第150話 私たちの好きな人
コロナ休養により、逆に執筆時間が大幅に取れましたので、本日は二本更新します。喉が痛いです。
リュナの頬は、これまで見せたことのないほど真っ赤に染まっていた。
耳の先まで熱が上り、慌てふためく声は裏返っている。
「ななななななっ!? なぁーに言ってんすか姉さん!!?」
「あ、ああああーしは別にっ、兄さんのことを……すすす好きとか、そんなんじゃ……っ!」
両手をブンブンと振り回し、必死に否定するその様は、竜の威容とはかけ離れた慌てっぷりだった。
対するブリジットは、目をまん丸にして口をぱくぱくさせている。
「えっ!? そ、そうなの!? あ、あたしはてっきりリュナちゃんも……」
彼女はそのまま、リュナの言い訳を素直に信じ込んでしまったらしい。
「ち、ちげーっすよ!」
リュナはさらに顔を真っ赤にしながら、突然反撃に転じた。
「そ、そう言う姉さんこそっ! 最近、家で雑務してる時もやたらオシャレしてるじゃないっすかぁ!?」
「髪型もちょいちょいポニテから三つ編みに変えてみたりとかぁ!?」
まるで機関銃のような早口で捲し立てる。
「姉さんこそ! 兄さんのこと意識してオシャってるんじゃないっすかぁああ!?」
ブリジットの頬も、一瞬で真っ赤に染まった。
「わ、わわわ……! あ、あたしは……」
両手を胸の前で組み、項垂れるようにして、蚊の鳴くような声で白状する。
「しょ、正直……アルドくんに見てもらえるかもって思って……オシャレ、頑張ってました……」
ガーーーンッ!!
リュナの脳裏に、漫画的な効果音が轟いた。
(しまったあああ!! なんか、あーしが姉さんにだけ素直な気持ちを白状させてる感じになっちったーー!!)
竜としての威厳も何もあったものではない。
リュナは頭を抱えそうになりながら、ふと冷静になった。
(……そもそも、何であーしって、この姿になったんだっけ?)
思い返す。
人間の姿になる前から、アルドもブリジットも、魔竜のままの自分を受け入れてくれていた。
それでも、人間の姿に変わったのは──あの時。
『……もしかして、人間の姿に変身とか、できたりする?』
そう尋ねたアルドの一言。
試しに変身してみたら、この姿になって……。
そして、あの言葉。
──『すごく良いと思います! そのままのキミでいて!!』
アルドが慌てた様に笑顔で言ってくれた、何気ない一言。
けれど、それはリュナの胸に深く刻まれていた。
(……あーし、この姿に執着してんのは……あの言葉のせい、なんすね)
呪いにも似たこの感情の名を、リュナは今さらながらに理解する。
それは──恋。
ふと横を見ると、ブリジットはまだ顔を赤くし、もじもじと俯いていた。
そんな彼女の姿が、余計にリュナの胸をざわつかせる。
(……ったく。なんで、姉さんと一緒に、こんなバカみたいなやり取りしてんすかね……)
その答えもまた、胸の奥で熱く疼いていた。
「──ちょ、ちょい待った!」
リュナがバッと手を突き出し、ブリジットの言葉を遮った。
目は真っ赤、頬も耳も熱を帯び、息すら上擦っている。
「姉さん! さっきの……やっぱナシで!!」
「……?」
ブリジットがきょとんとした顔で振り向く。その視線に射抜かれ、リュナは一瞬息を呑んだ。
観念したように、彼女は肩を落とし、真っ赤な顔のままポツリと告げた。
「……すんません。あーし……さっき嘘ついたっす……」
拳をギュッと握りしめる。
「兄さんへのこの気持ち……まさしく……LOVEっすね」
言い切った瞬間、心臓が爆発しそうなほどに跳ねた。
(……言っちまった……! けど、これで……姉さんが遠慮して、兄さんから離れるとかになったら……)
無意識に胸の奥で抱えていた恐怖が、リュナの心を締め付ける。
だが──。
「……ほんと!? やったあ!!」
パァッと花が咲いたように、ブリジットの表情が輝いた。
満面の笑顔で両手をぱんっと合わせ、心から喜ぶ声を上げる。
「えっ……!? な、なんで姉さんが喜ぶんすか!?」
リュナは目を剥き、赤い顔のまま素っ頓狂な声を上げる。
ブリジットは胸の前で手を組み、きらきらした瞳で答えた。
「だって、リュナちゃん“も”アルドくんが好きなら──ずっと3人で一緒にいられるよね!」
「えっ……“も”……?」
リュナの動揺は最高潮に達した。
「やっぱ……姉さんも、兄さんのこと……?」
ニコッと、まっすぐな笑顔。
「……うん。あたし、アルドくんのこと……好き!」
──その瞬間。
蒼龍の瞳が、かすかに震えた。
目の前にいるはずの少女たちが霞み、視界の奥に過去の幻影が滲み込む。
ブリジットの笑顔が、重なって見えたのだ。
柔らかく、揺るぎなく、真っ直ぐに差し出される信頼と、慕情の光。
(……同じ、だ……)
かつて、自分が全てを捧げ、ただ追い求めた“師”。
その人に向けて、己がかつてに浮かべた──あの無垢で、愚直で、ひたすら澄み切った微笑み。
今、その残滓を、この小娘が見せている。
まるで時間を逆巻くように、記憶と現実が重なり合い、胸の奥を掻き乱していく。
「……ッ」
ギリリッ。
奥歯を噛み締める音が、自分でも聞こえるほどだった。
堪えきれぬ苛立ちが、心の底から泡のように沸き立ち、血の流れを灼くように熱くする。
(なぜ……なぜこの子に……! よりによって、この子に……!)
どうしようもない感情の渦が、蒼龍を内側から掻き毟った。
それは嫉妬か、憎悪か、それとも失われたものへの渇望か──。
自分ですら判別のつかない激情が、確かに、胸を焼いていた。
◇◆◇
「マジっすか〜!? 姉さん、ついに認めちゃう感じなんすね〜!!」
「リュナちゃんこそ〜!! でも、一緒の人を好きになれたって、ステキ〜!!」
戦場だというのに、リュナとブリジットは顔を真っ赤にしながらキャッキャとはしゃぎ合っていた。
背後には砕け散ったカルーセルの残骸、まだ風に舞う破片。だが二人の空気はそんな惨状とは正反対に、どこか眩しい。
蒼龍は、その光景を見て──知らず、指先がわずかに震えた。
(……何なのよ、この子達。戦いの最中に……こんな顔、するなんて)
胸の奥にざわめく苛立ち。
だが同時に、どうしても無視できない関心が芽生えていた。
(……アルド、だったわね)
ふと脳裏に浮かぶのは、最初にこの少女達と出会った日の記憶。
白鯨の背に立ち、崩れ落ちる高架道路を見下ろしたあの瞬間──。
確かにいたのだ。
ヴァレン・グランツの隣に、もう一人。銀髪の少年。
泡のようなスキルを展開し、仲間を瓦礫から守り切ったその姿。
そして、高架の下へと飛び込む直前……一瞬だけ、ぞっとするほどの「殺気」を放っていた。
(気のせいかと思っていたけれど……あの目は……ただの人間のものじゃなかった)
視線を戻す。
今、この二人──特に咆哮竜のトカゲ娘までが、あの少年に入れ込んでいる。
ならば。
「……なぁーるほど」
唇がゆっくりと釣り上がる。
悪意と愉悦を混ぜた、蒼龍らしい笑み。
「アタシ、分かっちゃったかもぉ」
その声に、ブリジットとリュナが同時に振り返る。
扇をゆらりと揺らしながら、蒼龍は艶やかに、しかし毒を含んだ声を放った。
「……ブリジットお嬢ちゃんはともかく──そっちの“トカゲちゃん”がそこまで入れ込むなんてねぇ」
「じゃあ……あのアルドって男の子も……人に化けた“竜”か何か、って事じゃないかしらぁ?」
「……えっ?」
ブリジットの声は、不意を突かれたように震えていた。
リュナはギクッと肩を跳ねさせ、思わず素っ頓狂な声を上げる。
「げっ!?!?」
顔から血の気が引くのが、自分でも分かった。
額にじっとりと汗が滲む。
(や、やべっ!? そっち方向から兄さんの正体バレそうになるとか、想定外すぎるだろコレっ!!)
リュナの心臓は、戦いの緊張とは別の意味で爆音を立てていた。
◇◆◇
「な、何言ってんすかね〜……あの青色バカ女は!」
リュナは珍しく声を裏返し、ブリジットの前にバッと手を広げた。
「竜が人に化けてるなんてぇ、そ、そんな御伽話みたいなこと、あるわけないじゃないっすかぁ〜〜!?」
語尾が伸びる。目が泳ぐ。額には大粒の汗。
普段の豪胆な態度はどこへやら、完全に挙動不審そのものだった。
蒼龍は、呆れ果てたようにため息を吐いた。
「……アナタ、どの口が言ってるわけぇ?」
わざと冷ややかに、扇の骨で唇をなぞる。
そして、じっとリュナの慌てぶりを見つめ──にたりと口角を吊り上げた。
「フフ……やっぱり。トカゲちゃんのその慌て様……図星、だったみたいねぇ?」
「……ッ!?」
リュナの顔が引きつる。
ブリジットはそのやり取りに目を丸くしていた。
蒼龍は一歩、二歩と滑るように近づく。
夜風に煽られた蒼い衣がひらりと舞い、扇の刃が冷ややかに光を弾いた。
その瞳は愉悦と狂気の色に濡れている。
「ねぇ……ブリジットちゃん」
その声は甘く囁くようでありながら、耳朶に突き刺さる棘を孕んでいた。
「今、どんな気分かしらぁ……?」
「想いを寄せていた男が──実は“人に化けた人外”で……」
「ずっと、アナタを騙してたんだものぉ!」
最後は扇をひと振りして嘲るように笑う。
空虚な笑い声が夜の遊園地に響き、観覧車のネオンすら一瞬色を失ったかのようだった。
「……っ」
その残響に押され、ブリジットは小さく息を呑む。
胸の奥がざわりと揺れた。
「ち、違っ……!」
思わずリュナが前に出かける。
だがブリジットはすぐに振り返り、ぐるんと身体をひねってリュナに向き直った。
その瞳は真剣そのものだった。
さっきまで頬を真っ赤にして慌てていた少女の面影はそこにはない。
笑顔も、照れも、すべてを消し去り──ただまっすぐに見据える眼差しだけがあった。
「……リュナちゃん」
声が震えたが、その奥底には確かな決意が宿っている。
「知ってるなら、本当のことを教えて」
「……とっても、大事なことなの!」
リュナは心臓を鷲掴みにされたように、息を呑んだ。
嘘を吐こうとすればするほど、胸の奥に重しが落ちていく。
誤魔化しの言葉が、唇からどうしても出てこない。
(……さ、流石にこれはもうゴマかせねぇー!!)
(兄さん……すんませんっ!)
内心でアルドに頭を下げながら、リュナは観念するように深く息を吐いた。
「……そっすね」
視線を逸らすことなく、彼女は口を開く。
「兄さんは……あーしと同じ……って言うのも、おこがましいんすけど……」
喉がひりつくように乾いている。言葉を絞り出すように続けた。
「とにかく──兄さんの正体は……実は……すっげー強い竜なんっす……」
その瞬間、世界が固まったように静まり返った。
風も止み、観覧車の明滅だけが淡々と時を刻む。
蒼龍はゆっくりと口角を吊り上げ、楽しげに細めた瞳でブリジットを観察した。
「……フフッ」
蒼龍の胸中には、黒い愉悦が渦巻いていた。
(さぁ……好いた男が人間ですらなかったと知った時、どんな顔をしてくれるのかしらぁ、ブリジットちゃん……?)
その瞳は、少女の絶望を待ち構える捕食者のように細められる。
──だが。
「……やったーーーーっっっ!!!」
張り裂けんばかりの歓声が夜空を突き抜けた。
ブリジットがカッと目を見開き、突然ピーンと両手を天に伸ばす。
全力のバンザイ。背筋までピンと伸び、月光を浴びて眩しいほどに元気な姿勢だった。
「…………え?」
リュナと蒼龍の声が、まるで合図をしたかのように重なる。
次の瞬間、二人の顔には揃って「理解不能」の三文字が浮かんでいた。
「「ええぇーーっ!?何そのリアクション!?!?」」
ユニゾンのツッコミが、遊園地の広場にこだました。
観覧車のネオンさえ一拍遅れて点滅したように見える。
ブリジットは両手を上げたまま、きらきらした笑顔で二人を見返した。
その瞳に影はなく、純粋な喜びと安堵だけが溢れていた。




