第15話 お昼ごはんと、お風呂上がりと、犬。
朝日が、真新しいカクカクハウスの外壁に反射して、鈍く輝いていた。
地平線から昇る太陽が、荒野の草を金色に染めていく。
そして、その角ばった家の中。
台所では、俺──アルドが、フライパン片手に黙々と料理していた。
「……よし。焦げてない、うん、完璧」
じゅわっと香ばしい音を立てながら、焼き上がった根菜と肉の炒め物を皿に移す。
横では、鍋で煮込んでいたスープがいい感じにとろみを帯びていた。
「これにさっき刻んだ薬草ペーストをちょいと入れて……」
ぱらぱらと香辛料を散らして、味を馴染ませていく。
材料はもちろん、"星降りの宝庫"からパクってきた様々な保存食材や調味料に、近隣の森で取れた食材を交えたもの。
ブリジットとリュナに「ご飯当番、アルドくん(兄さん)がいい〜!」とリクエストされてからというもの、俺はすっかりこの家の専属シェフ扱いだ。
とはいえ、2人がうまそうに頬張ってくれるので、悪い気はしない。
むしろ、ちょっと楽しいくらいだ。
前世でも一人暮らしが長かったから、料理の腕にはちょっと自信があるしね!2人に美味しいご飯を作ってやるさ!おあがりよ!
水道をひねると、さらさらと澄んだ水が流れ出す。
魔力式の水魔法装置。土魔法と水魔法で無理矢理引いた魔力水道。
便利すぎて、もはや現代日本と遜色無いレベル。
ちなみにブリジットちゃんには、例によって
『大地と水脈を"テイム"した』という事で通してある。
火をテイムし業火を操り、風をテイムし嵐を呼ぶ。それがスーパーテイマー、アルド・ラクシズなのだ。俺は全てをテイムする。
「いやー、“テイム”って言葉、マジで万能ワードだよね……多分、世界中でブリジットちゃんしか信じてくれないと思うけど。」
俺はひとりごちながら、スープの味を確認するためにレンゲを手に取る。
さっそく、ひとすくい。
ふー、ふー……ずずっ。
「……うん! いい感じに優しい味!」
野菜の甘みと肉の出汁、ほんのり香る香草の香りが、思わずほっとする味に仕上がっていた。
我ながら素晴らしい味だね。これ食べたら、2人とも美味しさのあまり目から光線出たり、服がはだけたりしちゃうんじゃないの?ふふふ。
カクカクしてても、家って落ち着くなぁ。
屋根があって、水もあって、ご飯を作って、あったかい湯に浸かって―──
「……って、風呂の話が出たついでに、そろそろリュナちゃんが戻ってきてもいい頃……」
「ふぁ〜〜〜……いいお湯だったっす〜〜〜」
バタン、と浴室の扉が開いた瞬間――
俺は、今しがたすすったスープを盛大に噴き出した。
「ブッ!!? おぶおっ……がっ、がはっ……!!」
うつむいて咳き込みながら、口元を拭う。
目の前に現れたのは、蒸気をまとった“お風呂上がりの黒ギャル?”――つまり、バスタオル一枚姿のリュナ。
まだ料理食べさせてないのに、既にはだけているだと!?いや違う!!落ち着け!俺!
金茶色の長髪はしっとりと濡れて、肩から背にかけて貼りついている。
首元から胸元、腹筋のライン、足先まで――ほとんど露出した褐色の肌が、湯気で艶やかに光っていた。
白いタオル一枚で、ギリギリなところを辛うじて包んでいるだけ。
そんなん、なんというか……
こんなの、完全にラブコメ漫画に出てくる、
"エッチなおねいさん枠ヒロイン"じゃん!!
「なっ、なななな、なにその格好!?!?!?」
思わず鈍感系主人公の様なベタな反応をしてしまう。
「ん? あー、すんませんっす。……あーし、この姿でお風呂入るの、ガチで久しぶりだったんで〜」
リュナは、涼しい顔でうちわを仰ぎながら、リビングの床にペタッと座り込む。
「はぁ〜〜〜〜……マジで極楽だったっすわ……。この前まで湖で水浴びするだけがデフォだったから、やっぱ湯船って偉大っすね……」
今、そんな感想いらないから!!
いや、正しいんだけど!! でもその格好で言われると色々混乱するから!!もっと、こう……健全にいこう!健全に!!
「だ、だからって……なんでタオル一枚で普通にリビング歩いてきてんの!! 人として恥じらいというものをだね……っ!!」
「え、だって兄さんとあーし、もう裸の付き合いっすよ?」
「ドラゴン形態の時はね!? 人間形態だと意味が変わってくるでしょ!?」
俺は完全にテンパっていた。
心臓がドクドクいってるし、スープの味も全部ふっとんだ。
……た、頼むから、ブリジットちゃんが帰ってくる前に何とかして……!!
リュナはけろっとした顔で、湯上がりの髪を指先でまとめ始める。
「ん〜、この髪も久しぶりに洗ったっすけど……やっぱ人型だとめんどいっすね。風魔法で乾かしても、乾くまで時間かかるし」
「せめて!せめて服を着てからにして!そういう話は!!」
俺は叫びながらも、背中を向けてスープの鍋に目を戻す。
「……って、ていうかさ、そんなにお風呂が好きなら、定期的に人間の姿になって人里に降りるとかもアリだったんじゃないの?
宿とかでお風呂も借りれたりしないの?」
「……あー、そっすね。えと、それは〜……」
照れ隠しの様に口にしたその言葉に、リュナは少しだけ言い淀んだ。おやおや?
「──まあ、俺もこの世界のことあんま知らないからさ。的外れな事言ってたら、聞き流してくれていいよ。」
「はは……そんな事はないっすけどね。」
スープの鍋の火を弱めながら呟く。
その耳元に、ぽつりとしたリュナの声。
「──でも、兄さんが作ってくれた風呂、マジで最高だったっすよ」
「……そっか。ならよかった」
タオル姿でなければ、もっと素直に喜べたんだけどな……と、俺は内心で嘆息しながら、木のレンゲを握り直した。
◇◆◇
「ふぃ〜〜〜……あっつ」
リュナが手でぱたぱたと顔を仰ぎながら、床にぺたんと座る。
褐色の肩が、まだ湯気を纏ってる。
その姿はさっきから変わらずタオル一枚……
というか、ほんとにそろそろ服着てほしい。俺の精神汚染が深刻なレベルに達しそうだ。
なんかもう、カクカクハウスが急に同居ラブコメの舞台になってきた気がする。
やめて。俺は平穏な拠点ライフを送りたいだけなのに。
服着てください、ザグリュナさん。
これもラブコメのタイトルっぽいな。
「兄さん?」
「な、なにかな!?」
「顔、めっちゃ赤いっすよ?」
「これは……その、火の熱さで……っ」
嘘です。完全にあなたのせいです。
タオルの境界線とか見えそうで見えないギリギリ具合とか、見ちゃダメだけど見たいという人類共通の業とか、そういうやつです。
「……で、兄さん」
リュナがふと、膝を抱えるようにして、窓の外を見た。
今までのテンションと違って、ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ、声が低くなった気がする。
「さっき、兄さんが言ってたじゃないっすか。“その姿でいれば人里にも行けたんじゃないか”って」
「う、うん。まあ……その姿なら、どっからどう見ても人間にしか見えないし……」
「……あーし、昔この姿で旅したことあるんすよ。結構前に、ちょっとだけ」
「え、そうだったの?」
意外だった。
竜としての自分に誇りを持ってると思ってたけど、人の姿でも旅をしてたなんて。
けど、リュナはうっすらと笑って、少しだけ眉をひそめた。
「……でも、その時、なんと言うか……ウザ絡みしてくる奴がいて……。だから、途中でやめたっす」
「……絡んでくる?」
「うん、まあ……気にしないでくださいっす。あーしの個人的な黒歴史なんで」
あえて笑おうとしてるみたいな、そんな空気。
あの明るいリュナが、こういう風に話すのは珍しい。
いつものテンションと違って、ほんの少しだけ……壁を感じた。
──え、何? 元カレの話とか、そんな感じ?
だとしたら、何か……
あんまし聞きたくないんですけど!
まあ、リュナちゃんも、
こう見えて齢1000年の古竜だし?
元カレの100匹や200匹、
いても不思議じゃないけどさ……
……どんな男と付き合ってたんだろ。
火龍のリオレウ君?
それとも邪竜のニーズヘッ君?
でも――
「リュナちゃん」
「……何すか?」
「嫌なことがあったなら、言わなくていいよ。
でも、言いたくなったら、いつでも話して。
俺は……聞くから」
その時のリュナの顔は――ほんの一瞬だけど、驚いたように目を見開いて、すぐにふにゃっと柔らかく笑った。笑った口からギザ歯がのぞく。
「……やっぱ兄さん、ずるいっすね」
「ずるい……?」
「そうやって、さらっと優しい言葉くれるから……ほんと、ずるいっす」
褐色の頬が、少しだけ赤くなった気がした。
湯上がりだから、かもしれない。
でも、それ以上に――その笑顔が、なんだかとても“人間らしく”見えた。
◇◆◇
どしんッ!!
家の外で、明らかに何かが“落ちた”ような重い音が響いた。
同時に、ガチャッと勢いよく玄関の扉が開かれる。
「アルドくんっ!リュナちゃんっ!!」
元気な声とともに、風のようにブリジットが飛び込んできた。
彼女の顔は少しだけ汗ばんで、瞳はいつもより鋭く焦っている。
「ブリジットちゃん!? ど、どうしたの?」
「大変なの! あたし、森の方を見回ってたんだけど……怪我して倒れてるワンちゃんを見つけたの!それで、連れて帰ってきたの!」
「け、怪我した犬……?」
思わず立ち上がってエプロンを外す。
「治してあげられないかな!?アルドくんなら、きっと……!」
ああもう……やっぱこの子、ほんと天使だわ。
困ってる動物を見て助けようとするなんて、相変わらず優しすぎる。
よしよし。俺が細胞をテイムして傷を癒してあげるよ!
(あ〜〜、可愛いワンちゃんだったら、ここで飼うのもアリかもな……)
基本的に犬好きなんだけど、前世ではマンション暮らしだったから飼えなかったし。
うん、いいじゃんいいじゃん。可愛いワンちゃん、癒しになるし。
それに、異世界転生ものにはマスコットキャラもつきものだもんね!
「お安い御用様ですとも!よし、見てみよう!」
――そして、俺は外に出た。
カクカクハウスの横の芝地。
そこに――確かに“犬”が、横たわっていた。
でも。
「デッッッッッッッッッッッッカ!!!!」
5メートルはあろうかという巨体。
全身もふもふの毛に覆われていて、つぶらな瞳、そしてあの……《《間延びしたシルエット》》。
どう見ても――
「この子……《《あれ》》じゃない………?」
サイズ感が完全にバグってる。
怪我の状態を確認する余裕すらない。
思考が斜め上にスライドしている。
俺は、巨体を前にのけぞりながら──思った。
(……この世界の《《ダックスフンド》》って、5mくらいあるんだぁ。知らなかったなぁ。)
家の前で横たわる、"超巨大ダックスフンド"を前に、俺は顔を引き攣らせるのだった。