第216話 気絶王子と、兄妹の再会
アルドの手が、乾いた破砕音とともにラグナの頭頂部を叩き潰した。
九重に展開されたはずの防御障壁は、薄い飴細工のように順番に割れながら宙に散り、
ラグナ本人は「ホゲーーッ!!」という哀れな悲鳴を残して、地面にドゴォンとめり込んでいく。
その光景を、少し離れた木陰からじっと覗いている影があった。
柔らかい亜麻色のゆるふわパーマが、木漏れ日の揺れにあわせてふわりと揺れる。
セミロングの髪をリボンで軽く結び、黒を基調としたメイド服にエプロンを掛けた少女──
リゼリア・ノワールは、一本の木の影に身を潜めていた。
彼女の目はまん丸に見開かれ、口元は両手で覆われて小刻みに震えている。
「しっ、信じられません〜〜……!!」
「だ、殿下が……! あのラグナ殿下が……! ビンタ一発で、あんな……あんな……!!」
声を押し殺しながらも、彼女の全身は“動揺”という文字で出来ているかのように小刻みに揺れていた。
普段から呑気で、どんな大貴族の前でも本心では物怖じしないリゼリアが、ここまで取り乱すのは極めて珍しい。
その視線の先では、鼻に自分の指を突っ込んだまま白目を剥き、地面にめり込んでいる主君──ラグナ第六王子──が、情けない形で気絶していた。
リゼリアはあわあわと両手を振りながら、ふらりと木の幹に背中を預ける。
「ああ〜〜……ど、どうしましょう……! 殿下が……殿下がぁ〜〜……!」
涙目でそう嘆いた次の瞬間──。
ピタッ。
リゼリアの動きが止まった。
目も、呼吸すらも凍りついたように静止する。
ただ一つだけ、視線だけが、遠くの“銀髪の少年”──アルドへとゆっくり固定された。
長い睫毛の奥で、リゼリアの瞳が妖しく輝く。
「…………」
「……あの方、アルドさん、っておっしゃるのですね〜……?」
声色が、先ほどまでの混乱とは違う。
柔らかく甘く、どこか湿ったような、メイドとは思えない“悪戯好きの猫”のような声音。
リゼリアは両手を口元に寄せ、小さく握った拳で唇を隠した。
その仕草は“可愛い”を超えて、“あざと可愛い”の極地。
「ふふっ……♡」
「あらあらぁ……」
「いいところを、見てしまいましたね〜……わたし……!」
ほんのり赤く染まった頬を隠すように俯き、リゼリアは堪えるように小さく笑った。
その笑みは、甘い砂糖菓子のようでありながら、
奥底には“企み”の色を孕んでいた。
「これは、面白い事になってきましたね〜」
嬉しそうに胸の前で指を絡ませながら、
リゼリア・ノワールは木陰の闇へとすっと姿を消した。
◇◆◇
その数分前。
樹齢百年は超えていそうな大樹の太い枝の上──
ウサ耳つきの黒いフードを深く被り、顔の下半分をマフラーで隠した少女が、仰向けで寝息を立てていた。
ルシア・グレモルド。
野性味を帯びた紅の瞳は閉じられ、胸の上下だけが彼女が生きていることを示している。
──その静寂を破ったのは、凄まじい“魔力の波動”だった。
「……」
ピク、とルシアの兎耳のようなフードの先が震える。
その直後、ルシアの瞳がカッと見開かれた。
空気が揺れる。
遠方で、一瞬だけ、巨大な紅蓮の火球が木々の隙間から顔をのぞかせ──そして跡形もなく消えた。
「……今のは」
いつもと変わらぬ無表情のまま、低い声で呟く。
火球の魔力。
同時に、もっと異質な、底知れぬ圧力。
ルシアの小さな肩がコキリと鳴った。
次の瞬間──。
「──見つけた。」
彼女はそう一言だけ呟くと、枝の上から軽やかすぎるほどの跳躍で地面へ降り立った。
足音はほとんど無く、風が木々を揺らす音と紛れていく。
そのまま、ゆっくり、のんびりとした足取りで、火球の光が煌めいた方向へ歩きはじめる。
まるで、散歩にでも行くかのようなペースで。
────────────────────
(アルド視点)
──さて。
俺はいま、ひとつの穴を覗き込んでいる。
いや、正確に言えば、
さっき俺がぶち込んだ“イケメン変質者”がめり込んで出来た穴の前に立っている、だ。
地面には漫画みたいに綺麗な人型のくぼみ。
その真ん中で、ひとりの青年が白目を剥き、口を半開きにして、左手の人差し指を自分の鼻の穴に突き刺したまま気絶していた。
なかなかドイヒーな有様だね。
……ってか、なんなんだこいつは。
鼻に指が入ってても腹が立つほど整った顔してる。変質者のくせに。
しかも服装がきらっきらしてるし、胸元とか光ってるし、肩のとこ羽みたいな飾りあるし。
歌劇団のトップスターが「さぁ、夢の世界へ」とか言いながら大階段を下りて登場する時のやつじゃんこれ。
キャラデザにしても、美形キャラ感が過ぎる。
薔薇の花とか武器にして戦ってそう。
ていうか絶対、決めポーズの後ろでキラキラのエフェクトが舞うタイプだ。
そんなことを考えていたら──
「うーん……」
隣にしゃがみ込んで穴を覗いていたブリジットちゃんが、小首を傾げながら呟いた。
「やっぱり、どこかで見た事ある気がするんだよねぇ。この変態さん。」
変態さん。
あの優しくて、ちょっと天然で、基本的に誰にでも柔らかいブリジットちゃんが、
ここまでストレートに“変態さん”呼ばわりするなんて。
コイツ……すごいな。ある意味ですごい。
「ね、ねぇブリジットちゃん。やっぱこいつヤバいやつでしょ。」
「うーん……どうなんだろ……?」
ブリジットちゃんは眉を寄せながら熱心に“変質者”の顔をチェックしている。
……にしても、この顔。
俺も、どっかで見た気がするんだよな……。
俺は眉間に皺を寄せ、真剣に穴を覗き込む。
どこだ……
いつだ……
どこかで確かに──……
ピキュリーン!!
「ブリジットちゃん!」
俺は勢いよく顔を上げ、ブリジットちゃんの肩を掴んだ。
「この変質者、あれじゃない!?
ほら、王都ルセリアの夏祝祭のポスター!!
カップル写真の男側の人!!」
そう、以前フレキくんと3人で王都に行ったとき、あちこちに貼られてた、
絵に描いたように麗しいカップルのポスター。
そのイケメン側が──今、鼻に指突っ込んで白目でめり込んでるコイツに似てる気がするのだ。
すると、ブリジットちゃんの肩がびくん、と跳ねた。
「……えっ?」
短っ。
そして声、小さっ。
なんか変だ。この反応。
俺が首を傾げる前に、ブリジットちゃんは変質者の顔へぴたりと視線を固定した。
そのまま微動だにしない。
本当に石像みたいに固まってしまった。
そして……ふわりと一筋の汗が、彼女の頬をつたった。
(あれ……?ブリジットちゃんがここまで固まるのって、すっごく珍しいぞ……?)
「ブ、ブリジットちゃん……?」
恐る恐る声を掛けると、ゆっくり、ゆっくりこちらへ顔を向けた。
「……あ、アルドくん。」
普段よりワントーン低い声。
なんか嫌な予感しかしない。
「実はね……あたしもね……
この人、どこかで見たお顔だなーって思ってたの。」
「お、おう……」
「それでね……もしこの人が本当に夏祝祭のポスターのモデルさんだとしたら……」
ごくり。
「ひょっとしたらなんだけど……」
頼む、やめて……
嫌な予感しかしない……!
「今……思い出しちゃったかも……。」
沈んだ吐息。
「あ、あの……これ、誰なの?」
俺が声を震わせながら聞くと、ブリジットちゃんはぎぎぎ、とロボットのように首をこちらへ回し、
ひきつった笑顔で言った。
「た、多分なんだけど……この人……」
ごくり。
「うちの国、エルディナ王国の……第六王子様、かも……?」
……………………。
………………………………。
「は?」
脳が理解を拒否している。
「え……」
次の瞬間。
「ええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?!?!?」
俺の絶叫がフォルティア荒野の空に轟いた。
え、待って!?王子!?
俺いま、王子を!?
思いっきりビンタして地面にめり込ませて、鼻に指突っ込ませた状態で白目剥かせてるの!?!?
終わった!!
俺、人生……いや、竜生……!?
いや、もうどっちでもいいけど終わった!!
『俺、また何かやっちゃいました?』で済むレベルじゃない。過去最大級にやらかしている!
だ、だって、この人、何かめっちゃデカい火球みたいなの飛ばしてきてたし、正当防衛じゃない!?
それとも、王族は気に入らない平民には攻撃魔法を放ってもヨシ!みたいな法律があるとか?いや、そんな訳ない。
ただ、何にしろ、俺が何らかの罪(割と重罪)に問われるのは間違いない気はする!
「ど、どうしようブリジットちゃん!!これ俺、国家反逆罪とか国家転覆罪とか、そういった感じの罪でしょっ引かれるパターンのヤツなんじゃない!?!?」
俺が地面に崩れ落ちると、ブリジットちゃんも青ざめながら叫ぶ。
「ア、アルドくん……!!そ、そういえばこの人……さっきあたしに、『僕の顔を見て、何か無いかい?』って言ってたような……!」
「そ、それ、ひょっとして、
『俺、王子様だよ。気づけよ』って意味だったんじゃない!?」
「そ、そうなのかも……!あたし、気づかなくて……そしたらこの人、怒って……!」
「ってことは……俺に言った『ふけい』ってのも……
『父兄』じゃなくて『不敬』の方だったの……!?」
「うわぁぁぁぁぁ〜……!」
「これは……やっちまったなぁ!!」
二人で穴の前でがたがた震えながら、地面の中で鼻に指突っ込んで白目剥いてる王子を見る。
……もう無理だ。投獄は免れない。
みなさん、次回更新からの『真祖竜転生・監獄編』にご期待ください。
そんな俺たちの悲鳴と後悔が混ざった空気だけが、静かに森に漂っていた。
◇◆◇
──その時だった。
『戦闘か!? まさか、ブラックドラゴンがまだ……!?』
森の奥から、男の声が響いた。
「……ッ!!」
「……ッ!!」
俺とブリジットちゃんは完全に同時に肩を跳ねさせた。
今の俺ら、完全に悪事がバレて逃げようとしてる犯人のそれだよ。
ブリジットちゃんは両手を胸の前でぱたぱたさせ、半泣きで俺を見る。
「ど、どうしようアルドくん!?
と、とりあえず、一旦土かけて隠しておく!?
ほら、あれとか! “事故死”みたいに……!」
「いや埋めようとするのは余計にバレるって!!
地面、色変わるし!!というか死んでないからねブリジットちゃん!?」
ブリジットちゃん、さっきから発想がいつに無くワイルドだよ!?
もしかしてこの王子に何か恨みでもあるんじゃないの!? と思わず聞きたくなる勢いだ。
でも気持ちは分かる。
俺だっていま、できれば時間を巻き戻したい。
「ど、ど、どうしよう……あわわわ……!」
「落ち着いてブリジットちゃん!
何か……何か言い訳を……考えないと……!」
いや言ってる俺がまず落ち着けよ。
今の俺、完っ全に犯行の隠蔽を図る犯罪者そのものじゃん。
言いながら泣きそうになってるし。
そんな俺たちの情けない小声作戦会議の最中──
茂みがガサッと揺れた。
「きゃっ……!」
「や、やべっ……!」
俺とブリジットちゃんが身を寄せ合う。
心臓が爆音みたいに跳ねて、息が上手く吸えない。
次の瞬間、茂みをかき分けて3つの影が現れた。
「アルドさん!? それにブリジットさんも……!」
「お疲れ様ッス! アルドさん!!」
「お二人も、ブラックドラゴン退治ですか?」
佐川くん、鬼塚くん、天野さんの3人だ。
よかったぁぁぁぁぁぁ!!!!
俺の心臓が「助かった〜」と声に出して泣いた気がした。
「なーんだ、鬼塚くん達かぁ……!もう〜、驚かせないでよ〜。俺はてっきり、王子様の護衛とかが来たのかと思ったよ〜」
とホッと胸を撫で下ろす俺。
すると鬼塚くんは首をかしげ、
「えっ、何で分かったんスか?
俺達が“王子の護衛”を連れてきたって?」
…………えっ。
キミ、何て言った今。
「へ?」
俺とブリジットちゃんの声がきれいにハモる。
鬼塚くんが親指で後ろをくいっと指す。
「いや、見つけたんスよ。
森の方でブラックドラゴンの群れと戦ってて、
なんか、“王子の護衛”って名乗ってました。それに……」
「……王子……の……護衛……?」
俺の背中を汗が滝のように流れる。
その瞬間、茂みの奥で重い足音がした。
ズ……ッ ズ……ッ
そして──
金色の短髪を持つ、精悍な顔立ちの青年が姿を現した。
学生服に騎士鎧の装甲が付いた様な不思議な装いに、紋章入りのマント。
腰元には、不思議な形の片手剣と、円形のラウンドシールド。
完全に、超一流の王国騎士の風格だ。
「ゲ……ッ!?」
俺はほぼ悲鳴のような声を上げた。
こ、この人絶対……!!
絶対この"めり込み王子"を探しに来た護衛だ……!!!!
やばい。
これ絶対バレるやつだ。
“手配書に載って処刑エンド”の未来が見えた。
まあ、ギロチンの歯も俺には通らない気もするけど。
だが、金髪騎士は俺ではなく──
ブリジットちゃんの方を見て、
その場で完全に固まった。
まるで時間が止まったみたいに。
そして、震える声で呟いた。
「ぶ……ブリジット……?」
……え?
俺のすぐ横で、ブリジットちゃんが小さく息を呑む。
そして、驚愕に揺れる瞳で、金髪騎士を見返して──
「お……お兄ちゃん……?」
と言った。
…………お兄ちゃん?
え、ちょ……ちょっと待って。
俺は勢いよく二人を見比べ、目をカッと見開いた。
「え……えええぇぇぇぇぇぇぇーーっ!?
ぶ、ブリジットちゃんの……お兄さん!?!?!?」
俺の叫びがさっきよりもデカい音で森に響き渡った。
いやいやいやいや……
ちょっと待って。
今日は情報量多すぎる。
王子を気絶させた上で、
その護衛まで来て、
極めつけにブリジットちゃんのお兄さん登場って……
何このイベントが重複してる感じ。




