第172話 竜を討たんとする者たち
灰色の煙がまだ漂う戦場の只中、アルドは三龍仙を正面に睨み据えた。
その背後、瓦礫の隙間に視線を走らせ──彼の目に飛び込んできたのは、金の鎖に縛られて身動きできずにいる仲間たちの姿だった。
「……ブリジットちゃんに、リュナちゃん!? それに……ヴァレンにフレキくんも!?」
驚愕と焦りが混じった声が響き、アルドの表情が一瞬だけ柔らかさを失う。
「どうしたの、皆して!? 何その鎖!?」
鎖に絡め取られ、苦々しい顔で呻いていたヴァレンが、首を横に振りながら声を張り上げた。
「すまん、相棒!! ちょいしくじった!」
その横でリュナは、珍しく気まずそうに肩をすくめる。
「すんません、兄さん〜! ヴァレンのアホが、大事な事を最初に言わないから〜……あーしもミスっちゃったっす〜!」
口調はいつも通り軽いが、その瞳の奥には悔しさが滲んでいた。
だが、そんな空気を吹き飛ばすように、フレキが尻尾をブンブンと振り、舌を出してハッハッと息を弾ませる。
「大丈夫ですっ! お二人とも! アルドさんが来てくれたなら、きっと何とかしてくれます!」
無邪気な声が響き渡り、その場にひとときの明るさを取り戻した。
アルドはその言葉に「ははは……」と苦笑を漏らし、少しだけ緊張を解いた表情でブリジットへと目を向ける。
「ブリジットちゃんも……怪我はない?」
その声音は、不思議なほど優しく響いた。
ブリジットは鎖に縛られたまま、ハッとしたように顔を上げる。頬がわずかに赤く染まり、言葉が一瞬詰まった。
「う、うん……! 大丈夫だよ!」
小さく微笑んで答えると、次の瞬間にはその表情を引き締め、真剣な眼差しをアルドに向けた。
「アルドくん……影山くんのお友達を助けるのが、当然一番大事なんだけど……」
一拍置き、心の奥にある願いを絞り出す。
「出来れば……蒼龍さん達のことも……助けてあげて!」
その言葉を聞き、アルドはほんのわずか目を細め、静かな間を作る。
やがて柔らかな笑みを浮かべた。
「……ブリジットちゃんなら、そう言うかなって思ってたよ。」
その笑顔に、ブリジットの胸が熱くなる。
「とりあえず、やれるだけやってみるから。心配しないで、見ててよ!」
力強くそう告げるアルドに、ブリジットは息を詰め、それからふわりと笑みを返した。
「……うん!」
その胸の内で、言葉にならない確信が芽生える。
(ああ……やっぱり、あたし、この人が好き)
アルドは再び正面──三龍仙へと視線を戻す。ゆっくりと首に手を当て、コキリと首を鳴らした。
「まあ、何にしろ……鬼塚くん達の魂は取り戻さなきゃだしね。」
その声音は冷ややかに、しかし熱を秘めていた。
「三人まとめて……死なない程度に、やっつけときますか。」
次の瞬間、アルドの全身から立ち上る圧が、空気を鋭く震わせた。
◇◆◇
アルドの背が、仲間たちに向けて安心を届けるようにまっすぐ立っていた。
だが、その背中を見据える紅龍の額には、じっとりと汗が滲んでいた。
(──何だ、この童は……?)
(我らを前に、背を向けて呑気に無駄話をしている……にもかかわらず……)
(……しかし、何故だ……!? どこにも、仕掛ける隙が見当たらん……ッ……!)
その圧迫感は、見えぬ刃のように紅龍の胸を突き立てていた。
隣で、蒼龍がぽつりと呟く。
「あれが……ブリジットちゃんと、魔竜ちゃんの、想い人……」
彼女の声には戸惑いと、かすかな憧憬が混じっていた。
「……人の形をした……竜……?」
紅龍はその言葉にギョッと目を見開き、バッとアルドを睨む。
「なにッ……!?」
刹那、すべての点が繋がったかのように、憎々しげに呟く。
「そうか……! ヤツも……人に化け、人に紛れる、竜か……ッ!!」
ギラリと瞳に殺意を宿しながらも、紅龍は視線を僅かに逸らし、隣の黄龍を見やった。
その兄は頭を抱え、全身を震わせている。
(……やはり、この兄者と姉者は、ただの分身ではない。『何か』が宿っているのかもしれん……)
(だが、今はそんなことはどうでもいい!!)
紅龍は、喉を焼くような声で檄を飛ばした。
「しっかりしろ!! 兄者!!」
「たとえあやつが如何に強力な竜人であったとしても、我ら三龍仙が揃った今、敵では無いわッ!!」
「今こそ──我ら三人で竜を討ち……『討龍仙』へと至ろうぞ!!」
その言葉は雷鳴のように黄龍の耳を打ち、彼はハッと顔を上げた。
荒い呼吸を繰り返し、胸を大きく上下させながらも、やがて深く息を吐き出す。
「──ああ、その通りだ。紅龍。」
虚ろだった瞳に、かすかな炎が宿る。
「……あの時果たせなかった、討竜の誓い……今こそ果たす時……!」
ガンッ!
黄龍は恐怖に震える膝を自ら叩き、その痛みで己を奮い立たせた。
汗で濡れた髪を振り乱し、重い棍を両腕で持ち上げる。その姿に、かつての武威の片鱗が戻ってくる。
紅龍はその様子にわずかな安堵を覚え、次に蒼龍へと視線を送る。
「──よいな、姉者。」
蒼龍は、二人の兄弟を交互に見つめた。その瞳には、深い寂しさと迷いがあった。
(ブリジットちゃん……本当は、もうあなた達とは戦いたくない……でも……)
静かに目を閉じ、フーッと長く息を吐く。そして、もう迷わぬ覚悟の炎をその瞳に宿す。
「──ごめんね、ブリジットちゃん。」
鎖に縛られた少女に向かって、悲しげに、それでも決意を込めて声を投げる。
「やっぱりアタシは、兄弟達と共に戦うわ。」
「そうしないと、アタシは……一歩も、何処へも踏み出せないから……ッ!!」
両手に握る双扇──五火七風扇が、轟々と赤と青の風を巻き起こす。
その烈風が彼女の長い髪を激しく揺らし、戦場に鳴り響いた。
「おおおおおおッッ!!!」
黄龍もまた、恐怖を掻き消すかのように雄叫びを上げ、棍をアルドに向けて構える。
三人の龍の気配が交じり合い、空気が押し潰されるように重くなる。
三龍仙──いま再び結束の炎を燃やし、アルドを討たんと立ち上がった。
◇◆◇
紅龍は、じり……と一歩前へ進み出た。双刀を交差させ、鋭い眼光をアルドに注ぐ。
その声音は静かだが、内に燃え立つ炎を隠しきれていない。
「──まさか、そちらにヴァレン・グランツを上回る戦力がおったとはのう。……想定外であったわ。」
その一言に、縛られたままのヴァレンがニヤリと口角を上げる。
鋭い閃きが走ったかのように、彼は紅龍に向かって声を張り上げた。
「そうだぜ? 相棒は俺なんかより遥かに強い……!」
「お前ら三人みたいな雑魚じゃ、束になっても敵いやしない。」
挑発的な笑みを浮かべ、わざと肩を揺すりながら続ける。
「さっさと力を縛るなり何なりして、勝負から逃げた方がいいんじゃないか?」
紅龍の瞳がギラリと光り、頬の筋肉がピクリと動く。
(……なるほど。狙いは、我を挑発して“我欲制縄”を封じることか……)
しかし、その狙いに気づきつつも、紅龍の誇りは大きく揺さぶられていた。
、
「くっくっく……下手な挑発よ。」
低く笑いを洩らした後、紅龍は双刀を天へと掲げ、炎を纏わせる。
「だが──その挑発、乗ってやる!」
「“我欲制縄”などに頼らずとも……我ら三龍仙が揃えば敵は無いという事……貴様らに教えてやるわッ!!」
ズァンッ!
紅龍が双刀を構えると同時に、蒼龍は両手の扇を、黄龍は棍を前へと突き出し、三人の気配が戦場を覆った。
しかしその直後──。
「──ち、力を縛る手段があるなら、やっておいた方がいいんじゃないか? ほ、ほら、念の為……!」
黄龍が、小声で弱気に漏らす。
「兄者!!」
紅龍が怒声を叩きつけた。
「情けないことを言うな!! この場で退けば我らの名は地に堕ちるぞ!!」
黄龍はビクリと肩を震わせ、口をつぐむ。
そんな様子を見ながら、アルドはゆっくりと前に歩み出た。
その表情はいつもの穏やかさを失い、額に青筋が浮かび上がっている。
「ふーん……また、あの“封印呪法”みたいに、力を縛る系のスキルで、俺をどうにかしようってつもり?」
吐き捨てるような声音で呟く。
一瞬の静寂を挟み、アルドは三龍仙に視線を鋭く突き立てた。
「──何でもいいから、さっさとかかってきなよ。」
「ブリジットちゃんとリュナちゃんを……皆を、ぐるぐる巻きに縛った報いも……鬼塚くん達の魂を奪ってカッチカチにした報いも……まとめてキッチリと受けてもらうつもりだからね……!」
その声には、普段の冷静さとは異なる怒気がにじんでいた。
金の鎖に囚われているブリジットが、小さく「アルドくん……」と震え声を洩らす。
黄龍はその気迫に背筋を凍らせ、小声で呟いた。
「や、やっぱり……選択を間違えたかも知れない……!」
蒼龍もまた、アルドから噴き出す気配に気圧され、唇を噛む。
「これが……ブリジットちゃんの……!?」
紅龍はそんな二人に向かって、怒鳴るように檄を飛ばす。
「恐れるな!! 二人とも!!」
「我ら三龍仙の力──今こそ見せようぞ!!」
ドンッ!!
三龍仙が地を踏み鳴らした瞬間、烈風が吹き荒れ、戦場の空気が一変した。
──戦いの幕が、いま開け放たれる。