第166話 勇者と魔王の契約
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──静寂。
だが、それは表層だけのものだった。
メディカルフロアに漂う空気は、まるで重油のように濁り、胸の奥を圧迫する。
佐川颯太は、ベッドの上で瞼をゆっくりと開く。
視界がぼやけ、天井の白い光が揺れて見えた。
身体は鉛のように重い。
それでも、何かがおかしいと直感し、首を巡らせた瞬間──息を呑む。
榊タケル。五十嵐マサキ。与田メグミ。
三人は、恐怖に見開いたままの瞳で──緋色の石へと変わり果てていた。
「……な、んだ……これ……」
震える声が、自分のものだと気づくのに一拍遅れる。目の前の“像”は、ただの石ではない。
声をあげ、必死に何かを訴えた、その瞬間の表情のまま、永遠に閉じ込められている。
全身の血が逆流する感覚。
心臓がぎゅうっと縮み、視界が揺らいだ。
ギィン──!!
甲高い金属音が空気を裂いた。
振り返った佐川の目に映ったのは、炎を纏った大剣と、紅に染まる双刀の鍔迫り合い。
乾流星だった。
額に汗を滲ませ、歯を食いしばりながら、紅龍と正面から刃を交えている。
「流星……っ!?」
その声に気づいた流星が、顔をこちらに向ける。
苦痛と焦燥が入り混じった表情で、佐川を睨みつけるように叫んだ。
「颯太……ッ……! 委員長を……止めろ……ッ!!」
「委員長……!? 天野がどうかしたのか!? それにこれ、どういう状況だよ!? なんで……お前と紅龍将軍が戦ってんだよ!?」
叫び返す佐川。頭の奥がずきりと痛む。
けれど、同時に何かが晴れていく感覚があった。
銀色の少年と対峙した記憶──圧倒的な敗北感、そして浴びせられた不可思議なくしゃみ。
それ以降、ずっと霞がかかっていた思考が、今は澄み渡るように鮮明になっていく。
そうだ。紅龍には、魂を喰らい人を緋色の石へと変える力がある。
だから……榊も、五十嵐も、与田も……。
「……まさか……!」
血の気が引いていく。震える声で紅龍を睨みつける。
「将軍!! これ……どういう事だよッ!?」
紅龍は、乾流星と刃を押し合ったまま、眼だけで佐川を見やる。
その口元が、ぞっとするほど愉快そうに吊り上がった。
「目覚めおったか……! 待っておれ。この童を喰ろうたら、次は貴様の番よ」
ぞわりと背筋を撫でる悪寒。
その瞬間、佐川の中で何かが崩れ落ちた。
──ベルゼリアに召喚されて以来、自分たちは利用されていたのだと、全てが一本の線で繋がる。
「俺たちは……最初から……っ!」
思考が叫びに変わる前に、紅龍が怒号を放つ。
「今だ!! やれ、小娘!!」
ハッとした流星の背後──。
いつの間にか立っていた天野唯。
その目は虚ろで、焦点を結んでいない。
まるで深い夢の中を彷徨っているような表情で、彼女は神器"五輪聖杖"を振りかざす。
「唯……!? おい、やめ──」
佐川の叫びが空を切る。
杖の先から五本の光のリボンが迸り、瞬く間に乾流星の四肢を絡め取った。
「しまった……ッ!? 委員長!! 正気に戻ってくれッ!!」
流星は必死に叫ぶが、光に縛られた身体は自由を失い、炎の大剣が床にガシャリと音を立てて転がる。
その隙を──紅龍は逃さない。
二刀を交差させ、緋蛟剪が凶器じみたハサミの形に変わる。
紅龍の腕が振り下ろされ、金属が噛み合う音が響いた。
ジャキン──!!
刃の間に捕らわれた乾流星の身体が、緋色の光に包まれていく。
「そ……颯太……逃げ……」
途切れ途切れの声。
次の瞬間、流星の全身は硬質な緋色に染まり、動きを止めた。
ただの石像となった友が、そこに立っていた。
◇◆◇
佐川颯太は、目の前で乾流星が緋色の石像へと変わる瞬間を、ただ呆然と見届けるしかなかった。
脳裏に焼き付いたのは──仲間の最後の声。「逃げろ」という叫びと、ジャキンと閉じられた刃の音。
崩れ落ちそうになる膝を必死に踏みとどめ、佐川は振り返った。
そこにいたのは、虚ろな瞳で杖を構えた天野唯。
「唯……っ!! どうして……どうして、乾を……ッ……!!」
「こいつは……乾は、俺たちの……クラスメイトだろッ!!?」
声は涙に滲み、喉を裂くように掠れていた。
その呼びかけに、唯の肩が一瞬ビクリと震える。
だが、焦点の合わない瞳のまま、彼女は囁くように言葉を紡いだ。
「だ……だって……紅龍将軍が……『乾くん達は裏切り者だ』って……」
「皆が……元の世界に帰るには……こうするしかないんだって……そう言ったから……!」
その言葉は途切れ途切れで、まるで壊れた機械のように整合性を欠いていた。
佐川は頭を抱え、唇を噛みしめる。
(な、何を言ってるんだ……!? 仲間を……石像にしてまで、皆でどうやって帰れるってんだ……!? 本末転倒だろうが……!!)
胸の奥を掴まれるような痛み。
──そして、確信。
自分たちは操られていた。洗脳だ。
天野唯はいまだ、その呪縛の中にある。
唯はふらりと視線を泳がせ、キョロキョロと周囲を見回す。
その顔に、次第に混乱の色が浮かんでいく。
「あ……あれ……? でも……皆、石像になっちゃった……?」
「これじゃ……帰れないよね……?」
両手でこめかみを押さえ、彼女はか細い声で続ける。
「わ……私……この"至天聖女"の力を持って帰って……お母さんの病気を……治してあげなきゃって……」
涙の代わりに震えが走る。
佐川の心は、引き裂かれるようだった。
(唯……混乱してる……! 今なら……! 今なら正気に戻せるかもしれない……!)
希望の光が射した、その刹那。
──ドンッ!!
鈍い衝撃音がフロアを震わせる。
唯の胸から、突如として二本の刃が突き出た。
「……ッ!?」
彼女の身体を背後から貫いていたのは──紅龍。
緋蛟剪を握りしめ、その歯を閉じようとしている。
「ウッ……!」
唯の喉から小さな声が漏れる。
「ゆ……唯ーーーッ!!」
佐川の絶叫が、空気を裂いた。
紅龍は冷徹な声音で呟く。
「洗脳を自力で解きつつあるか……"至天聖女"の力によるものか?」
「なれば、貴様はもう用済みよ。ご苦労であった、天野唯」
ジャキン──。
閉じられた刃が、少女の魂をも切り裂く。
その瞬間、唯の目に正気が戻った。
血の気を失いながらも、彼女は最後の力を振り絞り、杖を掲げる。
「"絶対防御領域"……」
床から透明な壁が立ち上がり、佐川を中心に障壁が展開していく。
涙越しに見るその光景は、次第に白鉄の輝きへと変わり、彼を完全に包み込んだ。
「おい……唯……! 唯ッ!!」
佐川は必死に障壁を叩く。
拳が赤く染まるほどに。
唯は涙を流しながら、か細い声で最後の言葉を紡いだ。
「ごめんね……颯太くん……玲司くん……」
「……おかあさん……」
その身は力尽き、丸まるように崩れ落ちる。
緋色の光に包まれ、完全な石像となった。
「うあああああああああああッッ!?」
佐川は膝を折り、絶叫を上げる。
声は障壁に反響し、彼の内側で無限に木霊する。
紅龍はその様子を静かに見下ろし、ふっと息を吐いた。
「小娘……天野唯の、最後の術か」
「魂を喰われながらも、この小僧を守ろうとする気概……見事だ」
緋色の石像と化した唯を一瞥し、紅龍は冷酷に結論を下す。
「……貴様に免じて、この小僧を喰うのは後にしてやろう」
言い放つと同時に、紅龍の身体が跳躍する。
メディカルフロアの窓を突き破り、アグリッパ・スパイラルの外壁を屋上へと駆け上がっていった。
白鉄の障壁の中。
佐川颯太は、一人残され、声を枯らすほどに泣き続けた。
──────────────────
──轟く夜風。
崩れかけた高架道路"ハイエスト・ウェイ"に、突如として一つの影が現れた。
左腕には、緋色に染まった少女の石像。
その顔は安らかに瞼を閉じ、まるで眠っているかのよう。
「……唯……」
佐川颯太は、その名を喉の奥で押し潰すように呟いた。
右手に握り締めた破邪七星剣が、憎悪の炎を帯びる。
目の前には紅龍。
背後にはヴァレン。
彼の心に残ったものは、ただ一つ。怒り。
「貴様だけは……ッ!!」
声が裂けるほどの咆哮が夜気を震わせる。
「貴様だけは──絶対に許さねぇ……ッ!!!」
七星剣の切っ先が、一直線に紅龍を指す。
その姿は憤怒に震える戦士でありながら、同時に少女を抱きしめたまま離さぬ幼さも滲んでいた。
ヴァレンは、剣を構えたまま振り返った。
その目は、すでに事情を察している。
「勇者クン!」
冷静な声が、夜風を裂いた。
「気持ちは分かるが──その子を抱いたまま紅龍と戦うのは、あまりにリスクが大き過ぎる!」
「ここは俺に任せて、キミは下がって──」
「うるせぇッ!!!」
佐川の怒号がヴァレンの言葉を切り裂いた。
血走った瞳が、鋭くヴァレンを射抜く。
「アンタは……」
唇が震え、言葉が迸る。
「アンタも、敵だろうがッ!! 俺の……俺たちの……ッ!!!」
夜気が凍る。
紅龍がそのやり取りを面白げに見つめ、ニヤリと牙を覗かせた。
「ほう……」
対照的に、ヴァレンは一歩も引かず、静かな声音を崩さなかった。
「落ち着いてくれ」
「俺はキミの敵じゃあない」
サングラスの奥で目が光る。
「キミのお友達に頼まれてね──キミ達を、助けに来たんだ」
その言葉に、佐川の顔が一瞬揺らいだ。
頬を濡らす涙が夜風に冷やされる。
けれど、すぐに歯を食いしばり、剣を強く握り直した。
「そんな言葉……」
震える声。
「信じられるかよッ!!」
抱きかかえる唯の石像を守るように胸に押し当て、佐川は絶叫した。
「俺たちは……この街の奴らを……大勢傷付けた!! 殺した!!」
「アンタのことだって……殺そうとしたんだぞッ!!」
「──そんな俺たちを……助けてくれるヤツなんて……いるわけねぇじゃんか!!!」
七星剣の切っ先が、今度はヴァレンに向けられる。
涙で濡れた瞳が、怒りと絶望に燃え上がる。
ヴァレンはその光景を静かに見つめた。
剣先に狙われながらも、その顔に焦りはない。
(……辛いよな)
(正気に戻ったからこそ……今まで自分たちがしてきたことへの後悔に、押し潰されそうになっているんだな)
紅龍は「ククク」と喉を鳴らす。
その声に、緊張がいっそう濃くなった。
だがヴァレンの視線は揺るがない。
ただ、少年の胸に溢れる痛みを受け止めるように、彼を見据え続けていた。
「茶番はそこまでにせい!!」
紅龍の咆哮が夜の高架を揺るがした。
双刀"緋蛟剪"を振りかざし、赤い残光を撒き散らしながら突進する。
「貴様らが手を結ぼうが結ぶまいが、儂にとってはどうでもよいわ!!」
「結局は──双方とも喰らうだけよッ!!」
その声に、佐川の瞳が燃え上がった。
七星剣を構え直し、彼は星々を周囲に散らした。
瞬間──星の軌道が弧を描き、彼の身体が光と共に掻き消える。
次に現れたのは紅龍の懐。
剣を振り下ろしながら叫ぶ。
「うおおおおッ!!!」
しかし。
「甘いわ、童ッ!!」
紅龍の双刀が、まるで未来を読んでいたかのように迫る。
ガギィンと金属が噛み合い、佐川の斬撃は無情にも受け止められた。
次の瞬間、紅の閃光が走る。
「ぐっ……ぁああッ!?」
脚に激痛。
血が散り、佐川の身体は無様に宙を転がった。
彼は地面に崩れ落ち、左腕の唯の石像を庇うように胸に抱きしめる。
紅龍は踏み込み、双刀を大きく振り上げた。
その刃が不吉に煌めく。
「この世界で、誰が貴様に剣を教えたと思うておる……ッ!」
「そんな"錘"を抱えたまま儂に挑むなど──百年早いわッ!!!」
赤き刃が振り下ろされる。
佐川の脳裏に、仲間たちの笑顔が一瞬にして駆け巡った。
(しまった……ッ! このままじゃ、唯まで……ッ!?)
彼は無意識に目を閉じ、石像を胸に強く抱きしめた。
覚悟が、喉の奥で詰まる。
──だが。
ドン、と衝撃。
次の瞬間、身体が宙に浮いた。
「え……?」
風が頬を叩き、視界が流れていく。
腕の中の唯も一緒に、確かに抱き抱えられている。
誰かが、自分ごと掬い上げたのだ。
──ヴァレンだった。
背後で、紅龍の斬撃が舗装を裂き、爆ぜる。
だが、佐川たちはその外に逃れていた。
ふっと視線を動かすと、ヴァレンの肩口から赤が滲んでいた。
鋭い双刀の一撃を、確かに受けていたのだ。
「アンタ……まさか……」
佐川の声が震える。
「俺たちを庇って……その傷を……!?」
ヴァレンは横目で佐川を見た。
その口元に、皮肉と優しさの入り混じった笑みが浮かぶ。
「……キミにとっては、不本意かも知れないがね」
サングラスの奥の瞳が、静かに光る。
「俺の相棒が……『キミ達を救いたい』って言ってるんだ」
血を流しながらも、口調は軽やかだった。
「キミが嫌がったとしても──俺は勝手にキミ達を守らせてもらうさ」
風の唸りの中、ヴァレンの笑みが夜を照らした。
佐川の喉が詰まり、言葉にならない。
それでも、こみ上げる涙を必死に堪え、ただ奥歯を噛み締める。
腕の中の唯の石像が、熱を持つように感じられた。
◇◆◇
紅龍の笑い声が夜空を裂いた。
「クク……弱者を庇って傷を負うとは! ヴァレン・グランツも、ヤキが回ったものよ!」
赤き双眸が嗤い、刃が炎を纏って揺らめく。
だが、ヴァレンは口元を緩めただけだった。
「……たった一人で愛する人を守ろうと覚悟を決めた男を、ただの『弱者』としか見られないとはね」
魔剣を軽く翻し、フッと笑う。
「お前には“審美眼”ってものが足りないな、紅龍将軍」
「──何だと?」
紅龍の顔が一瞬だけ歪んだ。
嘲笑から、怒りの色へ。
「ならば貴様の意地、通してみせよ! その童どもを守り抜けるものならばなッ!!」
轟音と共に、双刀が襲い掛かる。
火花が散り、空気が焼け焦げた。
「おっと、そうカリカリするなよ……ッ!」
ヴァレンは魔剣"最愛の花束"をしなやかに振るい、嵐のような連撃を受け流していく。
刃が弾く度に薔薇の幻影が宙に咲き、紅の閃光と交差して夜を彩った。
その最中、ヴァレンは背後の少年に声を飛ばす。
「勇者クン!! 俺のことは信じなくてもいい!」
「だが、その子をこれ以上危険に晒すのは……スマートじゃないだろ!?」
佐川は唯の石像を抱きしめ、揺れる瞳でヴァレンを見つめる。
「その子も……キミのお友達も……」
ヴァレンの声が強くなる。
「きっと、俺の“相棒”が元の姿に戻してくれる! ──希望を捨てちゃあならない!!」
その言葉に、佐川の目にわずかに光が戻った。
「も、元の姿に……戻れる……!? ほ、本当かッ!?」
「ああ……!」
ヴァレンが魔剣を大きく振り抜く。
「きっと、助ける!!」
瞬間、凄まじい魔力が剣先から解き放たれた。
紅龍の体躯が弾き飛ばされ、舗装を削って大きく後退する。
「やりおるッ!!」
紅龍は笑いながら距離を取った。
荒い呼吸の中、佐川は涙に濡れた目で叫ぶ。
「……本当に……本当に、俺達を助けてくれるのか……!?」
ヴァレンは深く息を吐き、剣を下げて静かに言った。
「──ああ。」
「大罪魔王・第五の座……
“色欲”のヴァレン・グランツの名にかけて」
その言葉に、紅龍の表情が一瞬だけ険しくなり、瞳が細められた。
魔王自身が名にかけて誓う──その重みを理解していたのだ。
佐川の頬を伝う涙が、舗装に落ちて弾けた。
「……お願い……します……! 唯を……玲司を……みんなを……助けてください……ッ!!」
彼は頭を深く垂れ、地に額を擦りつけるほどに。
ヴァレンは剣先をゆるりと下ろし、静かに頷いた。
「……ああ。必ず救う」
その声音は夜気を震わせるほどに確信に満ちていた。
だが同時に、彼は低く続ける。
「だが──これは勇者と魔王の“契約”だ。キミには……対価を支払ってもらう」
その言葉に、佐川の肩がビクリと跳ねた。
荒い息を呑み、不安げに顔を上げる。
涙で濡れた瞳に映るのは、サングラスをかけた魔王の姿。
ヴァレンはゆっくりと口角を上げ、サングラスの奥で片目を閉じて見せる。
「……その子が元の姿に戻ったら──キミ達の恋物語を、俺に見せてくれ。……出来れば、ハッピーエンドでお願いしたいね。」
「な……っ」
佐川は唖然と声を詰まらせる。
あまりに場違いで、あまりに人間くさい“対価”。
しかし次の瞬間、涙に濡れた頬を引きつらせながら、小さな笑みが零れる。
「……それが、魔王が望む対価かよ……ッ」
喉を震わせるような嗚咽混じりの笑い。
それでも、彼は震える顎を引き、力強くコクンと頷いた。
「契約、成立だ。」
ヴァレンは満足そうに呟き、再び剣を構える。
その光景を遠巻きに見ていた紅龍が、堪えきれぬように鼻を鳴らす。
「……くだらぬ茶番は終わったか?」
低く、獣の唸り声にも似た声音。
紅き双眸が爛々と輝き、双刀が空を裂く音を響かせる。
その刃からは、いっそ猛火のような殺気が迸っていた。
「さあ──更なる闘争を愉しもうぞ! ヴァレン・グランツ!!」
吹き上がる熱風が、砕けた舗装片を宙に舞い上げる。
そのただ中に立つヴァレンは、笑みを引き締めた。
サングラスの奥の瞳が、怒りの炎を宿す。
先ほどまでの軽口は消え去り、鋭い殺気だけが紅龍を射抜いた。
「……やっぱり」
魔剣をゆっくりと構え直す。刃の周囲に、淡い薔薇の幻影が幾重にも咲き誇る。
「お前のやり方じゃ──ときめかないんだよ。紅龍」
次の瞬間、夜の高架に轟音が走った。
ヴァレンの魔剣から溢れ出す魔力の奔流が空気を震わせ、街灯の明かりすら掻き消す。
紅龍もまた双刀を交差させ、炎を巻き上げて応じる。
赤と紅、光と影。
両者の魔力がぶつかり合い、夜の街を覆う轟きが戦端の再開を告げた。