」
「?」
リュナや蒼龍たちは、完全に置いてきぼりの表情で二人を見比べた。
グラディウスは、荒い息のまま、水晶球を指差す。
「ならば!!あれは何だ!?」
指先が、震えている。
「何故……マリーダが……あいつの……メリンダの姿になっている!?」
その名を口にした瞬間、声が僅かに掠れた。
「──貴様以外に、こんな芸当が可能な者が、この場に他にいるかッ!?」
怒号。
それは責め立てるというより、縋るような叫びだった。
ヴァレンは、グラディウスの肩を掴み、真正面から目を合わせる。
「気持ちは分かる!だが、落ち着けッ……! 俺は……他人の恋の思い出を弄ぶ様な真似は、誓ってしない!!」
力を込めた声。
「お前だって、知ってるだろうが!!──俺が、どういう“魔王”なのかを!!」
その言葉に、グラディウスの瞳が揺れた。
「……ッ」
しばし、荒い呼吸。
やがて、肩から力が抜ける。
「──貴様の言う通りだな……済まない……取り乱していたのは、儂の方だったようだ……」
深く息を吐き、肩を落とす。
「いいって。」
ヴァレンは険しい表情のまま、その背をポンと叩いた。
「無理もねぇ……あんなもん、見せられちゃあな……」
二人の視線が、同時に水晶球へと向く。
そこに映るのは、黒いウェディングドレスに身を包んだマリーダ──否、“マリーダだったもの”。
その横から、リュナがひょこっと顔を出した。
「ちょいちょい。いきなしケンカおっ始めて、マジでイミフなんすけど。どゆこと?」
グラディウスはリュナの顔を見るなり、わずかに目を見開いた。
「ザ……ッ……」
一瞬、言葉に詰まり、すぐに言い直す。
「……リュナ、殿……!いらしたのですね……お見苦しいところを……」
リュナは気にした様子もなく、ギャルピースで軽く挨拶した。
「ちーっす。お久っす」
そして、あっけらかんと続ける。
「……で?あの魔女っ子教授が、ウェディングドレスみてーな感じに変身したのが、どーかしたんすか?結婚願望でもあんの?アイツ。」
その軽さに、周囲のフォルティア組も、思わず耳を傾ける。
ヴァレンは歯切れ悪く視線を泳がせた。
「あー……それは……」
ちらりと、グラディウスを見る。
グラディウスは、静かに頷いた。
ヴァレンは、覚悟を決めたように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……あの姿は、マリーダ教授のものじゃない……あれは──」
一拍、置いて。
「グラディウスの、亡くなった奥さん……メリンダさんの……結婚式でのドレス姿、そのものなんだ……」
その言葉は、静かだったが、重く、確かに胸に落ちた。
観客席の喧騒が、さらに遠のいたように感じられた。
◇◆◇
「どゆこと!?」
リュナは思わず身を乗り出し、目を見開いた。
先ほどまでの軽い調子は消え、声にははっきりとした困惑が混じっている。
その横で、猫型の覆面を被ったグェルが、喉の奥で息を詰まらせるようにして問いかけた。
「それって……マリーダ教授が、スキルで変身した……って事ですか……ッ?」
覆面越しでも分かるほど、緊張した声音だった。
だが、グラディウス・ヴァン・ヴィエロは、首を横に振る。
その動きは重く、悔恨を含んでいた。
「いや……確かにマリーダのスキルは、迷宮内に限っては万能に近い力を発揮する。だが……他者への変身能力など、備わってはおらんはずだ……」
視線を水晶球へ向け、歯を噛みしめる。
「それに……仮に出来たとしても、だ。いくらマリーダでも……メリンダに化けるなどという、悪趣味な真似は……せん……!」
声が、わずかに震えた。
その場にいた誰もが、言葉の重みを感じ取っていた。
グラディウスにとっての、亡き妻。
マリーダにとっては、亡き妹。
その“結婚式の姿”を、歪めて纏うなど──正気の沙汰ではない。
近くで様子を見ていた影山が、慎重に口を開く。
「それって……どういう事ですか?」
視線が、一斉にヴァレンへ向く。
ヴァレン・グランツは、一瞬だけ目を伏せ、それから静かに言った。
「メリンダさんは……マリーダ教授の妹さんなんだ。亡くなった妹のウェディング姿に化けるなんて……いくら何でも、しないだろ」
低く、淡々とした口調だったが、そこには確信があった。
一条雷人が、思わず息を呑む。
「……じゃあ……あの姿は、一体……!?」
答えは、まだ誰にも分からない。
リュナは、黙ったまま水晶球を凝視していた。
黒いウェディングドレスに身を包み、狂気の笑みを浮かべる“マリーダ”。
やがて、彼女はぽつりと呟く。
「アイツ……さっきの王子サマみたいにさ……魔力が、外側から引っ張られてる感じ、すんだケド」
その一言に、ヴァレンの表情が変わった。
「──何だって?」
鋭く問い返し、すぐにグラディウスを見やる。
「グラディウス。“視て”もいいか?」
大学構内での魔眼系スキルの使用は、厳格に制限されている。
だが、グラディウスは一瞬の逡巡の後、静かに頷いた。
「……許可する」
その言葉を待っていたかのように、ヴァレンの瞳が、僅かに異質な光を帯びる。
「”魂視”」
小さく呟いた瞬間、ヴァレンの視界が切り替わる。
水晶球越しに映るマリーダの“魂”。
──黒い魔力が、幾重にも絡みつくように包み込み、その中心に、白い蛇のような存在が、とぐろを巻いていた。
魂に、寄生するように。
抱き締めるように。
締め付けるように。
ヴァレンの目が、大きく見開かれる。
「これは……この魔力は……!?」
息を呑み、口元を手で覆う。
(──何だ……!?見た事のない筈の魔力……なのに……)
心臓が、嫌な音を立てて跳ねる。
(俺は……この魔力を……知っている……!?)
背筋に、冷たい汗が流れた。
(こりゃあ……ちと、マズイかも知れないな……いざとなったら……俺が乱入してでも、止めた方が……)
ヴァレンの視線が、鋭く水晶球へ向けられた、その時。
「何むつかしー顔してんの?」
間の抜けた声が、緊張をぶち壊す。
リュナだった。
彼女は頭の後ろで手を組み、呑気に水晶球を眺めながら言う。
「落ち着けし」
ヴァレンは、思わずポカンとした顔になる。
「……あのな、リュナ……! んな呑気な事、言ってられる状況じゃあないかも知れないんだぞ?分かってんのか?」
しかし、リュナは逆に呆れたような視線を向けた。
「いや、オメーこそ分かってねーっしょ。何、寝ぼけた事言ってんすか?ヴァレン」
「……何だと?」
怪訝な顔で聞き返すヴァレンに、リュナは親指で水晶球をクイクイッと指差した。
「あっこにいんの、誰だと思ってんの?」
その瞬間。
ヴァレンの脳裏に、雷が落ちた。
水晶球の中──
狂気の迷宮の只中に立つ、一人の青年。
「……!」
ハッとした表情から、次第に口角が上がる。
「ククク……そうだったな」
自嘲気味に笑い、ドカッと席に腰を下ろした。
「俺とした事が……」
グラディウスも、遅れて気づいたように水晶球を見上げる。
「そ、そうか……あの場には……アルド君が……!」
リュナは、ニッと笑った。
「そゆことー。兄さんなら、何とかしてくれっしょ」
その笑顔は、根拠のない楽観ではなかった。
“知っている者”の顔だった。
ヴァレンは、もう一度だけ水晶球を見つめる。
(正直……嫌な予感は、まだ消えねぇ)
(だが……)
視線に、信頼が宿る。
(相棒……お前なら、何とかしてくれるって……信じてるぜ……)
狂気の迷宮と、観客席。
二つの場所で、視線が交錯する。
物語は、静かに──
だが確実に、次の局面へと踏み込んでいた。




