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第2話 怠惰の掟、七つのスローガン

 ——竜にも教育はあるらしい。


 


 孵化して三日目。俺は今、竜族の拠点の一つ《悠座の講堂》という石造りの大空間にいた。


 天井がやたら高く、白銀の天蓋からは外の空が覗ける設計。壁面には神話の壁画っぽい何かが彫られていて、デザイン的には荘厳そのものなのだが……。


 


 ……とにかく、寒い。いや、物理的な話じゃなくて、空気が。


 


 講堂の中心、円形の石の台座に寝そべっているのは、俺を含めてたった五体の幼竜たち。


 俺以外は、皆ぽけーっと空を見上げていた。無言。動きもない。喋る気配すらない。

 ドラゴンというか、動物園のワニみたい。

 


 (……おーい、同級生ドラゴンズ、なんか喋ろうぜ……)


 


 話しかけるべきか迷っていると、突然、上空のアーチからドォンッと重たい音が落ちてきた。


 


 降りてきたのは、一匹の巨大な黒竜。


 鱗は煤けてボロボロ、翼は片方垂れている。片目は閉じたまま動かず、息の出入りもめちゃくちゃ浅い。どう見ても現役を退いた老ドラゴンだ。

 ゲームだと、戦闘にならずに主人公達に助言を与えてくれるだけのドラゴンって感じだ。

 


 《……あ〜……めんどくさい……》


 


 降り立つなり、開口一番それか。

 念話でそれ言う必要ある?


 


 《えー……そこの新規どもよ。今日から一応、竜族としての基本くらいは教えといてやるから。まあ、気が向いたら聞け》


 


 完全に寝起きの声だった。

 というか、この場に“教育の意志”を持って来てるの、俺だけじゃない?


 


 老竜は片手ならぬ片翼で頭をボリボリと掻いた後、深々と息を吸い込んで、淡々とした語りを始めた。


 


 《まず、竜たるもの、強き種にして……めんどくさがりであるべし》


 


 おっとぉ……なんだそのイントロ。


 


 《以下、七大怠惰戒律セブン・スロウス・コードを心に刻め。》


 


 場に一瞬、風が吹いた。


 俺以外の幼竜たちは、どこか陶酔した顔で目を細め、ゆるやかに首を垂れる。何この雰囲気。なんか宗教感出てない?


 


 そして、老竜は読み上げた。


 


 《第一戒。鍛えてはならぬ。肉体・魔力の鍛錬は未熟なる者の営みなり》


 《第二戒。競ってはならぬ。他者と力を比べるは品性の欠如なり》


 《第三戒。嫉んではならぬ。羨望は竜の誇りを穢す毒なり》


 《第四戒。語ってはならぬ。武勇を語るは己が未熟の証なり》


 《第五戒。関わってはならぬ。下位種族との交わりは堕落を招く》


 《第六戒。留まるべし。竜は天と地に座す存在なり》


 《第七戒。夢見てはならぬ。未来を渇望するは竜の尊厳を損なうなり》


 


 ……えぇ〜……


 


 俺は正直、耳を疑った。


 クソ駄目人間じゃん。いや、駄目竜か。

 

 一族総出で"働いたら負け"と思っているニート種族。それが真祖竜。そんなバカな。


 思わず目を覆いたくなる。


 全力でふざけたスローガンにしか聞こえないが、周囲の竜たちは目を閉じて瞑想モードに入り始めていた。どうやらこの講義、真面目らしい。


 


 講堂の中心に、老竜の声だけが響き渡る。


 


 《竜とは、元より完成されし存在。我らは頂にありて、揺るがぬ“調律”を保つ者なり》


 《変化は混乱。成長は不要。だからこそ我らは、常に静かであるべきである》


 


 俺はそれを聞きながら、じわじわと実感していた。


 この世界の竜たちは、努力=未熟、成長=敗北みたいな価値観で生きているらしい。


 


 (つまり、“最初から強いなら何もするな”ってことか……)



 『強く生まれたからには、鍛える事すら女々しい、というか面倒くさい。』みたいな。

ダメになった花◯薫みたいな種族だ。

 


 《以上、七大戒律をもって、本日の初等教育は終了とする。では、私は寝る》


 


 いや、おじいちゃん。早すぎるだろ。


 せめて質疑応答の時間とか設けてよ。


 


 だが、そんな俺の心の叫びも虚しく、老竜はふわりと浮かんでそのまま上空の天蓋へと去っていった。寝るのか。本当に寝るのか。


 他の幼竜たちも、やる気のカケラもない顔でだら〜っと寝転びはじめる。


 


 (お前ら……なんかもう、ダメだな。)


 


 こうして、俺の“竜族としての初授業”は、静かに、そして圧倒的な情報量の少なさを残して終了した。


  講堂には再び沈黙が戻り、周囲の幼竜たちは、各々のベスポジでダラけていた。

 誰も何も言わない。

 誰も何もしない。


 


 (……何もしなくていい、か)


 


 思えば、前世は毎日深夜まで働かされてたんだよな。

 休みもろくになくて、ストレスと肩こりと胃薬が親友みたいな日々だった。


 それに比べたら……こういう生き方も、案外アリなんじゃないかって、ふと思った。


 


 鍛えなくていい。競わなくていい。夢なんか見なくてもいい。


 ただ、そこにいて、時々うたた寝でもしてれば、みんなに「さすがですね」って褒められる種族。


 ──もしかしたら、この転生は神様が俺にくれた"休息の時間"なのかも知れないな。


 そんな事を思いながら、俺は同級生ドラゴンズと同様に、その場で寝転び静かに目を閉じた。




 ◇◆◇




 真祖竜に転生してから、十年が経った。


 


 ──怠惰であることが美徳?最高じゃないか!


 


 そんなふうに考えてた時期が俺にもありました。


 


 竜族の戒律は、徹底して“動かない”ことを奨励する。


 鍛えるな。競うな。夢見るな。下位種族?論外。話しかけるだけで品位が下がるらしい。


 でも、俺にとってはむしろ都合がよかった。

 だって前世は、朝から深夜まで働かされるブラック企業勤め。

 タイムカードはあってないようなもの。感情も感覚も、残業代と一緒にすり減っていた。


 それが今では、寝て起きて飯食って空を見て、寝る。これで周囲から「さすが真祖の幼竜……かくあるべき。」と褒められる。


 最初はもう、感動すらした。


 


 ──この世界、優しすぎない?


 


 でも。


 


 十年もやってると、さすがに話が違ってくる。


 


 「……暇すぎて、死にそうだ」


 


 真祖竜が住まう島の高原の岩の上。寝そべる俺は、ひとりごちた。


 空は澄み切って雲ひとつない。風は涼しく心地よい。陽は柔らかく、鱗にぽかぽかと当たって、たまに眠気が来る。


 つまり、完璧に平和。

 完璧に穏やか。

 完璧に——退屈。


 


 「いや、もうこれは逆に拷問。静かなる拷問だ」


 


 前世の方が良かった!とは絶対に言えない。

 ブラック企業で擦り減っていく激務の日々は、今だに思い出すだけで身震いするようなトラウマだ。


 かといって、ここまで何もしない(出来ない)生活も、これはこれでキツすぎる。

 他の竜も基本的には寝てるかボーッとしてるだけで、話しかけてもまともに会話が成立しない。

 仕事も娯楽も何もない。本当に、ただそこに存在するだけ。それが真祖竜なのだ。



 極端過ぎるわ!!

 丁度いい人生は無いのか!?



 一方で、この十年、何一つしていないのに、身体は勝手に成長していった。



 魔力の流れはますます濃くなり、ブレスの射程は山越え、羽ばたけば雲を割く。

 先日なんて、あくびしながら軽く羽ばたいただけで山が一つ削れた。


 


 (何もしてないのに、火山を吹き飛ばせるようになるって、逆にクソゲーでしょ……)


 


 それに比べて、精神の成長はというと——


 


 「……完全に停止してる気がするな」


 


 こんな日々をあと百年、千年と続けるのかと思うと、胃が痛く……はならないけど、心が削れていく。


 


 (俺……何のために生まれ変わったんだろ……?)


 


 そんなある日。


 


 俺は、同じく幼竜の一体に話しかけてみることにした。


 名を、グルーシャという。俺と同じ時期に孵化した仲間で、背中の鱗がやたらツヤツヤしてるのが特徴。性格は……まあ、例にもれずテンション低めだ。


 


 岩陰でうつ伏せになりながら、ぐだーっと尻尾を振っていたグルーシャに、声をかけてみた。


 


 「なあ、グルーシャ。ちょっと聞きたいんだけど」


 《……ん〜……何……》


 


 声すら寝ている。念話も半分寝言みたいなトーンだ。


 


 「"七大怠惰戒律"って、破ったらどうなるんだ?」


 


 その瞬間、グルーシャの尻尾がピクッと止まった。

 わずかに、まぶたが開く。

 眠気が霧散していく気配がした。


 


 (お、これは怒られるか……?)


 


 ……しかし、返ってきたのは意外な答えだった。


 


 《……何も……起きない、けど……?》


 


 「え?」


 


 《ただ、“堕竜”って呼ばれるようになるだけ……》


 


 「“堕竜”って……それって、やばいんじゃないの?」




 天界を追われた堕天使の如く、竜の島を追われた"堕竜"として、他の竜達から狙われる存在になるとか…?

 



 《う〜ん……別に。皆、めんどいから怒らないし。そもそも関わらないし……》


 


 「罰は?」


 


 《無い。処罰も、監視も、忠告も、説教も、無いよ》


 


 「──え、甘くない?」


 


 《“七大怠惰戒律”は、守るためのものじゃなくて、そうあってくれたらいいな〜っていう“方針”……みたいな……》


 


 「ええええええええ……」


 


 頭を抱えた。


 


 あの宗教的な教義、まさかのただの願望。

 努力したら怒られるどころか、誰も何もしない。


 というか、それもう戒律じゃなくない?

 


 俺は生まれてこの方ずっと、“禁じられた努力”にビビって手を出さなかったのに。

 これって、あれじゃないか。


 


 (つまり、“やってもいいけど誰も責任は取らない”っていう……一番ズルいやつだ)


 


 目の前のグルーシャは、またぐだーっと寝転び直して、のびをしていた。


 《でも……そんな面倒なこと、やる奴いないよ……みんな怠いし……》


 


 「……」


 


 何もしない。何も起こらない。誰も責めないし、誰も褒めない。

 その自由の中に、選択肢だけが置き去りになっている。


 


 俺は、空を見上げた。


 青すぎる空に、少しだけ、孤独を感じた。


 


 ──何もしてないのに強くなる。

 ──でも、それで“満たされる”わけじゃない。


 


 この瞬間、俺の中で何かが確実に切り替わった。


 


 (……だったら、俺がやる)


 (誰もしないなら、俺が最初でいい)


 


 このどうしようもなく怠惰な種族の中で、ひとり、俺だけでも——


 


 「動いてみる」ってのも、悪くないかもしれない。


 


 そんなふうに、思った。

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