第157話 雷蛇の一撃! "雷蛟鞭"、奔る
吹き抜けのフロアを、二人の影が閃光のように駆け抜けた。
黒衣の執事、"至高剣"ベルザリオン。
その歩法は一分の隙もなく整い、居合の型から繰り出される一太刀は狙い澄まされ、寸分の無駄もない。
銀の刃が一閃ごとに空気を裂き、切り裂かれた床板が乾いた音を立てて遅れて崩れ落ちる。
対するは、金髪の大男──"三龍仙"黄龍。
その足さばきは功夫、流れる水のような体幹のしなりで重心を滑らかに移し、棍を振るうたびに床が砕け、支柱が粉砕される。
棒を支点に宙返りし、壁を蹴って反転し、アクロバティックな動きでベルザリオンに肉薄した。
衝撃音が連続し、ショッピングフロアは一瞬にして戦場に変わる。
砕けた柱が落ち、装飾のライトが吹き飛び、悲鳴の代わりに轟音が木霊する。
黄龍はベルザリオンの斬撃を受け止めながら、心中で思考を巡らせていた。
(紅龍の記憶によれば……この男は”強欲の魔王”の配下。四天王の一人に過ぎぬ筈……)
(しかし、この剣気、この圧力……とてもそれだけに収まるものではない……)
その瞬間、ベルザリオンが静かに息を吸い込んだ。
銀の瞳が鋭く細まり、刃先が音もなく鞘を離れる。
「──"銀閃刃"。」
声と同時、閃光。
高速の居合い抜きが走り、黄龍は辛うじて大棍を水平に差し込み受け流した。
火花が飛び散り、金属音が爆ぜる。だがその直後、黄龍の背後の支柱が音もなく輪切りとなり、数拍遅れて崩れ落ちた。
ベルザリオンは執事服の裾を翻し、輪切りとなった柱の中央部を軽やかに蹴り飛ばす。
──ドゴォッッ!!
「……ッ!」
巨大な柱は弾丸のように黄龍へと飛翔する。
黄龍の口角がわずかに吊り上がった。棍の穂先が雷光を帯び、次の瞬間、バチィィッ!!と白雷が弾ける。
柱は空中で瞬時に黒焦げとなり、粉々の炭片へと散った。
砕け散る破片を払いのけながら、黄龍はベルザリオンの気迫を改めて見据える。
(この気迫、この技の冴え……四天王などという枠に収まるものではない……!)
黄龍の掌が棍を握り直す。
ヒュン、ヒュンと空気を切る音が重なり、その姿勢は功夫特有の棒術の構え。
筋肉が隆起し、背筋がしなる。
「ならば……」
低く唸るような声。
「多少、本気でいくとしよう。」
その瞳に雷が走る。
次なる一撃の前触れに、フロア全体が緊張に支配されていった──。
◇◆◇
黄龍が握る大棍が、不意にカシュ、カシュ……ッ!と不吉な音を立てた。
次の瞬間、棍の両端から亀裂が走り、節が解けるように分かれていく。
まるで大蛇が脱皮するかのように、九つの節が鎖で繋がった九節鞭へと姿を変えた。
「……俺は、妹の蒼龍のように器用ではない。
だが──」
黄龍の低い呟きが、戦場に重く響く。
九節鞭の節一つ一つに雷が宿り、青白い閃光が脈動する。
鎖が勝手に軋みを上げ、節が意思を持つようにうねり始めた。
まるで雷を纏った蛟龍が生き物のように暴れ回り、ベルザリオンを狙って牙を剥いているかのようだった。
(プレッシャーが……増した……!?)
ベルザリオンは思わず喉を鳴らし、腰の剣"真竜剣アポクリフィス"に手を添える。額を伝う汗が、一瞬で冷える。
次の瞬間だった。
「──ッ!」
ベルザリオンの背筋を鋭い殺気が撫で、条件反射で身を伏せる。
ズバアアアアァァァァァッ!!
耳を劈く轟音。
黄龍が横薙ぎに振るった雷蛟鞭が、床、柱、観葉植物、壁、そして強化ガラスの窓をまとめて薙ぎ払った。
ガラスが滝のように吹き飛び、破片が閃光に照らされてスローモーションのように降り注ぐ。
ほんの一呼吸前までベルザリオンが立っていた場所は、ただの空虚な線となり、そこにあった全てが横一文字に消し飛んでいた。
「……ッ!」
間一髪の回避。息を呑み、執事の面影を湛える顔がわずかに歪む。
(なんという……破壊力……!)
冷や汗が頬を伝い、握る剣に力がこもる。
忠義を胸に秘めるベルザリオンとて、己の生死が紙一重で分かたれる恐怖を覚えずにはいられなかった。
黄龍は無表情に、しかし確信を宿した声で言い放つ。
「……宝貝、"雷蛟鞭"。破壊力なら、多少の自信はある。」
九つの節が再びカシュカシュと動き、今にも襲いかからんと暴れる。
雷が生き物の咆哮のように迸り、床を走っては焦げ跡を残す。
ベルザリオンは静かに息を吸い込み、覚悟を固めた。
(これは……私ひとりでは、手に余るやも知れませんね……! だが──守らねば。お嬢様を……!)
執事服の影に隠れた双眸が決意を宿し、真竜剣の鞘から再び光が漏れ始めた。
◇◆◇
黄龍が片腕を振り抜く。
ビシュゥゥゥッ!! と耳を裂く轟音と共に、雷蛟鞭が空を走った。
九つの節は鎖を軋ませながら勝手に蠢き、雷光を纏ってうねる。
それはもはやただの武器ではなかった。生きた雷蛇が牙を剥き、獲物を喰らうかのように軌道を変え、ベルザリオンを追尾する。
「……ッ!」
ベルザリオンは疾駆した。
長いフロアを黒い残影を残して駆け抜けながら、襲い来る雷の鞭を真竜剣アポクリフィスで次々と打ち払う。
剣と節がぶつかるたび、バチバチバチッ!と稲妻が炸裂し、銀と黄色の閃光が視界を埋め尽くす。
(なんという破壊力……! やはり、分身体であるこの者も……本体の紅龍と同格──”大罪魔王”級の力……!)
息を乱さぬように意識しながらも、胸の奥底で忠義が叫ぶ。
(だが──私は退けぬ! お嬢様を守り抜くのだ!!)
雷蛟鞭が床を打つ。
ズドオォォン!!
床板が抉れ、鉄骨がむき出しに砕け飛ぶ。
その破片一つひとつに雷が移り、電磁砲の弾丸のように加速してベルザリオンへと殺到する。
「……ッ、はあぁぁぁッ!!」
剣を握る腕に力が籠もる。
「──"銀時雨"!!」
空気が裂ける。
高速の縦斬りが幾重にも放たれ、銀の雨筋のような光が前方を覆う。
飛来する瓦礫は瞬く間に切り刻まれ、電撃を帯びたまま四散して消え去った。
だが、その瞬間を黄龍は逃さない。
「──甘いな。」
低い声が響いた刹那、黄龍の身体が弾丸のように跳んだ。
九節鞭を一旦収め、両脚に雷を纏わせた飛び蹴りで一直線に迫る。
「……ッ!?」
ベルザリオンの目が見開かれる。咄嗟に剣を構え、蹴撃を受け止める。
ガギィィィィィン!!
雷撃と剣閃が火花を散らし、衝撃が両者の間に爆ぜた。
次の瞬間、ベルザリオンの体は宙を舞う。
(重……ッ!?)
あまりの一撃の重さに、脚が床を離れた。
身体は後方へと吹き飛び、背後の強化ガラス窓へ叩きつけられる。
バリィィィィン!!
ガラスが砕け散り、無数の破片が宙を舞う。
その全てが稲光に照らされ、夜空に散る光の雨のように降り注いだ。
ベルザリオンの身体は吹き抜けへと投げ出される。
高層ビルの空洞──遥か下の中庭が小さな影となって見える。
(しまっ……!!)
息を呑む間もなく、体が落下を始める。
耳に風が唸り、背後で割れた窓からは滝のようにガラス片が追いかけて落ちてくる。
執事服がはためき、手にした剣が月光と稲光を浴びて煌めいた。
だが落下の恐怖の中でも、その眼差しにはひとつの誓いが燃えていた。
(マイネ様……! 私は……まだ倒れる訳にはいかないッ!!)
◇◆◇
吹き抜けに閃光が走った。
「──"金棍撃"……!」
黄龍の低い咆哮とともに、棍が雷を纏い稲妻そのものへと変じた。
振り下ろされた一撃は、まるで天空から落ちる落雷の化身。轟音と共に空気を裂き、真っ直ぐにベルザリオンを貫かんと迫る。
(まずい……ッ! これを受けては──!)
ベルザリオンの瞳に、一瞬の焦燥が走る。
だが諦めはしない。落下の最中、彼の視界に横を舞う床の破片が映った。
「──うおおおおぉぉぉッッ!!」
全身の筋力を総動員し、その瓦礫を足場に蹴り飛ばす。空中で軌道を変え、横っ飛びに身を翻す。
直後、黄龍の突きが通過した。
ドガアァァァァン!!
稲妻が大地を撃ち抜いたような衝撃が響き、吹き抜け最下層の中庭に巨大なクレーターが穿たれる。
火花と爆風が吹き上がり、ビル全体が震えた。
ベルザリオンは辛うじて回避し、別フロアの窓ガラスを突き破って転がり込む。
背中をガラス片が裂き、服が破れ、荒い息が喉を焦がす。
(……間一髪……といった所ですか…… しかし──休む暇も無さそうだ……!)
息を整える間もなく、背後からまた轟音が響く。
黄龍が、稲光に照らされながら吹き抜けを飛び降りてきたのだ。
長身の体躯が床を踏みしめると、火花が散った。
九節鞭は再び棍へと戻り、その先端にまだ雷が燻っている。
吹き抜けに残響する雷鳴が、二人の影を鋭く切り裂くように映し出す。
火花の匂いが漂う中、黄龍は一歩、確信に満ちた歩みで前へ進み出た。
その金色の瞳は冷たく、それでいてどこか敬意を帯びていた。
「……見事な剣技だ。殺すには惜しい」
淡々と告げられる声。そこには激情も嘲笑もなく、ただ純粋な武人としての評価があった。
ベルザリオンは眉を寄せ、無言で剣を構え直す。だが次に発せられた黄龍の言葉に、彼の呼吸が一瞬だけ乱れた。
「俺は、強い男は嫌いではない。どうだ──あの“強欲の魔王”を見限り、我らの元に付く気は無いか」
刹那、ベルザリオンの胸にざわりとした感覚が走る。
忠誠を誓う相手を見限れと、堂々と告げてくるその揺るぎない声。
だが動揺は一瞬だった。
ベルザリオンは剣をぐっと握り直し、深く息を吐く。
「……お断りします」
その声音には、一片の動揺もなかった。
「マイネ様をお守りする事こそ、私の生きる理由」
短く、だが決して揺らぐことのない宣言。
雷光に照らされ、彼の銀の剣が強い光を返す。
黄龍はその答えに、静かに目を閉じた。
「……今の俺は、弟・紅龍の記憶を元に作られた幻のようなもの。
故に、その記憶もまた、持ち合わせている……」
意味深な言葉に、ベルザリオンの眉間の皺が深まる。
「……何の話をしているのです?」
黄龍は片目を開き、その眼光でベルザリオンを射抜いた。
雷光が走り、瞬間、金色の瞳が異様な威圧感を放つ。
「“至高剣”ベルザリオン……」
低く、重く、雷鳴のごとき声。
「お前は、あの女──“強欲の魔王”マイネ・アグリッパに、騙されている」
「───は……?」
轟く雷鳴の中、その一言はまるで稲妻の直撃のようにベルザリオンの胸を打ち抜いた。
剣を握る手に、無意識に力がこもる。
彼の心を揺さぶるには十分すぎる、あまりに衝撃的な言葉だった。