第169話 勝利を告げる者、敗北を拒む者
轟、と街全体が揺れた。
紅龍は全身を炎に包み、烈火そのものとなって駆ける。燃える双刀を振るうたび、炎が尾を引き、ビルの壁面に真紅の残像を焼き付けていく。
その姿は、まるで巨大な竜巻が地上を駆け抜けているかのようだった。
「ふッ……!」
ヴァレンは余裕の笑みを浮かべ、人差し指と中指を揃えて紅龍を指差す。
「──"月姫弓撃"。」
呟いた瞬間、背後にそびえる月の女神が黄金に輝く弓を引き絞った。
矢が放たれた次の瞬間、それは光の雨となって分裂し、無数の光線となって紅龍を撃ち抜く。
キュドドドドッ――!!
大地が抉られ、爆風が通りを呑み込む。炎と光が入り乱れ、視界が砂煙に閉ざされる。
「決まったか……?」
ヴァレンの唇に、わずかに勝ち誇る笑みが浮かぶ。
しかし。
砂煙の中に、赤い格子状の線が走った。
まるで空間そのものが裂けたかのように。
「──ぬるいわッ!!」
次の瞬間、紅龍が炎を纏う二刀を交差させて飛び出した。炎熱が弾け飛び、ビルの壁が次々と爆ぜて砕け散る。
その眼は狂気のように燃え、口元には獰猛な笑み。矢の雨を力で突破してきたその姿に、ヴァレンはむしろ楽しげに目を細める。
「おっと……!」
ヴァレンは魔剣"最愛の花束"を翻し、フェンシングのように構えた。
背後の月の女神も彼にリンクするように巨大なレイピアを構える。
そして──紅龍の二刀と、ヴァレン+月の女神の剣が激突した。
ガギィィィンッッッ!!
その衝撃は一瞬にして街を切り裂いた。
アスファルトに幾筋もの斬撃線が走り、街灯は次々と切断され、近隣のビルの窓は衝撃で一斉に粉砕される。地面は抉られ、まるで戦場そのものが巨大な刃物で削ぎ落とされたかのようだ。
「な、なんだこの……っ……!」
少し離れたビルの中層階。
そこから戦いを目撃していた佐川颯太は、汗を滲ませながら呆然と呟いた。
「戦いの……次元が違う……!」
ゴクリ、と喉が鳴る。
彼の目に映るのは、人智を超えた存在同士の斬撃の応酬。火花と衝撃波が交錯するたびに、街が削れ、空気が震え、魂が揺さぶられる。
「これが……この世界の“最強格”同士の戦いか……っ……!」
佐川の手は震えていた。だがその瞳には、恐怖だけではない。
圧倒的な力を目の当たりにした者が抱く、言葉にならぬ畏怖と……そしてほんのわずかな憧れの色が、確かに宿っていた。
◇◆◇
赤炎を纏った紅龍が、地を蹴って突進する。
それに合わせ、ヴァレンの背後に立つ巨大な月の女神が、リンクするように黄金のレイピアを振りかぶった。
「……行け」
ヴァレンが低く呟くと同時に、女神の腕が伸び──大地を貫くほどの突きが繰り出された。
ゴオオォォン!!
鋭い突きが叩き込まれた地点のアスファルトは、巨大な槍で突き崩されたかのように抉れ、瓦礫と炎が舞い上がる。
だが、その刹那。
「──"風火燐"ッ!!」
紅龍の咆哮が、爆裂音を切り裂いた。
足裏から烈火が噴き上がり、凄まじい推進力で彼の巨体を宙へと押し上げる。灼熱の残光を残し、紅龍は矢のように空へと逃れる。
「ジャアァッ!!」
獣のような叫びとともに、紅龍は逆落としに迫った。二刀を交差し、獰猛な笑みを浮かべながらヴァレン目掛けて振り下ろす。
十字に奔る赤い斬撃線──
それは空気を切り裂き、街をも断ち切る凶刃となって走った。
だが、ヴァレンは一歩も退かぬ。
「──"運命の泉"」
静かな宣告とともに、地面から煌びやかな泉が噴き出す。
彫像の天使たちが優雅に舞い、そこから放たれた水流が矢のように紅龍の斬撃を迎え撃つ。
ドゴオオオオオオオン!!
炎と水が衝突し、瞬時に蒸発──大規模な水蒸気爆発が街を覆った。
轟音とともに近くのビルのガラス窓が一斉に割れ、破片が光の雨となって降り注ぐ。
「チィッ!! ヤツはどこに……!?」
視界を覆う白煙の中で、紅龍は周囲を見回す。眼光は鋭いが、獰猛さの裏に一瞬の焦りが走っていた。
──バサリ。
煙を裂いて、赤い片翼をはためかせたヴァレンが突き出る。一直線の急接近、そのまま鋭い蹴りを紅龍の脇腹に叩き込もうとする。
「ッッ!」
紅龍は反射的に双刀を交差させ、防御。火花が飛び散り、彼の口元に獰猛な笑みが浮かぶ。
「捕らえたぞ……ッ!」
その瞬間。
──ズドンッ!!
横合いから黄金の閃光が走った。
月の女神。彼女はスカートを押さえつつ、優雅にして豪快な横蹴りを繰り出していた。ハイヒールの先端が、紅龍の横顔に炸裂する。
「ガ……ッッ……!?」
紅龍の巨体は、凄まじい衝撃により弾丸のように吹き飛ぶ。
ビルの中層階に突っ込み、窓ガラスを突き破って室内へと叩き込まれた。
静寂を切り裂く破壊音。粉塵とガラス片が雨のように降り注ぐ。
ヴァレンはその光景を眺めると、背後にそびえる月の女神へ振り返った。
「ナイス! 女神様!」
片手を差し出す。
女神は微笑みを浮かべ、しゃがんでヴァレンとハイタッチを交わした。
黄金の光が一瞬きらめき、戦場に不思議な温もりが満ちる。
◇◆◇
「……さて、呑気にしてる場合じゃないな」
ヴァレンは息を吐き、吹き飛ばされた紅龍が突っ込んだビルの中層階へと鋭い視線を向けた。
片翼をはためかせ、音速を切り裂くような疾風を纏ってビルへ突入する。
フロアは半壊しており、崩れた壁の隙間から夜の風が吹き込んでいた。蛍光灯は焼け落ち、散乱する机や椅子が火花の残滓を映している。
ヴァレンは魔剣を構え、廃墟のようになったフロアを警戒しながら飛び回った。
(紅龍は……どこだ……!? 気配が……掻き消されてやがる)
静まり返った空間に、かすかな低音――ゴウ……ゴゴゴゴ……。
次の瞬間、足元の床が赤く染まり始めた。
「──しまっ……!?」
床材がマグマのように赤熱し、真紅の光が割れ目から漏れ出す。
熱気が噴き上がり、空気が一瞬で灼ける。
──ドゴオオオォォン!!!
下層から爆炎が突き破った。
その中心から、紅龍が咆哮を轟かせながら舞い上がる。
「"爆炎龍"ッッ!!!」
全身を炎に包み、双刀を振りかざした紅龍が噴火のように打ち上がる。
その剣撃は天へと駆け昇る炎竜そのもの。
「ッッ……!!」
ヴァレンは反射的に魔剣"最愛の花束"を構えた。
凄まじい衝突音。受け止めた瞬間、緋蛟剪の刃から爆発的な炎が奔流となって迸った。
「ぐ……ぅ……これは……ッ!!」
灼熱の奔流に押し上げられる。
ヴァレンの体はビルの天井を突き破り、コンクリートと鉄骨を容易く粉砕しながら上へ、上へ――。
ガゴォォォォンッ!! ガガガガガガッ!!
何層ものフロアが連続して吹き飛ぶ。
家具も壁も紙のように舞い散り、階段や柱がねじ切られながら崩れ落ちる。
やがてビル上層階──さらに屋上へと突き抜ける瞬間。
「クソ……ッ!!」
ヴァレンが吠えた。
だが爆炎は留まらず、ビルの骨組みを一気に焼き尽くす。
──バリィィィィィィン!!!
凄まじい衝撃波により、中層から上層にかけての窓ガラスが一斉に砕け散る。
破片は光を反射し、雨のように夜空へと撒き散らされた。
爆炎を背負い、ヴァレンは屋上へ突き抜けて宙に投げ出される。
髪の黒と赤が風に乱れ、赤い片翼が必死に空を捉える。
「こりゃあ……ッ……とんでもない威力だな……!」
その目は炎の中でも揺らがず、真っ赤な瞳が紅龍の影を捉えようと光っていた。
◇◆◇
「油断しおったな!! ヴァレン・グランツ!!」
紅龍の咆哮が、半壊したビル全体を震わせる。
足裏から轟々と炎が噴き上がり、推進力となって彼を一直線に押し上げる。
瓦礫を巻き上げ、炎の尾を引きながら──真上へ。
「このまま終わらせてやるわ!!」
紅龍が突き抜けた先──土埃を払いながら現れたのは、夜空に浮かぶ屋上。
そこに片翼を広げ、悠然と待ち構えていたのはヴァレンだった。
「なにッ!?」
虚を突かれた紅龍の目が見開かれる。
だがヴァレンは余裕の笑みを浮かべ、口角を上げた。
「油断したのは……どっちかな?」
空中で、人差し指と中指を揃えて紅龍を指し示す。
赤く煌めく瞳が、狩人のように標的を捕らえる。
「──"落月"」
その声と共に、夜空が一瞬だけ歪んだ。
紅龍が顔を上げる──そこには、月の女神。
黄金に輝く巨躯がドロップキックの体勢で、流星の如く急降下してきた。
「な、にいいいッ!? 馬鹿なァァァァァッ!!」
紅龍は双刀を交差し、必死に構えた。
だが、次の瞬間──。
──ドゴオオオオオオオン!!!
衝撃音と共に、紅龍の身体が叩き落とされる。
屋上のコンクリートは粉砕され、そのまま縦一直線にビルを貫通。
中層も下層もまとめて、月の女神の踵が突き抜けていく。
「ぐあああああッッッ!!!?」
紅龍の悲鳴とともに、窓ガラスが粉々に砕け、火花と破片が街へと降り注いだ。
彼の身体は抵抗も虚しく、一階の地面まで真っ直ぐに叩きつけられる。
──ドゴォォォォォォン!!!
地響き。
地面が抉れ、瓦礫と煙が周囲に爆ぜ飛ぶ。
紅龍はそのまま月の女神の踵に押し潰され、血を吐きながら呻いた。
「ガッ……ハァ……ッ……!!」
動けない。
全身に走る激痛が、肉体の限界を告げていた。
上空からそれを見下ろすヴァレンは、片手を軽く上げて呟いた。
「ありがとう、ルミナス。もう戻っていいぜ」
女神は穏やかに微笑み、踵を引くと、光の粒子となって消え去った。
その直後──バキバキィィッ!!と音を立て、月の女神に踏み抜かれたビルがゆっくりと崩落を始める。
「……こりゃあ……後でマイネのやつに、めちゃくちゃふっかけられるな……」
瓦礫の雪崩を眺めながら、ヴァレンは苦笑いした。
──その下。
紅龍は瓦礫に埋もれ、血と汗に塗れながらも、かすかに意識を繋いでいた。
(クソッ……! まだか……!? このままでは……意識が飛ぶ……!)
絶望と焦燥の狭間で──。
カチリ。
確かな音が、紅龍の中で鳴った。
何かが、噛み合い、動き出す。
紅龍は瞳を見開き、血に濡れた顔を天へ向けて叫んだ。
「……成った……ッ……!! 間に合った……!!」
荒い息の合間に、嗤う。
歯を血で赤く染めながら、なおも誇り高く。
「儂の……勝ちだ……! ヴァレン・グランツ……!」
その声は、崩落する瓦礫の轟音にかき消されながらも、確かに夜を震わせた。