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【250000PV感謝!】真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます  作者: 難波一
第五章 魔導帝国ベルゼリア編

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第198話 アルド vs. 魔導帝国ベルゼリア① ──神話級モンスター・クレーマー、襲来 ──

世界最大の魔導帝国、ベルゼリア——その中枢に聳え立つのは、魔導城・オルド=アルケイデス。


玉座の間よりもさらに奥、重厚な魔導結界と機械錠に護られた密閉空間——"黒曜の円卓(ナイト・サークル)"と呼ばれる会議室は、帝国内において、今やただ三人の人間にしか出入りが許されていない。


漆黒と白金を基調とした艶やかな魔導壁に囲まれた室内には、円形の卓とホロ投影式の地形マップ、中央天井から吊られた浮遊魔導端末が光を落としていた。


衛兵の姿はなく、警備はただ無感情な魔導機兵が十数体、壁際で沈黙しているのみ。


円卓の最奥に座るのは、帝国の主。


アウストリアス・ヴィ・ベルゼリア。


銀白の長髪に、黒と赤で統一された軍装。鋭く光る紫紅の瞳は、見る者の胸奥を凍りつかせるような威圧を湛えていた。




「……“機密階級コード・オブリヴィオン”を適用する。以後、この場で交わされる会話は最高機密階級とする。記録媒体の作動は禁止。破れば魂籍抹消も辞さぬ」




その一言に、室内の空気が引き締まった。


続いて、彼の隣に静かに立つのは——


宰相ルクレイン・クレイドル。


紫と白を基調にしたローブを纏い、目元に刻まれた細かな皺と、揶揄するような笑みを浮かべる老獪な男。だが、その笑顔の裏に何百年もの政略と謀略が積み重なっていることを知る者は、帝国でも数少ない。




「さてさて……陛下。どうやら、我らの“錠前”がひとつ、こじ開けられたようで」




囁くような声で、卓上に表示された魔王領スレヴェルドの地図を指差す。


その反対側に立つのは、将軍ヴァルシュタイン・カイゼル。


褐色の肌にスキンヘッド、赤銅の軍装に鋼の義手、威風堂々たるその姿は軍神と謳われ、かつて“紅龍(コァンロン)”と並び称された帝国最強の呼び名高い武将だ。




「……紅龍が離反した。フラム・クレイドルからの報告によれば、どうやら“染魂の種”の効果が……解けたらしい」




声は低く、沈痛だった。


アウストリアスは静かに目を閉じたまま、唇を動かす。




「……"染魂の種"は、クレイドル一族以外には解除不能なはずだ。それを打ち破った者が存在するのか」



「ええ、陛下。問題はそこですなぁ」




ルクレインがテーブルに手を置き、淡々と続けた。




「それだけではありません。どうやら、異世界から召喚した勇者たちも、全員“強欲の魔王”マイネの側についたとのこと。洗脳も、支配も……全て無に帰した。フラム殿の報告を信じる限りでは、彼女の“我欲制縄”によって、帝国資産にまで再び影響が及びかねぬと」



「笑えんな……まるで神話の化け物の復活譚だ」




ヴァルシュタインは唸るように言った。




「第七空挺師団は壊滅。フラム・クレイドルの旗艦"へルグラート"からの通信も……昨晩、最後にこう告げた」




彼は卓のホロパネルを操作し、録音データを再生する。




『——っ……ち、ちがう、これは……そんな馬鹿な……っ、銀色の……巨竜が……っ……ああっ……!!』




ブツッ……という音と共に、音声が途絶える。


室内に、重い沈黙が落ちた。




「……銀の、巨竜?」




アウストリアスが眉をひそめる。




「スレヴェルド上空で、昨晩未明に異常な魔力反応が観測されております。エネルギー値は、魔導大災害時の中央震源に匹敵」




ルクレインが答えた。




「我らは今、認識不能の敵を前にしている。洗脳を打ち破る力、帝国資産を奪い返す力、師団を壊滅させる力、そして……“竜”の力。フラムが死んでいれば尚更だ。」




「……陛下」




ヴァルシュタインが一歩前に出た。




「戦争の予兆です」




アウストリアスの紫紅の瞳が、鋭く細められた。




「ならば——先に動くぞ。マイネ・アグリッパ。リヴィスの亡霊。そして……銀の竜」


「全て……潰すまでだ」




その声は、凍てつく夜よりも冷たく。


まるで、それこそが絶対の正義であるとでもいうように。




 ◇◆◇




静寂。


再び沈黙が落ちた帝国中枢会議室には、ただ魔導機兵の動作音とパネルの微かな電子音だけが響いていた。


皇帝アウストリアス・ヴィ・ベルゼリアは片手を組み、深紅の瞳を伏せて考え込んでいる。


ルクレイン・クレイドルは顎に指を添え、口元に皮肉めいた笑みを浮かべたまま、部屋の天井を眺めていた。


ヴァルシュタイン・カイゼルはただじっと、巨大な作戦マップに表示されたスレヴェルドの座標を睨みつけていた。


空気は重く、そして凍てついていた。


それを──



ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ!



──唐突なノック音が、叩き壊した。




「……今の音は……?」




ヴァルシュタインの鋭い目が、会議室の重厚な扉へと跳ねる。


"黒曜の円卓(ナイト・サークル)"の入口は、数重の魔導結界と生体認証、魔素制御ロックで守られている。

更に、城の入り口からこの部屋に至るまでには、数十、数百の魔導機兵達が警備をしている。

帝国内でも、この部屋にアクセスできる者は限られていた。


そのはずだった。




「……ノック、だと?」




アウストリアスが微かに目を見開く。

その音は再び鳴った。



ドンドンドンッ! ドンドンドンッ!!



ルクレインが片眉を持ち上げる。




「おいおい……本当に、侵入者でも、おいでなすったってのかい?」



「侵入者……? バカな………!?」




ヴァルシュタインの手が、無意識に腰の剣へ伸びる。




「いや、それにしても……何故“ノック”なのだ?」




皇帝の言葉に、誰も返せなかった。


そして——その瞬間。




「すみませーーん!!」


「クレーム入れに来たんですけどーーー!責任者の方、ちょっと出てきてもらっていいですかーー!?」




会議室全体に、場違いすぎる軽快な男の声が響いた。


いや、少年の声と言っていい。それほど、若い声。


ルクレインが、あまりのシュールさに鼻を鳴らした。




「……おいおい、どういう事だ?何かの悪ふざけじゃあねぇのかい?」



「いや、これは──」




ヴァルシュタインが一歩前に出ようとするが、声の主はさらに叫ぶ。




「ここ、ベルゼリアさんのお城ですよねー!?すみませーん、めちゃくちゃ言いたい事あるんですけどーー!」




「こ、こいつ……!」


「頭がおかしいのか……!? いや、それにしても……どうやってここまで……それに、この圧力……!」




確かにその声には、奇妙な“軽さ”があった。

だが同時に、声だけで空間の重力を狂わせるような圧倒的な存在感があった。


魔導機兵たちの一体が、唐突に“警戒反応”を発し、視線を扉に向けた。




「侵入者……」




アウストリアスが静かに呟いた。




「この扉の外……本来、絶対に入れぬはずの魔力結界を突破し……さらに“ノック”を選んだ者……」




瞳が赤紫に淡く輝く。




「ふざけているのか……それとも、我々を試しているのか?」




──会議室の空気が張り詰める。




 ◇◆◇




煌々と灯る魔導灯が、重厚な装飾を施された壁と机を鈍く照らす。

空気は冷たく、まるで誰かが“呼吸を止めている”かのように重かった。



──その時。



バァァァァァン!!



轟音と共に、黒曜の大扉が爆ぜ飛んだ。

魔力障壁を三重に張り巡らせたはずの防御扉が、紙切れのように内側へ吹き飛び、巨大な破片が円卓に突き刺さる。

風圧でパネルが倒れ、書類が宙に舞った。




「なっ……!? 何者だッ!!」




ヴァルシュタインが即座に身を翻し、皇帝の前へ躍り出る。

その義肢の右腕が低く唸り、蒸気を吹き上げた。

軍人特有の反射だ。考えるより先に、身体が“陛下を守る”ために動いていた。




「陛下! お下がりを!!」




怒号と同時に、宰相ルクレインは手元の魔導デバイスに指を滑らせる。

無数の制御回路が起動音を立て、壁面の格納ユニットが開いた。

そこから更に十数体の魔導機兵が立ち上がり、全身のレンズアイを赤く光らせる。


機械仕掛けの脚が床を叩き、銃口が侵入者に向けて一斉に揃う。


吹き飛ばされた扉の向こうには、白い光の中からゆっくりと歩み出る影があった。


銀の髪。


陽光を閉じ込めたような淡い光がその髪から零れ、無造作に垂れた前髪の奥で、銀の瞳が三人を見つめていた。


少年だった。

いや、“少年の姿をした何か”だった。


彼はまだ蹴り足を下ろさぬまま、ドアを壊した体勢で止まっていた。

まるでその一撃が、自分にとってただのノックでしかないかのように。


沈黙。


銃口が火を孕むまでの、ほんの数秒が永遠のように長い。


ルクレインは眉をひそめると、ため息交じりに呟いた。




「……交渉客には見えんな。撃て。」




指令が発せられた瞬間、赤い閃光が空間を裂いた。

魔導弾が十数条の軌跡を描き、音速を超える光の雨となって少年を飲み込む。

 


──キュドドドドドドドドッッ!!



轟音。爆炎。

 

円卓が揺れ、衝撃波で壁の紋章が剥がれ落ちる。



──だが。



煙が晴れた時、そこに立っていたのは、微動だにしない少年の姿だった。

両手はポケットに入れたまま。

表情ひとつ変えず、ただ三人をぼんやりと眺めている。


服には焦げ跡も、破れも無い。

皮膚には傷一つ無く、光の粒子がその身体を撫でては消えていく。


ルクレインの喉が、ごくりと鳴った。




「……おいおい、何だいその頑丈さは。スキルか? それとも魔法かい?」


 


冷や汗が額を伝う。

彼の声はいつも通り軽口を装っていたが、瞳だけは笑っていなかった。


少年は、ほんの少し首を傾げた。

そして、心底どうでも良さそうな声で答える。




「いや別に、特に何も。」




パン、パン、と服の埃を払うように軽く手を叩く。

その何気ない仕草が、三人の心臓を一瞬止めた。

その余裕が、異様に怖かった。




(……馬鹿な。魔導ライフルの一斉射撃を受けて、無傷?)




ヴァルシュタインの瞳が揺らぐ。

兵士として、百戦を越える修羅場をくぐってきた彼でも、これほどの異常は見たことがない。




(防御魔法の発動痕は無い……! 魔力の流れも感じない……! スキルでもない……なら、一体どうやって……!?)




皇帝アウストリアスがゆっくりと立ち上がる。

その動作は穏やかでありながら、部屋の空気を完全に支配する威圧を孕んでいた。




「貴様……何者だ?」




低く響いた声に、少年が目線を向ける。

その瞳は“静寂”そのもの。

氷のように冷たく、火のように鋭く、どこかこの世界の理を俯瞰しているような視線。


しばしの沈黙の後、少年は口を開いた。




「はじめましてー。」




あまりに場違いな軽さ。

次の瞬間、その口元がゆっくりと吊り上がる。




「空前絶後の、超絶怒涛のモンスター・クレーマーでぇーす。」




静寂。


アウストリアスの表情が固まり、ルクレインの笑みが凍りつき、ヴァルシュタインのこめかみに青筋が浮かぶ。


誰も意味が分からない。

ただ、“その声を聞いた瞬間”に本能が告げていた。


──この少年は、冗談ではない。

この存在そのものが、“冗談では済まない何か”なのだと。




 ◇◆◇




黒曜の円卓の間に、重苦しい沈黙が降りた。


撃ち尽くされた魔導ライフルの銃口から、まだ赤熱の残滓が漂っている。

硝煙と焦げたオゾンの匂いが充満する中、銀髪の少年は相変わらず無表情で立っていた。


やがて彼は、わずかに肩を竦めた。




「……っと。流石に名前くらいは、名乗っておこうか。」


 


その声は、火傷するような張り詰めた空気の中で異様に柔らかく響いた。




「俺はアルド。アルド・ラクシズ。」




その名前が放たれた瞬間、三人の脳裏に警鐘が鳴る。

ルクレインは目を細め、素早く思考を巡らせた。




(アルド・ラクシズ……? 聞いたことがねぇ名だな。だが──問題はそこじゃねぇ。)


(さっきの射撃……魔力防壁の反応ゼロ。スキル発動の痕跡も無し。つまり、何もしてねぇのに生きてる……)


(冗談じゃない。そんなバケモンが人間であるはずがねぇ……)




額の汗を指で拭いながら、ルクレインは口角を上げた。

その笑みは、官僚特有の“他人を試す時の顔”だ。




「おいおい……」




ゆったりと椅子にもたれ、脚を組む。




「いきなり押しかけてくるなんざ、流石に無礼が過ぎるんじゃねぇかい? 兄ちゃん。」




軽口を叩きながら、ルクレインはテーブルの下で手を動かした。

指先が魔導ツールパッドの画面を滑る。

“リミッター解除”の表示が、冷たい青光を放った。


十数体の魔導機兵が、同時に赤光を強める。

熱を帯びた関節部から微かに蒸気が吹き出し、

ギィ……ギィ……と金属の唸り声が上がった。




(フル出力モードだ……これなら──)




その時。


アルドの身体から、ふわりと光が零れた。

それは煙でも、魔法でもない。

泡だった。


銀色に光る、小さなシャボン玉。

一つ、二つ……無数に生まれて、空気の中を漂い始める。

虹のようにきらめくそれが、ただの光景であるかのように美しく──

魔導機兵の肩や装甲に触れた瞬間、


 

パッ。


 

音もなく、消えた。


まるで初めから存在しなかったかのように。

爆発も、断末魔も、残骸もない。

十数体の魔導機兵が、一瞬で“存在そのものを削除”された。




「──な……っ……!?」




ルクレインの声が引きつる。

汗が一筋、頬を伝い落ちた。


アルドは一歩も動かず、ただその現象を見ていた。

表情は、退屈そうですらある。




「ま、そんなお人形が何しようが、俺に傷一つつけられる訳ないんだけどさー。」




彼は軽く息を吐くように笑った。




「“話し合い”の邪魔になりそうだったから、消させてもらったよ。」




その一言が放たれた瞬間、空気が完全に凍りついた。




(な……なんだ……今のは……?)




皇帝アウストリアスは無意識に拳を握りしめる。




(攻撃の予兆も、魔力波も感じなかった……! まるで“法則”そのものが書き換えられたような……)




音が無い。

いや、外の世界が無音になっている。

アウストリアスは気付く。


──魔導城の喧騒、城内を満たしていた振動音が消えている。


その静けさの中で、彼は低く問うた。




「……アルド、と言ったな。どうやってこの場所まで辿り着いた?」




アルドは少し考えるように顎を指で触れ、そしてあっけらかんと答える。




「え? いや、玄関みたいなとこから入って、真っ直ぐ歩いてきたけど?」




ルクレインのこめかみがピクついた。

ヴァルシュタインは絶句している。


アルドはポケットから手を出し、片手を軽く振った。




「俺達が助けた子達の中にね、占いが得意な子がいてさー。」


「ベルゼリアで一番偉い人がどこにいるか占ってもらったんだ。ドンピシャだったみたいだね。」


 


その“呑気な声”が、逆に恐ろしかった。


まるで、この国の最高権力者たちがいる場所が──

最初から彼にとって“ただの目的地”でしかなかったかのように。


沈黙の中で、アウストリアスはほんの僅かに息を呑む。

目の前に立つこの青年は、明らかに異常だ。

力も、思考も、存在そのものの階層が違う。




(こいつは……我々とは一線を画す存在なのかも知れぬ……)




その確信が、皇帝の背筋を氷の刃のように撫でていった。




 ◇◆◇




アウストリアスは沈黙を破った。

低く、しかし鋭く抑えた声で。




「……ここに辿り着くまでには、相当な警備が敷かれていたはずだが?」




問いというより、確認だった。

皇帝のその声音には、すでに“異常”を前提とした色が滲んでいた。


アルドは肩をすくめ、何でもないことのように答えた。




「ああ、そうね。魔導機兵ってやつとか、兵士や魔導士っぽい人とかも大勢いたね、確かに。」




その“確かに”が、軽すぎた。

まるで通学途中のコンビニで寄り道したかのような調子で。


ルクレインの頬が引きつる。

アウストリアスは、あえてその先の言葉を促した。




「……それで?」




銀髪の少年は、わずかに目を細めた。

その瞳の奥で、銀色の波紋が静かに揺れた。




「邪魔だったから、全部──漏れなく"消し"ちゃった。」




空気が、止まった。


ルクレインの指が止まり、アウストリアスの呼吸が止まり、

ヴァルシュタインの心臓が一拍、打つのを忘れた。


次の瞬間、爆ぜた。




「──き……貴様ァァアアアアアアッ!!!」




ヴァルシュタインの怒号が空間を裂いた。

怒りと殺意が混ざり合い、蒸気のように吹き上がる。


彼の義手が光り、機構がうなりを上げる。


プシュウウウウウ……! 


白い蒸気が噴き出し、

右手の剣に魔力が流れ込む。


ギィィンッ!!


金属音を響かせながら、剣身が光を帯びて膨張する。

青白い閃光が刀身を包み、二メートルの光剣が生まれた。


ヴァルシュタインの片眼が血走る。

怒りで呼吸が荒れ、歯を食いしばる音が響いた。




「この帝国の兵を……民を……“消した”だと……!? 貴様ァァ!!」



「──!? 待てっ!! ヴァルシュタイン将軍!!」




ルクレインの声が飛ぶ。

だが将軍は、もはや聞いていなかった。


義手のエンジンが唸り、床を砕く。

空気を裂き、赤いコートが翻る。


ヴァルシュタインは、雷鳴のような速さで斬りかかった。



──だが。



その瞬間、アルドの唇が、ほとんど聞き取れないほどの声で呟いた。




「──"竜渦(ドラグ・ボルテックス)"」




世界が、ひっくり返った。


風が巻き、床の影がねじれ、

ヴァルシュタインの身体が──ふっと消えた。


いや、正確には。


肘から先と膝から下が、存在ごと抜け落ちた。




「……は?」




ヴァルシュタインの声が間抜けに響く。

次の瞬間、彼はバランスを崩して前のめりに倒れ、

ゴロリと床を転がった。


四肢の断面からは血が流れない。

代わりに、黒い渦がゆっくりと回転している。


それは“切断”でも“消滅”でもない。

“何かの空間”へ繋がる穴。

空洞の奥から、異界の風のような音が漏れていた。




「──う……あ……ああああッ……!!!」




ヴァルシュタインが呻く。

手も足も無いのに、確かに“そこにある感覚”が残っている。

指も拳も、地を踏みしめる足も、確かに在る。

だが、どこにも見えない。




(感覚は……ある……!? 斬られてはいない……! だが……これは……!?)


(俺の身体は……どこに……!)




彼の瞳が恐怖に濁る。

百戦錬磨の将軍が、生まれて初めて“理解不能の恐怖”に飲まれていた。


アウストリアスは、言葉を失っていた。

ルクレインの指先は震えて、デバイスの上を彷徨う。

誰も、何が起こったのか理解できていない。


ただ一人。

アルドだけが、退屈そうに息をついた。


静かに、ヴァルシュタインの胸ぐらを掴む。

片手で持ち上げるその動作は、あまりにも軽い。

まるで壊れた玩具を拾う子供のようだった。




「……何?」




アルドの声が低く響く。

瞳に光は無い。感情の温度が、完全に抜け落ちている。




「俺、一応“話し合い”に来たつもりだったんだけどさ。」

 

「──話し合いじゃなくて、喧嘩の方をお好みかな?」


 


ヴァルシュタインの歯がガチガチと鳴る。

額から汗が滝のように流れ、声にならない悲鳴が漏れる。

彼は、全身を震わせながら必死に首を横に振った。


その様子を見て、アルドはようやく笑った。

にこり、と。




「そっか、ならよかった。」




ポケットから何かを取り出す。

──黒いペンだった。


ヴァルシュタインが目を剥く。

アルドはにゅっと手を伸ばし、彼のスキンヘッドのてっぺんにキュキュキュッと描く。



 『 ◠‿◠ 』。



ニコニコマーク。




「……よし。」




アルドはその頭をヘッドロックのように抱え込み、

ニコニコマークをアウストリアスとルクレインに向けて見せた。




「よし、じゃあ──お話ししましょうか。平和的にね。」




にっこりと微笑むその顔に、殺意は無い。

だが、笑顔よりも怖い“何か”があった。


アウストリアスは心の中で呟いた。




(……この少年は、“理”の外側にいる。)


(少なくとも、今、この少年に逆らうのは、得策では無い……)




ルクレインは、唇を噛みしめながら震えていた。




(……化け物だ。人間の枠にいない……! こんな存在、ベルゼリアの記録にも──)




銀色の髪が静かに揺れる。

少年は、ただ笑っていた。


あらゆるものを“消した後”のような、静寂の中で。

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