第17話 ランチタイムと世界の危機
──お昼ごはんは、やっぱり、みんなで食べるのが一番美味しい。
そんな誰かの言葉が脳裏をよぎりながら、俺はカクカクハウスのリビングで、大皿をテーブルに並べていた。
「焼き野菜のハーブマリネ、よし……牛肉のスパイス焼き、OK。スープも火を止めて……ふぅ」
今日はなんとなく、洋風キャンプ飯コース。
隠し味に星降りの宝庫からくすねてきた“燻蒸魔草のエキス”を使っているが、要はウスターソース的なアレなので、大丈夫。問題ない。たぶん。
ちなみに、食材の仕入れは昨夜のうちに済ませてある。
ブリジットとリュナが寝静まった深夜、俺は一人で近隣の森や荒野に出て、静かに狩りと採集をしてきた。
真祖竜にとって睡眠は“趣味”みたいなもので、別に寝なくても平気だからね。夜が暇なのよ。
獲物は、角牛型の魔獣"グロッサブル"や猪型の"ラッシュボア"、羽根が香草の香りを持つ鶏型の"ハーブクレスト"など。
どれもこれも捕獲レベルの高そうなグルメ食材ばかりだが、俺がほんのちょっと力を入れて首の後ろを“トン”とやれば、大抵は静かに絶命してくれる。
ただし、念のため毎回話しかけてみるのがルール。
「こんにちは。言葉、わかる?」って。
万が一でも返事が返ってきたら、食うのは流石に気が引ける。
罪悪感でスパイスの味がしなくなるからね。話が通じる相手を食べるのはノーサンキューだ。
「わぁあああ……!」
「おぉ〜〜、いい香りっすね〜!」
振り向けば、リュナとブリジットが、キラキラした目でご飯を見つめていた。
「さっすが兄さん!料理の天才っすね!」
「ふふっ……いつもありがとう、アルドくん」
「いやいや、それほどでも……
そうだ!今日の夜は"カレー"にしようか!
俺の得意料理なんだよ!」
「マジっすか!兄さんの得意料理……!……ゴクリ」
「うわあ……!そんなの、絶対美味しいに決まってるよ!楽しみ〜!」
2人とも目を輝かせていて、俺はちょっと照れつつ、「任せてよ!」とか言いながら空の鍋を台所に下げに行く。ふふ……この日常、嫌いじゃない。
でも。
「……いや、やっぱでけえな……」
視界の隅にミチミチと存在感を放つ、茶色い長い生き物。
そう、それは巨大ダックスフンド──じゃなかった、伝説の魔獣フェンリル族の王子、フレキくん(5メートル級)である。
彼は現在、我が家のリビングの半分を専有して伏せの姿勢になっていた。
ちなみにこの状態になるまでに、大地テイム(土魔法)でカクカクハウスの全窓を撤去し、玄関を“ひと部屋分”拡張してどうにか押し込んだ。
……よく考えたら、そもそも無理に家の中に入れる必要無かったんじゃないか、と思ったけど後の祭りである。
(うん、室内飼いは無理だね、これは。)
俺は深くため息をつきながら、フレキの足元に土魔法で食器を成形し始めた。
「形状指定・耐熱加工・名前彫刻……“フェンリル用食器”っと」
ぬるり、と完成する巨大土器。
その表面には、どう見てもドッグボウル(犬用ご飯皿)としか思えないシルエットに、「FREKI」としっかり彫り込まれていた。
いや、だって……この見た目だよ?
サイズ感はともかく、この垂れ耳とつぶらな瞳。
“ご主人様におやつもらって喜んでる系ワンちゃん”にしか見えないんだもん。
この子が使う食器をイメージしたら、ドッグボウルになっちゃうでしょ、それは!
だが、この犬……じゃなくてフレキは曲がりなりにもフェンリル族の王子である。
『犬扱いするなんて……!』と傷つけてしまったら……!
「よ、よし……で、できたよフレキくん。ご、ごはん……召し上がれ……?」
ドッグボウルに盛った料理を、おずおずと差し出したその瞬間。
フレキは、すっと背筋を伸ばし、血統書付きのおりこうワンちゃんのような姿勢で俺の作ったドッグボウルを見つめると──
「突然の来訪にも関わらず、こんな立派な食器までご用意くださり……誠に感謝いたします」
ぺこりと丁寧にお辞儀したあと、ガツッ! ガツガツガツガツッ!と犬食いを始めた。
もうこれ、行儀良いのか悪いのか分かんねぇな。
(やっぱ、どう見ても犬だな……くそデカいけど。)
俺は心の中でそっと呟いた。
この世界にはたまに“可愛いと強いが両立する”という矛盾した存在がいるのだろう。
そして今その最前線にいるのが、彼、フレキくんである。
「ふぁ〜……あーしも満腹っす〜」
横でリュナが手で顔をぱたぱた仰いでいた。褐色の頬がほっこりしている。
「美味しかったね、ありがとう、アルドくん!……あ、でも、そろそろ“あれ”を話してもらわなきゃじゃないかな?」
ブリジットの視線が、ちらりとフレキに向いた。
そして、巨・ダックスフンド王子は──ゆっくりと顔を上げた。
その表情には、ほんの少しだけ……重たい決意が浮かんでいた。でも、真剣な顔してるダックスフンドってシュールだね。
◇◆◇
火にかけたポットが、コトコトと静かに音を立てている。
リビングの空気は、満腹の幸福感と柔らかな陽光に包まれていた。
が、そこにフレキの低く静かな声が落ちる。
「……数日前、我がフェンリルの里に、ある“訪問者”が現れました」
俺はカップに紅茶を注ぎながら、ちらりとその声に耳を向ける。
「その者は、自らを“魔王の使い”と名乗りました」
ぴくり、とブリジットの指が止まった。
「魔王……の?」
「はい。漆黒の衣に身を包み、剣を携えた痩身の魔族の剣士でした。目を合わせた瞬間、空気が凍るような感覚に襲われ……我が父、フェンリル・ロードでさえ、身構えるほどの威圧感を放っていました」
「……そんな相手が、どうして?」
ブリジットが身を乗り出して問う。
俺はというと、スプーンでプリンをすくいながら(犬の話って真面目に聞いてると何か変な気分になるよね……)と思っていた。
「奴は、こう言いました」
フレキは静かに前足を揃え、背筋を伸ばす。
「“咆哮竜ザグリュナの魔力反応が消えた今、我が主はこのフォルティア荒野を手中に収めるおつもりです”と」
……あ、リュナちゃんのことだ。
魔力反応が消えたのは、恐らくリュナちゃんが変身魔法で魔力を押さえ込んで人間に化けてるからだよね。
ん?それじゃ、ひょっとして、突き詰めると、俺のせいかな?
「奴は、ボク達フェンリル族に対し、自分達と手を組む様に進言して来たのです。"我々とあなた方フェンリル族が手を組めば、咆哮竜ザグリュナ無き後のフォルティア荒野など、手中に収めたも同然だ"と。」
フレキくんは神妙な面持ちで言葉を続ける。
その瞳はダックスフンドとは思えないほど、真剣な輝きを放っている。ダックスフンドじゃなくてフェンリルか。
「我が主とやらは“魔王様”としか名乗らなかったのですが、きっと……"大罪魔王"の七柱のいずれか。そう、私は睨んでいます」
「た、た、"大罪魔王"……っ!?」
ブリジットがわたわたと手を口元に当てる。
「……"大罪魔王"?何それ?」
「アルドくん、知らないの!?」
「!?ご存知無いのですか……?アルド殿」
ブリジットが驚きの声をあげ、フレキが目を見開く。え、なんか、知らないとまずい感じ?この世界の常識的な?
「あー、この世界にいる7柱の魔王の事っすよ。
それぞれが"傲慢・強欲・嫉妬・憤怒・色欲・暴食・怠惰の罪を背負った存在"とされてる、この世界の"最強"の一角を担う連中っすね。」
リュナの言葉に、俺の胸が高鳴る。
「え、何それ。めっちゃカッコいいじゃん。」
"七つの大罪"みたいな厨二ワードは、幾つになっても心躍っちゃうよね!だって、男の子だもん!
「んないいもんじゃ無いっすよ。あーし知ってる(面識ある)やつもいるっすけど、色んな意味でヤバいやつらっすよ?」
リュナは少し苦々しい顔で呟く。
あ、そうなの?でも"七つの大罪"って、やっぱ浪漫を感じちゃうなあ。
「…まあ、要するに、その"大罪魔王"ってのの誰かが、フェンリル族をそそのかして、このフォルティア荒野に乗り込もうとしてるって事でしょ?なかなか物騒な話だよねぇ」
そう呟いて紅茶を啜る俺に、フレキくんは目を細める。
「……物騒、で済ませることですか!?」
フレキの声に、焦りと困惑が滲む。
「奴らは、ただの魔物とは違うんですよ!? あの剣士は、確実に“魔王四天王”の一角……! 存在するだけで、森の空気が変わるほどの魔力を放っていた……!」
フレキは片方の前足をぎゅっと握りしめる。
……いや、正確には肉球を握りしめる。可愛い。
「……あなた方は、知らないから、そんなに呑気でいられるんだ! ヤツらの恐ろしさを……!」
フレキの耳が、わずかに伏せられる。
緊張で毛が逆立ちそうな表情を見て、さすがに俺も少しだけ背筋を伸ばす。
「ま、たしかに、"魔王軍四天王"なんてのは厄介な存在なんだろうけど……」
そう言いながらも、心の中では——
(いや、うん。そりゃ危ない存在だとは思うよ? でもさ、)
真祖竜である俺からしたら、“この世界の法則内での脅威”ってだけなんだよね。
もちろんそんなこと、口には出さない。
ただ笑って「まぁまぁ」とお茶を差し出すだけ。
「……わ、私……魔王って、実在してたんだ……って、それだけでちょっと、怖い……」
ぽつりとブリジットが呟く。
肩を抱くように腕を組み、表情には微かな不安が浮かんでいた。
彼女はまだ、自分の内に宿った“真祖竜の加護”の真価を知る由もない。まあ、俺もよく知らないんだけどね。
その横で、リュナは笑っておかわりのパンをちぎっていた。
「大丈夫っすよ、姉さん。もし何かあったら、あーしと兄さんで何とかするっすから」
「ほ、ほんとに……?」
「うんうん。あーし、怒らせると結構怖いっすよ? 昔、火山一個吹き飛ばしたことあるし」
「それ怖すぎるよっ!?」
リュナが冗談みたいな口調で、笑いながらそんな事を言う。
「リュナ殿……ボクは真剣に話しているのですよ?そんな冗談を言っている場合では…」
フレキが焦りを含む声でリュナに言う。
彼からすれば、黒ギャルが冗談を言ってる様にしか聞こえなかったのだろう。
いや、多分本気で言ってると思うよ。彼女。
——紅茶を啜っていた俺がカップを置いた、そのタイミングだった。
フレキが、ぎゅっと肉球を握ったまま、ふと顔を上げた。
蒼く澄んだ瞳が、どこか遠くを見つめるような光を帯びていた。
「ボクは……」
静かな声。
けれど、その声には確かな熱が宿っていた。
「ボクは、フェンリル族がこの荒野を支配する……そんな未来が“正しい”とは思えません」
「え……?」
ブリジットが息を飲む。
「ボクたちは確かに強い。だからこそ、牙を振るえば、大地を割り、嵐を呼べる。でも——」
フレキはリビングの窓の外、遠くの森を見つめた。
「この荒野には、魔物も、獣も、花も、風も、そして人も……生きてる。全てがそれぞれに意味を持って、ここに在るんです」
彼の声は震えていない。
けれど、胸の奥に隠した“願い”が、その言葉の端々に滲んでいた。
「力ある者が支配するのではなく、力ある者こそが手を差し伸べるべきなんです」
その言葉に、俺は思わず手を止めた。
「……ボクは、フェンリル族が、この地に住まう全ての命と、手を取り合って生きる……そんな未来を目指すべきだと思っています」
「フレキくん……」
ブリジットが、そっと胸元に手を当てる。
その眼差しは優しく、そしてどこか——少しだけ、自分を重ねたような色をしていた。
「それが、ボクの……この世界に生まれた“意味”だと、信じたい」
大きな身体に、不釣り合いなほど繊細なまなざし。
それでも彼は、誰よりも真っすぐに、未来を見据えていた。
(……なんか、)
俺は、カップの中でゆらゆら揺れる紅茶の表面を見つめながら——
(この巨大ダックスくん……めっちゃいいやつだな)
静かに、そう思った。