第195話 魂を継ぐ者、思い出を継ぐ者
壮麗な大理石の床。
天井には魔導細工で作られた天球儀が静かに回り、空間には重々しい沈黙が満ちていた。
中央の円卓を囲むのは、アルドたち選ばれし者と、召喚された高校生たち。
その空気を震わせたのは、マイネの静かな声だった。
「──事実じゃ」
その言葉が落ちた瞬間、場に流れる空気が一変した。
「……そんな……」
フラム・クレイドルが震える声で呟いた。
「マイネ・アグリッパが……ベルゼリアの誕生に関わっていた……!? いえ、それだけじゃない……ベルゼリアの、初代皇帝が……本物のリヴィス・ハルトマンの……クローンだった、ですって……!? 馬鹿馬鹿しい!!そんな話、信じられる筈が……!?」
彼女の声は震え、感情は制御しきれないまま爆発する寸前だった。
しかし、マイネは静かだった。
その銀紫の瞳は、どこまでも澄んで、しかし深い哀しみを湛えていた。
「知るのは、妾とリヴィス──そして、お主の一族の祖である、ロラン・クレイドルくらいのものじゃがな」
その名を聞いた瞬間、フラムの目が見開かれる。
「……ロラン、様が……?」
崩れそうな声。もはや否定できない。
真実は、重く、鋭く、彼女の中に突き刺さっていった。
マイネは静かに続ける。
「分かったか。ベルを”人形”と誹ることは、お主の仕える王族そのものを否定する事になると心得よ」
フラムは沈黙した。唇を噛みしめて俯く。
その姿に、誰も言葉をかけられなかった。
そして──マイネは、隣に立つベルザリオンを見た。
「後に知った事じゃが……あやつは、自分の魂が宿った時にのみ成長を始める、クローン胚を各地に忍ばせておった。」
「魂は、それに適した器に宿る性質がある……リヴィスは、自分の魂がこの地に戻るなら、自分自身の器にこそ宿ると考えたのじゃろうな」
そう語るマイネの声音には、明確なためらいがあった。
ベルザリオンへと向けられる眼差しは、どこか申し訳なさげで、哀しみに滲んでいた。
「──ただ、クローン胚に魂が宿る際に、完全には上手くいかず、歪みが生じてしまったようじゃが……」
ベルザリオンは、その言葉に眉を寄せた。
「つまり……ベルザリオンくんは……リヴィスって人のクローンっていうより……」
アルドがそう口にすると、マイネはコクンと頷いた。
「そう……ベルは、言わばリヴィスの”転生体”なのじゃ」
──静寂。
室内にいた者たち、全員が固まった。
ブリジットの目が見開かれ、リュナは口を半開きにしたまま息を呑む。
フレキも、ヴァレンも、オタク四天王も、ギャルズも、召喚高校生の誰もが――その事実に、ただ呆然としていた。
ベルザリオンは……ただ、俯いていた。
何かを、どう処理すればいいのか分からず、感情の出口すら見つからないまま、拳をゆっくりと握り締める。
小さく震えるその肩を、誰もが見ていた。
「私は……私は……」
低く震える声が、喉の奥から漏れた。
「私は……リヴィス・ハルトマンの……転生体……?」
声は、自身でも信じきれないように、虚ろに響いていた。
彼の瞳の奥では、幾千の想いが交錯していた。
理解、困惑、恐怖、哀しみ、そして、言葉にならないほどの孤独。
マイネは、そんなベルザリオンの姿を、じっと見つめていた。
なにかを言いたそうに、けれど、言葉が見つからず、唇を噛み締めたまま……。
◇◆◇
「……リヴィスの、転生体……」
静寂の中で、ベルザリオンは胸元を押さえて呟いた。
黒髪がわずかに揺れ、黄金の瞳は伏せられ、震えていた。
その姿を見つめるマイネの唇が、かすかに震える。
(ベル……)
言葉をかけるべきか、迷いが生じる。
ベルザリオンは、静かに拳を握りしめた。
その内心では、激しく感情が渦を巻いていた。
(私は──ただの、模造体だったのか?)
(この身体も、この魂も、もともとは他人のもの──)
しかし、それよりも胸を締めつけたのは――
目の前に立つ、彼女の存在だった。
(……お嬢様が、リヴィスを……愛していたというのなら……)
(私に対して良くしてくださっていたのも……私に……彼の影を見て、重ねていただけでは……?)
瞬間、胸の奥に、鋭い棘が刺さった。
その痛みに眉を寄せるベルザリオンに、マイネが一歩踏み出しかけた。
「べ……ベル……妾は……っ!」
慌てて口を開いたその時――
「ふーん。よかったじゃん、ベルっち」
無防備な声が、部屋の空気を割った。
一同の視線が、揃ってそちらを向く。
リュナ。咆哮竜、ザグリュナ。
金茶の髪を揺らしながら、黒ギャル風の少女は、まるで雑談でもしているかのような口調で言った。
「うらやまだわ。まじで」
「なっ……お、お主……!?」
「リュナ様!? う、羨ましいとは、一体……!?」
マイネとベルザリオンが、声を揃えて問い返す。
リュナはケロリとした顔で、手を後ろで組んで首をかしげた。
「だってさ。ベルっち、その地雷女のこと、スキっしょ?」
「なっ……なななな……っ!!?」
マイネは顔を真っ赤にして、半歩後ずさる。
「リュ、リュナ様ぁっ!?!?何を根拠にその様な──っ!」
ベルザリオンも慌てふためき、耳まで真っ赤に染め上げる。
周囲の面々は、誰もが「言っちゃったよこの人!」という表情でリュナを見ていた。
リュナは涼しい顔で続ける。
「いや、バレバレだし。あーしだったらさ、自分の前世が、好きな人の好きだった人だったら、嬉しいケド?」
ふいに、ちらりと視線を向けられたアルドが、唐突に頬を赤らめた。
「えっ……!?」
戸惑った声に、ブリジットとヴァレンが肩を震わせて吹き出すのをこらえる。
リュナは続ける。
「……ってかさ、そのポジション、自分じゃない誰かだったら──そっちのが、ぜってーイヤじゃね?」
その言葉は、何の装飾もなく、まっすぐだった。
ベルザリオンは、はっとした顔で、リュナを見つめた。
胸の奥に渦巻いていた疑念が、スッとほどけていくのが分かった。
(私は……彼女の“好きだった人”の生まれ変わり……)
(それは、重荷ではなく──誇りに思うべきことなのかもしれない)
「……お、仰る通りです。そうか……これは、喜ばしいこと、ですよね」
静かに、納得したように頷くベルザリオン。
その横顔を見て、マイネが驚いたように瞬きをし──
その視線を、今度はリュナに向けた。
「……意外じゃな。お主が、妾に助け舟を出すとは」
リュナは肩をすくめて、そっぽを向く。
「は?何が? あーしは、思ったことをチョクで言っただけなんですケド?」
マイネは思わず吹き出しそうになりながらも、微笑む。
「……そうか。なら、礼は言わぬぞ」
「いや、言えし。あーしのありがたい心遣いに感謝の意を示せよ、それは」
ふんぞり返るリュナに、マイネの額に怒りマークが浮かぶ。
「……ああん!? あんなデリカシーの無い感じで、ベルの──わ、妾への想いをアッサリ暴露しおって、何が心遣いじゃ!! 妾は、ベルからのロマンチックな告白を待っておったのに!!」
「は!? 知らねーし!! 魂同じとはいえ、今の好きピの前で元カレの話延々と語るてめーの方が遥かにデリカシーねぇっしょ!!」
「やめろ!! 言語化すると妾、本当にデリカシーの欠片も無い奴に聞こえるじゃろが!!」
二人の激しい口論に、周囲の空気が一気に明るくなった。
アルドはブリジットと顔を見合わせて、苦笑し、
フレキは口元を抑えて笑い、ヴァレンは肩を揺らして吹き出していた。
そんな光景の中、ベルザリオンはふと、誰にも聞こえないほどの声で呟いた。
「お嬢様……私は……今の私として……至高剣・ベルザリオンとして……貴女をお守りし続けます……」
静かに、穏やかに、優しい笑みとともに。
その視線の先にいるのは、地雷女と呼ばれてもなお、彼の全てを奪い、与えてくれた、たった一人の魔王だった。
◇◆◇
「あの……ちょっと待ってください」
静かな空気を破ったのは、一条雷人だった。
光を宿さない目が見開かれ、彼の手は震えながら挙げられていた。
「今の……マイネさんの話が真実だとするなら……」
声はかすれているのに、響いた。
「僕たちが元の世界に戻るための“帰還門”があったとしても……
エネルギー面の問題で、帰還は……不可能……ってことに……なりませんか……?」
まるで息を飲んだかのように、謁見の間に沈黙が落ちる。
その言葉が、皆の胸に一斉に突き刺さった。
「そ、そうか……!」
影山孝太郎が顔を蒼ざめさせ、呟くように言った。
「召喚は簡単でも、帰還は難しいって話が本当なら…………俺たち、もう……二度と……」
重たい予感が、誰の胸にも現実味を持って広がっていく。
「……あたし達……帰れない……ってコト……?」
「……そ、そんな……!」
ミサキの声が震え、ミオとサチコも口元を抑えた。
ギャルズ三人が言葉を失う。
その横で、オタク四天王の一人、久賀レンジが膝から崩れ落ちた。
「か、帰れない……!? まだ……まだ見てないアニメ、たくさんあるのに……!」
「う、嘘だろ……今期、神作画の最終話が待ってるのに……!」
隣でユウマとケイスケが同時に泣き崩れる。
(高崎氏、泣いてる……)
藤野マコトはショックで震える彼女の背中をそっとさすっていた。
一方、陽キャ三人組──乾、榊、五十嵐は、声を失ってただ立ち尽くしている。
自分の人生が、突然閉じた密室に閉じ込められたかのような錯覚に、言葉が出なかった。
「そんな……私たち……帰れないの……?」
天野唯がふらついた足取りで崩れ落ち、床に膝をつく。
彼女の目に、涙があふれた。
「……お母さん……っ……!」
その肩を、佐川颯太がすぐに支える。
「唯……大丈夫だ。大丈夫だから……」
だがその声には、彼自身の震えがにじんでいた。
「……なぁ、マイネさん……」
鬼塚玲司が、押し殺したような低い声で口を開く。
「どうにか……どうにか、なんねぇのかよ……!?」
希望にすがるような視線が、マイネへと向けられる。
静かに、マイネは一歩前へ出た。
表情は変わらず落ち着いているが、その瞳の奥には、深い何かがあった。
「確かに……フォルティア地下の帰還門 "ソウル・ドライバー" の起動には、途轍もないエネルギーが必要じゃ」
誰もが息をのんで、続きを待つ。
「それも、これだけの人数を送り返すエネルギーとなると、通常の手段では……到底、エネルギーを確保することはできんじゃろう」
ギリ……と歯を噛みしめる音が、複数重なるように響いた。
絶望が、音もなく、空間を蝕んでいく。
……だが。
「──じゃが」
マイネの声が、空気を変えた。
「一つだけ、可能性がある。
普通では得られぬエネルギーを得る、たった一つの“可能性”がな」
そう言って、マイネの視線が──
一人の少年に向けられた。
「……え、俺?」
突然向けられた視線に、アルドが素っ頓狂な声を漏らす。
全員の視線が、同時に彼へと集中した。
アルドの銀髪がふわりと揺れた。
その蒼銀の瞳が、ゆっくりとマイネと向き合う。
そして、彼はただ言った。
「……えっ、マジで? そういうこと?」
その一言に、謁見の間の空気が、一瞬だけ──微かに、緩んだ。
だがその裏に、始まりつつある“何か”が確かにあった。
それは、絶望を覆すための、最後の希望が──
彼の中に眠っているという“予感”だった。




