第262話 side.ブリジット・チーム③──オシャレは乙女の武装──
柱の上で、鞭が風を裂いた。
乾いた破裂音と共に、空間が歪み、赤く燃える円環──火の輪がいくつも宙に浮かび上がる。
その内側から、蠍の鋏が、蜘蛛の脚が、蝙蝠の翼が、次々と覗いた。
鬼塚はそれを見上げ、目を細める。
(コイツ……完全にバカみてぇなノリだが……)
内心で吐き捨てながらも、視線は一切逸らさない。
(スキルは、本物だ)
「──『使役した魔物を、いつでも、どこでも、いくらでも呼び出せる』……か」
低く呟く声は、戦場の喧騒にかき消されそうになりながらも、確かな重みを帯びていた。
「藤野のスキル……“召喚獣”と同じタイプだな」
「……いや、藤野にゃ悪いが、あれの上位互換って感じか?」
その言葉に、隣で魔物の群れを眺めていたジュラ姉が、ふっと肩をすくめる。
「うーん……それはまだ、何とも言えないわねぇ……」
どこか含みを持たせた声。
鬼塚は眉を寄せ、横目で彼女を見る。
「あ? どういう事だよ、ジュラ姉」
だが、その問いは最後まで続かなかった。
「二人とも、そこまでっ!」
張りのある声が、空気を切り裂く。
ブリジットだった。
「来るよっ!!」
その声とほぼ同時に、柱の上でビビアーナが大きく身を反らし、鞭を頭上で振り回した。
「ハーー!! いい加減にするねぇ!!」
「美少女や美女のビジュでアタシを籠絡しようなんて、姑息な手を使ってくれるねぇ!!」
鞭が、空を叩く。
「やっておしまい!!ビビちゃんズ魔物軍団! そして第六王子派のボーイズ&ガールズ!!」
号令と同時に、周囲を囲んでいた挑戦者たちが、一斉に動いた。剣が抜かれ、魔法陣が展開され、殺気が一気に膨れ上がる。
それに呼応するように、火の輪から魔物の群れが雪崩れ込んできた。蠍が床を這い、蜘蛛が天井から降り、蝙蝠が空を埋め尽くす。
「はわわっ……!?」
ブリジットは思わず声を上げ、巨大ハンマー・ピコ次郎を構えたまま、視線を忙しなく巡らせる。
「ど、どこから相手をすればいいのかなっ……!?」
その迷いを、鬼塚の声が断ち切った。
「いや! ブリジットさん!」
彼は一歩前に出ると、重心を低く落とし、自然と拳を構える。
「アンタは、あのヤベェ女をやってくれ!!こっちの頭はブリジットさん、アンタだッ!!」
口の端を、ニッと吊り上げる。
「トップが相手のトップを取っちまえば、その闘争はこっちの勝ちだぜッ!!」
その言葉に、ジュラ姉が楽しげに笑った。
「いい事言うわねッ、鬼塚きゅん!!ギャタシもその案に賛成よッ!!」
彼女はパラソルを畳み、くるりと回してから、魔法のポーチへと滑り込ませる。その動作は、戦場とは思えないほど優雅だった。
ブリジットは二人を見て、一瞬だけ目を見開き、すぐに力強く頷いた。
「分かった!あたし、ビビアーナさんの相手をするよっ!」
次の瞬間。
彼女の額から、短い銀色の角が、にょきりと生える。
「えいやぁーーっ!!」
掛け声と共に、ブリジットの身体が宙を切った。
信じられない跳躍力で、四角柱の柱の先端──ビビアーナの立つ場所へと一直線に飛ぶ。
「おおおっ!?」
ビビアーナが目を見開き、次いで楽しそうに口角を上げる。
「やる気かねぇ!?上等だねぇ……!! 相手してやるよッ!!」
鞭が構えられる。
その場に残された鬼塚とジュラ姉は、自然と背中合わせの陣形を取っていた。周囲から迫る人間の群れと、魔物の奔流を同時に視界に収める。
鬼塚は、低く呟く。
「なぁ、ジュラ姉。人間の相手は俺に任せてくれねぇか?……魔物の方を、アンタに頼みてぇ」
「アラッ?」
ジュラ姉は首を傾げ、楽しげに尋ねる。
「それは構わないけど……どうしてかしらッ?」
鬼塚は、視線を前に固定したまま、肩をすくめた。
「──アンタが連中の相手しちまったら、とんでもねぇスプラッタ絵面になりそうだからな」
冗談めかした言い方だった。
だが、ジュラ姉はクスリと笑った。
「フフッ、いいじゃない?どうせダンジョンで死んだって、復活できるんだからッ!」
一拍置いてから、にっこりと微笑む。
「でもまぁ……鬼塚きゅんがそう言うなら、それでよくってよッ!!」
そう言って、彼女は魔物の大群へ向かって、軽やかに駆け出した。
その背中を見送る間もなく、鬼塚の正面から怒号が飛ぶ。
「バカがっ!!」
「お前一人で、この人数を相手出来るつもりかっ!?」
二十名ほどの挑戦者たちが、一斉に鬼塚へと殺到する。
鬼塚は、その様子を見て、静かに笑った。
「当たりめぇだろ……」
鋭い目つきのまま、口の端を上げる。
「一対多でザコ戦闘員を蹴散らすのは……“変身ヒーロー”のお約束だからなッ!!」
「“神器解放”……」
低く、確かな声。
「“獏羅天盤”……ッ!!」
その瞬間、鬼塚の腰に、歯車を備えたバックルが顕現する。
「な……っ!?」
「気をつけろっ!! コイツは……神器使いだっ……!!」
挑戦者たちの動きが、一瞬だけ止まった。
鬼塚は、その隙を逃さない。
「──変身……ッ!!」
親指で歯車を、ギュイーン!と回す。
紫の魔力が爆発的に噴き上がり、鬼塚の身体を包み込む。
その中で、彼は低く呟いた。
「てめぇらは……俺が、ぶっ潰す……!」
戦場の空気が、決定的に変わった。
◇◆◇
眼前から押し寄せてくるのは、魔物の奔流だった。
蠍の鋏が床を擦り、蜘蛛の脚が空を掻き、粘つくスライムが波のようにうねり、ゴブリンの喚き声が重なり合う。その上空を、無数の蝙蝠が黒い雲となって覆い尽くしていた。
量だけで言えば、圧倒的。
だが──。
ジュラ姉は、その光景を前にしても、一切慌てなかった。
むしろ、うっとりとした表情で、自分の右手を持ち上げる。
指をゆっくりと反らし、真紅に塗られたネイルを、光に透かすように眺める。
その仕草は、まるで舞台に立つ女優が、開幕前に衣装を確かめるような優雅さだった。
「フフ……」
微笑みが、唇に浮かぶ。
「知ってる?オシャレってのはね……」
魔物の群れが、距離を詰める。
床を覆う影が、彼女の足元にまで迫る。
「いつだって、乙女にとっての“武装”なのよ……ッ!」
次の瞬間。
ジュラ姉の空気が、がらりと変わった。
腰を低く落とし、左足をわずかに前へ。右足を大きく後ろへ引き、地面を踏みしめる。
両腕が、眼前に掲げられる。
指は大きく開かれ、空間を挟み込むように──まるで、肉食獣が獲物に牙を突き立てる、その直前の構え。
ティラノサウルスを思わせる、原始的で、圧倒的な捕食の型。
紅のネイルが、光を受けて煌めく。
それは、血に濡れた牙のようだった。
「──“牙王拳”……ッ!」
低く、しかし芯の通った声。
次の瞬間、彼女の両腕が、上下から振り下ろされる。
「“暴君の牙”!!」
バクンッッ!!
空間そのものが、巨大な顎に噛み砕かれたかのような衝撃。
魔物の大群の最前列が、一瞬で消え失せた。
蠍も、蜘蛛も、ゴブリンも──肉片となり、血と魔力の飛沫となって、四散する。
まるで、見えない巨大竜が、ひと噛みで群れを喰いちぎったかのようだった。
だが、赤い光を宿した魔物の目は、怯えない。
操られた意思が、恐怖を上書きし、残った魔物たちは躊躇なく前進を続ける。
ジュラ姉は、その様子を見て、口元をわずかに吊り上げた。
「ふーん……」
細く、意味ありげな笑み。
「やっぱりね」
次の瞬間、彼女は再び腕を動かす。
ガチンッ。
恐竜の牙が噛み合うように、両手が閉じられる。
触れた魔物が、バクンッ!!と消える。
ガチンッ、ガチンッ。
二度、三度。
彼女の手の動きに合わせて、魔物の群れが、次々と“喰われて”いく。
血が舞い、魔力が霧散し、地面に崩れ落ちる暇すら与えられない。
そして──。
残った魔物たちが、四方から一斉に飛びかかってきた、その瞬間。
ジュラ姉の身体が、しなる。
「“暴君の尾鞭”!!」
舞のように美しい、後ろ回し蹴り。
脚が弧を描き、空気を裂く。
その軌跡は、まさに巨大な竜の尾。
パパパパァァン!!
蹴りの風圧だけで、周囲の魔物が次々と弾け飛び、消滅していく。肉片と魔力が、花火のように空中で散った。
やがて……。
押し寄せていた奔流が、嘘のように収まる。
静寂。その奥から──重低音の足音が響いた。
ズン……ズン……。
姿を現したのは、小型とは明らかに違う存在。
全高五、六メートルはあろうかという牛型の魔物──グレア・オックス。
鋭い牙を剥き出しにした猪型──デスファング・ボア。
鱗に覆われた巨体を揺らす蜥蜴型──ロードリザード。
三体が並び立ち、ジュラ姉を見下ろす。
空気が、張り詰めた。
だが、ジュラ姉は怯まない。
むしろ、楽しげに微笑んだ。
「アラッ!」
指先をくるりと動かし、肩をすくめる。
「少しは、噛みごたえのありそうな子達が現れたじゃないッ」
その背後に、魔物達は幻視する。
──巨大なティラノサウルスが、ゆっくりと口を開き、獲物を品定めしている姿を。
次の瞬間、何が起きるか。それを理解しているのは、もはや魔物ではなく──捕食者である、彼女自身だけだった。
◇◆◇
三匹の魔物は、ゆっくりと距離を詰めながら、半円を描くようにジュラ姉を囲んだ。
グレア・オックスの巨体が床を軋ませ、デスファング・ボアの牙が擦れ合い、ロードリザードの鱗が鈍く光る。
明らかに“獲物を狩る配置”──そのはずだった。
だが。
彼らの本能が、悲鳴を上げていた。
ジュラ姉の周囲から、目に見えない圧が立ち上っている。
否、見る者には見える。
彼女の背後に、巨大な影が重なっていた。原始の王、太古の捕食者──ティラノサウルスの幻影。
開かれた顎。覗く牙。
踏みしめる大地。
魔物たちは、思わず一瞬だけ足を止めた。
ジュラ姉は、その様子を楽しむように、柔らかく微笑む。
「フフフ……どうしたの?ギャタシの後ろに……何か怖いものでも、見えちゃったかしら?」
声は優しい。だが、逃げ場はない。
三匹の魔物に、怯えが走る。
それでも──スキルによる支配は、恐怖よりも強い。命令に逆らうことはできず、彼らは歯を食いしばるように、三方向から同時に踏み込んだ。
左右から、グレア・オックスとデスファング・ボア。
ツノと牙を突き出し、圧殺する勢いで突進する。
正面からは、わずかに遅れてロードリザード。
前脚の鋭い爪と、裂けた顎を開いて飛びかかる。
三方向同時。必殺の包囲。
そのはずだった。
──次の瞬間。
ガシッ。
乾いた音と共に、世界が止まった。
ジュラ姉の両手が、それぞれ別の方向へ伸びていた。
左手は、グレア・オックスの巨大なツノを。
右手は、デスファング・ボアの牙とツノを。
完全に──掴み止めていた。
床が、ミシリと悲鳴を上げる。
ノースリーブのトップスから伸びる、細く白い腕。その表面に、ビキビキと筋肉が浮き上がり、血管が走る。
美しさの裏側に隠された、暴力的なまでの力。
ジュラ姉は、巨体に押されることもなく、むしろ余裕すら滲ませて、くすりと笑った。
「アラッ!ダメよ、ダメダメッ!レディへのアタックは……」
目を細め、二匹を見下ろす。
「もっと慎重に、しなくちゃいけなくてよッ。坊や達!」
その瞬間。
グレア・オックスとデスファング・ボアの脳裏に、同じ感覚が走った。
──格が、違う。
敵ではない。
獲物でもない。
これは、"捕食者"だ。
本能が、そう告げていた。
だが、もう遅い。
両手が塞がったジュラ姉の正面から、ロードリザードが吼え、跳躍する。
前脚の爪と牙を振り下ろし、致命の一撃を狙う。
その刹那、ジュラ姉の脚が、しなった。
ドゴォォッ!!
凄まじい衝撃音と共に、ロードリザードの巨体が、真上へと蹴り上げられる。
まるで、地面に反発されるボールのように、天井へ向かって一直線。
それと同時に。
「オラァァァッ!!」
短く、荒々しい掛け声。
ジュラ姉は、両手に掴んだままのグレア・オックスとデスファング・ボアを、力任せに振り上げる。
巨体が宙を舞う。
三体の魔物は、天井の高いダンジョンの一室で、ぐんぐんと高度を上げ、やがて身動きが取れなくなった。
浮かぶ、三つの“的”。
ジュラ姉は、それを見上げて、軽く肩をすくめる。
「──本気でやると、ダンジョン自体が壊れちゃうかもしれないものねッ! ここは……手加減して〜……」
そう言いながら、両手を上へ向ける。
赤く煌めく指の形が変わる。
再び、ティラノサウルスの牙を模した構え。
その両手の間に。
ビリビリッ……!
空気が震え、光が集束する。白熱したエネルギーが、雷のような火花を散らしながら、急速に凝縮されていく。
熱。衝撃。振動。
すべてが、そこに集まる。
ジュラ姉は、楽しげに微笑み、叫んだ。
「“暴竜咆哮波”ッ!!」
轟音が鳴り響く。
両手の間から放たれた、光と衝撃が凝縮された灼熱のビームが、一直線に空を貫く。
空中の三匹を、まとめて飲み込む。
断末魔すら、届かない。
エネルギーの奔流に包まれ、三体は存在ごと掻き消えた。
しかし、ビームは止まらない。
そのまま迷宮の天井をぶち抜き、遥か上──上階層へと突き抜けていく。
「ギャアアアア!!」「な……何だ、この光……うわぁぁぉッ!?!?」
遥か上方から、小さく悲鳴が聞こえてくる。
遅れて、アナウンスが響いた。
『ネームプレート破壊、クリア。ブリジット・チーム、10×6=60pt獲得』
ジュラ姉は、意外そうに、小さく声を上げた。
「アラッ!?貫通して……上の階層の男子達も、何人か消し飛ばしちゃったかしらッ!?」
ぺろりと舌を出し、髪をかきあげる。
「ギャタシったら、おっちょこちょい!──ごめんあそばせッ!」
イタズラっぽく微笑むその顔からは、
先程までの捕食者の影など、どこにも見当たらない。
ただそこにいたのは、場違いなほどに美しい──“いつものジュラ姉”だった。




