第152話 神が与えし器
蒼龍の喉から、悲鳴とも咆哮ともつかない絶叫がほとばしった。
「──ああああああああああああッッ!!!」
その声と同時に、両腕の五火七風扇が青白い光を帯びる。
込められた魔力が空気を震わせ、観覧車のライトが一瞬ちらついた。
次の瞬間、地面が大きく揺れ、タイルを突き破って現れたのは──
鱗を纏った巨体、鋭い牙を剥き出しにした岩蛇だった。
『ギャアアアアアッ!!』
耳を裂くような咆哮。大地を軋ませ、巨体がブリジットめがけて一直線に突進する。
しかし、ブリジットは恐れるどころか、一歩前へ。
「──えいやぁああーーっ!!!」
振り抜かれたのは彼女の小さな拳。
だが、その拳には竜の加護を受け継いだ膂力が込められていた。
拳が岩蛇の額に直撃した瞬間、轟音と共に巨体が粉砕。
無数の瓦礫と粉塵が弾け飛び、夜の遊園地が土煙に包まれる。
その土埃を切り裂くように、蒼龍の影が飛び出してきた。
扇には鋭い氷の刃が生え、月光を反射して蒼白に輝いている。
蒼龍は舞うように身体を回転させ、空を切り裂く軌跡を描きながら落下してきた。
「なんなのよ……アンタはあああああッッ!!!」
その斬撃は暴風と氷刃を纏い、獲物を切り裂く死の舞。
標的は、正面に立つブリジット。
だが、その刹那。
「──『動くな』!!」
リュナの咆哮が響き渡った。
黒マスクの奥から放たれた声は、命令そのもの。
蒼龍の身体が空中でビクリと硬直し、刃を振り下ろす寸前で動きを止める。
「しまっ……!?」
蒼龍の瞳に焦りが走る。
リュナはにやりと笑った。
「姉さんにイシキ向けすぎなんすよ、バーカ」
そのまま跳躍し、空中の蒼龍に回し蹴りを叩き込む。
「──ハァッ!!」
踵が蒼龍の側頭部を直撃。
硬直していた身体が大きく弾かれ、制御を失ったまま地上へと落下していく。
「姉さん! 行ったっすよ!!」
リュナが叫ぶのに応じ、ブリジットは迷わず駆け出した。
「……わかった! ごめんね、蒼龍さんっ!!」
落下してくる胴体めがけ、両脚を沈み込ませて構える。
そして──高速で突き出した掌底が、蒼龍の腹を撃ち抜いた。
──ドゴォォッッ!!
「ガ……はァ……ッ!」
息を詰まらせる蒼龍。
そのまま凄まじい勢いで吹き飛ばされ、後方に聳える観覧車の支点に──
ガシャアアアアアアアンッ!!!
轟音と共に叩きつけられた。
衝撃で観覧車全体が揺れ、吊るされたゴンドラが一斉にガタガタと軋みを上げながら揺れる。
夜空に映えるネオンの灯りも、今は脅威の影となって揺らめいていた。
「わ、わわわっ!? て、手加減……間違っちゃったかな!?」
ブリジットは両手を振り慌てふためく。
その横でリュナは呆然と観覧車にめり込んだ蒼龍を見やり、背筋に冷たい汗を流す。
(……アレで手加減してんすね、姉さん……)
(マジで……ゾッとするっすわ……。真祖竜の加護、パねぇー……)
粉塵が収まり、沈黙した遊園地に二人の鼓動だけが響いていた。
◇◆◇
観覧車の鉄骨に叩きつけられた衝撃で、蒼龍の口から赤黒い飛沫が迸った。
「ガハッ……!」
苦悶の声を上げながらも、その瞳はなお燃える炎を失わない。
次の瞬間、彼女は大きく跳ね、揺れるゴンドラの一つに音もなく着地した。
乱れた息を整え、扇を握る指先に力を込めながら、眼下のブリジットとリュナを鋭く睨み据える。
(しまった……っ。頭に血が上って、トカゲちゃんの咆哮に対する警戒を忘れるなんて……)
(それより……な、何なの、あの子……!? さっきの膂力は異常すぎる……!)
観覧車にめり込むほどの衝撃を与えた少女の掌底を思い出し、背筋に冷たいものが走る。
(こんなもの、何発も食らってたら……命がいくつあっても足りない……っ!)
だが蒼龍は、すぐに瞼を閉じて深く息を吐いた。
激情を飲み込み、冷徹な戦士の顔を取り戻す。
(……だからって、負けられない。アタシは……絶対に。)
ゆっくりと瞳を開けると、月光を背にしたシルエットが夜の闇を切り裂いた。
血を吐いたとは思えぬほど、凛として華麗な立ち姿。
「……アナタ達の力を、見誤ってたことを認めるわ」
低く響く声が、夜風を震わせる。
「ここからは──手札の出し惜しみは無しよ」
ブリジットは息を飲み、リュナは背中合わせに構えを取り直す。
二人の気配が緊張に包まれ、遊園地の広場に張り詰めた空気が漂う。
蒼龍はゆっくりと両腕を広げ、二枚の五火七風扇を舞うように交差させた。
「……"紅砂の舞"」
囁くように告げた瞬間──
扇から赤い光の粒子がザザザァァッと溢れ出し、空中に舞い上がった。
それは砂でも霧でもない。
細かい赤い珠のようなものが無数に散り、やがて夜風に乗って渦を巻き始める。
意思を持った嵐のように、遊園地の地面に降り注ぎ、二人の周囲を取り囲んでいった。
「な、なに……これ……?」
ブリジットは驚きに目を丸くし、舞い降りる赤い粒を見上げる。
光を反射してきらめくその姿は、綺麗なイルミネーションのようでもあり、不気味な圧迫感を放ってもいた。
リュナは目を細め、集中して粒の一つを捉える。
「……姉さん、気をつけて!」
鋭い声が響く。
「これ……ただの砂じゃねぇっす! 一粒一粒が、魔導具的な小っせー玉……! なんかヤバい匂いがするっすよ!」
二人を見下ろす蒼龍の口元が、愉悦に歪んだ。
「その紅砂の一つ一つは……“檻”なのよ」
ゴンドラの上で、彼女は楽しげに足を組み、言葉を続ける。
「元のスキルの名前は、確か"召喚獣"……だったかしらね」
「従えた魔物を小さな球に封印し、魔力を消費することで任意に呼び出す。なかなか面白い能力だと思わない?」
蒼龍の目が、獲物を弄ぶ蛇のように光る。
「ま、まさか……!」
ブリジットは周囲に漂う数えきれない赤い粒を見渡し、顔色を変える。
リュナは唇を噛み、鋭い目で敵を睨んだ。
「……ってことは、この空に浮いてるチッせーアメ玉みてぇなの全部に……魔物が封じられてるってコトっすか……?」
ブリジットの心臓が高鳴る音が、自分でも聞こえるようだった。
夜空に降り注ぐ紅砂は、まるで嵐の前触れのように不吉な光を放ち、二人を包囲していく。
◇◆◇
蒼龍が両扇を静かに交差させ、血のように赤い唇で一言吐き出す。
「──解放」
ボワンッ。
乾いた音と共に、紅砂の粒が一斉に膨れ上がった。
夜の広場に、無数の影が次々と姿を成す。
二本角を生やしたオーガ、牙を剥くコボルト、短躯ながら凶悪なゴブリン──いや、それらの上位種までもが、まるで湧き水のように現れていく。
だが彼らは野生の魔物とは違った。
中にはスーツを身に纏う者、耳飾りや首飾りをつけた者、小さな子どもの姿を持つ者まで混じっていた。
皆、虚ろな目。
魂を抜かれたように立ち尽くし、命令を待つ人形の群れだった。
「ハッ!」
リュナは鼻で笑い、翼をひらりと広げる。
「今さらこんなザコモンスターの百匹や二百匹呼んだって……あーしと姉さんのハイパーつよつよコンビの前には、何の意味もねーっしょ!」
言葉とは裏腹に、彼女の声にはわずかな苛立ちが混じる。
だがその言葉を、ブリジットが慌てて制した。
「待って、リュナちゃん!」
彼女は瞳を揺らし、周囲を見渡す。
「……ひょっとして、"この人たち"……」
オーガの大きな手には、使い込まれた斧。
ゴブリンの腰には、小さな革袋。
そして子どもらしき影が、かつて大事にしていたのだろうぬいぐるみを胸に抱きしめていた。
ブリジットの心臓がひときわ強く鳴る。
これは──野生の怪物ではない。
その気配を楽しむように、蒼龍が高笑いを漏らした。
「ブリジットちゃんは気付いたみたいねぇ……」
「──そう。この妖魔達は、“この街の住人達”よぉ」
「っ……!」
ブリジットの血の気が一気に引く。
「心優しいアナタに……操られてるだけの哀れな妖魔達を、倒せるのかしらぁ?」
蒼龍が両扇を大きく振るう。
そこに刻まれた魔法陣が妖しく光り、"傾世幻嬢"──かつて、高崎ミサキという少女が宿していたスキルの力が広場を満たした。
紅のオーラが魔物たちにまとわりつき、次の瞬間──虚ろな瞳が一斉にぎらりと光を帯びる。
「行きなさいッ!!」
怒号と共に、群衆が動き出した。
オーガが地を揺るがし、ゴブリンが鋭い槍を掲げ、コボルトが牙を剥いて突進してくる。
数えきれぬ足音が、遊園地の広場を埋め尽くした。
「うえっ!?」
ブリジットは思わず悲鳴を漏らし、群れをかいくぐるように走る。
「わ、わわっ……!」
彼女は手を伸ばされるたびに、ひょいひょいと飛び退き、手加減した動きでかわし続ける。
(マイネさんの街の住人……! この人たちを傷つけるわけには……っ!)
彼女の心は戦いよりも「守る」ことに傾いていた。
一方リュナは、黒マスクを下げ、低く呟いた。
「……『動くな』!」
咆哮のスキルを発動させた瞬間──
何も起こらなかった。
「っ……!?またかよ……っ!」
リュナの瞳が大きく揺れる。
喉は震えているのに、あの特有の重圧が周囲に走らない。
「マジうぜーっすね、あのスキル……!」
歯噛みしながら観覧車の頂に立つ蒼龍を睨み上げる。
その視線を受け、蒼龍は悠然と笑った。
「無駄よ、トカゲちゃん。アナタの咆哮は──このアタシが封じてるんだからぁ」
夜風が遊園地のネオンを揺らし、絶望の色を帯びていく。
紅い群れはなおも膨れ上がり、少女たちに迫っていた。
◇◆◇
「はわわわ……! ど、どうしようっ!?」
ブリジットの悲鳴が夜の遊園地に響いた。
彼女はジェットコースターのレールの上を、ほとんど四つん這いに近い姿勢でスタタタタッと駆け抜けていく。
その後ろでは──。
オーガが咆哮しながらレールを叩き、ゴブリンが群れを作って蟻のように折り重なり、コボルトたちが犬の遠吠えを響かせながら殺到する。
まるで巨大な黒い津波が押し寄せるように、操られた魔物たちがブリジット一人を呑み込もうとしていた。
──ギギギ……ッ。
レールがきしみ、鉄骨が悲鳴を上げる。
ブリジットの足元がぐにゃりと歪み、視界が一瞬揺れる。
「ひゃああっ!? お、折れちゃうぅっ!!」
必死に跳ねるようにステップを刻み、飛ぶように駆け抜けるブリジット。
背後を振り返る余裕など一片もない。ただ前だけを見て、転げ落ちぬよう必死にしがみついていた。
「チッ……!」
リュナは低く舌打ちすると、翼を大きく広げた。
その一振りで巻き起こった突風が、後方から迫る魔物の群れをまとめて薙ぎ払う。
オーガの巨体ですら風圧に煽られよろめき、ゴブリンの群れは紙吹雪のように宙へと弾き飛ばされた。
だが──。
わざと致命傷を与えぬように抑えたせいで、奴らはすぐに立ち上がり、何度でも襲いかかってくる。
まるで尽きることのない波濤。
(こりゃー……ちとメンディーな状況っすね……!)
額に汗が滲み、息が白く夜気に散った。
考えることをやめたら一瞬で呑まれる。
それだけは分かっていた。
(元の姿に戻れば……青バカ女の封印も破って、“咆哮”で一気に鎮圧できるカモっすけど……)
視線が、自然と上空へ吸い寄せられる。
観覧車の頂。
そこに舞うように立ち、悠然と扇を翻す蒼龍の姿があった。
彼女はまるで観客のように、リュナを見下ろしている。
(……違う。あの女、あーしが“人の姿”を諦めて竜に戻るように仕向けてやがる……!)
(確かに、竜に戻って暴れりゃ話は早いかもっすけど……それじゃアイツの思い通りっすよ……! そんなの……なんか、ヤダ!)
奥歯をギリッと噛みしめ、リュナは翼を振り抜いた。
吹き飛ばされる魔物の群れ、その向こうに見えるのは──笑みを浮かべる蒼龍。
リュナの胸の奥に、怒りと焦燥が同時に込み上げていた。
(クソッ……! この小っせー身体で……もっと魔力の出力さえ上げられれば……!)
奥歯を噛み砕きそうなほど噛み締めながら、リュナは襲い来る群れを翼で薙ぎ払った。
しかし胸の奥では、焦燥が渦を巻いていた。
──その刹那。
稲妻のような思考が閃き、脳裏を駆け抜けた。
(……待てよ。兄さんは規格外すぎて参考にならねーとして……)
(でも、姉さんも……ヴァレンのアホも……なんで“人間サイズ”のまま、あんな出力で戦えんだ?)
記憶が一気に千年を逆行する。
フォルティア荒野を支配していた頃。
竜の咆哮を浴びながら、それでも立ち上がり、自分に挑んできた“人間たち”の姿。
本来なら、あの咆哮を前にすれば人は動けないはずだった。
それなのに、何度も挑みかかってきた連中が確かにいた。
(……あいつらに共通してたのは……)
リュナの瞳が鋭く細められる。
脳裏に鮮やかに浮かんだのは、剣。盾。宝玉。
彼らが掲げていた、ただの武器や装飾とは異なる、特別な“器”だった。
「……"神器"……っすか……!」
黒マスクの下で、小さく声が漏れる。
スキルを極めた者にだけ宿る、“外付けのスキル”とも言える存在。
人の枠に収まりきらなくなった力を──神がもう一つの器を与えることで扱わせる仕組み。
大罪魔王が生まれながらにして持つ“魔神器”と同じ理。
(……そっか。人の身を超えた力を、外部にもう一つ魂の器を作る事で……落とさず出力してんのか……!)
視線は仲間へと向かう。
額から二本の銀のツノを覗かせ、必死にジェットコースターのレールを駆け抜けるブリジット。
そのツノこそ、彼女が得た“神器”。
(なら……あーしがこの場ですべき事はただ一つ!)
その瞬間、リュナの双眸が爛々と輝いた。
追い詰められているはずの今、心臓が昂ぶる。
口元が黒マスクの下で吊り上がり、笑みに歪む。
「……やっべ。あーし、天才かも」
呟きは風にかき消えた。
だがその瞳に宿った光は、確かに新たな突破口を掴んでいた。
「作ってやんよ……あーしだけの"神器"ってヤツを、今ここで!」
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