第189話 Belzz-A1-ION
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《二十年前》
──風が、煤けた大地をなぶっていた。
かつて繁栄した炭鉱村"ベイル"の外れ。
山肌に穿たれた坑道の口は、もはや黒煙を吐くこともなく、そこに生きる者たちは飢えと寒さの中で今日を繋いでいた。
空はどんよりと鉛色で、雪とも灰ともつかぬものがちらちらと落ちてくる。
「……今日も、何も出ねぇな」
坑道の中で、男がつぶやいた。
煤で真っ黒に汚れた顔の、年のころは二十半ばほど。元は国家事業の鉱員だったが、失業して以降はこの村で細々と採掘を続けている。
名はグラント。
隣で灯りを掲げる女──妻のミーナが、しゃがれた声で返す。
「当たり前さ。龍生水の油田が枯れたってのに、今さら鉱石なんて掘っても無駄だよ。もう、村も終わりだわ」
「うるせぇな……わかってるよ、そんなこと」
グラントはツルハシを振り上げ、苛立ちを紛らわせるように岩壁を叩いた。
乾いた音が響き、粉塵が舞う。
その中で──チィン、と何かが硬い金属に当たる音がした。
「……ん?」
ツルハシの刃先が、石の奥に埋まった“何か”に触れたのだ。
グラントは手で粉塵を払いのけ、ランタンの灯を近づけた。
岩肌の隙間から覗くのは、鈍く輝く銀色の曲面。まるで、鋼鉄の卵のような光沢。
「……なんだ、こりゃあ」
「宝箱か? 金庫かもよ!」
ミーナの目が一瞬で光る。
「ほら、これ! 開けられそうじゃない!?」と興奮気味に叫び、グラントの腕を掴む。
「落ち着け、馬鹿。爆弾かも知れねぇだろ!」
「そんなもん、もう誰が仕掛けんのさ。戦争なんて終わったのに!」
結局、貧しさと好奇心の勝った二人は、それを坑道から引きずり出した。
長年使われていない荷車に積み、雪を踏みしめながら、二人は村外れの粗末な小屋へと戻る。
家は木造で、風を防ぐにも心もとない。壁にはひびが入り、屋根は歪んでいた。
それでも、彼らにとっては唯一の「家」だった。
夜。
暖炉の火は小さく、油の匂いが鼻をつく。
グラントはテーブルの上にその“金属の卵”を置いた。
直径は一メートルほど。表面には複雑な刻印が浮かび、中央には見慣れない文字列が走っていた。
《Belzz-A1-ION》
「……なんて読むんだ、これ」
「ベル……ズ?……エイ……エル、か? イオン……?」
ミーナが唇を尖らせながら、指で文字をなぞる。
「ベルズ……アル……イオン……?」
「……ベルザリオン、ってとこか?」
「へぇ、悪くないじゃない。なんか高そうな名前!」
そう言って笑う妻の声に、夫は苦笑を返す。
「ま、これを売れば、今夜はあったかいスープくらい飲めるかもな」と冗談を言った瞬間──。
──プシュウウウッ!!
金属の継ぎ目から、白い煙が吹き出した。
「なっ!?」「うわっ!」
二人は慌てて後ずさる。
やがてカプセルがゆっくりと開き、内部から淡い光が溢れ出した。
「……赤ん坊……?」
ミーナの声は、震えていた。
中には、まだ産まれたばかりのような黒髪の赤子が、薄い透明な液体に包まれて眠っていた。
その胸が、かすかに上下する。
そして──「おぎゃあっ」と、甲高い泣き声をあげた。
「嘘だろ……生きてる……?」
グラントはおそるおそる近づき、赤子を抱き上げた。温かい。確かに、生きている。
「……どうするんだい、こんなの……」
ミーナの声はもう冷静さを失っていた。
「国に届け出る? でも、こんなの、どこから来たのかわからないじゃない!」
グラントは赤子の顔を見つめた。
黒髪に、薄く金色の瞳。まるで、人間ではないような整いすぎた顔立ちだった。
「……いや、待てよ。逆に“うまく使える”かもしれねぇ」
「……使える?」
「今、国は"在来民"の出生率が下がって困ってるだろ。子が産まれたら助成金が出る。……この子を、俺らの子ってことにしちまえばいいんだよ」
ミーナの目がぎらりと光った。
「……それ、いいじゃない。ほんとに産まれたことにしちゃえば、しばらくは安泰だねぇ」
「ただ、手間がかかるのはごめんだ。泣かせすぎて死なない程度にしておけばいい」
「ふふ、そうね。死なない程度で充分。どうせ、この子がどこの誰かなんて、誰も気にしやしないわ」
二人は冷たい笑みを交わした。
赤子のベルザリオンは、何も知らずに泣き続ける。
その小さな掌の中で、ほんの一瞬だけ、淡い金色の光が灯った。
それはまるで、未来を予兆するかのように──
誰にも気づかれぬまま、静かに夜の闇へと消えていった。
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──静寂が落ちた。
誰もが息を呑み、目の前の“真実”を受け止めきれずにいた。
ベルザリオンは微動だにしない。
ただその瞳だけが、わずかに震えていた。
彼の口から漏れたのは、掠れた声だった。
「……私が……初代皇帝、リヴィスの……クローン……?」
自分の口で言葉にした瞬間、その意味の重さが胸を貫いた。
まるで、過去のすべてが嘘で塗り固められていたと知るような感覚。
掌の中に残るのは、かつての記憶の欠片。
貧しい村、冷たい寝床、粗末なパン。
あの両親だと信じていた者たちの顔が脳裏をかすめた。
──あれは、愛などではなかった。
生まれた瞬間から、自分はただ“利用されるための存在”だったのだ。
「……そんな、馬鹿な……」
ベルザリオンの声は、震えながら崩れていった。
握りしめた拳の先で、白い手袋が軋む。
一条雷人が思わず前に出る。
「クローンだって!? 人間の……!? この世界に、そんな技術があるのか!?」
フラムは腕を組んだまま、冷静に応じた。
「あなたたちの元いた世界も、ある程度は科学技術が進んでいたようだけれど──」
彼女の紅の瞳が、淡く光を帯びる。
「初代皇帝リヴィス・ハルトマンのいた世界は、さらに何歩も先を行っていたのよ。“魂の情報”さえデータとして扱う、狂気の科学文明だった。」
一条が息を飲む。
だがフラムの視線は、既にベルザリオンから離れていた。
その先にいるのは、冷ややかに立つ強欲の魔王──マイネ・アグリッパ。
「リヴィスのクローン体の存在が確認されたのは、つい最近のこと。もっとも、そこの彼以外のクローン体はすべて、胚の段階で機能を停止していたわ。
唯一、生き延びた個体が──」
「……この私、というわけですか」
ベルザリオンが呟くと、フラムは小さく頷く。
そして、わざと挑発的に唇を吊り上げた。
「そして、“強欲の魔王”マイネ・アグリッパ。あなたは偶然、あるいは必然的に、その鍵を手にした。リヴィスの遺構の存在を知り、クローンであるベルザリオンを四天王に迎えた。」
「……理由は明白ね。彼を利用して“転移門”を起動しようとしたのでしょう?」
その声音には皮肉と確信が混じっていた。
「貴女の“強欲”は、金や権力だけじゃない。異世界すら、手に入れようとした。そうでしょう?」
マイネは動じなかった。
ただ、静かに目を閉じ、長い睫毛の影が頬に落ちた。
「……フラム・クレイドル。貴様は──いや、ベルゼリアは、大きな勘違いをしておる。」
ゆっくりと瞳を開く。
その双眸は、深い紫の光を湛えていた。
「フォルティアの地下遺構をはじめ、各地に散らばる“転移門”の遺構。──あれらを造ったのは、リヴィスではない。」
「なに……?」
フラムが目を見開く。
「そんなはずがない。ラインハルトとの国境付近で発見された遺構も、ベルゼリアが保有する転移門と同系統の魔力構造だった。──リヴィスの設計以外にありえない!」
「……見え透いた嘘を吐くのね、マイネ・アグリッパ!」
声が尖り、空気が一気に張り詰める。
だがマイネは一歩も動かない。
むしろ、優雅に椅子の肘掛けへ腕を乗せ、淡々と告げた。
「焦るでない、フラム・クレイドル。妾が言いたいのは──“転移門を造ったのは、リヴィスひとりではない”ということじゃ。」
「……どういう意味?」
フラムがかすれた声で問う。
マイネは彼の方へ視線を移し、静かに微笑んだ。
「リヴィスが設計を担ったのは確かじゃ。
だが、問おう。転移門を建造するための資材は?
動力源は? 人手は、誰が集めた?」
フラムは返答に詰まる。
「……それは、帝国の……いや、リヴィス自身が……」
「出来るものか。国に秘密で、たった一人で」
マイネの声が重く響いた。
「教えてやろう。リヴィス・ハルトマンと協力し、転移門を造り上げたのは──」
「……妾、マイネ・アグリッパじゃ。」
その瞬間、場の空気が凍りついた。
アルドが思わず息を呑む。
ブリジットは目を見開き、リュナでさえ表情を失った。
ベルザリオンは、ただ呆然とマイネを見つめる。
「お……お嬢様……いったい、どういう……」
マイネは、微かに笑った。
その笑みには、哀しみと誇りが入り混じっていた。
「話すしかないようじゃな。
妾と、ベルゼリア初代皇帝リヴィス・ハルトマン──いや……“ベル”との関わりについてを、のう。」
その声音は、まるで遠い昔を懐かしむようで、
同時に、誰も知らぬ“禁断の真実”の扉を開こうとしていた。
フラムの表情が険しくなる。
ベルザリオンは、ただその横顔を見つめていた。




