第147話 観覧車の下の決戦
──転移石の光が弾けた。
瞬きの間に足元がふわりと浮き、次に視界を満たしたのは──戦場とは到底思えない、眩い光の園だった。
ブリジットとリュナ、そしてミニチュアダックス姿のフレキが立っていたのは、スレヴェルド東部区画の"遊園地"。
高層ビルの谷間に広がる空間全体が、闇を押し返すかのようなネオンに染められ、頭上には観覧車が宝石の輪のように回転していた。
緑や赤、紫の光が交錯し、夜空に虹色の川を流しているかのようだった。
「な、なんですか!? ここはっ!?」
フレキが短い足をばたつかせながら、丸い瞳を大きく見開く。
戦闘中の転移のはずなのに、目の前に広がる煌びやかな光景に、警戒心よりも好奇心が勝ってしまった。
「わぁ……! こんなの、初めて見たよ!」
ブリジットもまた、思わず声を上げていた。
巨大な観覧車の光が瞳に映り込み、頬が自然と緩んでしまう。
胸の奥に小さな高鳴りを覚え、少女のように心が弾む。
──だがすぐにハッとして、首を左右に大きく振った。
「……っ、ち、違う! いまは……戦闘中だってば……!」
両の拳を胸の前で握りしめ、無理に表情を引き締める。
一方のリュナは──完全に目を輝かせていた。
「ちょっ! な、何っすかアレ!? クルクル回ってる〜!!」
指差す先には、光に包まれて回転するカルーセル。
白馬や馬車が上下に揺れながら回り、きらびやかな音楽が広場に響いている。
「の、乗って楽しむオモチャっすか!? やばっ……! 姉さん、アレ超楽しそうじゃないっすか!」
リュナは靴音を弾ませながら走り寄りそうな勢いで、子どものようにはしゃぐ。
「いや〜、あの地雷バカ女の街に、こんなイケてる場所があるなんて……マジでビックリっすねぇ!」
呆気にとられるブリジットが、慌てて声を張る。
「りゅ、リュナちゃん! わ、私たち、一応いま戦闘中だから……っ!」
「ヒューッ! あっちの……あの高ぇやつ! あれ絶対ジェットコースターってやつっすよね!? ヴァレンの漫画で見た事ある〜! うわ〜! 乗りてぇ〜!」
リュナはジェットコースターの軌道を見上げ、腕を振り上げながら飛び跳ねる。
「いや〜、今回の件終わったら、ここに遊びに来たいっすね! 兄さんも連れて!」
はしゃいで言うその声に、ブリジットは一瞬だけ、つられて頬を緩めかけた。
だが、胸の奥に広がる違和感──“この非日常的な空間の中に、確かに潜む殺気”が、笑顔を凍らせていく。
──その瞬間だった。
ズゥゥゥゥンッッ……!
夜空そのものが唸るような重低音が遊園地全体を震わせ、ネオンの灯りすらかすむほどの影が広場に覆いかぶさった。
「……っ!?あれ……さっきの空飛ぶクジラさん!?」
ブリジットが思わず息を呑む。
視線の先に姿を現したのは──常識を覆す巨体。
白鯨。
全長数十メートルに及ぶその身は、海に棲むはずの生き物でありながら、まるで夜空を泳ぐように飛翔していた。
腹の底が観覧車の最上部にガリガリと擦れ、鉄骨を削りながら火花を散らす。
軋む音が耳を劈き、吊り下げられたゴンドラは今にも外れそうに激しく揺れた。
「道路ぶっ壊してた、強欲四天王の白クジラ!?」
リュナは目を丸くして、危機感よりも驚きの声を上げる。
一方、フレキは小さな身体を震わせながらも、尻尾をピンと立てて牙を剥いた。
「ワンッ! ワンッ!」
吠え声が広場に反響する。
──そして、その白鯨の背にひとつの人影。
夜風を切り裂きながら、蒼の髪が流麗にたなびいていた。
艶やかな笑みを浮かべ、長い睫毛の影からこちらを見下ろす女。
「ちょっとぉ! 鯨ちゃん! もっとシッカリ飛んでよねぇ!」
軽やかでいて、どこか人を弄ぶような声音が響いた。
白鯨ヴァルフィスは申し訳なさそうに、低く震える声で答える。
「すみません、蒼龍お嬢様……。身体が……デカいものでして、ええ……」
「まったくもう……仕方ないわねぇ」
蒼龍は小さくため息を洩らすと、背筋を伸ばして軽やかに屈み、次の瞬間──
──トンッ。
足先が白鯨の背を離れ、しなやかな軌跡を描いて宙を舞う。
長い蒼髪が流星の尾のように夜空を走り、ネオンに照らされた影が広場に大きく落ちた。
「……ふふっ」
唇の端に妖艶な笑みを浮かべたまま──
──スタッ。
石畳を打つかすかな音。
蒼龍はカルーセルのすぐ前、遊園地の中央広場に柔らかく着地した。
夜風にスカートの裾が舞い上がり、煌めくネオンの光が彼女の姿を一層際立たせる。
ブリジット、リュナ、そしてフレキ。
三人の視線が同時にその女へと引き寄せられる。
目にした瞬間、胸の奥に走るのは──恐怖と畏怖、そして妙に甘美な圧。
蒼龍の唇が艶やかに弧を描いた。
その微笑は、まるで舞台の幕を告げる開演のベルのように。
──この遊園地が、これから戦いの舞台となることを誰よりも雄弁に物語っていた。
◇◆◇
──遊園地の中央広場。
蒼龍はカルーセルの前に軽やかに立ち、周囲を一瞥すると、口元に艶やかな笑みを浮かべた。
回転する馬車の光、観覧車の煌めき、ネオンの洪水。
まるで戦場とは思えぬきらびやかな光景が、彼女の姿を際立たせる。
「……綺麗な場所ねぇ。アタシ達の舞台には、相応しいと思わない?」
その声音は甘く、けれど底に冷たさが潜んでいた。
ブリジットは息を呑み、そして迷わず問いを放った。
「……あなたは誰なの? “紅龍”さんって人じゃないよね?」
真っ直ぐな視線。怯えるよりも、ただ真実を知ろうとする眼差しだった。
蒼龍はふふっと喉を鳴らし、肩を小さく竦める。
「アナタ……バカ正直って言われない?」
わざと含みを持たせるように笑ったあと、彼女は両の扇を軽く広げ、優雅に一礼した。
「まあ、いいわぁ。名くらい名乗っておかないとよねぇ。──アタシは“蒼龍”。紅龍ちゃんの……お姉ちゃん、ってとこかしら?」
「お姉……ちゃん……」
ブリジットの眉が跳ね上がる。
だがすぐに表情を正し、両手を前に揃えてペコッ頭を下げた。
「……あたしはブリジット・ノエリア。フォルティア荒野の新領主です!よろしくっ!」
敵に対する態度とは到底思えないほど、少女らしい真剣さが、その仕草に込められていた。
フレキも、警戒の姿勢を保ちながら、ちょこんと前足を揃えて頭を下げる。
「ボ、ボクはフェンリル族の王、フレキですっ!」
小さな犬の姿と堂々たる名乗りのアンバランスさに、一瞬場が和むほどだった。
その様子を眺め、蒼龍はわざとらしく目を細めて拍手を送った。
「あらぁ〜、お嬢ちゃんとワンちゃんはお利口ねぇ〜。きちんと自己紹介が出来て、偉いわぁ〜!」
ねっとりとした声音に、ブリジットは背筋を強張らせる。
──蒼龍の視線が、すっとリュナに定まった。
それまで妖艶な笑みを浮かべていたその目が、冷ややかな氷の刃に変わる。
途端に空気が張り詰め、ネオン輝く遊園地がまるで凍りついたように静まり返った。
「それに比べて……そっちの“トカゲちゃん”はダメねぇ」
唇の端を吊り上げながら、彼女は囁くように言い放つ。
軽蔑を含んだ声音が、リュナの耳に突き刺さった。
「名乗りも満足に出来ないなんて……」
その言葉は柔らかい調子ながら、鋭い刃で心臓を抉るかのように冷酷だった。
リュナは一拍置き、蒼龍の目を真正面から見返した。
長い睫毛の奥で瞳がギラリと光り、黒マスクの奥で口角がゆっくりと釣り上がる。
「……なぁーにが“蒼龍”っすか」
軽薄そうに吐き捨てながらも、その声音には棘が潜んでいた。
「どうせ“紅龍”とかいうオッサンが、“分身”と“変身”のスキル重ねがけしてるだけっしょ?」
肩を竦め、わざとらしく呆れたように首を振る。
「なぁーんでいきなり女装してんのか、マジでイミフなんっすけど」
あくまで軽口の態度。しかし、その眼差しは獲物を睨む肉食獣のそれだった。
次の瞬間。
蒼龍の笑みが音もなく消えた。
頬の線がわずかに強張り、目の奥で青白い光が冷たく揺らぐ。
「……女の皮を被ってるのは、どっちなのかしらぁ? “トカゲちゃん”?」
甘い声色の裏に潜む、氷刃のような棘。
観覧車の影に潜む風すらも息を潜める。
「今のアタシは、紅龍ちゃんの記憶が作り出した"幻"の様なもの……。紅龍ちゃんの記憶も、アタシの中にはあるの。」
「知ってるわよぉ。アナタの“本当の姿”」
蒼龍は扇を胸の前で閉じ、瞳だけでリュナを貫いた。
「──あの醜い姿を隠すために、人に化けて、人間の“仲間のフリ”をしてるんでしょ。ねぇ?」
囁きは毒のように、リュナの心を抉った。
次の瞬間。
リュナの顔に浮かんだ笑みが、音もなく歪む。
口元にはまだ皮肉げな笑みが残っていたが、額にははっきりと青筋が浮かび、頬の筋肉がピクリと震えた。
瞳は細まり、声は低く、冷たく。
「──あ?」
その一言が、煌びやかな遊園地の全ての光を押し殺すほどに重く響いた。
広場の空気は、もはや爆ぜる寸前の火薬のように張り詰めていた。
◇◆◇
──遊園地の広場を照らすネオンの光が、突如として影に呑まれた。
ズゥゥゥゥン……ッッ!!
頭上を揺るがすような重低音とともに、空を裂いて現れたのは──巨大な白鯨。
その巨体は観覧車よりもなお大きく、夜空を泳ぐように滑空しながら、腹の底を鉄骨に擦りつけて「ゴゴゴゴ……」と不快な金属音を響かせた。
観覧車が悲鳴を上げるように揺れ、ゴンドラが左右に振り回される。
「……っ!? な、なんなの……っ!」
ブリジットが目を見開き、声を震わせる。
「感じました……明確な敵意を。ええ」
「今のうちに、先制攻撃を仕掛けます。ええ」
低く、湿った声。
白鯨──ヴァルフィスの声が、広場全体に反響した。
次の瞬間、巨体が弾丸のように急降下し、一直線にブリジットたちへと迫る。
「つ、突っ込んで来ますっ!?」
フレキ(ミニチュアダックス姿)が、短い足で必死に踏ん張りながら吠える。
──だが。
「……仕方ありませんっ!」
小さな体を前に躍らせたフレキの瞳が、蒼白の光を宿した。
「“神獣化”──ッ!」
ドオォォォォン……ッッ!!
光の奔流に包まれ、フレキの小さな体がぐんぐんと膨れ上がっていく。
その胴は果てしなく長く、鱗を帯びた毛並みは星々の間を泳ぐ龍のように煌めいた。
──空を漂う巨大な超胴長ダックスフンド。
その異様な姿はまるで、神話、もしくはギャグ漫画から抜け出した存在そのものだった。
「フレキくん!!」
ブリジットが両手を胸に抱きしめ、必死に叫ぶ。
だが、すでに声は届かない。
神獣の威厳を纏ったフレキが、エコーをかけた重々しい声で応じる。
「大丈夫ですっ! ブリジットさん、リュナさん!」
「弟のグェルも──強欲四天王の一人を倒したと聞きました!」
「兄として、ボクもこの戦い……負けてはいられませんっ!」
瞳を燃やし、フレキはその長い胴をうねらせながらヴァルフィスに突進。
両者の巨体がぶつかり合い、空気が爆ぜた。
押し合う衝撃で遊園地の照明がバチバチと弾け、地面に亀裂が走る。
「このクジラはボクに任せてくださいっ!」
「お二人は──そのお姉さんの相手を!」
巨大な口を開けたヴァルフィスを、フレキはぐっと押し返しながら上空へと押し上げていく。
「ちょ、大丈夫っすか!? フレキっち!!」
リュナが叫ぶ。
フレキは振り返ることなく、しかしどこか楽しげに吠えた。
「クジラさん、いきますよっ! 真っ向勝負ですっ! ──クジラだけにっ!!」
力強く胴をうねらせ、ヴァルフィスを抱え込むように空へと駆け上がっていく。
その巨体は観覧車をかすめ、遊園地のさらに上空──ハイエスト・ウェイの隙間をすり抜け、夜空の彼方へ消えていった。
残されたブリジットとリュナは、しばし口をぽかんと開けて見送っていた。
やがてリュナは肩をすくめ、内心で(……結構余裕ありそーだし、大丈夫っすね)と呟き、再び目の前の蒼龍に視線を戻す。
遊園地の中央広場。
ネオンがきらめく舞台には──蒼龍の妖しい笑みと、静かに燃えるリュナの怒気だけが残されていた。
◇◆◇
──広場に吹き抜ける風が、一気に冷たくなった。
リュナは蒼龍を真っ直ぐに睨み据え、口の端を吊り上げる。
その声音は、遊園地を彩るネオンの明滅よりも鋭く、刃のように突き刺さった。
「マジ舐めたクチきいてくれやがって……。あの地雷バカ女より、ムカつく女っすね。テメー」
その言葉に、ブリジットが思わず息を呑む。
挑発というよりも、憎悪に近い熱が声に宿っていた。
蒼龍は一瞬だけ眉を上げ──すぐに艶やかな笑みを浮かべる。
その笑みは冷たく、心をえぐる棘を潜ませていた。
「あらぁ? 図星を突かれて怒っちゃったのかしらぁ?」
ヒラリ、と音もなく両の袖が舞う。
蒼い光を帯びた二つの扇が、蒼龍の白い指に挟まれて広がった。
広場の照明に照らされ、まるで夜空に双つの月が輝くかのように。
「これは、アタシ……蒼龍の本来の"宝貝"。──アナタ達の世界で言うところの"神器"、ね」
「紅龍ちゃんが、複数のスキルを組み合わせて、アタシのために再現してくれたもの……」
ブリジットの目が大きく見開かれる。
神器──その言葉の重みが、耳に残るだけで心を震わせた。
「さぁ……久しぶりに舞うわよぉ」
蒼龍の声が、甘美な響きと共に冷気を孕む。
そして──扇を交差させるように振るった。
「──"五火七風扇"」
ドオォォォォッ……!!
突如として広場に風が炸裂した。
カルーセルの飾り布が千切れんばかりに舞い、観覧車が大きく揺れて軋む。
売店の旗や看板は一瞬で空へと巻き上げられ、地を蹴る砂塵が視界を白く覆う。
「す……すごい力っ!!」
ブリジットが両腕で顔を庇いながら、必死にリュナに声を張り上げた。
「リュナちゃん! 気をつけて!」
だが、リュナは揺るがない。
細められた眼差しは鋭く蒼龍を射抜き──その奥に、抑えきれない怒気が渦巻いていた。
(……“醜い本当の姿を隠すために、人に化けている”──だぁ?)
(──違う。あーしは、そんなんじゃ……!)
心臓の鼓動が、怒りとともに速まる。
その言葉が胸に突き刺さったまま、リュナは奥歯を強く噛み締めた。
竜巻に煽られる黒いラメスカートがひるがえる。
その瞳は、もはや遊園地のきらびやかな光景を映してはいなかった。
ただ──蒼龍の姿だけを、燃え尽きるほど鋭く見据えていた。
風邪をひいてしまいましたので、明日の投稿はお休みになるかかもしれません!(※夜寝る前に執筆して、次の日投稿する自転車操業なので)なるべく早く復帰する予定なので、応援のほどよろしくお願いします!




