第210話 ラテと手紙と、再会の予感
喉が渇いたから、例の店に立ち寄った。
喫茶 "ワン・モア・ビター"──
名前だけ聞いたらただのカフェだが、実際のところ店長がフェンリルだ。
それも、5メートル級のチワワ型、アイフルくん。
今日もその巨体を狭そうにカウンターの中へ押し込めて、店主がしっぽをふっている。
犬小屋にすっぽり収まってるチワワって感じだ。スケール感は全然違うけど。
「アルドさま、いつもありがとうございますワン!」
「うん、今日も2つ頼むね。ミルク多めのラテで」
「承知しましたワン!」
カウンターの奥から、タプタプタプ……と巨大な肉球で丁寧にコーヒーマシンを操作する音が聞こえる。しばらくすると、丁寧に紙カップが2つ、トレイに乗せられて出てきた。
1つは俺の分、もう1つは……。
「ありがと。今日もおいしそうだね」
「がんばってドリップしましたワン!」
アイフルくんが淹れたコーヒーは本当美味しい。
あの肉球でどうやってこんな上手にドリップしているのかは謎だ。
片手に2つの紙カップを提げ、俺はスゥっと1本のストローを引き抜いて、自分の方へ差し込んだ。冷たいミルクラテが舌を撫でる。
「──さて、行きますか」
目的地は、北西の開墾現場。
最近は開発が進んで、亜人も魔族も人間も入り乱れて街を築きあげている。
その分、森の伐採や土地整備も忙しくなってきた。今日は、その視察も兼ねての訪問だ。
草を踏み分けながら森へ入っていくと、すぐに見えた。
伐採され、太陽の光が差し込む広場の中央──
そこに立っていたのは、8メートルを超える銀色の巨狼だった。
「おおっ!アルド殿!!」
遠目からでも分かる、ど迫力な声と、その威圧感。
しかし不思議と、怖くはない。むしろ、懐かしいような温かみさえある。
「こんにちは、マナガルムさん。お疲れ様です」
「いやいや!そちらこそ、お疲れ様ですぞ!」
銀の鬣をなびかせて、マナガルムさんは開墾現場の全体を見渡している。
周囲にはフェンリルたちが多数。
木を切り倒し、運び、整地する──彼らがこの森を開き、人のための土地へと変えていってくれている。
「開墾は順調に進んでおりますぞ!」
「それはよかった!」
──そして、その隣。
「──あ! アルドくん!」
声に振り向くと、木漏れ日の中でぱあっと笑顔を浮かべながら、ブリジットちゃんが両手でバインバイン手を振っていた。
ピコピコ、って効果音が聞こえてきそうなくらい無邪気で、可愛い。
汗ばんだ前髪を軽くかき上げて、小さな麦藁帽子をずらし、俺を見上げるその笑顔に──ああ、癒されるなぁ……と、心から思う。
「お疲れさま、ブリジットちゃん。ラテ買ってきたよ」
「わぁっ、ありがとう〜!」
彼女の手に紙カップを渡すと、嬉しそうにカップを胸に抱えて、俺の隣へと歩いてきた。
「──では、我は所用があります故、ここらで失礼させていただきますかな!」
マナガルムさんはそんな風に言い残すと、軽く会釈をして──
ズバァァン!と風を切って跳躍し、そのまま木々の向こうへと姿を消した。
あれは、たぶん気を遣ってくれたんだろう。
「あとは若い2人で話すといい」みたいな、そういうやつだ。
さすが、大人の余裕というやつ。
さて──
「ここ、座ろっか」
「うん!」
近くに設置されていた簡易ベンチに、俺たちは並んで腰を下ろす。
ちょっと砂埃っぽいけど、ブリジットちゃんは気にせず、楽しそうにストローを差し、ちゅーっと飲みはじめる。
「ん〜、おいしっ♪ このお店、最近好きなんだよね〜!」
「アイフル店長のチョコ多めだもんね」
「そうそう!それが、逆にクセになるんだよ〜。うふふっ」
楽しそうに笑う彼女を横目に、俺はラテを一口すすってから話を切り出す。
「調子はどう?」
「うん!“龍生水”の採掘プラントの建設、すっごく順調だよ!」
「それは嬉しいね。……これで、フォルティアの皆も、ベルゼリアの人たちも、どっちも幸せになれるといいね」
「──うん!」
一拍、置いてから、ブリジットちゃんはそっと視線を向けてくる。
その瞳に、まっすぐな決意が宿っていた。
「人でも、魔族でも、他の国の人たちでも……仲良くできるって、証明したいんだ。あたし」
「……うん」
「──もちろん、竜とだって、ねっ!」
「──おおう!?」
俺は思わずラテを吹き出しそうになった。
だって、ブリジットちゃん、今──
……身体、寄せてきた。
ぴたっ、て。肩と肩が触れるくらいに。
さっきまで日常の中で話していた女の子が、突然こんな……反則じゃない?
ドキドキする。心臓がバカみたいに跳ねる。
というか……ブリジットちゃん、俺のこと──好きだって、言ってくれたよな?
しかも2回も。
これはもう、実質……実質付き合ってるのでは?
いやでも、俺から告白したわけじゃないし。ちゃんと「好きだ」って言葉にして伝えたわけじゃない。
今は、まだ……この“未満”の距離を、楽しんでいるだけなんだろうか。
──ごめん、俺、ヘタレで。
でも、もうちょっとだけ、この時間を味わっていたい。
彼女の笑顔を、隣で見られるだけで、今日は少し、幸せだから。
◇◆◇
──ふと、背中に気配を感じた瞬間だった。
「兄さんはっけ〜〜〜ん♡」
軽い声と同時に、俺の首の後ろにスルッと細い腕が回り込む。
柔らかい感触と共に、俺の背中に何かがピタッと押し当てられた。
「うわっ!? り、リュナちゃん!?」
振り返る間もなく、彼女の顔が肩のすぐ横にあった。
黒マスク越しでも分かる、あの悪戯っぽい笑み。
「ちょ、距離近くなってない!? なんか、ベルゼリアの戦い以降、急に近いというか、密着率上がってる気が……!」
「そりゃあ、兄さんが更にカッコよくなっちゃったからっすよ〜? 強いオスがモテるのは、世の摂理っすよ!」
耳元で囁かれて、思わず肩がビクッとなる。
……いや、くすぐったい。ほんとに。
そんな俺の狼狽をよそに、ブリジットちゃんがぱっと顔を上げた。
「あっ、リュナちゃん!」
笑顔で手を振る彼女。ほんと仲良いな、この二人。
リュナちゃんは俺の背中から手を離し、今度はブリジットちゃんの方へ歩いていく。
「姉さん、美味しそうなの飲んでるっすね! 一口ちょーだい!」
「え? あ、うん。いいよ〜!」
ブリジットちゃんが差し出すラテに、リュナちゃんは迷いなくストローを差し──ちゅーっと一口。
「んっ……ん〜〜〜っ! あまっ! うまっ! これ、例のアイフル店長のとこっすね!」
「そうそう、あそこ、チョコ多めにしてくれるんだ〜!」
「分かるっす分かるっす! あの店員、目だけキリッとしてて、職人気質な感じっすよね!」
「それそれ! あの子、喋るとめっちゃ語尾ワンワン言うの可愛いのにね!」
「あははっ、それなっすね〜!」
……盛り上がってる。
めちゃくちゃ盛り上がってる。
で、俺はというと、両側から距離ゼロで美少女二人に挟まれているわけで──。
「…………」
ちょっと、いいですか?
これ、冷静に考えて、人類の夢じゃない?
右には笑顔が可愛いブリジットちゃん、左には人懐っこいリュナちゃん。
ラテの香りと二人の髪の匂いが入り混じって、脳が混乱してる。
──顔がゆるむの、止められねぇ。
こ、これがユートピアか!!
すごいや!ラピ⚪︎タは本当にあったんだ!!
ってなってたら。
ふと、視線を感じた。
なんだろう、この“見られてる”感。
嫌な予感がして、俺は振り向く。
──いた。
少し離れた場所で、書類を胸に抱えたまま、
影山孝太郎くんが、なんとも言えない表情で、俺たちを見ていた。
無言。
動かない。
でも、心の中で確実に「何か」を言ってる。
やめて……その目……!
こ、これは……気まずい!!!
「うわ」
彼が小さく呟いたのを、俺は確かに聞いた。
そして次の瞬間──
スゥ……
彼の姿が、空気に溶けるように透明になっていく。
おい待て。待て待て待て。
「ちょ、ちょっとごめんね?」
ブリジットちゃんとリュナちゃんにそう言い残して、
俺はラテを手にしたまま、慌てて影山くんを追いかけた。
──数秒後。
「ねぇ、待って。無言で消えていかないで。説明させて?」
俺は透けかけた影山くんの肩を掴んでいた。
掴んでるけど、手がちょっとスカスカする。
スキル、出力上げんな。
「いえ、大丈夫です。お邪魔しました……」
「いやいや待って! 本当待って! 影山くん、今『うわ』って言ったよね?
『コイツ、中身オッサンのくせに両脇に美少女はべらせて鼻息荒くしてるの、キッツ』って思ったでしょ!? 絶対思ったでしょ!?」
汗が止まらない。早口が止まらない。
もはや弁解というより、懇願。
影山くんは目を逸らして言った。
「いえ、そこまで思ってないっす」
「──“そこまで”? ってことは、多少は思ったんだよね? 俺を『気持ち悪い』と思う気持ちが溢れ出ちゃってるよね? 違うのよホント、説明をさせて?」
「いやいや、何も思ってないですって!? てか今の方が気まずいっすからね!?強いて言うなら……今この状況を受けて、『めんどくせぇなこの人!?』って思ってますよ!!」
「言った! 影山くん、はっきり言った!!」
「言わせたのアルドさんでしょ!?」
完全に漫才だった。
通行人のフェンリルが「またやってるな」みたいな目で見てきた。
見ないで。見ないでお願い。
──そんな空気をぶった斬るように、影山くんが「あ、そうだ」と思い出したように声を上げた。
「そ、そんなことより、ブリジットさん!書簡が届いてますよ!」
「え? あたしに? 誰からだろ」
影山くんは懐から封書を取り出し、封蝋の刻印を見せながら言った。
「エルディナ王国宰相の……グラディウスって人からみたいですね。封も厳重ですし、たぶん重要な知らせかと」
「えっ、宰相さんから!?」
ブリジットちゃんは少し驚いた顔をし、
俺とリュナちゃんの方をチラッと見て、柔らかく尋ねた。
「今ここで、開けてもいいかな?」
その気遣いが、本当に彼女らしい。
「もちろん」
「りょっす!」
俺とリュナちゃんは同時に頷いた。
ブリジットちゃんはそっと封蝋を割り、中の紙を取り出す。
視線が一段ずつ下りていく。
だが、途中で──彼女の瞳が大きく見開かれた。
「──えっ……!?」
「ど、どうしたの?」
ブリジットちゃんは顔を上げ、唇を震わせながら答えた。
「お……お兄ちゃんが……あたしに、会いにくるって……」
「え?」
「それも、今日、明日中には……カクカクシティに到着する、って……!」
俺も、リュナちゃんも、思わず固まった。
兄。
あのブリジットちゃんを家族から追いやった、ノエリア家の“兄”。
「ブリジットちゃん……」
呼びかけると、彼女は小さく笑ってみせた。
けれど、その笑顔には、どこか影が差していた。
「……大丈夫。会うの、怖くないよ。ただ──ちょっと、心臓がびっくりしてるだけ」
優しく言ったその声に、俺の胸が締めつけられる。
──ハズレスキル“毒無効”。
たったそれだけで、彼女は居場所を失った。
そんな彼女の兄が、今さら何の目的で……。
頭の奥がざわめく。
これは、ただの再会じゃ済まないかもしれない。
嫌な予感が、静かに背筋を這い上がってきた。
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風が、鬱蒼と茂る針葉樹の葉を揺らしていた。
地を這うような重低音が、土を震わせて響く。
警戒音とも咆哮ともつかぬ──シュルルルルル……という唸り声。
それは五方向から同時に発せられていた。
セドリック・ノエリア──通称セディは、黒く鈍く光る巨大な魔物たちを前に、軽く顎に汗を滲ませていた。
「……ブラックドラゴン、か。しかも、五体」
彼の視線は、獣のような重心の低い姿勢で這い寄る黒竜たちに向けられていた。
いずれも全長10メートルを超える巨体。
鋼のように硬質な鱗に覆われ、頭部には湾曲した二本の角。ワニのような胴体と四肢。
中でも一際巨大な個体──15メートルはありそうな“ボス個体”が、群れの中心で睨みを利かせている。
(……A級~S級下位の魔物……通常なら一体でも軍隊であたるレベルだ)
セディは小さく舌を打ち、右手の“剣”を持ち上げた。
チェインブレードのように刃が連なった奇妙な片手剣。
そして左手のラウンドシールドは、真円の形状を保ちつつ、中心の円が常に微かに振動している。
「……一、二匹なら、俺一人でもどうとでもなるが……五匹はな……」
鋭く目を細めた。
(……ラグナ殿下はまた勝手に何処かへ行ってしまわれた。リゼリアも付いて行ったか。ルシアは…… あいつは、どうせ木の上で昼寝でもしてるに違いない)
肩を竦める。
「……全く、付き合いの悪い連中だ……!」
その瞬間、四方から──同時に、突進。
「来たか……!」
咆哮とともに、一斉に跳びかかってくる黒き獣たち。
セディは咄嗟にラウンドシールドを前に構えた。
キィィィィィンッ!!
金属同士が弾きあうような甲高い音。
セディの盾がブレることなく、真正面の1体を完璧に弾いた。
だが、その背後から──残る3体が、巻き込むように襲いかかってくる。
「チィッ──!」
剣を構え直す間もない。
身を翻そうとした瞬間――
「“絶対防御領域”!!」
女の声が響いた。
刹那、セディの周囲に薄く淡い魔力の結界が広がった。
まるで水面のように波打つ透明の球体。
「……っ!?」
ドンッ! ドンッ! ドンッ!
3体の突進を、その魔法障壁が正面から受け止める。
セディは数歩後退しつつも、転倒せずに踏みとどまった。
(障壁魔法……!? 殿下か……? いや、この魔力の性質は違う……!?)
後方から、別の声──軽い調子の男の声が響いた。
「おーい、そこの黒ワニくん達。俺らの言葉、通じる?」
続けて、ややぶっきらぼうな別の男の声がかぶる。
「……返事ねえな。通じてねぇだろ、これ」
さらに、少女のような柔らかい声が続いた。
「うーん……そうだね。会話できる知性がある感じはしない、かな?」
セディは即座に振り返る。
そして、そこに“現れた者たち”を見た瞬間──目を見開いた。
草を分けて立つ、三人の少年少女。
中心にいるのは、黒髪ロングの凛とした少女。
白と金を基調とした衣装は、まるで“聖女”のような神聖さを纏っている。
その横には、赤髪に紫の長ランのようなロングコートを羽織った格闘家風の青年。
鋭い目つきと引き締まった体躯が、ただ者ではない雰囲気を放っていた。
もう一人、茶髪の青年は陽気な雰囲気を纏いながら、肩に光り輝く剣──まるで星屑を散らしたような七ツ星の装飾が刻まれた宝剣を担いでいる。
その茶髪の青年がセディに向かって、にこりと笑った。
「お兄さん、大丈夫だった?」
少年とは思えぬ穏やかな声と安心感のある表情。
セディは数秒の沈黙の後、ぽつりと訊ねた。
「……君たちは、一体……?」
聖女のような少女──天野唯は、小さく首を傾げた。
「えーと、私たちは……なんて説明すればいいのかな?」
紫の長ランの青年──鬼塚玲司は、右手の指を鳴らしながら言った。
「自己紹介は後だ。先にやることやろうぜ。……このワニども、蹴っ飛ばすぞ」
そして一歩前に出た彼の足元が、まるで地面を抉るように陥没する。
その拳には、雷光のような気配が走っていた。
佐川颯太も、肩の宝剣をスッと抜き、軽く回してから構えた。
「そりゃそうだな。『言葉が通じる魔物への攻撃は禁止』って言われてるけど……。でもコイツら、通じてないよな? 知性レベル0っぽいし。」
鬼塚は口の端を釣り上げて、軽く笑う。
「そういうこった。“人語が通じねえなら”──容赦する必要はねえ。とっととぶっ飛ばして、カレーの具にでもしてやろうぜ」
その目に宿る闘気に、ブラックドラゴンたちが一瞬たじろいだ。
セディは、目の前の三人をまじまじと見つめた。
(……この三人、一体……。あの魔力、あの剣、そしてあの身体能力……。まさか……ブリジットの……知り合いか……?)
思考が追いつかぬままに、セディは思わず呟く。
「……一体、どうなってるんだ。"今のフォルティア荒野"は……」




