第204話 祝宴の夜、動き出す新章
焚き火の煙が、ほんのりとスパイスの香りを運んでくる。
夜風が心地よい。
テーブルに並ぶ料理は俺の手製だ。
みんなの笑い声と湯気とが混ざって、まるで現代の学園祭のような賑やかさだった。
俺はスプーンを手に取りながら、目の前の高校生たち──影山くん、鬼塚くん、佐川くん、天野さん──と話していた。
「えっ!?あの漫画、まだ連載してんの!?」
思わず声が裏返った。
箸を持ったまま固まった俺に、影山くんは少し笑ってうなずく。
「ですね。今確か……単行本だと百十巻くらいだったかな……?」
「はぇー……マジかー。」
俺はため息をつきながら空を見上げる。
あの漫画、まだ続いてたのか〜。流石だね。
嬉しいような、切ないような。
前世では途中で終わってしまっていた“大海賊冒険譚”の大傑作。
でも、もう俺は──その続きを手に取ることはできない。
……それでも、どこか誇らしかった。
当たり前だけど、自分が居なくなっても、あの世界はちゃんと続いているんだ、って。
「……なるほどな。」
胸の奥で何かが繋がった気がした。
俺はゆっくりと口を開く。
「──俺さ。日本からこの世界に転生してきたのって、多分……五、六十年前くらいなんだよね。」
四人の視線が一斉に俺に向く。
俺は続けた。
「でも、君たちのいた日本で、まだその漫画が続いてるってことは……多分だけど、こっちの世界とあっちの世界で、時間の進み方が違うんじゃないかな?」
「……え?」
佐川くんと天野さんが同時に声を上げる。
二人とも食い気味に前のめりになった。
「そ、それってどういうことっすか!?」
「わたし達が帰る頃には、日本で何年も経ってる……とか!?」
鬼塚くんが腕を組んで、静かに二人を制した。
「落ち着け、お前ら。」
影山くんも冷静に分析するように顎に手をやり、
「……多分逆だろ。アルドさんの話から察するに。」
と呟いた。
あぁ、やっぱりこの子は頭が回るな。
流石、アサシン影山。
そして、鬼塚くんも意外とクールなタイプだ。
見た目は完全にヤンキーなのに、こういう時の冷静さは頼もしいね。インテリヤンキーだ。
俺は笑みを浮かべながら頷いた。
「うん。俺の記憶と君たちの話をまとめるとね──」
手元のグラスの水を揺らしながら言葉を選ぶ。
「俺がこっちの世界で何十年も過ごしてる間、君たちの世界……日本では一年、長くても数年しか経ってないんじゃないかなって。」
「……!」
佐川くんが軽く目を見開く。
俺は続けた。
「つまり、君たちがこっちで一年過ごしても──日本に帰ったら、一週間くらいしか経ってないかもしれない。」
天野唯さんが、ぽつりと息を呑んだ。
その瞳に、希望の光が宿るのが見えた。
「そ、それじゃあ……」
小さく震える声。
俺は微笑んでうなずく。
「うん。お母さんの容態が大きく変わったりも、多分無いと思うよ。」
その一言で、彼女は顔を両手で覆った。
肩が一度だけ強く震え、それから静かに泣き出した。
溢れ出した涙が、ランプの灯りで小さく煌めく。
両脇から、鬼塚くんと佐川くんがそれぞれ肩に手を置く。
「よかったな、天野。」
「また……元気なお母さんに会えるじゃねぇか、唯……!」
天野さんは涙を拭いながら「うん……うん……」と何度もうなずいた。
その姿を見て、影山くんも少し目を細める。
「……俺達、本当、アルドさん達に会えてよかったです。」
静かな感謝の言葉。
俺は笑いながら、照れくさそうに肩をすくめる。
「そう? ならよかったよ。」
空気が、あたたかく包み込むように和らいでいった。
夜風がテーブルの端に積まれた紙皿を揺らし、スープの香りが漂う。
その穏やかさが、ほんの少しだけ胸に沁みた。
──だが、ふと。
「そ、そういえば……あの人、どこにいるんスか?」
佐川くんが思い出したように声を上げ、周囲をキョロキョロと見回す。
「ん? 誰のこと?」
俺が首をかしげると、天野さんが花茶のカップを手にしながら答えた。
「ヴァレンさんです。“色欲の魔王”の……」
その声には、少し申し訳なさそうな色があった。
「私と颯太くん、ヴァレンさんに……色々、失礼をしちゃって。それなのに、スレヴェルドでは助けてくださったって聞いてて……だから、ちゃんとお礼が言いたくて。」
「あぁ、ヴァレンね。」
俺は苦笑して水を一口飲む。
「今日は居ないんだよ。何でも、“急ぎの仕事がある”とかでね。」
影山くんが「へぇ、あの人が仕事熱心とは意外ですね」と軽く冗談を言う。
俺は笑いながら、「だよね。こういう青春イベント、絶対好きそうなのにさ」と返した。
──そして、ふと心の中で呟く。
(せっかくの歓迎祭だってのに……ヴァレンのやつ、一体どこで何してんだ?)
焚き火の火がぱちんと弾ける。
その赤い火の粉が、まるで次の物語への導火線のように、夜空へと舞い上がっていった。
─────────────────────
エルディナ王国。
夜の王都ルセリアは、宝石のように光っていた。
漆黒の空に浮かぶ尖塔群。
その中央、白亜の城館──宰相グラディウスの執務室の灯が、一際鮮やかに揺れていた。
分厚い書棚と、重厚なカーテン。
壁一面には、戦略地図と書簡の束が並ぶ。
その中で、一人の"魔王"が紅茶を嗜んでいた。
"色欲の魔王" ヴァレン・グランツ。
片脚を組み、ゆったりとした仕草でカップを傾ける。
薄紅の液面が揺れ、その香りが室内の緊張を柔らかく包んでいた。
彼の向かいに座るのは、白髪の老宰相──グラディウス・ヴァン・ヴィエロ。
皺深い眉間に更に皺を寄せながら、ヴァレンが差し出した報告書を読み進めていた。
「……この報告書にある内容は、全て事実なのだな。ヴァレン・グランツ。」
低く、慎重な声。
ヴァレンは、紅茶の香りを嗅ぎながら口元に笑みを浮かべた。
「ククク……おいおい、俺が善意で作ってやった報告書にケチをつける気か? こちとら、パーティを抜け出してわざわざお前に会いに来てやってるんだぜ?」
「……善意、か。」
グラディウスは呆れを隠さずため息をつく。
だがその眼差しには、報告書の中身への驚愕が滲んでいた。
老宰相は書類を指で叩きながら、項目を一つひとつ読み上げる。
「“本件は、魔導帝国ベルゼリアにより占拠されていた「強欲の魔王」の都スレヴェルドを、六名(うち一名は小型犬)によって奪還した事例である。
作戦は短期間で完遂され、敵勢力の抵抗を最小限に抑えつつ、占領下にあった住民および資源の保全を確認。戦略的・政治的双方において極めて高い成果を収めた。”」
「“ベルゼリア軍所属の将軍にして「紅き応龍」の異名を持つ紅龍を、新ノエリア領側が撃破。
戦闘後、紅龍は戦果を認め自発的に降伏、ベルゼリアを離反し新ノエリア領の軍門に下った。
現在は反省の意を示し、領内に建設予定の商業施設「コンビニエンスストア」において、時給一二〇〇ルクの条件で就労する旨を自ら申し出ている。”」
「“さらに、交戦中において、ベルゼリア第七空挺師団の大半を拿捕。機体、装備、人員いずれも損壊なく無傷で拘束し、後日ベルゼリア側に全数を返還した。交渉の際、双方の信義に基づく返還として処理されており、国際的信用の向上に資するものと評価される。”」
「"また、ベルゼリアによって召喚および洗脳されていた異世界出身戦士二一名を全員救出・保護。
帰還の手段が確立されるまで、新ノエリア領の賓客(食客)として保護下に置かれることが決定している。彼らの安全および心身の回復に関しても、領主ブリジット・ノエリアの監督下において進行中。"」
「“新ノエリア領は一領地の立場にありながら、魔導帝国ベルゼリアと独自交渉を実施。
結果として、賠償および技術供与の確約を取り付けるに至った。今後は同領にて採掘される希少資源「龍生水」を、ベルゼリアへ無課税にて輸出する協定が検討されており、相互の経済的安定と信頼構築に寄与する見込みである。”」
「"総括…以上の諸項は、各方面において前例のない規模の成果であり、戦略的・外交的観点からも特筆すべきものである。
本報告書は事実に基づき、関係者の証言および現地記録をもって確認済みとする。
──報告以上。"」
グラディウスは報告書を閉じ、眉間を押さえた。
「……冗談だとしても、荒唐無稽が過ぎるぞ。」
ヴァレンはカップを傾け、茶菓子を一口齧る。
口の端を上げながら、まるで軽口を叩くように言った。
「ところがどっこい、全て事実なんだな、これが。」
目の奥が紅く光る。
その声音は冗談めいているのに、妙な説得力があった。
「相棒の──アルド・ラクシズって男の力があれば、それくらいのことは夕飯の材料の買い出しみたいなもんさ。」
ヴァレンはカップをくるくる回しながら、楽しげに続ける。
「だが、それだけじゃない。あの子……ブリジットさん。彼女の決断力と慈愛、あれは只者じゃあないぜ。流石、俺が見込んだ“メインヒロイン”だね。」
「メインヒロイン」という単語に、グラディウスはピクリと眉を動かした。
その意味はよく分からなかったが、ヴァレンの口ぶりには確固たる信頼があった。
老宰相は深く息を吐き、報告書を机に置く。
「──ブリジット嬢、か。」
その名を口にすると、ヴァレンの表情が少し柔らいだ。
グラディウスは続ける。
「アルド君、咆哮竜ザグリュナ、そして貴様──"色欲"のヴァレン・グランツ。さらには"強欲"のマイネ・アグリッパにまで認められたとなれば、もはやエルディナ王国としても軽視できる存在ではなくなったと言えよう。」
「へぇ、王家もそういう判断をするか。」
ヴァレンは紅茶を啜りながら、からかうように言った。
「ククク……ようやく、物語の脇役たちがヒロインに注目し始めたってわけだ。」
グラディウスはその軽口を無視し、真剣な面持ちで問う。
「──ブリジット嬢が、ノエリア家から勘当同然にフォルティア荒野へ派遣された経緯は知っておるな?」
「ああ、知ってるよ。」
ヴァレンは目を細め、カップを置いた。
「こう言っちゃなんだが、あの家の連中──人を見る目が無いねぇ。ブリジットさんを追い出した時点で、未来の名シーンを見る機会を自ら捨てたようなもんだ。」
「善良な人間、優れた人間が正しく評価されるとは限らん。」
グラディウスの声にはわずかに苦味が混じる。
「貴様も、それはよく知っておるであろう。」
「……まぁな。」
ヴァレンは視線を窓の外へ向けた。
夜の王都が、静かに瞬いている。
彼の目には、どこか遠いものを見るような光が宿っていた。
その時、グラディウスが小さく咳払いをした。
そして、重く、しかし確かにこう言った。
「実はな……ノエリア家が、ブリジット嬢を本家へ戻す許可を出すように、王家へ嘆願書を出しておるのだ。」
ヴァレンの瞳が一瞬、紅く瞬いた。
「──ほう?」
老宰相はその視線を受け止めるように頷く。
「それだけではない。フォルティア荒野を切り開き、現地のフェンリル族を従えるブリジット嬢の力は、王家でも高く評価され始めておる。」
グラディウスの声が、さらに低くなる。
「……中には、ブリジット嬢を“王家に取り込むべき”という声すら、上がっておる。」
その瞬間、
ヴァレンの指が静止した。
紅茶のカップを持つ手がぴたりと止まり、空気がわずかに震えた。
「……何だと?」
その声は、冷め切った紅茶よりも冷たかった。
グラディウスが、ほんの少し身を引く。
それでも老宰相は、国の代表として言葉を続けなければならなかった。
「……つまり、ブリジット嬢を──王家に、嫁がせてはどうか、という……」
言葉が終わる前に、室内の温度が一気に下がった。
風も無いのに、書類がふわりと揺れる。
魔力の圧が空間を歪ませるほどに膨れ上がっていた。
カップがビシビシとひび割れ、紅い液体がテーブルに滴る。
ヴァレンのサングラスがずり落ち、その奥から、血のように鮮やかな瞳が覗いた。
「──は?」
一言。
だが、その声音には、千の怒りと百の殺気が詰まっていた。
グラディウスの額を、一筋の冷や汗が伝う。
その沈黙の中、室内の時計の針の音だけがやけに大きく響いていた。
◇◆◇
室内に漂う紅茶の香りが、張り詰めた空気をかすかに和らげていた。
だがその穏やかさも、ヴァレンの纏う紅の魔力によって掻き消されていく。
卓上のティーカップは細かな亀裂を生じ、金の縁取りが微かに音を立てて砕けた。
「……落ち着け。」
グラディウスは、額に冷や汗を伝わせながら低く声を発した。
「儂の意見では無いわ。むしろ反対する立場だ。」
ヴァレンは深く息を吐き、紅い瞳を伏せる。
怒りの波が静まると同時に、カップを指先で弾いて破片を無造作に魔力で散らした。
彼の声は、静かに──だが確固たる意思を孕んでいた。
「……当然だ。ブリジットさんという“ヒロイン”を守れる“主人公”は相棒しかいねぇ。」
ヴァレンは口の端を上げた。
「アイツらの物語の邪魔をするってことは、このヴァレン・グランツを敵に回すってことだ。……それがどういう意味か、分かるよな?」
その一言に、部屋の温度が再びわずかに下がる。
グラディウスは、まるで蛇に睨まれた獲物のように息を呑み、すぐに両手を挙げた。
「分かっとるわ!」
老宰相の声がわずかに震える。
「貴様という魔王の性質も、あのアルドという少年を敵に回す愚かしさもな!」
その答えに、ヴァレンはようやく肩の力を抜いた。
ソファの背もたれに体を預け、深く沈み込む。
目元を覆うサングラスの奥に、わずかな安堵の色が浮かぶ。
「……ま、そりゃそうか。お前さんは“正解を見抜く力”にかけちゃ誰よりも長けてるもんな。」
彼の声音が穏やかに戻ると、ようやく室内の空気が緩む。
グラディウスは小さく息を吐き、胸を撫で下ろした。
「……ブリジット嬢が、アルド少年を好いておるのは承知しておる。」
宰相はゆっくりと手元の資料を整えながら言う。
「儂個人としても、アルド少年が彼女と一緒になってくれるのが最も望ましいと思っておる。」
その言葉に、ヴァレンの口角がほんの少し上がる。
しかし、グラディウスの表情はすぐに曇った。
「……だがな、本人にまだ自覚は無いにせよ、ブリジット嬢の存在はもはや王国全体を動かす規模に膨れ上がっておる。」
「貴族派、王族派……どちらにとっても無視できんほどにな。」
グラディウスは机の引き出しから分厚い束を取り出す。
革表紙に封蝋が押された書類が十数枚。
それをまとめてテーブルの上に叩きつけるように置いた。
紙束がバサッと音を立て、紅茶の香りが揺らめく。
「見ろ。これが現実だ。」
老宰相の声には苦味があった。
「王国内のあらゆる組織──ギルド、社交界、教育機関。皆、ブリジット嬢を自らの派閥に取り込みたがっておる。」
ヴァレンは無言で一枚一枚をめくり始めた。
指先で紙を弾くたび、紅い瞳がわずかに細められる。
「いやはや……手のひら返しが酷いな、こいつは。」
彼の口元が、冷笑を帯びる。
「ブリジットさんが“ハズレスキル”の加護を受けたと知った時、手を差し伸べた奴がこの中に一人でもいたのか?」
グラディウスは沈黙した。
そして、ゆっくりと目を閉じる。
「返す言葉も無い。……かく言う儂も、彼女がフォルティアへ飛ばされる時、何も出来なんだ。彼らを責める資格は無い。」
老宰相の声は、まるで悔恨の独白のように低く沈む。
その姿を見て、ヴァレンはわずかに口調を和らげた。
「ま、自覚して反省してるだけマシだよ。お前さんは。」
そう言いながら、また一枚、二枚と書類を流し読みしていく。
だが途中で、ヴァレンの手がふと止まった。
紅の瞳が、ある一枚の紙に留まる。
「……へぇ。」
唇の端が、ゆっくりと吊り上がった。
「グラディウス。お前も、相棒がブリジットさんのお相手に相応しいと思ってるよな?」
問われた老宰相は、わずかに目を泳がせた。
「……あ、ああ。儂もそう思っておる。だがな、アルド少年はエルディナでも無名……いや、素性不明の人物扱いじゃ。」
「そんな男が、今や王家も注目するブリジット嬢の相手となれば……貴族どももノエリア本家も納得せんじゃろう。」
ヴァレンは頬杖をつき、悪戯っぽく笑う。
「勝手な話だよなぁ。」
「それは分かっておる……だが現実というのは、いつだって理不尽なものだ。」
グラディウスがため息をついた瞬間、ヴァレンはニッと白い歯を見せて笑った。
「だったら、簡単な話じゃあないの。」
指を軽く鳴らす。
「相棒がブリジットさんに相応しい最高の相手だってことを、世間に知らしめりゃいい。」
「……は?」
老宰相が一瞬ぽかんとする。
ヴァレンは身を乗り出し、指をくるくると回しながら言葉を続けた。
「相棒が本気出せば、王家も貴族も黙らせるなんて造作もねぇ。けどよ、それじゃあ逆効果だ。アイツが本当の力を晒せば、今度は相棒目掛けて上の連中が群がってくる。」
紅茶の表面が、わずかに波紋を描く。
その波紋を見つめながら、ヴァレンは言葉を落とす。
「ブリジットさんの功績も、相棒の手柄にすり替えられちまう。──それは、二人が望む物語じゃあないだろ?」
グラディウスの目に、驚きと感嘆が混じる。
魔王とは思えないほどに人の心を読んでいた。
ヴァレンは立ち上がり、手にしていた書類を一枚放り投げた。
それは宙を舞い、テーブルの上に軽く落ちる。
「だからよ。力を“ほどほど”に見せつけりゃいい。分かりやすく、劇的に。」
「“ああ、あの青年ならブリジット嬢の相手として相応しい”──そう思わせりゃ、こっちのもんだ。」
グラディウスは書類を拾い上げ、その内容に目を通した。
読み進めるうちに、眉が次第にひそめられていく。
「……ヴァレン・グランツ。貴様……今度は何を企んでおる?」
ヴァレンはサングラスをクイッと上げ、悪戯っぽく唇を吊り上げた。
「ククク……決まってるだろ?」
紅の瞳が、楽しげに細められる。
「アルド・ラクシズとブリジット・ノエリア、二人の物語を──新たなステージに移すのさ。」
彼は背後のカーテンを掴み、勢いよく開いた。
夜のルセリアの街並みが、まるで舞台の照明のように輝いている。
「そう……“新章・学園編”にな。」
グラディウスは呆れたようにため息をつき、ヴァレンが放った書類に目を落とす。
そこに記されていた文字を見て、老宰相の眉が跳ね上がった。
『ルセリア中央大学より──
ブリジット・ノエリア嬢の復学を求める嘆願書。』
老宰相は口を開きかけ、何も言えずに閉じる。
その横で、ヴァレンは満足げに笑い、指先でカップを新たに召喚する。
「舞台の準備は整ってる。あとは、主役が登場するだけさ。」
紅茶を一口啜ると、カップの縁で微笑んだ。
その笑みは、世界を転がす策士のものでもあり、
ただ一つの恋を守る友のものでもあった。




