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第146話 紅龍③ ──災厄の原点──

──その夜。


月は雲に覆われ、都の灯りはどこか怯えるように弱々しかった。


昼間の喧噪は消え失せ、賑わうはずの夜市の道も人影がなく、ただ松明が風に揺れているだけだ。


紅龍、黄龍、蒼龍。


三人の若き仙道が、都の外れの瓦屋根に降り立った。



蒼龍が息を吐き、瞳を煌めかせる。




「……今日こそよ。人喰い竜を討ち果たせば……アタシたちが“ただの弟子”じゃないって証明できるわねぇ」




彼女の声には高鳴る鼓動と、抑えきれぬ期待が滲んでいた。


その横で、黄龍は腕を組み、険しい顔で辺りを睨む。




「……軽々しく言うな。竜だぞ、蒼龍。一歩間違えば命はない」




その声音は冷静だが、妹を案じる気持ちが隠しきれずに滲んでいた。


紅龍は二人のやり取りを見ながら、口角を吊り上げる。



「ふん。兄者の心配も尤もだが……姉者が師父と結ばれるためなら、儂は賛同しよう」



蒼龍の頬がかすかに朱に染まる。



「ちょっ……! そ、そんなこと一言も──」



言い返しかけたが、その目の奥には確かに、偉龍への想いが潜んでいるのを二人は見抜いていた。

黄龍は深く息を吐き、渋々首を横に振った。



「……分かった。だが無茶はするな」



その瞬間、蒼龍の顔に明るい笑みが広がる。



「決まりね! 三龍仙の力、証明してやろうじゃない!」



紅龍は瓦屋根に足をかけ、闇に沈む都を見下ろした。

  

夜風が衣を翻し、遠くから微かに──生臭い“竜気”が漂ってくる。




「……ただならぬ仙気が、都のどこかに渦巻いておるな」

 



黄龍も頷き、「確かに感じる」と目を細める。


蒼龍は一歩前へ出て、真剣な声で言った。




「……ここは、三人で手分けして探しましょう」


「何を言う」



黄龍がすぐさま反論する。

 


「竜に一人で遭遇したらどうする気だ。命を捨てるような真似をするな」



しかし蒼龍は引かない。



「竜を見つけたら“合図”を送ればいいでしょぉ!それに、アタシたちは“三龍仙”。そう簡単にやられたりしないわよ!」



その声には、迷いのない強さがあった。


紅龍は眉をひそめながらも、心の奥に湧き上がる情熱を抑えられない。




(……兄者も姉者も、既に仙気は尋常一様の仙人の域を遥かに越えておる。儂と同じく、竜に挑めるだけの力を持っている。ならば──)




紅龍は頷いた。



「よかろう。竜を見つけ次第、宝貝で合図を送るのだな」



黄龍は沈黙ののち、重く頷いた。



「……分かった。ただし絶対に無理はするな。戦うよりもまず合図だ」



三人は互いに視線を交わし、力強く頷き合う。


──そして、月影に沈む都の闇へと、それぞれの影が散っていった。




瓦屋根の連なりを、紅龍の影がひとつ疾風のように駆け抜けていく。


彼の耳に届くのは、己の息づかいと、屋根瓦を蹴る靴底の乾いた音だけだった。




(竜気……確かに漂っておる……!)




鼻腔をつく血のように重い仙気が、夜気に溶け込み都の東方から押し寄せてくる。


次の瞬間、闇の空が蒼白く閃いた。



──ゴォォォォッ!!



遠く、東の空に巨大な蒼い竜巻が立ち上るのが見えた。


風が逆巻き、屋根瓦さえ吹き飛ばすほどの烈風が都の方角を揺るがす。


紅龍の目が見開かれる。




「……あれは……蒼龍の姉者の“宝貝(パオペエ)”……!」




胸が高鳴る。


蒼龍があの竜巻を起こしたということは、竜を見つけたという合図。


紅龍はためらわず、屋根から屋根へと飛び移りながら、現場へ向かって疾走する。




「待っておれ……姉者……!」




瓦の上で身体を低く沈め、猫のように跳ね、着地のたびに腰を沈めて衝撃を逃す。


夜風が顔を打ち、長い髪を後ろへとはためかせる。



──その時。



東の空にさらに轟音が走った。


雷鳴とともに眩い稲光が地を穿ち、竜巻と交わり暴風を赤黒く染める。



紅龍の心臓が跳ね上がった。



「黄龍の兄者の“宝貝(パオペエ)”も……! 二人とも既に戦っておるのか!?」



焦燥が胸を焼く。


──もし、二人が竜と直接対峙しているのだとしたら……。



紅龍は奥歯を噛み締め、脚にさらに力を込めた。


瓦が砕けるのも構わず、疾風のように駆け抜ける。


建物から建物へ、飛燕のごとく身を躍らせながら、ただひたすらに。



「……儂も急がねば……!」



夜の都に、紅龍の荒い呼吸と、屋根を裂く風切り音だけが響き渡っていた。




 ◇◆◇




──都の東の広場。


紅龍が辿り着いた時、そこは既に地獄絵図と化していた。


石畳はえぐれ、楼閣は崩れ、炎が夜を焦がす。その中心に、黒き巨影が仁王立ちしていた。



全長二十丈を超える、禍々しい竜。



大口は人を丸呑みに出来るほど巨大で、血のように赤い双眸が妖しく輝いていた。


その体から放たれる仙気は濁りきり、まるで腐敗した怨念そのもの。


紅龍の目が見開かれる。

 



「……ば、馬鹿なッ……!? 師父が討ったはずの──伝説の魔竜……"喰竜がりょう"……!」




喉が焼けつくように乾き、全身が凍りつく。それでも紅龍は叫ぶように腕を振り上げた。



「来い……ッ! "緋蛟剪(ひこうせん)"!」



緋色の光が迸り、紅龍の両手に鎖で繋がれた双刀が顕現する。刃が夜気を切り裂き、闘志が紅き炎となって燃え上がった。


しかし、その足元に横たわる二つの影が、紅龍の心を揺さぶった。

 

──蒼龍と黄龍。

 

彼らは無惨にも地に伏し、衣は血に濡れていた。




「姉者っ! 兄者っ!」




紅龍が駆け寄ると、血に染まった蒼龍が震える手を伸ばし、涙に濡れた瞳で彼を見上げた。




「……紅龍ちゃん……逃げて……っ! あの竜は……!」




紅龍は頭を振る。



「何を言うか! 今から師父を呼びに霊龍嶽へ戻ったとて間に合わぬ! 儂が……儂が姉者を救う!」



だが隣で血に塗れた黄龍が、必死に声を絞り出した。




「ち……違う……! 霊龍嶽へは、戻るな……! 何処か……ここではない、遠くへ……逃げろ……!」



「な……何を言っておるのだ、兄者……?」




紅龍の声は震え、理解を拒むように瞳を揺らした。


黄龍の表情には、悔しさと悲しさが入り混じっていた。彼は何かを言いかけた──その瞬間だった。



──ズゥンッッ!!



喰竜の巨大な顎が闇を裂き、黄龍の上に覆いかぶさる。


真紅の口腔が一瞬で黄龍を呑み込み、骨も肉も一切を容赦なく咀嚼し、闇の腹へと消えた。




「兄者ァァァァァッ!!」




紅龍の絶叫が広場に木霊する。

  

怒りと悲しみの衝動が迸り、双刀を振りかざして喰竜に斬りかかる。


 

しかし──



ガァァンッ!!



竜の前腕が一閃。


紅龍の双刀は容易く弾かれ、彼の体は都の楼閣へと叩きつけられる。瓦礫が弾け、血の味が口内に広がった。



「ぐぅ……ッ!」



崩れた瓦礫の中から身を起こす紅龍の目に映ったのは、喰竜の前足に摘まれ持ち上げられる蒼龍の姿だった。




「や……止めろォォッ!!」




紅龍の絶叫を嘲笑うかのように、喰竜は大口を開く。


蒼龍はその掌の中で、なぜか寂しげな微笑みを浮かべた。




「……お師匠様……アタシは……」




最後の呟きとともに──バクンッ。


喰竜の顎が閉じ、蒼龍の姿は消えた。




「……あ……あ……ああああああああッッ!!」




紅龍の喉から迸ったのは、魂を裂かれるような慟哭だった。


自分が竜を討伐すると言い出さなければ……こんなことにはならなかった。


後悔と自責の念が胸を焼き、涙と血が頬を伝う。



憎悪に燃える瞳で喰竜を睨みつける紅龍──その時、目に入った。



──喰竜の前腕に、銀の輝き。



見覚えのあるブレスレット。


蒼龍が、偉龍へと贈ったあの品だった。


紅龍の顔が絶望と混乱に歪む。

 



「──まさか……」


「──師父……なのか……?」




その言葉に応える様に、喰竜は、ニヤァと邪悪な笑みを浮かべた。




 ◇◆◇




広場に重苦しい沈黙が落ちた。


血の匂いと焦げた瓦礫の臭気が漂う中、喰竜の巨体が微動だにせず立ち尽くしていた。


その赤い瞳が、獲物を嬲る蛇のように紅龍を見下ろしている。



──次の瞬間。




「……ククッ。もう少し、隠しておくつもりだったのだがなぁ」




喰竜の口から響いたのは、あまりにも聞き覚えのある声音だった。


紅龍の心臓が、凍り付いたように止まる。




(……!? ば、馬鹿な……そんなはずはない……! これはきっと、魔竜が……師父に化けているだけ……!)




必死にそう思い込もうとした瞬間、喰竜の口端が不気味に吊り上がった。




「……“魔竜が師父に化けているに違いない”──そう考えておるのだろう?」




ギン、と紅い瞳が細められる。




「逆じゃ。"偉龍(ウェイロン)"などという仙道は、とうの昔にワシが喰ろうてしまっておるわ」



「な……っ!?」




紅龍の顔が青ざめ、全身が震えた。


喰竜は楽しげに喉を鳴らす。




「遥か昔、あの偉ぶった仙道がワシを討とうとした。だが、力及ばず……その身も魂も、丸ごとワシの糧よ」



「……っ……!」




紅龍の胸に突き刺さる言葉。


信じた全てが、足元から崩れていく。




「そして──喰ったその魂を弄り、ワシは偉龍の姿に化けた。」


「人の前では"偉龍"の記憶、人格をなぞり、英雄”討竜仙”を演じ、影では奴の名を隠れ蓑に人間や仙道を喰らい続けた。……滑稽なほどに信じ込んでおったぞ、弟子どもも、民草もな」




「やめろ……ッ……!」




紅龍の声は震えていた。


だが喰竜は続ける。




「黄龍、蒼龍、そして貴様──紅龍。三人を拾い、育てたのも、この時のためだ。最高の仙道を自ら育て、熟したところで喰らう……それ以上の饗宴があろうか!」




──全身の血が凍り付く。


紅龍は崩れ落ちそうになる膝を必死に堪え、瞳を見開いた。




(……嘘だ……! 師父は……父のように……我らを……!)




心が叫ぶ。だが、耳に突き刺さるのは魔竜の冷酷な真実だけ。




「儂らを……兄者を……姉者を……ただの……“食い物”としか……!」




紅龍の叫びが夜空に響いた。


視界が滲み、涙と血が頬を伝う。



──その瞬間。


 

紅龍は天を仰ぎ、声が裂けるほどの絶叫を吐き出した。




「うああああああああああああッッッ!!!」




それは失意と憎悪と絶望の、すべてを混ぜ合わせた慟哭。


広場の崩れた石畳すら震え、燃え盛る炎が揺さぶられた。




 ◇◆◇




血の匂いと絶望の空気が支配する広場に、喰竜の冷酷な声が響いた。




「……それにしても、あの小娘──蒼龍は傑作じゃったな」




巨竜の喉奥で笑いが反響し、耳を裂くように広がっていく。




「想い人である“偉龍”の正体が魔竜であると知った時の顔……絶望と愛慕と涙の混じったあの表情……ククク……貴様にも見せてやりたかったわ。のう、“紅龍”よ」




目に涙を浮かべ、ヒャヒャヒャと楽しそうに笑う魔竜の姿。


その瞬間、紅龍の胸の奥で何かが弾けた。


熱い奔流が全身を駆け巡り、握る宝貝(パオペエ)──緋蛟剪(ひこうせん)が赤々と脈動し始める。


鎖が震え、二振りの刃が紅蓮の光を帯びて共鳴した。




「……貴様……ッ……!!」




紅龍の瞳に憎悪と怒りが宿る。その憤怒は涙で霞み、血で濁りながらも、確かに燃え上がっていた。


喰竜はその変化を嘲るように、牙を剥き出し咆哮した。




「どうした? 力に呑まれたか。だがな、貴様も以前言っておったであろう──『この世は弱肉強食』となァ!」




地を揺らす巨躯が突進し、顎が紅龍を喰らおうと開かれる。




「兄弟子も姉弟子も同じく我が"肉"。次は貴様の番だ! 紅龍!!」




──その瞬間。



紅龍の手にある緋蛟剪が、ガチンと組み合わさり、巨大な“ハサミ”の姿へと変貌した。


赤光が奔流のように迸り、空気を焼き裂く。




「……貴様の言う通りだ、“お師匠”。」




紅龍は地を蹴り、炎を纏った閃光となって突き進む。



「この世は弱肉強食! なればこそ──儂は、貴様を喰らい、生きるッ!!」




喰竜の眼が、一瞬だけ恐怖に染まる。




「なっ……!?なんだ、この力……!?」


「ま、待っ……!」




だが遅かった。



──ジャキンッ!!



凄絶な音と共に、緋蛟剪の刃が閉じられた。


喰竜の巨体が痙攣し、赤黒い魂の奔流が刃に吸い込まれていく。


耳を劈くような悲鳴が夜の都を震わせ、瓦礫すら崩れ落ちる。




「グオオオオオオオオオオッッ!!!」




その叫びはやがて細り……喰竜の巨躯は緋色に結晶化し、崩れ落ちるように宝石像へと変わった。




──静寂。




燃え残る瓦礫の炎が揺らめく中、紅龍は一人立ち尽くしていた。


頬を伝うのは、血に濡れた涙。


かつて「家族」と呼んだ二人を失い、師をも喰らってしまった己の運命を呪うかのように。





「うああああああああああああああッッ!!!」





紅蓮の咆哮が、夜空を貫いた。


その声は悲しみか、怒りか、決意か──誰にも分からない。



だが確かにこの日、一人の仙人は竜を喰らい、最強の"討竜仙"へと生まれ変わったのだった。




「──この世は、弱肉強食。」



「──ならば、最強である儂が」



「──(くろ)うてやる。全てを」




これより百年後、ベルゼリアへ異界召喚されることとなる"ベルゼリアの紅き応龍"の原点である。


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