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第26話 その咆哮に、世界はひざまずく

 黒い翼が風を裂き、闘技場の砂を巻き上げる。


 その中心に立つのは、褐色の肌に黒のスーツ、金茶の髪をなびかせた少女。



——否、もはや“それ”は、ただの少女ではなかっ

た。



 スーツの背面から直接生えるようにして滑り出た巨大な黒翼。そして、二本の巨大な竜の腕。


 その姿を見上げ、グェルの喉が引き攣るような音を立てた。


 


 「……あ、あの姿……まさか、そんな……はずが……」


 


 六本足の魔竜。


 黒銀の鱗。


 意思ある咆哮で、万を超える軍を退けた伝説。


 


 その姿が、遠い記憶の底から、うっすらと浮かび上がってくる。


 頭に浮かぶ魔竜の姿と、目の前の少女の姿が重なった時──


 グェルは即座に首を振った。


 


 「違う!違う!あれは、ただの見せかけ……!」


 


 必死に自分に言い聞かせるように言葉を吐く。目元がピクピクと震え、冷や汗が顎を濡らした。


 


 ——違う!咆哮竜ザグリュナは、消えたはずだ!


 


 だが、その“否定”は、自分を守るための最後の砦にすぎなかった。


 


「皆の者!!」


 


 声を張り上げる。


 震える声を、威厳で塗り固めるように。


 


「怯むな!あんなもの、虚仮威(こけおど)しに過ぎん!所詮はただの人間の女の変身術!」


 


 言葉に呼応するように、闘技場の周囲で息を呑んでいたフェンリルたちが一斉に顔を上げる。


 その目には恐れと混乱が入り混じっていたが、グェルの号令が彼らの背を押した。


 


「100の誇り!100の牙!!一斉にかかれぇぇぇぇぇッ!!」


 


 地を揺らすような咆哮が、闘技場に轟いた。




 「——ふぅん、来るんすね」


 


 リュナは両手を広げ、ゆるやかに黒翼をひと振りした。


 


 その瞬間、衝撃波のような風圧が闘技場を貫いた。


 


 「キャウゥン!?」「ぐえっ!?」


 


 先頭を走っていた10匹ほどのフェンリルが、風に吹き飛ばされ、壁に激突する。


 壁がバキリとひび割れ、フェンリルたちは意識を失ったまま崩れ落ちた。


 


 だが、それでも止まらない。


 残る90の牙が、リュナへと殺到する。


 


 地が揺れる。


 砂が舞う。


 狂騒と怒号が交錯する中——


 


 リュナの左の竜腕が、ゆるりと振り払われた。


 


 ——ドゴォォォォン!!


 


 爆風のような音と共に、20体のフェンリルが宙を舞い、なすすべもなく壁へと叩きつけられる。


 


 「がふっ!?」「うぅぅぅ!!」


 


 重なる肉の塊。地に散る牙。


 彼らはもはや、戦線に復帰できる状態ではなかった。


 


 冷静な一撃だった。


 荒々しくも無駄のない動き。


 


 それはまるで、“処理”のような戦い方。


 


 「へぇ……まだ来るんすか」


 


 リュナの瞳が、感情のないまま、次の群れへと向く。


 牙を剥き、飛びかかるフェンリルたち。


 


 だがその牙は、すべて——空を切る。


 


 竜の翼がふたたび羽ばたく。


 その風が、空間を切り裂き、獣たちを撥ね飛ばす。


 


 30、40、50匹……次々と壁に打ち付けられ、地に転がる。


 意識を失い、呻き声すら上げられず、彼らは砂塵の中に沈んでいった。


 


 


 ——気絶。


 


 先ほどのリュナの蹴撃とは明らかに違う。


 今のリュナは、本気だ。


 殺していないのは“手加減”ではなく、ただの“慈悲”。


 


 翼が揺れるたびに風が奔り、竜の腕が振るわれるたびに大地が唸る。


 


 その姿に、フェンリルたちは戦慄した。


 


 ——これは、“人間”ではない。


 ——これは、“獣”でもない。


 


 何か。


 それ以上の何か。


 


 まるで、咆哮竜ザグリュナのような——


 


 「……ま、いいストレス解消にはなったかも?」


 


 その一言と共に、闘技場の半数以上の獣が地に伏していた。


 


 残るは、グェルの号令を受けて控える、最後の精鋭たち。


 


 そして——


 


「ひ、怯むな!あんなのは虚仮威しだッ!!」


 


 グェルの叫びが、残響のように広場に響いた。


 だが、その声に、どれだけの説得力があっただろうか。


 周囲のフェンリルたちは、明らかに怯えていた。


 


 ——闘技場の壁に叩きつけられ、

 ピクリとも動かない仲間たち。


 ——竜のごとく羽ばたき、

 暴風を巻き起こす“黒翼”。


 ——巨大なドラゴンの前脚のような腕を持つ、

 “人型の魔竜”。


 


 それを前にして、虚仮威しと言い切れる者は、もはやいなかった。


 


「……だが、我らは誇り高きフェンリル!一匹が恐れても、百匹揃えば——ッ!」


 


 グェルは叫ぶように吠えた。


 


「全員、魔力を集中させろ!闘技場の妨害魔力は切る!これより我らが誇る"極大魔法陣"を展開する!」


 


「ま、マナガルム様の使用許可は……!」


 


「関係ない!!もはやこれは“存亡”の戦いだ!ボクは隊長だ!命令に従えッ!!」


 


 震える声で反論した部下のフェンリル(チワワ型)が、一斉に魔力転送装置のスイッチを鼻先で操作し始める。


 その瞬間——


 


 ブオオオン……!


 

 

 闘技場の壁に描かれた、ファンシーな骨の模様が放っていた白い光が、次々と消えていく。


 闘技場全体に張られていた“スキル封印場”が解除された。


 魔力の波動が奔流となって解放され、上空には雲が集まり始める。


 雷鳴。


 渦巻く暗雲。


 


「やるぞ……!」


 


 グェルが叫ぶ。


 


「全戦士、全魔力を中央へ集約せよ!魔力転送、最大出力!撃ち込め——

合体魔法!!"獣雷断界ケルヴォルク"ッ!!」


 


 その号令とともに、まだ動ける50体のフェンリルたちが、中央に向けて一斉に魔力を放出。


 その奔流が、天空に浮かぶ魔方陣へと注ぎ込まれる。


 空を割るような雷鳴が轟き、冗談のようなサイズの雷雲が膨れ上がる。


 


 その下に、リュナは立っていた。


 微動だにせず、ただ静かに。


 


 その表情は、どこか退屈そうで——けれど、僅かに口角が吊り上がっていた。


 


「へぇ……」


 


 ぽつり、と声を漏らす。


 


「……いいんすか? あーしのスキル、使えるようにしちゃって」


 


 その瞬間、リュナの手が——ゆっくりと黒マスクに伸びた。


 


 ぴたり。


 グェルの心臓が、跳ねた。


 


「な、何を……ッ」


 


 リュナは、黒マスクを人差し指一本で——クイッと、下げた。



「——『動くな』。」


 


 声は、静かだった。


 


 だが、次の瞬間。


 


 ゴウッ!!


 


 無音の爆風。


 衝撃も、音も、なにもなかった。


 

「「はい。動きません。」」



 フェンリルたちの全身から、力がすとんと抜けた。


 


 それはまるで、糸の切れた人形。


 咆哮の一声で、意識と筋力を同時に縛られた彼らの身体は、カクンと崩れ——そして硬直した。


 


 雷雲に注がれていた魔力が、ぷつりと断たれた。


 その余波で、空に集まっていた雲が……霧散する。


 


 まるで“最初から存在しなかった”かのように、嘘のように。


 


 ……ザザザッ。


 砂の中に倒れ込んだフェンリルたちの口から、震えた吐息だけが漏れる。


 動けない。


 声も出ない。


 


 ただひとつの命令に縛られた、完全なる“服従”。



 全てのフェンリルが沈黙する中、ただ一体——震えながらも、目だけは濁っていない者がいた。


 


 グェルである。


 


(う……うごか、ねえ……! だが……意識は……ある……ッ!!)


 


 顔は汗でぐしゃぐしゃだった。


 全身の筋肉は硬直し、手足はピクリとも動かない。


 けれど——脳は動いていた。


 


 それは彼が持っていたスキル"毒耐性"によるものだった。


 “咆哮”の効果が身体への毒性に類似した影響を持つとすれば——完全無効ではないが、耐性スキルによって若干の効果軽減が働いたのだ。


 


(あれは……間違いない……あの“咆哮”……)


 


 リュナの姿が、巨大な咆哮竜のイメージと重なっていく。


 


 六本の足、黒銀の鱗、意志を持つ者を屈服させる絶対の声。


 


(ま……まさか……!)


 グェルの瞳が見開かれる。鼻先に冷や汗が浮かび、全身の毛がぴんと逆立つ。


 己を縛るこの不可解な威圧、耳奥に残響する“咆哮”の余波。


(この支配力……この魔力の重圧……! まさか、まさか本当に……!?)


 否定したかった。だが、確かに聞いたのだ。


 この“魔竜”の口から放たれた——あの言葉を。

 


(“あーし”……と、名乗った……!)



 その瞬間、グェルの脳内で雷鳴が轟いた。



(思い出したぞッ……“あーし”……それは、

まさしく……!!)



 全身を貫く衝撃の中、彼の脳内でかつての文献がよみがえる。かつての伝説。禁忌の知識。


 ゆっくりと、意味を噛み締めるように、彼は心の中で“翻訳”を始めた。

 


(“Earth ・ I ”——つまり、"大地と共に在りし我"の意……ッッ!!)

 


 頭の中で鐘が鳴る。ガクガクと震える背中。



(すなわち……“悠久の時を大地と共に歩んだ者”だけに許された、禁断の一人称!!)

 


(この大地において、千年を超えて生きながらえた“古竜”のみが使うことを許された、伝説の言語表現!)



(この言葉を名乗った竜は、過去にただ一体——)



(咆哮により世界を屈服させ、あらゆる軍勢を無力化し、一夜にして国を滅ぼしたという……)



(“咆哮竜——ザグリュナ”ッ!!)


 


 バチン、と彼の思考回路がショートするような感覚が走る。


 脳内で警報が鳴り響き、心拍が耳を塞ぐほど高まる。


 


(お、おそろしい……! なんということだ……!)


(この女は……いや、この“御方”は……ッ!!)


 


 背筋を伝うのは冷や汗などではない。


 それはもはや“龍種に対する本能的な恐怖”そのもの。


 


 伝説が、いま、目の前に立っている。


 


 グェルは……身動きも取れぬまま、全身をガクガクと震わせていた。


 口からこぼれたのは、威厳も誇りもない、ただのひとつの呟き。


 


「ひぃ……」


 


 その言葉にすら、もう力はこもっていなかった——。


 


 その震えの前に——黒い翼をたたんだ少女が、すうっと歩いてくる。


 


 ——リュナが、グェルの目前に立っていた。


 


 マスクの下で、ゆるく口角が上がる。


 


 次の瞬間——


 


 「ねぇ。あーしのこと、さっき、なんて言ってくれたっけ?」


 


 その声音は、まるで笑っているようで——


 吐息一つで、敵意をなぎ倒せるだけの殺気が、宿っていた。




 ◇◆◇




(認めたくはない……だが、あの“あーし”発言と……咆哮……)


(そしてこの圧倒的な威圧感……! こ、この女……いや、この“御方”は——)


 ガタガタと震える音が自分の歯から出ていると気づいたのは、顎に鈍い痛みが走ってからだった。


 そして、ついにリュナが目前に立った。


 その姿はもう、「黒ギャル」などという言葉で片づけられる存在ではなかった。



 ——暴威と支配の象徴。



 世界にただ一体だけ存在した、千年を超える“黒の支配者”。


 咆哮竜ザグリュナ、そのものだった。


 


「ねぇ、アンタさ……さっき、あーしのこと、好き勝手に言ってたよね?」



 にこり、と笑った。


 だが、その笑みには、冷気のような怒りがひそんでいた。



「“布面積が少ないアバズレ”? “露出狂”? “貞操観念の緩い日常系ヒロインNG女”?」



 ビキビキと青筋を立てながら、淡々と語る。



(そ、そこまでは言ってないですぅ………!)



 そう思いながらも、グェルはもう、反論の一つもできなかった。


 脳内では、言葉にならない絶叫が渦を巻いていた。



(ああ……あああああ……)


(か、仮にここで……このまま『死ね』って言われたら……ボク、本当に死んじゃうッ!!)



 涙が、勝手に溢れてきた。


 全身の筋肉がぷるぷると震え、震えすぎて、もはや奇妙なバイブレーション音すら聞こえた。


 


 ——そして。


 リュナの指が、ふっと黒マスクに触れる。


 リュナの素顔が露わになり、ギザ歯の笑みが闇の中で怪しく浮かぶ。


 そして——


 



「おすわり!!」



 


 ――ズバァン!!


 雷鳴のような咆哮が、言葉の形を取って空間を貫いた。


 ボーッとしていた50体ほどのフェンリルたちが、一斉にビシィッと“おすわり”の姿勢になる。


 耳をぺたんと伏せ、舌を出し、全員が一糸乱れぬ“犬ポーズ”で整列。



「ひゅぅん……」「ふぎぃ……」「……きゅるん……」と、情けない声が漏れた。



 だが、誰も逆らえない。


 


 そして——


 最前列にいた、グェルもまた。


 おすわりの姿勢で、ぺたんと座り込み、次の瞬間——


 


「……きゃ、きゃいん……」


 


 ぶるぶると身体が震え……そして。


 


 ――ジョボボボボ……


 


 闘技場の床に、濡れたしみが広がった。


 グェルの瞳は虚ろで、口元がひくひくと痙攣していた。


 誇り高きフェンリル軍の隊長、かつて高らかに「清楚なワンピース系女子こそ理想のペット」と語っていたオスの、無惨な末路。


 


 そして——


 リュナは、そっとマスクを装着し直す。


 口元が黒い布で覆われると、彼女の気配がほんの少しだけ和らいだ。


 


「……兄さんに"殺すな"ってお願いされてんのに、殺すわけないっしょ。」



 ぽつりと、呟くように。

 


 その表情には、どこか優しさすら宿っていた。


 そして、グェルの“ぬれたおすわり”姿に冷たい目を向け、呟いた。


 


「クッサ……まずは"トイレトレーニング"から始めなきゃっすね。」

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