第264話 side.ブリジット・チーム⑤──バカとお人好し──
紫の魔力が、まだ空気の中に薄く漂っていた。
鬼塚は、拳を天に突き上げたまま、静かに立っている。
その拳の先には、意識を失い、全身の力を抜いた大男がぶら下がっていた。
二十人近くいた挑戦者たちの中で、最後の二人になるまで立っていた男だ。
床には、倒れ伏した者たちの痕跡が点在している。
砕けた武器、削れた石畳、そして戦闘の余熱だけが残る大広間。
その光景を、ただ一人、立ったまま見つめている少年がいた。
ロングソードを握る、細身の青年──マテオ・マルティン。
剣を持つ両手は震え、膝は今にも折れそうで、歯の根が合わない。
視線は鬼塚から離れないのに、まるで現実を直視することを拒むかのように、焦点が定まらない。
「な……な……」
喉がひくりと鳴る。
「何なんだよ……お前の、その力は……!?」
声は掠れ、情けないほどに細かった。
その瞬間。
鬼塚の拳の先で、吊り上げられていた大男の身体が、光の粒子へとほどけていく。
バシュウウウン──。
無機質な消失音と共に、男の姿は完全に消え去った。
『ネームプレート破壊、クリア。ブリジット・チーム、10×1=10pt獲得』
淡々としたアナウンスが、場違いなほど明瞭に響く。
鬼塚は拳を下ろし、首を軽く回すと、最後に残った少年──マテオの方を振り返った。
「おいおい……力の話はすんなよ。こう見えて、結構気にしてんだぜ?」
仮面の奥で、口の端が吊り上がる。
「パワーで言えば、俺がチーム内で一番非力なんだからよ」
冗談めいた口調だった。
だが、その言葉は、マテオの心を容赦なく抉った。
(こ……こいつが、チーム内で一番……非力……?)
マテオの喉が鳴る。
(優勝候補第2位、ブリジット・チーム……化け物ばかりじゃねぇか……!)
奥歯を噛みしめる。
(手を出すべきじゃあ……なかった……でも……ッ!)
鬼塚はゆっくりと、マテオの正面に身体を向けた。
「──残るは、お前だけだぜ」
低く、静かな声。
その一言で、マテオの全身がびくりと跳ねる。
目に涙が滲み、視界が揺れる。
それでも、彼は剣を握り直した。
「お……俺は……!」
声が裏返る。
「俺は、まだ消える訳にはいかないッ!!」
震えながらも、必死に構えを取る。
逃げたい。
だが、逃げられない。
鬼塚は一歩、また一歩と、無言で距離を詰めていく。
「悪ぃな」
淡々とした声。
「諦めろ」
その言葉に、マテオの心が崩れかける。
「俺が……俺が脱落したら……!」
涙が零れ落ちる。
「ビビアーナ様も……失格になっちまう……ッ!!」
「それだけは……それだけは、絶対に……ダメなんだッ!!」
叫びは、必死そのものだった。
鬼塚の手に展開されたビームブレードが、紫の光を帯びる。
その刃が、マテオへと振り下ろされ──ピタリ、と止まった。
刃先は、マテオの胸元すれすれ。空気が張り詰める。
しばしの沈黙。
やがて、鬼塚は小さく息を吐き、ふっとビームブレードを消した。
そして、軽く──
ペシッ。
マテオの剣を、叩き落とす。
「あうっ!?」
情けない声と共に、マテオは尻餅をついた。
鬼塚はそのまま変身を解除し、素の姿に戻ると、マテオを見下ろして大きく息を吐いた。
「──『チームの三名が脱落したら、そのチームは失格』……」
ボリボリと頭を掻く。
「そういや、そんなルールだったな」
そのまま、ドカッとマテオの隣に腰を下ろし、胡座をかく。
戦場の真ん中とは思えない、妙に気の抜けた光景だった。
マテオは混乱しきった顔で、恐る恐る尋ねる。
「お……俺に……トドメを刺さないのか……?」
鬼塚は天井を仰ぎ、ぼそりと答える。
「……刺さねえよ。むしろ、思い出させてくれて助かったぜ」
目を細める。
「ブリジットさんが……うちの大将が、まだ戦ってる……ってことは、何か理由があるんだろうよ」
マテオは理解できず、首を傾げる。
「……?」
その時だった。
バリ、バリ、という異様な音が、背後から聞こえてくる。
「アラッ!?鬼塚きゅん!」
振り向くと、そこには──
グレア・オックスのツノを片手に持ち、豪快にかじりながら歩いてくる美女の姿があった。
「ホントに一人で全部やっちゃったのねッ!!ギャタシとやり合った時より、さらに腕を上げたんじゃなくてッ!?」
楽しげな声。
マテオはびくりと肩を震わせる。
鬼塚は半目になり、額に汗を浮かべながら聞いた。
「……ジュラ姉。何食ってんだよ……?」
ジュラ姉はにっこりと微笑む。
「フフッ……鬼塚きゅんみたいな男子には、少し難しいかも知れないけど……」
「カルシウムはね、肌細胞の代謝を促進して、ハリとツヤを与えてくれるのよッ!」
そう言いながら、ツノをバリバリと食べ進める。
鬼塚は視線を逸らし、力なく頷いた。
「あ、ああ……そうかよ……」
それ以上、突っ込む気力はない。
マテオは内心、完全に凍り付いていた。
(な、何だ……あの女……!?あれだけいた魔物の大群を……全部……?)
ジュラ姉は、怯えるマテオを一瞥すると、ふっと表情を和らげた。
「そっちの男子は……ああ、そういう事ねッ!」
事情を察したように、鬼塚の隣へと、そっと腰を下ろす。
戦場の中心で、三人は並んで座ったまま、柱の上で続く戦いの行方を見上げていた。
◇◆◇
鬼塚は胡座をかいたまま、隣に縮こまっているマテオを横目で見た。
戦場の余韻が残る広間は、不思議なほど静かだ。
遥か上方、四角柱の先端では、まだ金属音と衝撃音が断続的に響いているが、ここだけ切り取られたように、時間が緩んでいる。
鬼塚は、あくまで軽い調子で口を開いた。
「なぁ、アンタ。なんであのヤバい女……ビビアーナっつったか?アイツに従ってんだ?」
マテオの肩が、びくりと跳ねる。
隣で、ジュラ姉が足を組み替え、顎に指を当てた。
「ギャタシも、それは気になるわねッ!あの子……スキルこそ強力だけど……正直、リーダー張るタイプではないんじゃなくて?」
からかうようでいて、視線は真剣だった。
鬼塚はマテオの横顔を観察する。
(力で縛ってるのか?それとも、貴族同士の力関係か……?)
どちらにせよ、従っている理由は一つではないはずだ。
マテオは唇を強く噛みしめた。
かすかに血の味が広がり、喉が鳴る。
一度だけ、深く、大きく息を吐く。
まるで胸の奥に溜め込んできたものを、まとめて外に逃がすように。
そして──腹を括ったように、視線を床へ落としたまま、口を開いた。
「──ビビアーナ様はな……」
声は震えていた。
だがそれは、さっきまで鬼塚に向けていた“恐怖”の震えとは違う。
自分の中で、大切に抱え込んできた何かを語ろうとする時の、覚悟の震えだった。
鬼塚は、自然と胡座を組んだ背筋を伸ばす。
ジュラ姉も、いつもの余裕ある微笑みを少しだけ引っ込め、視線をマテオへ向けた。
マテオは、次の言葉を──逃げ道を断つように、はっきりと言い切る。
「あの方は……すっっっげぇ、バカなんだ」
一瞬、広間の空気が、すとんと落ちる。
鬼塚とジュラ姉は、ほぼ同時に、小さく目を瞬かせた。
(……ん?)
だが、二人とも即座にツッコミは入れない。
鬼塚は片眉を上げただけで、ジュラ姉も口元に指を添えたまま、続きを待つ。
マテオは、堰を切ったように言葉を連ね始めた。
「さっき……ビビアーナ様、言ってたろ?『勉強苦手なのに、一生懸命勉強して大学に合格した』って」
その口元が、わずかに歪む。
笑いでも嘲りでもない、自分でも整理しきれない感情の歪みだ。
「あれな……本人は、本気でそう思ってる。でも、実際は……全然、違うんだ」
マテオは、自分の指を見つめながら、一本ずつ折るように続ける。
「あの人、入学試験の学科の点数……合計で十四点しか取れてなかったんだ。一教科じゃないぞ?三教科の合計で、だ」
鬼塚の眉が、ぴくりと跳ねた。
「いっつも口開いてるし……十八になるのに、いまだに九九もな……六×九=七十二、とか……平気で、自信満々で言う。そういうレベルの話なんだ。」
ジュラ姉が、思わず口元を押さえる。
「……あら」
小さな呟きだったが、そこには驚きと、ほんの少しの哀れみが滲んでいた。
マテオは自嘲気味に肩をすくめる。
「でもさ……スキルが……あまりにも、強力すぎた」
視線を逸らし、鼻で短く笑う。
「それだけで、滑り込み合格させてもらえたんだ。周りの大人が勝手に決めて、勝手に許可出して」
小さく鼻を鳴らす。
「それも本人は、よく分かってねぇ。自分の努力が報われたって……本気で、思ってる」
少し間を置いて、低く呟く。
「……バカだからな」
鬼塚は、たまらず額に手を当てた。
「ちょ、ちょっと待て!何の話してんだ?あんた……あいつの手下じゃねぇのかよ?」
マテオは、すぐに首を横に振る。
「手下って訳じゃねぇ。命令されて従ってるとか、そういうのじゃない」
一度、唇を噛みしめてから続ける。
「確かに、貴族としての格はロカ家の方が上だ。逆らえば、面倒な事になるのも事実だ」
だが、と。
「俺たちが、あの人に力貸してるのは……」
自然と、視線が上へ向く。
遥か高み。四角柱の先端で、ブリジットの巨大ハンマーが振り下ろされ、火花と衝撃波が散る。
それを必死にかわし、喚き、悲鳴を上げながら応戦するビビアーナの姿が、豆粒ほどに見えた。
「バカだけどさ、本当に、どうしようもなくバカだけど」
マテオの声は、少し掠れていた。
「バカなりに……一生懸命なんだよ、あの人」
拳を、ぎゅっと握りしめる。
「失敗しても、転んでも、皆に笑われても」
一つずつ、噛みしめるように言葉を置く。
「悔しがって、泣いて、怒鳴って……それでも、逃げない」
視線は、なおも柱の上を追っている。
「そんな姿、毎日見せられてたらよ……応援したくなっちまうだろ」
弱々しく、だが確かな声で。
「皆……そうなんだ」
鬼塚は、黙ったまま柱の上を見上げた。
(あの情緒不安定女……意外と、仲間からは……慕われてんだな)
その事実が、少しだけ胸に引っかかる。
隣で、ジュラ姉が柔らかく微笑んだ。
「なるほどねッ」
「ブリジットさんとの戦いが、なかなか終わらないのも……」
視線を上に向けたまま、楽しげに言う。
「そこらへんが理由って事かしらッ?」
鬼塚は、短く頷く。
「ま、そういう事だろうな」
マテオは、二人の会話についていけず、恐る恐る尋ねた。
「ど……どういう事だよ……?」
鬼塚とジュラ姉は顔を見合わせる。
そして、ほぼ同時にマテオを見た。
鬼塚は、少し照れくさそうに鼻を鳴らす。
「うちの大将はな……超がつく、お人好しなんだよ」
ジュラ姉も、くすりと笑って続ける。
「もしかしたら……アナタ達のボスとも、仲良くなっちゃうかもしれないわねッ」
その瞬間──
遥か上方から、
「えいやぁーーっ!!」
という、やけに元気な叫び声。
続けざまに、
ドゴォォォン!!
と、柱を揺るがす破壊音が轟いた。
さらに、
「ハーーー!!しっ、死ぬっ!!」
という、ビビアーナの必死すぎる悲鳴。
マテオは、思わず頭を抱えた。
(ほ……本当に……?)
額に汗が滲み、背中を冷たいものが伝う。
一方で、鬼塚とジュラ姉は、どこか安心したような、穏やかな表情で、ただ柱の上を見上げ続けていた。
まるで──
あの騒がしさこそが、正しい光景だとでも言うように。




