第176話 アルド vs. 三龍仙③ ──スレヴェルド頂上決戦──
紅龍は、目前に立つ小柄な青年を見据え、胸の奥に言いようもない怒りが膨れ上がるのを感じていた。
(この世は弱肉強食……強者は弱者を踏み躙り、喰らう。それがどの世界においてもたった一つの真理……。だが──この男は……ッ……!)
己の信念を否定するかの如く、アルドは呑気そのものの様子で後方を振り返る。
そこではブリジットたちが声援を送っており、アルドは少し照れ臭そうに頭をかきながら、ひょいと片手を上げてひらひらと手を振って返していた。
紅龍の眉間にビキリ、と深い皺が刻まれる。額に青筋が浮かび上がった。
「……随分と余裕を見せてくれるな」
皮肉めいた言葉を投げかける紅龍に、アルドは軽く肩をすくめてみせる。
「まあ、特に焦る理由も無いからね」
その無造作な一言が、紅龍の胸中を一層かき乱す。顔がわずかに歪み、剣呑な気配が滲む。
「調子に乗るなよ……!」
紅龍は地を踏み鳴らし、声を張り上げた。
「分身により増幅した魔力……!かりそめの兄者、姉者に分け与えていた力……!その全てを我が力として取り込んだ……!」
バシュッと空気を裂く音と共に、紅蓮の光が彼の両腕に収束し、緋色の双刀がどこからともなく顕現する。紅龍はその切先を真っ直ぐアルドへと向け、叫ぶ。
「今の儂は、先刻までの儂の──十倍は強いッ!!」
炎のごとき殺気が迸り、周囲の空気すら焦げ付くようだった。
しかし、アルドは瞼を半ば閉じたまま、つまらなさそうに返した。
「ふーん……じゃあ、たいしたことないね」
その瞬間、紅龍の目がカッと見開かれる。剣先が震え、怒りに任せた熱が双刀から噴き上がる。
「──殺すッ!!」
全身から怒気を迸らせ、獣の咆哮のように叫ぶ紅龍。
一方でアルドは鼻で笑い、呆れたように首を横に振った。
「さっきも聞いたよ、それは」
そして、右手のひらを上に向ける。指先を軽く折り曲げ、クイクイッと挑発するような仕草。
「ほら、早く来なよ」
余裕そのもののその態度に、紅龍の胸中で炎のごとき怒りが燃え盛った。
◇◆◇
「ジャアァッッ!!」
紅龍の喉から獣のような叫びがほとばしる。
同時に、両腕の双刀が炎と雷、そして風を纏い、真紅の残光を描きながら空気を裂いた。
稲妻が閃き、炎が爆ぜ、風が唸る──三つの力を同時に帯びた高速斬撃が、矢継ぎ早にアルドへと浴びせられる。
だが、アルドは眉一つ動かさず、右手を軽く持ち上げた。
人差し指と中指を揃えて立て──。
ギィンッ!!ギィンッ!!
火花が散る。紅龍の双刀は、少年の指二本にことごとく打ち払われた。
紅龍の顔が歪む。汗が額を伝う。
(信じられん……! この男……スキルも使わずに、儂の斬撃を──指二本で、容易く……!?)
双刀を振る手は止まらない。止めることなど出来ぬ。止めてしまえば、己の心まで折れてしまうと本能で悟っていたからだ。
(認められん……! 認めてなるものか……! 我ら三龍仙を……スキルも使わずに上回るなど……ッ!!)
紅龍の眼に、狂気に似た光が宿る。
「貴様は……今まで喰らってきた数多のスキルを総動員してでも、確実に屠るッ!!」
咆哮と共に、彼の前に黒雲のような魔力が渦を巻き、具現化を始める。
火炎の巨蛇。雷を纏った大蛇。岩石の竜蛇。そして氷の蛇。──それぞれ二匹ずつ、合計八匹。地鳴りと共に、八つの大蛇が鎌首をもたげ、アルドに牙を剥いた。
「"八岐大蛇"ッ!!」
地面が震える。八匹の大蛇が一斉に襲い掛かる。
アルドは、溜息交じりに口を開いた。
「まーだ、他人から奪った力で強くなった気でいるわけ?」
次の瞬間。
グググッ……と、彼の脚が地面を強く踏み締め──。
ドンッ!!
低く唸る爆音と共に、アルドは直線に突っ込む。まるで弾丸。八岐大蛇の群れを正面から貫いた。
パァンッ!! パァンッ!!
大蛇の頭が次々と弾け飛び、霧散する。火炎も雷も岩も氷も──ただの障害物のように掻き消されていった。
しかし、その奥に紅龍の姿があった。両足を蹴り上げ、飛び蹴りの姿勢のまま──空中に停止している。
アルドは怪訝そうに首を傾げる。
「どうなってんの?それ」
紅龍は、歯を食いしばり、低く呟いた。
「──"衝撃増幅"……"加速度操作"……ッ……!」
次の瞬間。
ドォンッッ!!
空気が爆発した。世界が弾け飛んだかのような衝撃。空中で静止していた紅龍が、超音速のロケットのごとき加速を得て、アルドへ一直線に突撃する。
紅蓮の飛び蹴りが、アルドの腹に直撃した。
「おっ?」
アルドは僅かに声を上げる。だが、その身体は倒れず、立ったまま両足で地面を滑る。
ズザザザァァァーーーッッ!!
アスファルトが削れ、土煙が舞い上がる。数十メートルも後退しながら、なお姿勢を崩さないアルド。その腹部に刻まれた傷は、ただの一つも存在しなかった。
紅龍は空中で体勢を立て直すと、右手をアルドに向けて突き出した。
「"魔導設計"……!"魔力増幅装置"……!"雷神の加護"……ッ!!」
その言葉と同時に、周囲のビルが震え始める。
壁や窓、鉄骨が唸りを上げて引きちぎられ、金属片が渦を巻いて紅龍の右腕に集束する。
瞬く間に、禍々しい光を放つ巨大な電磁砲が形を成した。銃口が青白く輝き、空気を震わせる高音が響き渡る。
アルドは首を傾げ、小さく呟く。
「へぇ。そんな仙人みたいなナリして、随分SFチックな攻撃してくるんだね」
紅龍はニヤリと嗤い、眼光を光らせる。
「伊達に魔導帝国ベルゼリアで長年将軍をしとらんわッッ!!」
そして、叫ぶ。
「──"破山・雷公砲"ッ!!!」
ドォォォォンッッ!!
青白い光が奔流となり放たれる。
高熱と雷撃を孕んだビームが空を裂き、周囲のアスファルトやビルを気化させながら一直線にアルドを呑み込もうと迫った。
その瞬間、アルドは静かに両腕を広げ──空手の回し受けのように、体の前で両手を素早く回した。
「……どっこいしょ!!」
ズギャアアアアアアッッ!!
ビームが両手に叩きつけられる。
ジジジジジッ!!と激しい電撃音が響き、光と雷鳴が辺りを覆い尽くした。
しかし、数秒後──。
光は消えた。
アルドは平然と両手を払う。埃を落とすようにパンパンと音を立てて。
「あー……くすぐったかった。低周波治療器みたいだったよ。俺、あれ弱くてさー」
微笑みすら浮かべるアルド。
紅龍の顔から血の気が引いていく。額から冷や汗が滝のように流れ落ちた。
「ば……バカな……ッ……! 怪物が……ッ!!」
彼の声は掠れ、震えていた。
◇◆◇
アルドは肩を竦め、小さく息を吐いた。
「だからさぁ。他人からパクった“スキル”を適当に組み合わせたって、俺には通用しないって言ってるじゃん」
その声音は呆れと退屈が混ざり合っていた。
「ま、次は俺の番だね。スキルは使わないでやるから、安心しなよ」
静かな言葉。だが、その裏に隠された圧倒的な自信が、紅龍の背筋をゾクリと震わせる。心臓が冷たい手で鷲掴みにされたような感覚。
「うおおおおッ!!」
恐怖を打ち消すように、紅龍は吠えた。
双刀を組み合わせ、一振りの双刃刀に変形させる。ギュイーンと甲高い音を立てながら刃は回転を始め、紅い残光が円を描く。
アルドは、その様を見てニッと口角を上げた。
「おお、それはなかなかいいね。ゲル◯グみたいで」
そして──地面を蹴る。
ドンッ!!
凄まじい衝撃音が響き、アルドの姿が消える。
地面スレスレを疾駆する彼の動きは視認すら困難。紅龍は一瞬、標的を見失い、血走った目で周囲を探した。
(消えた……!?どこだ……!?)
その刹那。
視界の端に、低い影が躍る。
「なッ──!?」
気づいた時にはもう遅かった。アルドは地面に両手をつき、カポエラのようにしなやかな体勢で跳ね上がる。回転する脚が、鋭い刃のように紅龍へと迫った。
「ぐぅッ!!」
咄嗟に双刃刀を振り下ろし、下からの蹴りを受け止める。だが、その瞬間──。
ゴウンッッ!!
紅龍の全身が衝撃に弾かれ、巨体ごと空へ打ち上げられた。
(ば、馬鹿なッ……防御が……何の意味も為さんッッ!!)
紅龍は必死に体勢を立て直そうと、歯を食いしばった。
「"火球乱舞"ッ!!」
両足の裏から炎が噴き出す。凄まじい推進力で空中の動きを制御し、必死に減速を試みる。
だが──。
下にあったはずのアルドの姿が、消えている。
「なにッ……!? 消えた……!? ヤツはどこに──」
慌てて視線を巡らせたその時。
「ここですけど」
背後から静かな声。ぞっとするほど近い距離で。
「なッ!?」
振り返ろうとした瞬間。
「──メテオ!!」
アルドの声と共に、両手を組んだ拳が槌のように振り下ろされる。
ドゴォォォンッッ!!
「ガァ……ッ!!」
背中に直撃。紅龍の口から短い悲鳴が漏れる。巨体は流星のように弾き飛ばされ、一直線に地面へと落下した。
ドガァァァァンッッ!!
轟音と共にアスファルトが砕け、亀裂が蜘蛛の巣のように広がる。
アルドは紅龍の墜落地点に軽やかに降り立ち、無表情で見下ろした。
紅龍は瓦礫の中で血を吐き、荒い息を繰り返す。
(つ……強い……! 次元が……違う……!)
(たとえ三龍仙の力を合わせたとしても……この男には、勝てん……ッッ!!)
悔しさと恐怖が入り混じる中、紅龍の心に別の決意が芽生える。
(最早、手段を選んでいる場合では無い……! 誇りなど要らぬ……!)
(“我欲制縄”をもって……此奴の力を差し押さえるッ!!)
その瞬間。紅龍の周囲に紫と緑の魔力が渦を巻き始めた。異様な気配が辺りを満たしていく。
遠くから戦況を見ていたヴァレンが、目を見開き、声を張り上げた。
「──まずい!! 相棒ッ!! そいつを今すぐ気絶させろッッ!!」