第275話 アルド vs. ラグナ(2戦目)① ──交差する銀と金──
ラグナ・ゼタ・エルディナスは、白い橋の上空でふわりと身を翻し、風に身を預けたまま静止した。
足元には果ての見えない水面が広がり、砕けた巨神像の残骸が点々と浮かんでいる。
その光景を見下ろしながら、彼はゆっくりと息を吐いた。
「……”魔杖指”……」
低く、抑えた声。
続けて、噛み締めるように言葉を紡ぐ。
「……”十戒”……!」
両腕を持ち上げ、十本の指を天へ向ける。次の瞬間、空気が震えた。
ラグナの頭上、数メートルの位置に、十個の巨大な火球が同時に出現する。
それぞれが馬車ほどの大きさを持ち、赤熱した核を中心に、灼熱の揺らぎを纏っていた。
火球はゆっくりと円を描くように配置され、まるで天に浮かぶ災厄の輪のように回転を始める。
その光景を、水面の上から見上げていたアルドは、思わず目を見開いた。
「おおっ……!本当に十発同時に魔法を発動した……!」
感嘆混じりの声が、思わず漏れる。
だが、その表情はすぐに真剣なものへと変わった。
(複数の魔法の完全無詠唱、同時発動……)
水面を蹴りながら、アルドは一気に前へと踏み出す。
シュバババッ、と白い水飛沫が帯を引き、彼の進路をなぞる。
(これがラグナのスキルの効果か……? いや……それだけじゃない感じがする)
さらに、もう一つの違和感が脳裏を掠める。
(それに……ダンジョン内じゃ”飛翔”の魔法は封じられてるはずだよな…… じゃあ、どうやって飛んでるんだ?コイツ)
考えながらも、足は止まらない。
アルドは水面を叩くように疾走し、一直線にラグナとの距離を詰めていく。
その動きを、ラグナは即座に察知した。
(来る……!)
十個の火球を頭上で回転させたまま、風の流れを踏み替える。
身体を包む風魔法を精密に制御し、後方へと一気に滑るように移動した。
距離を保つ──それが、この局面での最適解だと判断したからだ。
(身体強化を使った接近戦……!?)
ラグナの視線が、一直線に迫ってくる銀髪の少年を捉える。
(アルド・ラクシズ……あれほどの魔力を有しながら、近距離戦闘タイプのキャラなのかッ!?)
警戒心が、背筋をひりつかせる。
ラグナは宙で両手を構え、粘土をこねるように、ぐりん、と円を描く動きをした。
すると、頭上の十個の火球が呼応するかのように加速し、互いに引き寄せられていく。
空が、赤く染まった。
火球は一つの巨大な渦を形成し、49階層の天井一面に、赤い渦巻き状の光の天蓋が現れる。
熱が、空間そのものを歪める。空気が焼け、唸りを上げた。
ラグナは、その中心で指揮官のように腕を振り下ろす。
「……”灼天弾幕”……!」
刹那。
キュドドドドドドッ──!!
轟音と共に、赤い渦から炎の槍が次々と射出された。
一本一本が大木ほどの太さを持ち、空を裂きながら雨のように降り注ぐ。その軌道は無秩序に見えて、しかし全てが、ただ一人──アルド・ラクシズへと収束していた。
アルドは、降り注ぐ炎を見上げながら、口元を僅かに歪める。
(こりゃ、なかなか凄い規模の攻撃だな……)
足を止めることなく、進み続ける。
(ヴァレンの”獅子座流星群“みたいだ……!)
炎の槍が水面に突き刺さり、爆ぜる。
轟音と共に、水柱が幾重にも立ち上がる。その隙間を縫うように、アルドは走った。
(それに……“全魔典”を読んでた俺が、見たことも無い魔法だ……)
純粋な感嘆が、胸を満たす。
(すげぇな……!)
口にした言葉は、どこか呑気ですらあった。
「まるで、ミサイルの雨だね」
そう呟いた瞬間、アルドの足運びが変わる。
──ギアが、一段階上がった。
ダダダダダダダッ!!
水面が悲鳴を上げ、爆ぜるような水飛沫が連なっていく。
炎の槍が迫るよりも速く、アルドの身体は前へ、前へと滑るように突き進む。
ラグナは空中で身を翻し、必死に距離を取った。風魔法を幾重にも重ね、アルドの進路から逃げるように飛翔する。
(み、水の上を……走ってる!?)
信じられない光景に、思わず目を見開く。
(何なんだ、コイツは……ッ!?)
次々と放たれる炎の槍。そのすべてを、アルドは紙一重で、あるいは余裕すら感じさせる動きで躱していく。爆風が背中を掠め、水柱が視界を遮る。それでも、速度は落ちない。
距離は──縮まっている。
ラグナは、歯を食いしばった。
(近づかせるな……! 近づかせたら──)
その先の想像を、彼自身が拒絶する。
空と水、魔法と肉体。
相反する二つの異常が、今この瞬間、同じ軌道へと収束しつつあった。
49階層の空は赤く燃え、水面は白く砕け、そして二人の間の距離は、確実に、削られていく。
◇◆◇
ラグナ・ゼタ・エルディナスは、風を蹴るように宙を滑りながら、背後から迫る気配をはっきりと感じ取っていた。
──速い。
想定していたより、はるかに。
「チッ……!」
歯噛みしながら、彼は空中で半身をひねる。
逃げるだけでは距離が詰められる。
ならば──削るしかない。
「”追跡光束“ッッ!!」
叫びと同時に、ラグナの指先が鋭く弾けた。
次の瞬間、虚空に走る光。
八条のレーザーが同時に放たれ、空中で不規則にうねりながら、獲物を捉えんと進路を変えていく。白熱した光束は蛇のように曲がり、逃げ道を塞ぐかのようにアルドへと収束していった。
アルドは、それを一瞥しただけで進路を変えた。
水面を一直線に走るのをやめ、巨神像の残骸が密集する区域へと急旋回する。
ザバァッ!!
水飛沫が横に跳ね、彼の身体が低く沈む。
(来る……!)
巨神像の崩れた腕、砕けた胴体、折れた頭部。
数十メートル級の瓦礫が無秩序に転がるその間を、アルドは縫うように走った。
レーザーが背後から追い縋り、軌道を変え、瓦礫の隙間へと潜り込む。
ドォンッ!!
一発が巨神像の破片に命中し、爆発する。
衝撃で瓦礫が跳ね上がり、破片が雨のように降り注いだ。
(……なるほど)
アルドは走りながら、冷静に分析する。
(あのレーザー、着弾すると爆発するタイプか)
だからこそ、瓦礫の多い場所は“盾”にも“罠”にもなる。
アルドはさらに速度を上げ、別の瓦礫群へと突っ込んだ。
ラグナはその光景を上空から見下ろし、思わず息を呑む。
(”追跡光束“より……速く走ってる……!?)
あり得ない。
ホーミングを含めたあの速度を、人間が地上移動で上回るなど──。
(化け物め……ッッ!!)
額に、じっとりと汗が滲む。
それでもラグナは、手を止めない。空中で姿勢を保ちながら、指先に魔力を集束させる。次の一手を、頭の中で組み立てる。
その瞬間だった。
アルドが、巨神像の破片の一つに跳び乗った。
ザザァァーーッ!!
巨大な石の上で強引にブレーキをかけ、水と粉塵が一気に舞い上がる。
後方から、七条の光が迫る。
「――あーたたたたたたたっ!!」
気合い混じりの叫びと共に、アルドの拳が唸った。
両腕を連打のように振るい、目の前の巨神像の瓦礫を殴って砕く。
拳が触れた瞬間、石は粉砕され、拳圧だけで内部から弾け飛んだ。
「ハイヤァーーッ!!」
アルドはそのまま、身体の前方で両腕をぐるりと一回転する。
空手の回し受けのような動き──だが、その両掌に込められた力は、常軌を逸していた。
ドンッ!!
双掌打が放たれた瞬間、衝撃波が空間を裂いた。
砕かれた巨大な瓦礫の破片が、まるで散弾銃の弾丸のように前方へと射出される。
数十メートル級の石塊が、雨のように、嵐のように、レーザーの進路へと殺到した。
次の瞬間──
ドドドドドォォンッッ!!
レーザーが瓦礫に次々と命中し、空中で連鎖的な大爆発を起こす。
閃光が瞬き、爆風がうねり、破片が四方八方へと吹き飛んだ。
水面が叩き割られ、巨大な水柱が何本も立ち上る。
その光景を、ラグナは言葉を失って見下ろしていた。
喉が、ひくりと鳴る。
「……何なんだよ……」
知らず、声が漏れる。
「……貴様は……ッ……!?」
冷や汗が、頬を伝って落ちる。
魔法でもなく、障壁でもなく、回避でもなく──
瓦礫を武器にして、魔法を撃ち落とす。
その発想と、それを成立させるだけの身体能力。
ラグナの胸の奥に、恐怖と、そしてそれ以上の──
抗いがたい昂揚が、じわりと灯り始めていた。
◇◆◇
アルドは、砕け散った瓦礫の上に立ちながら、ふっと息を吐いた。
水面に広がる爆煙が、ゆっくりと晴れていく。
「……そろそろ」
小さく、だが確かな声音。
「こっちからも、仕掛けてみようか」
次の瞬間だった。
ダァァーーンッ!!
雷鳴のような衝撃が、フロア全体を震わせた。
アルドの踵が、足元の巨神像の瓦礫を踏み抜いたのだ。
それは、ただの踏み込みではない。
中国拳法の“震脚”──地を鳴らし、内部から破壊する技。
さらに、アルドはそこに地面系魔法を重ねていた。
圧縮された衝撃が地中を走り、次の瞬間。
ブワッ!!
周囲に散乱していた数十メートル級の瓦礫が、水飛沫とともに一斉に宙へと跳ね上がった。
破片、岩塊、砕けた神像の腕や胸部──
それらが重力を忘れたかのように浮き上がり、弧を描いてラグナの周囲へと迫る。
「っ……!」
ラグナは思わず肩を跳ねさせた。
一瞬だけ、確かに怯みが走る。
だが、すぐに表情を引き締め、鼻で笑った。
「ハッ……!」
浮遊する瓦礫を一瞥し、余裕を装う。
「瓦礫を浮かび上がらせただけか……!
こんなもので、僕にダメージを与えられるとでも?」
口元に、挑発的な笑み。
その瞬間。
「いいんだよ」
静かな声が、下から届いた。
「それは……」
アルドは、低く重心を落とす。
膝を曲げ、背中を丸め、全身に力を溜める。
「──『足場』なんだから」
「──何だとッ!?」
ラグナが叫ぶより早く。
ドンッ!!
空気が爆ぜた。
アルドの姿が、消えた。
「……どこだッ!?」
ラグナは反射的に周囲を見回す。
魔力を解放し、索敵に意識を集中させる。
風を通し、空間をなぞり、存在を探る──
だが。
「ここだよ」
耳元ではない。頭上でもない。
──背後、斜め上。
ラグナが振り返った、その視界に映ったのは。
宙に浮かぶ瓦礫に、片手で掴まり、同時に両足を瓦礫に乗せて、全身を引き絞るアルドの姿だった。
筋肉が盛り上がり、空気が震える。
「何ッ!?」
驚愕が言葉になる前に──
ドンッ!!
瓦礫を蹴り砕く勢いで、アルドが飛んだ。
一直線。
超音速で放たれる飛び蹴り。
「チィッ!!」
ラグナは舌打ちし、即座に風魔法を操作する。
空気を歪め、身体を滑らせるように移動。
紙一重で、アルドの蹴りが頬を掠めた。
だが、終わりではない。
アルドは外した勢いのまま、別の瓦礫に着地する。
ドンッ。
間髪入れず、次の瓦礫を蹴る。
ドンッ!!
また飛ぶ。
ガガガガガガガガッ!!
空間が裂けるような連続音。
瓦礫、瓦礫、瓦礫──
宙に浮かぶ即席の足場を使い、アルドは全方向から襲いかかる。
前。後ろ。右。左。
斜め上。死角。
飛び蹴り。飛び突き。
体当たりに近い一撃。
その一つ一つが、必殺級。
「馬鹿げてる……!」
ラグナの声が、初めて揺れた。
「何だ、この攻撃速度は……!?」
風魔法で回避し、距離を取り、逃げる。
だが、アルドは止まらない。
逃げ場を読んで、先回りし、追い詰める。
徐々に、ラグナの回避が──
間に合わなくなっていく。
次の瞬間。
ラグナの視界に、影が落ちた。
真上。
そこにいたのは──
踵落としの姿勢で、真下へと落ちてくるアルド。
「ッ!!」
反射的に叫ぶ。
「”防壁の魔杖指“ッッ!!」
ラグナの前に、九重の魔法障壁が展開される。
透明な層が幾重にも重なり、神々しい輝きを放つ。
次の瞬間。
ドガァァァァンッッ!!
アルドの踵が、障壁に叩き込まれた。
バチバチィィィッ!!
雷光が炸裂し、空間が白く染まる。
一枚……砕ける。
二枚……割れる。
三枚、四枚……耐えきれず崩壊。
五枚目が、粉砕されたところで──
衝撃が止まった。
アルドの身体が、空中で弾かれる。
(……ウソだろ)
内心で、思わず呟く。
(紅龍さんクラスの力で打ち込んでるのに……防がれた!?)
一方、ラグナも──
(バカな……ッ!?)
喉が、ひくりと鳴る。
(大罪魔王級の攻撃でも防ぐ“防壁の魔杖指“を……)
(ただの踵落としで、半分以上抜いてきた……!?)
(……化け物め!!)
だが──
その驚愕のさらに奥で。
言葉にするにはあまりにも原始的で、理屈で整理するには、あまりにも純粋な感情が、二人の胸の奥で、ゆっくりと形を取り始めていた。
アルドは、空中で体勢を立て直しながら、ふと気づく。
──恐怖が、無い。
"命を奪うかもしれない"という、恐怖が。
ダンジョンという安全装置。
敗北しても、死は確定しない場所。
その前提があるからこそ、初めて──躊躇なく力を振るえる。
(──力をセーブした、縛りプレイみたいな状態ではあるけどさ……!)
抑え込んだ力の中ではある。
それでも、限界に近い速度と衝撃を解放して。
それでも、誰かの人生を終わらせる心配がない。
(……こんな感覚)
胸の奥が、じんわりと熱を持つ。
(この世界に来てから、初めてかもしれないな……!)
ただ強い相手と向き合い、ただ技をぶつけ合い、ただ勝敗を競うだけの時間。
使命でもない。
守るためでもない。
誰かを救うためでもない。
──今この瞬間、ただ、戦うために戦っている。
一方、ラグナもまた、息を整えながら、同じ熱を感じていた。
障壁が破られた瞬間。
心臓が跳ね、血が駆け巡る。
(……来た)
そう思った。
命の危機ではない。
だが、確実に──敗北の可能性がある。
自分と同じ高さ。
あるいは、それ以上。
これまで、どこかで“勝つ前提”だった戦いとは違う。
油断すれば、読まれ、詰められ、叩き落とされる。
その緊張感が、前世の記憶を、鮮明に呼び覚ます。
大好きだったゲーム、"ラグナロク・ヒストリア"シリーズ。
攻略サイトも見ずに、夢中になってバトルコンテンツに打ち込んだ。
──初見の強敵。
──攻略法が分からないボス。
──負けるかもしれないが、それでも挑まずにはいられなかった、あの瞬間。
(……ああ)
胸が、熱い。
(──これだ。)
勝ちたい。証明したい。だが、それ以上に。
(……楽しい)
自分が“主人公”であることを疑わなかった頃の、あの純粋な昂揚。
気づけば、二人とも──
互いを睨み合ったまま、
ほんの僅か、無意識に。
口の端が、吊り上がっていた。
笑おうとしたわけではない。
余裕を見せようとしたわけでもない。
ただ。抑えきれない高揚が、自然と表情を歪ませただけだった。
銀と金。
二つの"異常"。
神々の水面は、もはや試練の場ではない。
ここは今──
二人にとっての、最高に純粋な“遊び場”になりつつあった。




