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【250000PV感謝!】真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます  作者: 難波一
第五章 魔導帝国ベルゼリア編

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第192話 リヴィスとマイネ③ ──一度きりの賭け──

研究塔の上層階、静謐な空気が満ちる中央制御室には、絶え間なく光を放つホログラムが宙に浮かび、無数の演算式がその中を流れていた。


中央の円卓に立つのは、黒髪に銀の縁を持つ機械式フレームを装着した青年──初代魔導皇帝リヴィス・ハルトマン。


しかし、その姿に老いはない。


帝国を興してから既に数十年が経つというのに、その瞳は鋼のように冷たく、その背筋には揺るぎのない剛直さがあった。


彼の傍ら、アーチ状の窓から差す朝陽を背に、ソファに腰をかけて本をめくる一人の少女の姿があった。


紫と緑の入り混じる長髪、黒のフリルローブ。

“強欲の魔王”マイネ・アグリッパ。


彼女もまた、時間の流れから取り残された存在だった。


──その静寂を破るように、マイネが一言、ぽつりと呟いた。




「……ベル。お主は、いつまでも変わらぬな。ただの人間じゃというのに」




言葉には感情の起伏がない。だが、ページをめくる手が一瞬止まった。


リヴィスは顔を上げず、光に照らされたホログラムに目を走らせたまま、淡々と応える。




「“Bel”は、生まれてすぐに、代謝機能を補助するmRNAナノマシンを体内に注入される。老化による機能低下を抑えるための措置だ」



「……そうか」




マイネは再び本へ視線を落としたが、眉尻がわずかに沈んでいた。


──次の瞬間、ホログラムに走る数値の一部が真紅に変わり、警告音がかすかに鳴る。


リヴィスはそれを無言で切り替え、演算式の一部を書き換えながら、低くため息をついた。




「やはり、駄目だな……。“龍生水(りゅうそうず)”を持ってしても、他の世界への“帰還”には、まったくエネルギー量が足りない」




本を閉じたマイネは、彼に顔を向けて問う。




「“龍生水”……ベルゼリアのみならず、妾のスレヴェルドやフォルティア荒野まで……極秘裏に地下トンネルを建造して探しておった地下資源じゃな。そこそこ量は確保できたと記憶しておるが……あれでも、まだ足りぬのか?」




リヴィスは指を止めず、冷静に答える。




「この世界は”底の世界”。滑り落ちてくるのは容易だが、“上”へ上がるには、絶大な力が必要なんだ」




彼の指が空中をなぞると、ホログラムの中に、三次元の立体図──多層構造の"世界球(イル・スフィア)"が浮かぶ。




「崖の上から石を投げれば、ただ落ちるだけで済む。だが、崖下の石を上まで戻すには、大きな力が要る。……異世界転移とは、その逆流なんだ」




淡々と語るその声音に、狂気ではなく、ただ一つの“執念”があった。


マイネはその横顔を見つめ、ふと目を細める。




(……数十年の時を経てもなお、自らの“欲”の為に、立ち止まらぬ男。──それが、妾が見込んだ男ベル……いや、リヴィス)




だがその胸の奥に、ふっと沈むような感情があった。




(──じゃが……その“欲”が叶えば、こやつは、この世界から消えてしまうのではないか……)




微かに心臓が痛むのを感じながら、彼女はまた本を開いた。




 ◇◆◇




静かな時が流れるその空間に、やがて一つの声が落ちた。




「……のう、ベルよ」




声の主は、部屋の端で厚い魔導書を抱えたまま、窓辺の椅子に座るマイネ・アグリッパ。

緑と紫の髪が背後からの陽光に染まり、年若く見えるその姿には、だが隠しきれない静かな深みが宿っていた。


リヴィスは魔導端末に情報を入力する手を止めないまま、返事をしない。

それを確かめてか、マイネは本を閉じ、ゆっくりと言葉を紡いだ。




「お主は、この世界で──あらゆる物を手に入れた。地位も、名誉も、力も……」




その声には、どこか寂しさを含んだ柔らかさがあった。




「ならば、無理に……元の世界へ帰らずとも……この世界で……暮らしていくという選択も、あるのではないか?」




言い終えたその瞬間、リヴィスの手が、ぴたりと止まった。

指先が、浮かんだ演算式の一点を指し示したまま硬直する。


マイネは、気付かぬふりでそっと彼の横顔を伺う。


一瞬だけ、リヴィスの眉間がわずかに寄せられ、目が伏せられる。


だがその逡巡はほんの刹那だった。




「……馬鹿を言うな」




冷たい、とすら言える声だった。




「この世界で手に入れたものは全て、元の世界へと帰るために必要な布石……“帰還”という目的に向かう過程で、結果的に手にしたものに過ぎない」




再び動き出した指先が、素早くホログラムに数式を走らせていく。




「俺の“欲”が向かう先は──ただ一つ。その一点のみに他ならない」




乾いた決意だけがそこにあった。


マイネは、ぐっと言葉を飲み込む。

唇が、かすかに震えた。




「……そ、そうか。そうじゃの……」




ゆっくりと微笑む。だがその笑みは、少しだけ滲んでいた。




「お主は……昔から、元の世界へ戻るために、全てを賭けておったからの。……妾としたことが……らしくないことを言ったわ。忘れておくれ」




彼女は、そう締め括って、そっと視線を本へと戻した。

だがページはめくられない。文字は霞み、焦点を結ばない。


リヴィスはその背を見ながら、一拍の沈黙の後、小さく応える。




「……ああ」


 


それきり。


リヴィスは再びホログラムに目を向け、演算式の一つに指を滑らせる。

だがその動作の途中、ふと、胸元に手を当てた。


右手の平を、静かに──だがしっかりと、自身の心臓の上に置く。


その瞳に宿るのは、常の鋼ではない。

ほんの一瞬だけ垣間見える、焦りとも焦燥ともつかぬ“何か”。


声には出さない。顔にも出さない。

ただ、心の奥底に、確かにあった一つの認識が、密かに鳴り響いていた。




(マイネ……お前には、感謝している)


(お前の存在がなければ、俺は……この“底の世界”でここまで来られなかった)


(だが──)




左手が演算式の一部を“未完”と示すラインに指を添える。




(……俺には、もう時間がないのだ)




その胸の奥に埋め込まれた、不可逆な崩壊へのカウントダウン。


己を支えるナノマシン群──mRNA構造体の崩壊。


それが意味するのは、肉体の崩壊。

彼に残された時間は、あと十年にも満たない。


それでも彼は口にしない。

ただ、自らの“帰還”という“欲”だけを胸に、進み続ける。


──“強欲の魔王”マイネ・アグリッパが、唯一知ることのない、“静かな死の予兆”。


彼の決意は、誰にも止められない。

だがその背を見つめるマイネの眼差しには、切なさと、それ以上の何かが滲んでいた。




 ◇◆◇




眼下に広がる都市は、もはや“この世界”のものとは思えなかった。


無数の高層塔が空を穿ち、滑らかな曲線で構成された銀灰色の構造物が、太陽の光を受けて微かに青白く輝いている。


地表には、空に浮かぶモノレールのような光の軌道が走り、人々は魔力と科学の融合技術によって豊かに、便利に、生きていた。


それは、リヴィス・ハルトマンが記憶する“元の世界”の街──

あの日夢見た、“帰るべき場所”に限りなく近い光景だった。


しかし。


彼の瞳に映るその景色は、どこまでも偽物だった。



──ここは、底の世界。アル=セイル。



研究塔の最上階、巨大なパノラマウィンドウの前に立つその背中は、あまりにも静かだった。


その背へ向けて、椅子に優雅に腰掛けたマイネ・アグリッパが静かに口を開く。




「……お主の弟子の小僧……ついに、“異世界召喚”の仕組みを作り上げたそうじゃのう」




彼女の声は柔らかく、けれど明確な重みを持っていた。


その背後には、タキシード姿のピッジョーネとヴァルフィスが並び立っている。いずれもかつての彼女の“造られし魔人”たちだ。


リヴィスは返答せず、ゆっくりと目を閉じる。


──その名を、口にするまでの間に、深い沈黙が一つ落ちる。




「……ロラン・クレイドル」




絞り出すような吐息交じりの声だった。




「あいつは天才だ。俺の提唱した転移理論を完全に理解し、さらにこの世界の"スキル"の仕組みをも組み込み、応用までしてのけた……」




だが──と、言葉を継ぐ口調がわずかに苦い色を帯びる。




「……俺が目指したのは“召喚”じゃない。“帰還”だ」




リヴィスの指が、背後のタッチ式ホログラフに軽く触れる。

そこには、彼自身が幾十年を費やして構築した膨大な魔導数式と位相座標理論の列が、光の糸となって浮かんでいた。



──“異世界帰還理論”。



すでに理論としては完成していた。

だが、それを現実に“発動”させるには──およそ天体一つ分のエネルギーが必要だった。


マイネは、眉一つ動かさずに尋ねる。




「“龍生水”でも……まだ、足りぬのか?」




その言葉に、リヴィスの肩が僅かに揺れる。




「ああ……」




低く、沈んだ声。




「“龍生水”は、確かにこの世界における最高出力のエネルギー源だ。だが、それでも……」




彼は目を伏せ、苦しげに唇を噛みしめる。




「“上位世界”へと向かうには到底届かない。召喚することはできても、還ることはできない……」




掌で額を覆い、リヴィスはゆっくりと息を吐く。




「……この世界は、"底"だ。エネルギー準位の……最下層だ」



「ふむ……」




マイネは視線を落とし、膝の上の魔導書を指先でなぞる。




「まるで……牢獄のような言い方じゃな」


「事実だ。……落ちるのは容易いが、昇るには莫大な力が要る」




リヴィスは指を滑らせ、数式の一点を指差す。




「計算上では、太陽級の恒星一つ分の崩壊エネルギーが必要になる。核融合でも、魔導核でも追いつかない。召喚は“引く”力……だが、帰還は“押し上げる”力だ。根本から違う」



「それでも……」




マイネの声が、かすかに低くなる。




「それでも、お主は……帰るのじゃな?」




静かに問われたその言葉に、リヴィスは背を向けたまま、目を閉じた。




「……当然だ」


 


その声音に、揺らぎは無い。




「俺は、この世界に執着など無い。ベルゼリアという国家すら……“帰還”への踏み台に過ぎん」




その言葉は、事実であり、同時に己に言い聞かすかの様でもあった。


マイネはわずかに俯く。




(それほどまでに──この男の欲は、強く、まっすぐで、冷たい)




そして、それを誰よりも知っているのは──自分だった。


マイネは椅子に背を預け、そっと目を細める。




(ベル……)


(妾は、いつから……お主が“帰ってしまう”事を恐れている?)




その問いの答えは、マイネ自身にもまだ分からなかった。


だが、ただ一つ──


今、彼の背中が、これまでで最も遠くに見えた。




 ◇◆◇




天を裂くような風の唸りが、塔の最上階を包んでいた。


ベルゼリア研究塔──その最上階、空を見渡す展望執務室の中で、リヴィス・ハルトマンは机に両肘をつき、乱れた髪を掻きむしっていた。


ホログラフィックの浮遊パネルには、次元干渉座標と魔力エネルギー推進理論の膨大な数式が何十層にも重なって映し出されている。




「……“帰還門”の設計図は……もう八割型は完成している……!」




低く、焦りの滲んだ声。

だが次の瞬間、リヴィスは頭を抱えた。




「だが……エネルギーの確保だけが……! どうしても、必要量に達しない……!」




机を拳で叩いた音が、部屋に鋭く響いた。


その背後で、椅子に腰掛けていたマイネ・アグリッパが静かに息を吸った。


その横では、タキシード姿のピッジョーネとヴァルフィスがじっと様子を見守っている。


マイネは、瞳を細めながら──まるで、ずっと胸にしまっていた“禁じ手”を口にするように、呟いた。




「……ベルよ。ひとつだけ……たったひとつだけ──」




彼女の声に、リヴィスの背筋がピクリと反応する。




「お主の“欲”を叶える手が……あるやもしれぬ」




その一言は、雷鳴のように静寂を裂いた。


リヴィスはバッと身を翻す。

目に見えて動揺が走る。




「……本当か、マイネ……!?」




彼女は無言で頷いた。


その表情には、軽々しく放った言葉ではないことがにじんでいた。




「“我欲制縄”──妾の魔神器の力を用いれば……」




マイネは手元の黒革の財布のような魔道具へ視線を落とした。




「……“魔力による等価交換”の限界を越え、"本来なら価値の計れぬ物"を、別の価値に変える……」


「ただし」




彼女は、まっすぐにリヴィスを見た。


その瞳には、どこか泣きそうなほどの覚悟が宿っていた。




「この手段は──一度きりの“賭け”となる」


 



リヴィスの目が細まる。




「……賭け、だと?」



「ああ。二度は使えぬ。失った物を再度補填する事が不可能なのでな。」




マイネは言葉を選びながら、続けた。




「……加えて、“失敗”すれば……お主は、二度と元の世界へは帰れぬ。この世界に取り残されるだけでなく、魂ごと“座標”を失う可能性さえある」




静寂。


塔の外では風が唸り、ガラス窓を震わせていた。


だが、リヴィスの心の中には、もっと深く凍てつくような沈黙が走っていた。




「……お前が今まで黙っていたということは、相応のリスクがあると分かっていたからだな」



「当然じゃ」


 


マイネの声は揺るがなかった。


彼女にとっても、これが“どれほどの意味を持つ選択”なのか、誰よりも分かっていた。


リヴィスは、少しだけ俯き……すぐに顔を上げ、静かに頷いた。




「……だが──」




彼は言う。




「俺は、どんなに小さな可能性でも、掴みに行く。ここまで来たんだ……今さら、立ち止まる気はない」




その瞳には、決して揺らがない決意が灯っていた。


マイネは……その目を見つめながら、小さく息を吐いた。




「──ああ。分かっておるさ。妾は、ずっと、見てきたのじゃからな」




そして、ほんのわずかに唇の端を持ち上げて。




「お主の……そういうところが、腹立たしくて、好きじゃ」




それは──“告白”ではなかった。


だが、“想い”は確かに、そこにあった。


リヴィスは目を細めてマイネを見たが、何も言わなかった。


代わりに、ひとつだけ。




「……ありがとう。マイネ」





その言葉だけが、静かに、彼女の胸に届いた。

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