第225話 ルセリア中央大学編入試験③
「受験番号052番の方、前へ。」
試験官の声が響いた瞬間、隣のザキさんが
「お、俺やん。ほな、行ってくるわ」
と軽く笑い、腰をひねりながら立ち上がった。
その背中は相変わらず軽いノリなのに、どこか“背負ってる空気”だけは妙に静かで、歩いていく姿がやけに絵になる。
「頑張って! ザキさん!」
俺が声をかけると、ザキさんは振り返らずに、ヒラヒラと右手を後ろに振った。
あの仕草、チャラいくせに妙に様になってる。
魔力耐衝標識の前まで行ったザキさんは、試験官の隣に立ち、いつもの調子で声をかける。
「なあなあ、あの的って“斬撃”もちゃんと数値化してくれるんやんな?」
試験官は真面目な顔でコクリと頷く。
「ええ。剣による斬撃の場合は、その剣速や切れ味を含めて威力換算されます。」
「それ聞いて安心したわ。」
ザキさんはニッと笑い、腰の日本刀……のような異世界武器の柄に、ゆっくり手を添えた。
普段の軽い雰囲気はそのままなのに、その指先から“場の空気が変わる”のが分かる。
まるで、ふざけた照明から一瞬で舞台用スポットライトに切り替わったみたいだった。
そして──構えた。
上半身をゆっくりとひねり、腰は落とさず、頭も傾けず。無駄が一切ない。まっすぐ、ただ一本、剣の線だけが浮かぶような、完璧な居合いの構え。
ベルザリオンくんの構えにも似ているけど……違う。
“研ぎ澄まし方”が別物だ。
あれは天賦というより、積み重ねと執念の形。
ザキさんは、ほんの一瞬だけこちらを見た。
チラッ。
目が合う。
その口元が──ふっと、笑った。
え? 何? その"何か知ってる風な笑い”。
ドキッとしちゃう。俺、男の子なのに。
唐突に胸がざわついた、その瞬間。
「いくで……"羽々斬"。」
鞘鳴りの音すら聞こえなかった。
抜刀したのか、光ったのか、空を裂いたのか──
俺ですら一瞬見失いそうになる速度で、斬撃が走った。
いや、走ったなんてレベルじゃない。
爆ぜた。
ザキさんの姿が八つに分身したように見えるくらいの連撃。
同じ軌跡を辿っているのに、一撃ごとに重みも角度も微妙に違って、全部が“刺さるような切断力”になっている。
そして。
シュッ。
まるでその動作自体が芸術作品であるかのように、ザキさんは滑らかに刀を身体の前で納めた。
抜刀から納刀まで、恐らく0.8秒。
普通なら何が起こったか理解する前に終わる時間だ。
恐ろしく速い斬撃。
まさに『俺でなきゃ見逃しちゃうね』ってヤツだ。
魔力耐衝標識は一瞬沈黙し──
次の瞬間、細切れになって爆ぜ飛んだ。
「うわ……」
俺の口から漏れるのとほぼ同時に、ホログラムの数値が回り始める。
ピピピピピ、ピ、ピ、ピ……
【24015】
「受験番号052番……スコア……【24015】……!」
試験官が狼狽する声を出すと、受験生たちは一拍置いて大歓声を上げた。
しかし、その中で。
ラグナ王子はガタッと椅子を蹴るように立ち上がり、少年みたいな笑顔を浮かべている。
一方、あの長身美女は細い指を唇に当て、ゆっくりと笑った。
「あら……あの男子、やるじゃない……!」
なんか怖いけど、なんか嬉しそうだ。やっぱり只者じゃないな。
ザキさんは軽い足取りで戻ってきた。汗一つかいていない。
「お疲れ様! 凄いスコアじゃん! ザキさん!」
俺が声をかけると、ザキさんは満面の笑みで振り返った。
「おお、アルドくん。俺の剣、どやった?」
「いや、凄かったよ。一瞬で8回も斬ってたもんね。あんな早業、なかなか見れないよ。」
言った瞬間、ザキさんの表情が──
ほんの一瞬だけ、固まった。
目が、少しだけ大きく開いた。
「──やっぱり、見えてたんやね。俺の斬撃。」
心臓が一瞬止まった気がした。
しまった……!
しまったしまったしまった!!
普通の人間は見えないよ、あれ。
数どころか、斬ったのかどうかすら怪しいレベルなのに。
慌てて取り繕おうと口が勝手に動く。
「い、いや〜、たまたま? なんとなく、8回くらいかな〜って思っただけで……」
言い訳にもなっていない言い訳を口にする俺を、ザキさんは一瞬きょとんとした顔で見て──
そのあと、ニッと笑った。
「ま、ええわ。そういう事にしとこか。」
……助かった。
いや助かってないけど、とりあえず助かった。
ホッと胸を撫で下ろした瞬間、ふと思い出して口を開く。
「あれ? でも、八連斬で24000って事は……一撃だけでも合格ライン余裕だったんじゃない?」
ザキさんは頭をガシガシ掻きながら苦笑いする。
「確かになぁ。俺も、ここまでやるつもりは無かったんやけどな。統覇戦の前に手の内見せるんは、ほんまは良くないんやけど。」
「それじゃ、何で……?」
ザキさんは俺を見つめ──
まるで、何か大事なことを言う前のように、表情が柔らかくなった。
「興味持ってもらいたくなってもうてん。──アルドくんに、な。」
一瞬、時間が止まったような感覚があった。
いや、止まらないで。心臓、落ち着け。
俺が女の子だったら、恋に落ちちゃうところだぜ?
眉も下唇もピアスだらけの顔で、そんな優しく笑われた日にゃあ、女子はキュンと来ちゃうよね。
こいつぁとんだ"沼らせ侍"だ。
俺は、つい笑っていた。
「ああ、興味湧いたよ。ザキさんの“強さ”に。」
するとザキさんは満面の笑みで、
「せやろ?」
と、子どもみたいに嬉しそうに言った。
その笑顔の明るさに、思わずつられて笑ってしまう。
……ザキさん、やっぱり只者じゃない。
ただのチャラ男じゃない。
強くて、明るくて、気遣いもできて、底が見えない。
そう思いながらも、俺の胸の中には、
“いよいよ自分の番だ”
という緊張がじわじわと迫ってきていた。
◇◆◇
次々と受験生が名前を呼ばれ、”魔力耐衝標識” に向かっていく。
「受験番号○○番、スコア【1473】」
「受験番号○○番、スコア【1032】」
そんなアナウンスが繰り返されるたび、会場の空気は少しずつ落ち着いていく。みんな、自分の番号じゃなかったことに安堵したり、一喜一憂したり……人間味に溢れている。
だけど、誰もが──
さっきの“頭突き女さん”と“ザキさん”の異次元のスコアを、完全に越えられていなかった。
高くても1500止まり。その天井感。
つまり、あの二人だけが抜けている。
頭一つどころか、三つくらい抜けてる。
そして──いよいよ俺の番が近づいてきた。
俺の受験番号は【108】。
煩悩の数と同じじゃん。
ああ、俺っぽいわ。
突然、緊張の波が押し寄せて、胃袋がひっくり返りそうになった。
ここに来る前、ヴァレンと話した時のことが、脳内でスッと蘇る。
『いいか、相棒。試験では”真祖竜スキル”は使うんじゃあないぜ。』
『ラグナ王子を”真祖竜スキル”使ってぶっ飛ばしちまったんだろ?何故か知らんが、ラグナ王子はお前の記憶を失ってる。だが、スキルを見せたら、その拍子にお前の事を思い出して面倒な事になる可能性もゼロじゃあない。』
これが頭の中でぐるぐる回る。
確かに、思い出されたら絶対ロクな未来がない。
あの王子、性格的にめちゃくちゃ根に持ちそうだし。
だから、大学では絶対に“竜シリーズ”は禁止。
しかし──
「アルドくん、出番そろそろやろ? いっちょ、本気見せてや!」
ガンッ!
背中に元気いっぱいの平手打ちが飛んできた。ザキさんだ。
ああ、笑ってる。
無邪気に。
疑いゼロで溢れんばかりの期待とワクワクだけ乗せて。
ごめんねザキさん。
本気どころか、めちゃくちゃ力をセーブしないと国が消し飛ぶんだ、本当に。
だけど……俺は俺で、やらなきゃいけない事がある。
「“ブリジットちゃんの隣に立つ男”として、情けない姿は見せられない。」
これがあるんだよ。
むしろここが勝負どころ。
……さて、加減。
どうする。
手加減って言っても、どこまで落とせば“人間の枠の中でめっちゃ強いヤツ”として丁度いいのか、分からない。
迷っていたその時──
脳内に、ある光景がひらめいた。
「そうだ……」
あのバカ王子。
登場の仕方だけで既に本年度バカアワード確定のあの王子が、最初に撃ってた魔法。
"核撃魔光砲"
あれを。
あれと同じ魔法を──
王子よりちょーっとだけ弱めで撃てばいい。
そうすれば、
・ザキさんの「本気見せて」的な期待にそこそこ応えられる
・周囲との差もちゃんと見せられる
・でも王子のスコアは超えない
・だから王子のプライドも潰さない
・俺の正体にも近づかない
・国も吹き飛ばない
完璧じゃない?
非の打ち所が見当たらない。
俺、天才じゃない?
よし、こっこれで──
「それでは、次が最後の受験者になります。
受験番号108番の方、前へ。」
ついに来た。
ザキさんがニッと笑う。
「いよいよやな。気張りぃや、アルドくん。」
肩をポンッと叩かれ、その温かさに少しだけ勇気をもらう。
俺も笑顔で応える。
「うん、行ってくる。」
その瞬間。
例の長身美女──なぜか俺を凝視している。
何そのガン見? 俺の事、好きなの?
いや、違うか。違うよな、多分。
ラグナ王子も「おや?」みたいな顔で俺を見る。
ちょっと待って。
お前……気絶から目覚めた時、俺の顔、改めて一回見てるじゃん。
覚えてないと思うけど……でも、怖いってば。
深呼吸ひとつ。
よし、考えるのはやめよう。
目の前の試験、集中しろ。
そう自分に言い聞かせ、俺はゆっくりと、”魔力耐衝標識“の前へと歩いた。
ざわ……ざわ……ッ
俺が立った瞬間、空気が微妙に震えた気がした。
風でも吹いた?
いや、違う。
期待と緊張が入り混じった、生温かい視線の圧だ。
俺は右手を軽く上げ、人差し指を伸ばして的に向ける。
胸の奥から小さく、不安と、興奮と、責任感が混ざった不思議な感情が滲んでくる。
……さて、やるか。
◇◆◇
俺は右手をゆっくりと上げ、人差し指を”魔力耐衝標識“へ向けた。
──深呼吸。
心臓がドクンと一拍だけ強く跳ねる。
あのバカ王子が使ってたのは……
"核撃魔光砲"。
魔導書に載ってたから、俺も読んだ覚えがある。
詠唱は……ダメだ。思い出せない。
詠唱っぽいものを適当に口にしたら、きっとボロが出る。
何より、王子自身が無詠唱で撃ってたし、俺がやっても怪しまれないだろう。
──だから無詠唱で行こう。
意識を指先に集中させると、そこに魔力が静かに集まり始めた。
青白い光が、細い糸のようにゆらりと揺れて、渦を巻いていく。
「……っと、やりすぎ注意。」
危ない危ない、勢いで大学を吹き飛ばすところだった。
今日だけは絶対に“本気”はダメだ。
ほんの少し、王子のやつより弱くする……そのくらいが丁度いい。
俺は頭の中で、さっきのラグナ王子の魔力出力を思い返し、そこから慎重に数%だけ落としたラインへ出力を調整した。
よし──完璧だ。
そう思った、その時だった。
ざわ……ざわ……っ
聞き慣れないざわめきが会場の後ろから湧き、波のように前の方へ広がってくる。
「えっ……何?」
何が起きたのか分からず、思わず横を見る。
すると、ザキさんが──
「う……ウソやろ……?」
いつもの細い三日月みたいな目を、見開き……まん丸にして俺を見ていた。
ザキさんが……目を見開く?
まだ俺、魔力貯めただけで実質何もしてないのに?
次に長身美女の方をチラリと見ると──
「……まッ……素敵ッ……♡」
両手を胸の前で組み、何故かウットリとした表情で、頬まで赤らめて俺の指先を見つめていた。
いやいやいや、何が?
何にそんなウットリすることがあるの?
だが、驚くべき光景はまだ続いた。
ラグナ王子の護衛3人組──
セドリックさんは、顔面蒼白で固まっている。
リゼリアさんは……驚きつつも、隠しきれないほど何故か嬉しそう。何がそんな嬉しいのよ。
あのやる気無さそうなルシアさんですら、目を見開いて凝視している
そしてラグナ王子本人は……
「そ……そんな……バカな……!」
俺の指先を、まるで未知の災厄でも見るかのように震えながら凝視していた。
口元がうっかり震えている。
いや、待って。
何で?何が?何が起きてるの??
だが──もう魔力は溜まってしまっている。
このまま止めたら不自然すぎる。
ええい、ままよ……!
「えーっと……とりあえず……
"核撃魔光砲"!!」
声に出した瞬間、指先から光が走った。
ギュオオオオオ……ッッッ!!
魔力光線が一直線に伸び、標識のど真ん中を貫いた。
ドガンッ!!
衝撃で空気が震え、周囲の受験生が思わず身をすくませる。
壊れた部分はすぐに再生を始め、標識はまた元の形に戻っていく。
そして、上空にホログラムの数値が現れ──
ピピピピピ、ピ、ピ、ピ……
表示が止まる。
【28286】
よっしゃあ!!
ラグナ王子の記録よりほんの少し下!
他の受験者には圧倒的に勝ってる!
これは完璧だろ!!
……と思ったのに。
シーン…………
会場が、水を打ったように静まり返った。
全員が、息すら止めたように俺を見つめている。
えっ……何この空気。
試験官ですら青ざめた顔で、手元の板を落としそうになっていた。
そして震える声で口を開いた。
「し……信じられません……
“核撃魔光砲“は……
天才魔導士ラグナ第六王子殿下が自ら開発した、
殿下にしか使用できない”専用魔法”……!
それを……完全に模倣し、しかも無詠唱で発動した受験生が……現れました……!」
…………え。
…………え?
えぇぇぇぇえええええ!??
専用!?
専用って何!?
だって魔導書に普通に載ってたんだけど!??
そこで思い出した。
ヴァレンの言葉だ。
『お前が読んでる魔導書【全魔典】は、この世の魔法がすべて記録される禁断の魔導書。新しい魔法が生まれたら即座に上書きされる。だから、あんまりそれ読むな。ヤバいから。』
あああああああッ!!!
ヴァレンが言ってた『ヤバい』の意味がようやく分かった!!
つまり……
王子が作ったオリジナル魔法を、
俺は勝手にパンマギアで読んで覚えてたってこと!?!?
そりゃあ王子しか使えないはずだよね!?
彼が作ったんだもの!!
そして、みんな知ってるよね!?
みんな「ラグナ王子の代名詞魔法」だと思ってるよね!?
俺だけ知らんかったやつじゃん!!
恐る恐る周囲を見渡すと……
ザキさんは半笑いで汗をかきながら、
「アルドくん……君ぃ……何もんなんや、ほんまに……?」
長身美女はなぜか誇らしげに頷いている。
ラグナ王子は──
ギリギリギリギリギリッ……ッ!!!
歯ぎしりの音が、ここまで聞こえてきそうな勢いで俺を睨みつけていた。
あっ、完全に怒らせた。
王子のプライド、粉々にした。
せっかく忘れてくれてたのに。
また目をつけられた。
もう最悪だ。
試験官が興奮したように叫び始めた。
「史上最高の天才ラグナ殿下の専用魔法を模倣した男!受験番号108番──
ラグナ王子が“金の超星”ならば……
彼はさしずめ "銀の新星"ッ!!
皆様、目が離せませんッッ!!」
やめてッ!!
煽らないで!!
対立構造作らないで!!!
つーか、さっきまで淡々と進行してたじゃん!
何で急にプロレスのリングアナウンサーみたいなテンションになってんの!?
周囲の視線が全部俺に向き、
ザキさんは驚愕の表情で見てるし、
長身美女はなぜか嬉しそうだし、
リゼリアさんも何故か喜びを隠せてないし、
ルシアさんは目を見開いたまま固まってるし、
セドリックさんは「あ……アルドくん……君は、一体……?」みたいな顔してるし、
ラグナ王子は爆発寸前だし。
ああああもう、終わった。
たとえ受かったとしても、俺の平穏な学園生活……終了です。始まる前から。
「俺……また、何かやっちゃいました……?」
俺はその場に立ち尽くし、
最もベタなセリフを、誰にも聞こえない声で呟くしかなかった。




