第281話 アルド&ラグナ vs. マリーダ① ──悪夢の中の追撃戦──
ラグナは、宙に浮いたまま両手を広げた。
その十本の指先に、順番に魔力の灯がともっていく。金色、蒼、翠、紅──性質の異なる魔力が、脈打つように指を巡り、彼の周囲の空気を張り詰めさせた。
「それじゃあ……」
低く、落ち着いた声。
「まずは、暴走状態にあるマリーダ教授を無力化するとしようか」
その言葉に、隣──正確には地上で──アルドは軽く屈伸をしながら応じた。
肩を回し、首を鳴らし、まるで準備運動の延長のような気軽さだ。
「そーね。今のマリーダ先生、話とか通じなそうな感じだし」
その瞬間。
「……」
ケラケラと、空間に響いていた壊れた笑い声が、唐突に止んだ。
静寂。
次いで、ゆっくりと──あまりにもゆっくりと──赤い瞳が二人を捉える。
「……ラグナ殿下……」
マリーダの声は、低く、粘ついていた。
「やはり……ワシを差し置いて……」
唇が、歪む。
「“色欲の魔王”の使徒等と……そんな……そんなに親しげにィィィィッッ!!」
叫びと同時に、赤い目が見開かれる。
そこに宿るのは、怒りでも悲しみでもない。
ただ、焼け付くような“嫉妬”だった。
ラグナは一瞬、虚を突かれたように瞬きをし、視線をアルドへと向ける。
「……キミ」
少しだけ、声の調子が変わる。
「ヴァレン・グランツの……“使徒”だったのかい?」
アルドは、ぱちぱちと瞬きをし、慌てたように両手を顔の前で振った。
「いやいや、そういうんじゃないから!ってか、“使徒”って何?」
その軽い返答が──
火に油を注いだ。
「だから……ッ!!」
マリーダの喉から、獣のような咆哮が迸る。
「ワシを!!無視!!するなァァァァァ!!」
絶叫と共に、床が悲鳴を上げた。
ゴゴゴゴゴッ!!
カラフルな床が渦を巻き、ねじれ、次々とドリル状に変形していく。
幾本もの鋭利な螺旋が、二人めがけて一斉に突き上がった。
「ハッ!」
ラグナが短く笑う。
「それはもう見たさ!」
次の瞬間、風が爆ぜた。
身体を包んでいた風の一部が刃へと変わり、放たれる。
スパパパパッ!!
真空の鎌が走り、ドリルは次々と寸断され、砕け散る。
破壊された床片が、虹色の破片となって宙を舞った。
一方、アルドはというと。
「よっ。ほっ。」
実に軽い掛け声。
突き、蹴り、回転。
無駄のない動きで、迫るドリルを拳と脚だけで叩き壊していく。
金属音と破壊音が重なり、床は瞬く間に瓦礫の海と化した。
マリーダは舌打ちをする。
「チィッ!!」
その表情に、焦りが滲む。
巨大なぬいぐるみたちを盾にするように前へ押し出し、同時に箒へと跨った。
黒い魔力を噴き上げ、後方へと一気に飛び退く。
距離を取るつもりだ。
「逃がすか!」
ラグナが叫ぶ。
「追うぞ!!アルド・ラクシズ!!」
風を踏み、空を舞う。
「了解っ!!」
アルドも即答した。
「とっ捕まえて、鎮静魔法でもかけてやろうか!」
ドンッ!!
地面を蹴る音が、砲撃のように響いた。
アルドの身体が弾丸のように前へと飛び出す。
広大なフロア。
ファンシーで、歪んでいて、どこまでも続く悪夢のような景色。
キャンディ色の柱、溶けかけた壁、笑顔の貼り付いた装飾。
その中を、箒に乗って逃げるマリーダ。
それを、地と空から追い詰める二つの影。
その行く手に──
ズン、と重い振動。
現れたのは、巨大なペンギンとウサギのぬいぐるみだった。
愛嬌のあるフォルム。だが、口の奥には鋭い牙。
眼球はギョロギョロと不規則に動き、不気味な光を放っている。
しかし、アルドとラグナは、スピードを一切緩めなかった。
アルドは走りながら拳に魔力を集中させる。
ラグナは飛翔しながら、右手の人差し指と中指を揃え、魔力を解放する。
「「邪魔っ!!」」
声が、重なった。
次の瞬間──
アルドの拳が、巨大ペンギンを正面から打ち抜く。
衝撃が内部で爆ぜ、ぬいぐるみは木っ端微塵に弾け飛んだ。
同時に、ラグナの放つ光線が巨大ウサギを貫く。
一瞬の閃光の後、爆散。
破片が雨のように降り注ぐ中、二人は止まらない。
少し離れた場所。
自ら斬り倒した巨大なクマのぬいぐるみの残骸に身を潜めながら、ザキはその光景を見ていた。
(……一時的に組んだ、っちゅう事か……)
喉が、ひくりと鳴る。
(それにしても……)
額から、一筋の汗が流れ落ちる。
(化け物やな……二人とも……!)
逃げるマリーダ。
追う“銀”と“金”。
歯車は、完全に噛み合い──
追撃戦は、さらに加速していく。
◇◆◇
マリーダは、黒い魔力を尾のように引きながら、箒で迷宮の上空を疾走していた。
その後ろを、二つの影が追う。
一つは、地を蹴り、壁を踏み、床を砕きながら突き進むアルド。
もう一つは、空気そのものを踏み台にするように飛翔するラグナ。
途中、道を塞ぐように現れるオモチャやぬいぐるみたちは、もはや足止めにすらならなかった。
バンッ!
アルドの拳が、突進してきたブリキの兵隊の胸を打ち抜く。
パァン!
ラグナの指先から放たれた光弾が、空を泳ぐ風船型の魔物を弾け飛ばす。
二人とも、息一つ乱さない。
その高速移動の最中──
ラグナは、前を向いたまま、唐突に口を開いた。
「アルド・ラクシズ! キミに、三つほど言っておく事がある!」
「えっ!?」
アルドは走りながら目を見開く。
「何!? こんな時に!!」
ラグナは、視線を逸らさず、きっぱりと言い切った。
「こんな時だから、だ! いいから聞け!」
風を裂きながら、言葉が続く。
「まず一つ!」
ラグナの声が、戦場に響く。
「キミも知っての通り、今のマリーダ教授は、普通じゃない! 僕は彼女の実力は概ね知っているが──」
その瞬間、アルドの正面に、毒々しい色をした巨大な花のオモチャが飛び出した。
中央には人の顔のようなものが張り付き、口をパクパクと開閉している。
「うわっ、気色悪っ!」
アルドは迷いなく跳躍し、飛び蹴りを叩き込んだ。
ドガァン!!
花は音を立てて爆ぜ、破片が霧散する。
「……今の彼女の魔力出力は、それを遥かに上回っている!」
ラグナの言葉が、途切れず続く。
アルドは着地しながら、眉を寄せた。
「それってつまり……どういうこと?」
「察しが悪いヤツだな!」
ラグナは吐き捨てるように言う。
「つまりだ! 今のマリーダ教授は、何者かによってバフ……いや、デバフかもしれないが!」
その時、空から降り注ぐように、流れ星型のライトを模した魔法弾が飛来した。
キラキラとした外見とは裏腹に、内包する魔力は凶悪だ。
ラグナは飛翔したまま、指を鳴らすように前へ突き出した。
ゴォォォッ!!
巨大な火球が生まれ、魔法弾の群れをまとめて飲み込む。爆発音が空を震わせる。
「とにかく、何らかの状態異常をかけられてるかも知れないって事さ!!」
アルドは走りながら、短く息を吐いた。
「なるほど。でも……誰がそんな事を?」
「僕が知るもんか!」
ラグナは即答する。
「参加者の中に、そういう効果のスキルを持った者がいたとか、色々仮説は立てられる! だが──」
一拍、置く。
「今の問題は、そこじゃない!」
アルドは頷きながら、次々に現れるぬいぐるみを拳で叩き潰していく。
「──原因がどうあれ、マリーダ先生にかけられたその状態異常を解くのが先決……って訳ね」
そう答えながら、内心では別の思考が走っていた。
(……佐川くん達が受けてた、洗脳みたいな感じか……まさか、またベルゼリアが……?)
一瞬、嫌な予感がよぎるが、すぐに打ち消す。
(……いやいや。それは流石に無いか……)
「そうだ!」
ラグナの声が、少しだけ明るくなる。
「今度は察しがいいな! ……そして、二つ!!」
言葉と同時に、彼は速度を落とさず続けた。
「この共闘関係は、あくまでマリーダ教授に起きた異常事態に対応する為の暫定的なものだ!」
前方で、マリーダの黒い魔力が揺らめく。
「本戦では、僕とキミは敵同士……ここで手の内を全て見せ合うのは、お互い美味くないだろ!?」
アルドは「確かに」と小さく頷く。
「能力の開示は、最小限にとどめる!」
ラグナの声は、指揮官のそれだった。
「互いの力を借りるときは、自分が望む事を『出来るか、出来ないか』だけを相手に問う!相手は、開示できる範囲でそれに答える!お互い、そういうルールでいくぞ!」
「お、おお……!」
アルドは少し感心したように返す。
「なるほど! りょ、了解!」
その内心では、別の感情が芽生えていた。
(コイツ……リーダーとしての資質、ちゃんとあるじゃん……なんでブリジットちゃんが絡むと、あんな短気でアホになってたんだろ……?)
そんな事を考えていると──
「三つ!!」
ラグナが叫んだ。そして、一瞬の沈黙。
アルドは走りながら、ちらりとラグナの方を見る。
「?」
その視線に気づいたのか、ラグナは高速飛行のまま、ほんの一瞬だけこちらを見た。
黄金の瞳が、鋭く、そしてどこか楽しげに細められる。
「──こんな所で脱落するんじゃないぞ、アルド・ラクシズ!」
風が唸る。
「キミを倒すのは……この僕なんだからな!」
アルドは一瞬、ぽかんと口を開けた。
そして──
「……っ」
吹き出した。
「いいね。それ」
走りながら、笑う。
「めっちゃ、“宿敵”っぽいじゃん」
ラグナは、フッと口角を上げた。
「だろ?」
そのまま、飛行速度を一段階引き上げる。
風を裂き、空間を歪めながら、マリーダ教授へと一気に迫っていった。
二つの背中は、今この瞬間だけ、同じ方向を向いていた。
◇◆◇
ラグナは、マリーダの背中を睨み据えたまま、短く息を吐いた。
「……埒が開かない!」
声が、風を切る。
「挟み撃ちにするぞ!! いけるか!? アルド・ラクシズッ!!」
その問いに、アルドは一瞬も迷わなかった。
「オッケー! それなら──『出来る』!」
言い終わると同時に、進路を大きく変える。
地を踏み抜くような一歩。
ドンッ!!
床が悲鳴を上げ、アルドの身体が弾丸のように前へと射出された。
箒で飛ぶマリーダの進行方向を読み、その先へ回り込むための全力疾走。
それに気づいたマリーダが、甲高い声で叫ぶ。
「チィッ!! 小賢しいッ!!」
箒の上で身をひねり、ステッキを振るう。
ゴキィ……ッ!
アルドの走る地面に、蜘蛛の巣のような亀裂が走った。次の瞬間──
ボゴォォッ!!
裂け目から、ピンク色に輝くマグマが噴き上がる。
甘ったるい色合いとは裏腹に、放たれる熱は凶悪だった。
「……おっと!」
だが、アルドは怯まない。
噴き出すマグマの合間を、縫うように走る。
熱風が頬を焼き、靴底が一瞬で焦げるが、足は止まらない。
「そっちが本気なら……!」
跳び、踏み、回避しながら、マリーダの飛行ルートを先読みする。
一方、空では──
マリーダが振り返り、別の攻撃を放っていた。
カラフルな小鳥たちが、甲高い鳴き声を上げながら生み出される。
玩具めいた見た目。だが、その速度は、弾丸そのものだった。
「邪魔だ……!」
ラグナが低く唸る。
右手を前に突き出し、五指を大きく開いた。
「──”魔杖指・五行“ッ!!」
指先から、同時に五つの力が解き放たれる。
炎が爆ぜ、氷が裂け、岩が砕け、雷が貫き、風が薙ぎ払う。
五行の奔流が交錯し、小鳥たちは次々と吹き飛ばされ、空中で霧散した。
「……っ!」
マリーダの表情に、焦りが走る。
逃げる軌道が、次第に狭まっていく。
前方ではアルドが回り込み、後方からはラグナが迫る。
ついに──
「よっしゃ! あとちょっとで、追いつくっ!」
アルドの声が、目前まで迫った。
ラグナも、宙を舞いながら告げる。
「観念してください、マリーダ教授」
声には、確かな警戒と理性があった。
「貴女は、何らかの異常をきたしている……!」
その言葉に、マリーダの身体が、ぴたりと止まった。
「……異常……?」
箒がふらつき、やがて地面へ降りる。
「ワシが……異常……?」
震える声。
「……分かっておる……そんな事は……」
足が地に着いた瞬間、膝が笑い、身体がわなわなと震え出す。
「ワシが……ハズレスキル持ちの……“異常”である事くらい……!」
アルドは、急ブレーキをかけて止まった。
キキキィ……ッ!
「えっ!? い、いや……!」
思わず声を上げる。
「ラグナが言ってるのは、多分……そういう意味じゃなくて……つーか、これのどこがハズレスキルなの!?」
ラグナも、空中で身構えたまま、内心で警戒を強めていた。
(何だ……?マリーダ教授は……何を言っている……!?)
その時だった。
ブワァァッ──!!
マリーダの身体から、これまで以上の黒い魔力が噴き上がった。
空気が歪み、迷宮全体が低く唸る。
「ワシは……!」
叫びが、裂ける。
「ワシだって……!」
黒い魔力が、渦を巻く。
「あの人の隣に……立ちたかった……!」
胸元の白い蛇の紋様が、うねり、蠢き、脈動する。
「妹の……メリンダの様に……ッッ!!」
声が、嗚咽と絶叫の境界を超えた。
「あああアアアアアアアァァぁあああ!!」
黒い魔力が、完全にマリーダを包み込む。
人の形が、溶け、歪み、再構築されていく。
アルドとラグナは、思わず息を呑んだ。
やがて──
そこに立っていたのは。
薄黒く光る、ウェディング・ドレス。
レースとヴェールが、闇のような魔力に揺らめいている。
若い女性の姿。
マリーダに似ているが、どこか決定的に違う。
二十代半ばほどの、凛とした面差し。
美しさと、不気味さが、同時に存在する姿だった。
ラグナは、思わず一歩、引いた。
「な……何なんだ……これは……!?」
声に、わずかな怯えが滲む。
「マリーダ教授が……別の人物に……!?」
アルドも、額に一筋の汗を流しながら、低く呟いた。
「……こりゃあ……」
視線を逸らさず、続ける。
「ちょっと、普通じゃないよね。やっぱり……」
迷宮の空気が、張り詰める。
“マリーダ・フォン”だったものは、もはや別の存在へと変貌しつつあった。
その狂気と悲嘆の中心で、
物語は、さらに深い局面へと踏み込もうとしていた。




